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第79話 画竜点睛のネクサス(前編)

「あ〜またダメだったぁ…」

「シェリーの魅力に気付けないとか男ってホント見る目無さ過ぎるよね〜」


 暗い夜道にて、酒に酔ったシェリーの愚痴と男を蔑んでシェリーを慰める女の声が響く。


「でもシェリーは会う度に綺麗になっていってるから、次は絶対男手に入るよ!」

「…それ前回も言われた気がするんだけど」

「とにかく次に向けて自分磨きして、一緒に幸せ掴もっ、ね!」

「う、うん…」


 友人も酒に酔っているゆえ、今の時間が人々が寝静まる夜中であるにも関わらず大声でシェリーを励まし、次に向けて互いを奮起させる。


「…次はあいつにしよう」

「うん、確かにあの美しい顔なら相応しい」


 そんな酒に酔う合コン帰りの女達を、屋根上から見下ろす者が二人。片方の男には、月の光が鈍く反射する大きな鎌を抱えている。鎌を持つ男はシェリーに狙いを定めると、屋根上から飛び降り、女達の前にその姿を見せる。


「きゃっ…何!?」

「あー男が降ってきたじゃん、良かったねぇ」

「な、何言ってるのよ…どう見ても殺人鬼じゃん!」


 冗談を言う女友達に対し、明らかに殺意を放つ男と大きな鎌を見て酔いが覚めたのか、シェリーは青ざめた表情になりこれから殺されるのだと悟った。直後、シェリーの身体が自分の意思とは真逆に、男へ向かって歩き始める。


「いや…!ちょっ、何で勝手に…止まって…!!」

「ほらほら〜、やっぱり男が恋しいんじゃん」

「ち、違うってば!!うぐぅっ…!?」


 友人に助けを求めようとして振り返った途端、またしても勝手に顔が表に戻り、視界に男を映す。


「——暴れるな、すぐ終わる」

「んんんん!!!」


 何故か口が開けなくなったシェリーは恐怖に染まった表情を男に見せるが、まるで人としての感情が無いように一切表情を変えない男は、シェリーに手を翳す。するとその身体から狐火のようなものが浮き出てくる。


「悪いな」


 男は最後にそう呟くと、シェリーの身体から狐火を切断するように大きな鎌を振る。するとシェリーは死んだかのように倒れる。


「え…?シェリー…?嘘でしょ…きゃぁあああああ!!!」


 友人はシェリーが倒れた事でようやく酔いが覚め、悲鳴を上げてその場から逃げ出す。しかし男は追いかけもせず、ただその背中を見つめるだけだった。


「殺さなくて良いのかい?見られたら面倒になると思うんだけれど」


 女を見逃した男に、いつの間にか背後に居た仲間の女が耳元で囁く。


「…アイツは対象外だろ、なら殺す必要は無い」

「ふぅん…」


 女は納得のいかなさそうな表情で頷くと、男と共に闇の中へと消えていった。



「お兄ちゃーん!」


 玄関の外からそんな声が聞こえてきて、その声の主が俺のもとに駆け寄って来る。

 彼女の名前はフェリノート。俺の妹で、絶対に守るべき存在且つ幸せになるべき存在である。あ、因みにどうでもいいかもしれないが俺の名前はシンだ。一応フェリノートの兄なのだが…今は諸事情により性転換し、ナイスバディな女になってしまっている。


「どうしたフェリノート?」

「なんか騎士団から手紙が」

「手紙?」


 俺はフェリノートから差し出された手紙を受け取って内容を確認する。綺麗な字で長々と文が綴られていたが、要するに“要件があるので騎士団本部に来い”というものだった。

 自分から騎士団に赴く事は多々あったが、向こうから手紙でお呼び出しを食らうのは初めてだった。俺が無意識に何か悪い事をしたのか、それとも猫の手も借りたいほど緊急事態なのか…。


「何て書いてあったの?」

「要するに騎士団に来いってさ」

「向こうからなんて珍しいね…何かあったのかな」

「それはわからないけど、とにかく行くぞフェリノート」

「うん!」


 俺達は既に出掛ける準備が整っていたため、そのままスムーズに外へ出て王都にある騎士団本部へと向かった。


 少し前、この国はスライムに乗っ取られていた時期があった。俺は親玉を倒し、何とかスライムから国を奪還する事が出来たが…国内には、まだ寄生されたままの人が潜んでいる。俺は寄生された人からスライムを分離する“スライム狩り”の活動しているのだ。

 仲間は居ないのか、と思われるかもしれないが…はっきり言うと居ない。俺がスライムを分離する際に使う魔術——“モルテ流魔術”は俺が独自で編み出したオリジナル魔術で、今となっては人を救う魔術だが、本来は生きるものを殺す為だけの魔術だ。そんな危険な魔術を他人に教えてしまったら、人は安易に人を殺すようになる。

 俺はそんな事を危惧して、誰にもモルテ流魔術を教えていないのだ。



 俺達の家がある森を下って国民が行き交う王都の、一番栄えている繁華街を通って騎士団本部へ向かうのだが…その道中、ある違和感に気がつく。


「いつもより人が少ないな」

「ね。この時間帯なら賑やかなのに」


 いつも一緒に繁華街へ来るフェリノートも気付いたようだ。全く居ない訳ではないが、いつもと比べると半分以上も人が減っていた。


「どうやら騎士団が俺達を呼んだのは…緊急事態だからっぽいな」

「…」

「どうした?」

「——また、お兄ちゃんが無理する事になるのかなって」


 フェリノートはこれから起きるかもしれない事を危惧して、心配そうな表情で俺を見つめながら言う。

 昔の俺は猪突猛進という言葉が相応しいくらい無茶ばかりしていた。初戦で悪魔と戦って全身大火傷した時もあれば、魔力が桁外れな脳筋異世界転生者と戦って上半身が痙攣して動かなくなったり…改めて振り返ってみると、フェリノートがこうして心配してくれるのも頷ける。

 ——まぁ、これらはフェリノートの記憶には無いのだが。


「大丈夫、今の俺には仲間が居る。もう昔みたいな無茶はしないさ」

「で…でも」

「さて、早く騎士団本部に行くぞ」


 俺は急かすように言って、フェリノートの手を掴むとそのまま騎士団本部へと向かって走り出した。

 俺の知らない内に何かが起こっていて、しかもその出来事が栄えている繁華街にすら人が少なくなるほどの事柄で、騎士団が俺に助けを求めるという事はかなりの緊急事態なはずだ。フェリノートの気持ちも十二分にわかるが、とにかく急がねば。



 騎士団本部へ駆けつけ、俺達は騎士団の総団長であるアリリ・イルシエルから何故自分達を呼び出したのか…この国で何が起こったのか、詳細を聞いた。


「通り魔?」

「はい、しかもここ連日で3件。被害者は全員女性ですが…不思議な事に、被害に遭った女性は殺された訳ではなく、昏睡しているようなんです」


 アリリ曰く、どうやら3日間連続で女性を狙った通り魔事件が多発しているらしく、被害に遭った女性はそれぞれ独身、前科持ち、そしてもう一人は…強いて言うなら美女?という特徴があるが、犯行場所もバラバラな為、今のところ被害者の共通点は“女性である”という事だけらしい。

 ——道理で人が少ない訳だ。女性限定とはいえ通り魔事件が多発してるなんて言われたら、外出なんてしたくないだろうし。


「…まさかと思うが、俺達も狙われるかもしれないから気をつけろってか?」

「一応それもありますが、スライム狩りの際、少しでも良いので気に留めておいてください。もしそれらしき人物を見つけたら騎士団に報告、もしくは捕らえていただけると幸いです」

「わかった。じゃあ俺達は行くよ」


 そう言ってアリリに別れを告げて騎士団本部から出ると、今日もスライム狩りを始める。

 しかし聞きそびれたというか、聞いても恐らく求めている返答は返ってこないであろう疑問が一つ——被害者は殺されておらず昏睡状態にある、という点だ。犯人はなぜ、殺さずに昏睡状態にしたのだろうか…。



 スライム狩りを始めてからかなりの歳月が経っているが、国民一人一人にモルテ流魔術を行使するため効率は悪い。それにスライムが寄生しているからといって何か騒動が起こっている訳でもない為、最近スライム狩りの意味に疑問を感じ始めている。

 しかしそれ以上に精神に堪える事が。それはスライムに寄生された者を“悪”とみなし“正義”を振り撒いて善人面する醜い人間達をほぼ毎回見せつけられることだ。

 駆けつけると高確率で人集りが出来ており、その中心で寄生された人が拷問のような行為をされている。本人達からすれば、俺が駆けつけるまでの間にスライムが何かしでかさない為の防衛行為なのだろうが——そんな中、珍しく拷問を受けていなければ、誰かに取り押さえられている訳でもない…寄生された人を見つける。


「めっ…珍しい!!」

「よし、あの人で今日は終わりにしよう」


 昼頃からずっと国内を動き回ってスライム狩りをしていた為、辺りはすっかり夜になっており、俺もフェリノートも疲労困憊していた。

 次で最後にしようと思い、寄生された人に駆け寄った…その時だった。


「そいつは俺の獲物だ」

「ッ!?」


 突如どこからともなくそんな男の声が聞こえてくる。その瞬間、寄生された人が死んだようにバタンと倒れ、その体から狐火のようなものが浮き出てきた。


「な、何だあれ…?!」

「選定された者の魂、だよ」


 今度は女の声が聞こえたと同時に、大きな鎌を持った——まるで死神のような男と女が姿を現し、男は浮き出た狐火のようなものをガシッと奪い取る。


「お前は…あの時の不審な女!まさかお前らが噂の通り魔か…!」


 俺は目の前に現れた女の方に見覚えがあった。

 この女とは過去に2度遭遇しており、1度目は10年前に俺のバイト先で絡んできて、2度目は最近意味深な言葉を放って俺を揺さぶってきた。


「不審な女って…じゃあ改めて自己紹介しておこうか。私は強欲の悪魔“アヴァリス”、そしてこっちがクリム・クレキュリオス」

「強欲、だと…!?」


 俺は“強欲”という単語に驚愕する。何故なら、強欲は“七つの大罪”の一画を担う——漠然とした表現で言うとヤバい悪魔なのだ。俺自身も過去に七つの大罪の悪魔と対峙した事はあったが…まさか昔から俺の事を見ていた女が悪魔だったなんて。


「そうだよ?そして君はあの暴食の悪魔“グラトニー”を倒した…色欲の悪魔“ラグニア”の子、シン・トレギアスだね」

「っ…!」

「でもまさか君が色欲の悪魔の子…いや、そのものである事を受け入れ、女になってしまうとは驚いたよ!」

「——御託はいいアヴァリス。シンとか言ったか…もし俺の邪魔をするなら、女であっても容赦はしない」


 大きな鎌を持った男…クリムは俺に殺意マシマシな言葉を告げると、目的は狐火——選定された者の魂とやらだったからかそのまま俺達に背を向けてその場から立ち去ろうとする。


「おや、シンは殺さなくてもいいのかい?」


 意外だったのかアヴァリスは驚いた声色で言うが、クリムは投げかけられた問いに返答する事なくそのまま闇へと消えていった。その後にアヴァリスも納得いかなそうな表情をしながらも、俺達に一度手を振るとクリムを追うように闇へと消えていった。

 結局、言われるだけ言われて、こちらが何か言い返す暇も与えてくれなかった。だがこの短期間で“通り魔”に関する情報がかなり得られた。



 俺はクリムと遭遇した後、直ぐに騎士団へと赴いて“通り魔”に関する情報を報告する事にした。だがその道中、疲れてしまったのかフェリノートは俺の背中で眠ってしまった。


「クリム・クレキュリオス…それが通り魔事件の犯人ですか」

「ああ、しかも悪魔付きだ。それも七つの大罪の一画を担う“強欲”の…な」

「はぁ…またヤバい系の悪魔ですか…」


 悪魔が関わっているという“言葉に七つの大罪の一画を担う”と付け加えると、アリリは深くため息を吐いて、露骨に嫌そうな表情をした後に文字通り頭を抱えた。

 実はアリリは過去に“暴食”のグラトニーと対峙したことがある。一応善戦はしていたらしいが…だからと言って2度も似たような存在とは戦いたくないのだろう、その時と全く同じ状況という訳でもないだろうし。


「そして被害者はまたしても女性…あ、でも待ってください。クレキュリオスなんて変わった名前、どこかで聞いた覚えが」


 頭を抱えていた次の瞬間に勢いよく顔を上げ、その心当たりのある名前を探すべく机から何かしらの書類を開いて探し始める。

 感情の浮き沈みが激しい奴だ。まぁ良く言えば“切り替えが早い”とも言えるのだが…そこだけはアリリに対して素直に凄いと思う。そこ“だけ”は。


「ありました!どうやらクリムと同じ苗字を持つ人物が近くの病院で入院しているそうです、こんな変わった苗字はそうそう居ないので恐らく親族だと思われます」

「わかった、ちょっと行ってくる」

「ああ待ってください!この時間ですから少なくとも面会は出来ないと思います!」

「あ、そうか…じゃあ頼みがあるんだが、この一件が収まるまでフェリノートをここに泊めてやってくれないか?」

「どうしてです?」

「アイツらの口ぶりから察するに、多分俺も狙われる対象だと思うんだ。ここならあんたも居るし安全だろ?」


 アヴァリスがクリムに投げかけた言葉から推測するに、あれは恐らく俺が対象物だという事だと思う。今後俺がクリムと遭遇してもしなくても、いずれは命を狙われる可能性がある…それはつまり、同行するフェリノートも危険になるという事だ。俺との距離を離して騎士団に身を置けば、殺される可能性はかなり減る。


「——後でフェリノートに怒られても知りませんよ?」


 アリリは俺の頼み事に、呆れたように笑いながら許諾する。


「ありがとう。じゃあフェリノートを頼んだぞ」

「はい。必ずお守りします」


 俺はアリリに感謝を告げ、近くの高そうなソファに眠っているフェリノートをそっと下ろすと、そのまま騎士団を出て夜道を一人で歩いて家へと帰っていった。

 ——一人きりなんて何年振りだろうか…“あの時”も、フェリノートの為に自分から距離を置いたんだっけ。



 翌日、俺はクリムと同じ“クレキュリオス”の苗字を持つ親族が入院しているらしい病院へと赴いた。


「すいません、クレキュリオスさんの面会に来たんですが」

「クレキュリオスさん…ああ、メリモアさんの事ですね。親族の方ですか?」

「えっ、あ…いや、き…騎士団の者です」

「騎士団の…?そんな服装で?」

「私服捜査って奴です!ほら、あんな鎧で問い詰めても相手が緊張して答えられないでしょう?」

「そ、そうですね…でしたら106号室ですよ」

「ありがとうございます」


 俺は受付の人に礼を言うと、クリムの親族——メリモアがいる106号室へ向かった。

 我ながらあの一瞬で乗り切れたのは中々凄いと思う…まぁその手段が“嘘”というのは褒められたものではないが。


「あのー…メリモアさん…騎士団の者ですがー…?」

「き、騎士団…?」


 106号室は病室というには少し異質な空間で、だだっ広い清潔感のある空間に病人用のベッドがポツンと配置されているだけというものだった。まぁ流石にベッドの横には小さい棚とか台とかはあったが…まるで、隔離されているようだった。

 そんなベッドの上から、少しだけ怯えている表情でこちらを見つめる少女が一人。


「あ、でも怖がらないでほしい!俺はちょっとクリムについて知りたいだけで…」

「お兄ちゃんが何かしたのっ!?」


 クリムの名を聞くや否や、メリモアは身を乗り出す勢いでそう聞き返してきた。

 ——お兄ちゃんって…まさかクリムの目的は。


「あーいや!そういうんじゃない!」

「そんな事無い!騎士団の人が来るって言葉をそういう事でしょ…?わかってるよ…きっとお兄ちゃんは、私の病気を治す為に…」

「…病気?」


 俺はどさくさに紛れてベッドの近くに置いたあった椅子に座り、距離を高くする。

 よく考えてみれば、病院で入院しているということは必然的に何かしらの病を患っているという事にも関わらず、この時の俺はメリモアにそう聞いた。


「私の病気は、今の技術じゃ治せないって診断されちゃって…余命を待つだけなんです。だから悪魔と契約してでも私の病気を…!」

「どうしてそう思うんだ…?」

「だってお兄ちゃん、私なんかの為に平気で無茶する人だから…」

「…そっか」


 メリモアの話は、まるで自分の話を聞かされているような気分になって、俺は思わずニヤけてしまう。

 ——道理であの時、クリムは俺を殺さなかった訳だ。もしクリムが俺と同じ考えを持つ人なら、俺の妹らしき人物がいる目の前で殺そうだなんて思わないだろうから。


「いっつもそうなんです。両親が居ないからって何もかも一人でこなそうと無茶ばっかりして、何回も死にかけた事あったのに…あっ、ごめんなさい!お兄ちゃんの愚痴を言ってしまって…」


 リメモアは散々クリムに対する秘めたる思いを愚痴として吐いた後、我に返って俺へ謝罪する。

 その姿も、何だかフェリノートを見ているようで寧ろ微笑ましく思えた——と同時に、俺も同じ事を思われてるのかなとも考えさせられた。


「…まぁ、それだけ妹って存在は大事って事だよ」

「それは嬉しい、けど…やっぱり心配なんだもん…」

「でも、何回言っても結局無茶ばっかするんだよな」

「そうなんですっ!!って、まだ言ってないのにどうしてそれを?」

「——俺もクリムと同じ、兄だからだよ」

「兄って…貴女は女の人ですよね?確かに口調は男の人っぽいけど」

「まぁ色々事情があるんだよ。さて、話を聞かせてくれてありがとう…そろそろ帰るよ」


 俺はそう言うと椅子から立ち上がり、メリモアに別れを告げて病室から立ち去った。

 ——ここでメリモアが“お兄ちゃんを止めてほしい”という言葉を言わなかった事が少し意外だった。でもまぁ、仮にクリムを止めたら自身は死んでしまう訳だし…複雑な気持ちだったんだろう。



 騎士団へ向かう道中、俺はメリモアとの会話で得た情報を元にクリムについて考察する事にした。

 まず結論から言うと…クリムの目的は“妹のメリモアの病気を治すこと”。その為に、悪魔と契約して人間の魂を集めている——だが、もしそうなのだとしたら幾つか疑問が浮かぶ。

 悪魔の契約は後払い制で、その代償は叶えた望みが本末転倒になるものでなければいけないはず。例えばピアノが上手に弾けるようになりたいという願いであれば、代償はピアノを弾くにおいて最も重要な“手”とか。

 だから先に代償を払わせるのはおかしいし、捉え方にもよるかもしれないが…妹の病気を治す為に他人の魂は本末転倒とは言えない気がする。

 ——まぁ、俺は悪魔ではあるが未だ契約は交わされた事もなければそれに関する知識も浅い。ここは“経験者”に聞くしかないか…そう思い、俺は裏道を歩き始めた——その時だった。


「ッ!?」


 俺は背後から急速に迫ってくる殺気を感じとり、咄嗟の判断でそれを躱す。直後、目の前に鋭く光る刃がかなり至近距離で映った。


「チッ…!」

「やっぱりあんたか、クリム」

「お前が人気のない道を選んでくれて助かったよ…お陰で人目に付かず殺せるッ!!」


 そう言って、クリムは殺意の籠った目で俺を睨みつけながらその大きな鎌を振り下ろす。俺は瞬時に黒い剣を引き抜いて攻撃を防ぐ…が、刃が特殊な形をしている為にその先端が少しだけ肩に突き刺さる。


「ぐっ…!」

「お前にも妹が居るんだろ…なら妹という存在がどれだけ大切かわかるよな!?メリモアの病気を治すには…お前の命が必要なんだよッ!!」


 そう言うとクリムはより一層力を強くしてくる。それに伴って、俺の肩に刺さっている先端も内部へと徐々に入り込んでくる。


「——それで仮に病気を治したとして、メリモアは喜ぶのか?」

「あ…!?」

「他人を犠牲にして生きるのは…それは幸せって言えるのか!?」

「うっ…うるさいッ…!」

「俺には幸せってものが未だよくわかってないけど…少なくとも誰かを悲しませて得た幸せに、未来も希望も無いだろうが!!」

「——そんなの、俺が一番わかってんだよッ!!」


 俺に諭されたクリムはそう告げて、鎌に掛けていた力を弱める。俺は肩に刺さる先端を抜くようにゆっくりと鎌を持ち上げていく。


「お前の言う通りだよ…ああそうだ!!他人から奪って得た人生なんて苦しいだけだって、一生罪悪感に苛まれて生きていくだけだって、わかってるよ!」

「…」

「でも、俺にはもうこれしか選択肢が無いんだ…今の医療技術じゃ治せない病気を治す方法なんて、悪魔と契約でもしなきゃ無理なんだよ!おまけに、余命ももう僅かで…いつ死んでもおかしくない!!死んだらもう——手遅れなんだよ…!!」

「クリム…」


 クリムの嘆きは、かつての自分を思い出させた。妹のメリモアの余命が僅かでいつ死んでもおかしくない状況で、目の前に“俺の命”という病気を治す為に必要なものがあれば、どんな手を使ってでも手に入れようとする。切迫詰まっていれば、人の考えは極端なまでに盲目的になる。


「だから頼むよ、俺の妹のために死んでくれよォッ!!」


 クリムは叫び、鎌を強く握りしめると再び俺に向けて振り下ろしてくる。俺はまた肩に突き刺さるのは御免なので防がずに避けてそのまま裏道を抜けて一通りの多い場所へ出ていった。

 ——俺にだって、死んだら悲しんでくれる人が居るんだ…。



 何とか人混みに紛れてクリムを撒いた後、ようやく騎士団本部へと辿り着いた…が、アリリのいる団長室へ報告に戻ってくるや否や、フェリノートがすごい形相でこちらに歩み寄ってきた。


「お兄ちゃん!!なんで私を置いて…って、肩から血が!?」

「これは気にしないで、とにかくその…ごめん」

「いや気にするよ!!あのクリムって人にやられたの…?」

「ああ。道中に遭遇してな」

「遭遇したんですか!?彼は何処に!?目的は!?どうして女性ばかり狙うんですか!?ていうか病院はどうでした!?」


 クリムと遭遇したと発言した途端、団長室の奥からアリリが飛んで俺に質問責めをする。


「ちゃんと一から説明するから黙れ!!…はぁ、じゃあひとまず今日分かった事を話していくぞ」


 俺達は向かい合うソファに座り、今日得た情報を一通りアリリに話した。

 クリムの目的は妹、メリモアの難病を治す事。その為に悪魔と契約し、人々の魂を集めているという事。そして悪魔の契約に関する情報…代償についてを全て話した。


「やはり入院していたのはクリムの妹さんだったのですね。おまけに今の医療技術じゃ治す事は不可能な難病で、余命も僅かって…」

「ああ。向こうもかなり切迫詰まってる感じだった」


 自分で言った後、俺の頭に更なる疑問が浮かんだ。それは、余命僅かで切迫詰まってるはずなのに、どうしてメリモアは平然としていたんだろうか?余命僅かの時って平然としていられないくらい容態が悪かったりすると思うんだが…あの平然さは“死を覚悟している”のとは少し違うような気がする。

 ——まるで、死を望んでるみたいだった。


「…何か話だけ聞くと私達みたいだね」

「ああ。もし俺がクリムと同じ立場だったら、きっと同じ行動を取るだろうな…」

「しかし、契約に関して少し食い違いがあるのが謎ですね…」

「ああ。そこでだフェリノート、少し頼みがあるんだけど」


 俺はそう言って、フェリノートに2本ある内の紅い宝石が埋め込まれている方の黒い剣を差し出す。するとフェリノートは俺の頼み事がどんなものなのかを察したのか、露骨に嫌そうな顔をする。


「…私にしか出来ないんだよね?これ」

「ごめん、でも悪魔の友達は他にいないからな」

「はぁ…身体を乗っ取られる感覚、あんまり良くないんだよ?」


 ため息を吐いて露骨に嫌そうな表情をしながらも、フェリノートはなんだかんだ差し出された剣を受け取ると、目を瞑る——途端、フェリノートの体が大きくびくん、と動いた後にゆっくりと目を開けていく。


「——まさか呼び起こされるとはな」


 剣を受け取った後のフェリノートは、少し声色を比較して俺にそう告げてニヤリと笑う。

 ——フェリノートの中には、実は諸事情で七つの大罪の一画を担うの悪魔“ハティ”が宿っている。こうして剣を握らせる事で埋め込まれている宝石と共鳴し、ハティの人格を呼び起こす事ができるのだ。


「悪いなハティ、どうしてもアンタの助言が必要だったんだ」

「中でおおかた話は聞いていたから説明は要らんぞ…要するに、契約についてだろう?」

「ああ。契約の代償って先払いのパターンもあるのか?」

「出来なくはないが、普通はしない。そもそもシンとの契約だってそうだっただろう?」

「あ、確かに」


 俺とハティは過去にフェリノートの件で契約を交わした事がある。先程の“諸事情”というのはこれだ。実はフェリノートは一度殺され、命を絶っている。だが契約によって、前世から当時までの記憶を代償に甦らせたのだ。

 ——だが、フェリノートが過去に一度死んだ事は誰にもバレてはいけないのだ。


「だが俺達の場合は例外中の例外…そもそも代償が後払いなのは、幸せの絶頂から絶望に叩き落とされる人間のザマを悪魔が見たいからだ」

「かーなーり性格悪いですね…」

「悪魔だからな。そしてこれは俺の推測だが…クリムとやらはアヴァリスと契約をしていない、もしくは契約していると勘違いさせられているんじゃないのか?」

「どういう事だ?」

「代償として集めている魂…何故アヴァリス自身で集めない?代償はあくまで“魂”であって、行動は関係ないはずだ」

「言われてみれば確かに…悪魔なら人間の魂を奪うなんて造作もないはずですよね」

「加えて、その集める魂にも条件があるというのが謎だ。これに関しては偶然の可能性もあるが、別に望みの対象が女性だからといって、消費する魂も女性でなくてはいけないなんて事は無いし、そもそも面識のない人間の魂なら尚更本末転倒ではないだろう」

「…仮にそうだとして、何でクリムを騙すなんて回りくどい事を?」

「流石にそこまではわからん。俺はアヴァリス本人ではないのでな…だが、物事に行き詰まった時は逆に考えてみると良いらしいぞ」

「物事を、逆に…?」


 まるでここから先はお前達自身で考えてみろと言わんばかりにハティがそう告げた。しかしかといって人格がフェリノートに戻るという訳では無かった。

 こういうのって大体、真実に勘付いている奴がいう台詞なんだよな。しかし“逆に”か…何故クリムを騙したのか…騙された…アヴァリス…どうやって…?どうやってアヴァリスが騙した?何故クリムは騙された?

 ——アヴァリスがクリムを騙す為にした事…?


 “きっとお兄ちゃんは、私の病気を治す為に”

 “今の技術じゃ治せないって診断されちゃって…余命を待つだけなんです”


「——まさか、メリモアの病気って…!」

「何か分かったんですか?!」

「なぁアリリ、メリモアがいつから入院してるか調べられるか?」

「あ、はい…!確か机にカルテが…!」


 アリリはそう言ってソファから立ち上がり、即座に机の中を漁ってメリモアのカルテを探す。

 ——よく考えたら、何で騎士団の総団長が病院の事情を把握してないといけないんだ?


「ありました!!えーっと…4日前?!」

「丁度通り魔事件が起こり始めた時期と一緒とは…偶然にしては出来過ぎているな?」

「しかも4日前に入院して余命僅かって、明らかにおかしいだろ…って事は、やっぱりメリモアの病気はクリムを利用する為にアヴァリスが発症させたって事か…!」


 まだ確証は無いが、その可能性はグンと引き上がった。だがメリモアの病気がアヴァリスによるものだったとして、何故メリモアなんだろうか?クリムを利用したいのであれば、わざわざ契約させる口実を作らなくても手段は色々あったはず。でもきっと、それでなきゃいけない理由があったはずだ。

 ——“クリムを利用する為にメリモアを病気にした”、これを逆転させて考えてみよう…。


「でも、どうしてメリモアさんを病気にして無理矢理にでもクリムを利用したかったんでしょうか?」

「——いや、違う。逆だ」


 アリリの疑問に、ある考えに辿り着いた俺はそう告げる。


「また逆ですか…?」

「ああ。ハティに言われた通り、逆に考えてみたんだ。結局推測の域は出ないけど、アヴァリスはクリムを利用したかったんじゃなくて、“メモリアを病気にしたからクリムを利用した”んじゃないかって思ったんだ」

「…確かにそれだと筋が通りますが、それってメリモアさんが自分からアヴァリスに病気を患わせたって事になりますけど」

「そう、だから直接聞くんだよ…まぁ素直に腹を割ってくれるとは思わないし、合ってるかどうかもわからないからどちらにせよ望み薄だけどな。ちょっと行ってくる」


 俺はそう言って高そうなソファから立ち上がり、メリモアが入院している病院へ向かおうとする。

 魂を集める理由、魂に条件がある理由、アヴァリスの目的…まだ謎は多いが、一気に解決するより一つ一つ着実に解決していった方が良い。


「——待て、シン。お前いつまで女で居るつもりだ?」


 ふと、ハティに呼び止められる。


「え?」

「その姿のままでは、背中を狙われるぞ」

「いや、俺は色欲の悪魔になったからな…もう戻れないんだ」

「…ルクスリアの固有技能、お前も使えるぞ」


 ルクスリアはかつての色欲の悪魔で、俺の前任者。一時期は対立していたが、最後は仲間として共に行動していた仲だ…まぁ、もう居ないのだが。

 そんなルクスリアの固有技能は“変身”。どんな姿にも変身できるというルクスリアだけが持つ特殊能力である。確かにその能力があれば擬似的に男に戻る事が出来るが…。


「あれってルクスリアだから使えるんじゃないのか?」

「とにかくやってみろ」

「えっ…わ、わかった…えいっ」


 俺は自分の姿が変わるイメージをしながら指をパチンと鳴らす。途端、体温が上がっていくようなフワフワした感覚が足から徐々にに全身を包み込んでいくような…まるで少しぬるめの温度に設定されたサウナにいる感覚だった。やがてその感覚が頭頂部にまで達すると、サウナ後に水風呂で身体を冷やして外気浴して整ったような気分になる。

 そんな感覚が終わると、ガラスに映る自分の姿が男の時の自分の姿になっている事に気付く。


「あ…戻れた!!」


 俺は男に戻れた事に感動し、思わず高々とそう言った。だが結局はこの姿に変身しているだけである為、残念ながら重くて肩が凝るあの大きな胸の感覚は残っている。


「ようやく戻っ…うっ!?ぐぅううっ!!」


 途端、ハティが突然胸を押さえて苦しそうな声を出し始める。一応その身体はフェリノートのものなので、俺は声を出すよりも先に駆け寄った。


「お、おい!どうしたんだ急に!?」

「わ、わからん…!お前の姿を眼に映した途端、胸が締め付けられるような感覚がっ…ぁああああああああ!!!」

「ハティ!?ハティ!!」


 苦しさのあまり発狂した後、脱力してその場に倒れようとするハティを俺は抱きかかえた——その時、突然俺を捕まえんとばかりにかなり強い力で身体をギュッっと抱きしめてきた。


「はぁ…はぁ…久々のお兄ちゃんだぁ」

「まさか…フェリノートか?」

「うん!その姿を見た途端ね、興奮し過ぎてハティさんの人格を上塗りしちゃった…お兄ちゃんはやっぱり男の方が良いよ!」

「お、おう…そうか」


 俺は驚きのあまり、顔を真っ赤にしておきながら幸せそうな表情のフェリノートに向けてそう言った。

 七つの大罪の一画を担う悪魔の人格を上塗りしてしまうほどの興奮ってやばいだろ…まぁそれだけ俺がフェリノートに愛されているという事なのだろうが、今回のは寧ろ恐怖すら感じた。

 ——女の愛というのは、底知れぬ故に怖いものだ。


「でもごめん、俺行かなきゃ」

「私も行きたい…だめ?」

「ごめん、それは出来ない」

「何で!?約束したじゃん…ずっと一緒だって…!ただでさえもう破ってて怒ってるのに!本当に、私怒ってるんだからねっ!!」

「ごめんな…本当は俺だって一緒に歩きたい。でもクリムはもう俺達の顔を知ってる。せっかく男に戻ったのに、フェリノートが隣に居たらバレちゃうだろ」

「そ、それは…そうだけど」

「俺はただフェリノートに危険な目に遭ってほしくないだけだ。だから…ほら」


 俺は頭を優しく撫でた後、フェリノートに向けて小指だけ突き立てた拳を見せつける。


「…なに、これ」

「こうやって小指同士で繋いで…“指切りげんまん嘘ついたら針千本飲ーますっ、指切った”ってやるんだ。これはお互いが約束を必ず守るっていう契約みたいなものだ」

「へぇ…じゃあ約束して」

「ん?」

「この一件が終わったら、今度こそずっと一緒だよ…ずっとだよ?」


 そう言って、フェリノートは小指を突き立てて俺に向けて見せつけてくる。どうやらこの一件を終えるまでは特別に離れることを許してくれるらしい。

 俺は無言で自身の小指を突き出し、フェリノートの小指を絡ませると、改めて約束を交わす。


「「“指切りげんまん嘘ついたら針千本飲ーますっ、指切った”!」」


 そう言って約束を固く結ぶと、俺は団長室から出て行ってメリモアが入院しているあの病院へと再び赴く事にした。

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