第78話 強さとリアライズ
「う、うーん…」
「ここは…?」
ナギノや今まで何処にいたのかわからない騎士団の団員達が目を覚まし始めてきた。
「俺達は確かアリリちゃんに頼まれてゴーストタウンの調査に来てて…それで」
「しまった!俺達何の成果もあげられてねぇ!」
「ヤバいどうする…!?何も持って帰らないのは流石に不味いんじゃないか…!?」
団員達は目が覚めて早々、自身達が何も出来ていない事に焦りを感じ始め、騒ぎ始める。
「——何も無かった、でいいんじゃないか」
「君は…?」
「ただの通りすがりだ」
「いや、俺達は確かに見たんだ!この街にあるはずのない氷の城が建ってたのを」
「あれは全部、幻だよ」
「そ、そんな訳は無い!雪だって降ってたし、不気味な氷像だって…!」
「この街には特殊な魔力があってな、あんた達は成果を求めすぎるあまりに幻覚を見せられていたんだ…寧ろ、見たものを報告すれば嘘という扱いになる。もう存在しない上、確認のしようがないからな」
俺は9割の嘘と、1割の真実を交えて騎士団の団員にそう告げる。
氷の城なんて結局カナンの世界でしか存在せず、そんな固有結界を作った張本人はもう居ないのだから。実際に見たのだとしてもあの氷の城はゴーストタウンの外からじゃ見えないから目撃者も当事者のみで、証拠が不十分過ぎる。
「どうしてそんな事を知ってるんだ?」
「さぁな。さて、そろそろ陽が昇る。王国に帰還するぞ…ナギノ」
「——どうして立てるんですか」
ずっと俯いて地面を見つめたまま、ナギノは俺に向けてそう言う。どうやら自身の持つ力と、自身が転生者ではない故にカナンを追い込んでしまっていた事が心にキているようだ。
だからこそ“シン”という存在がカナンが消えてしまう要因となったにも関わらず、何事も無かったかのように立ち上がる俺に疑問を抱いたのだろう。
「もちろん本当は辛いし悲しい…だが、どんな結果であれカナンの望みを叶える事が出来た…苦しみから解放してやれた。だから立てる」
「そんなの、ただ言い方を良くしただけだよ…!」
正直、俺よりも救いが無いのはナギノだ。
俺の場合はどうとでも綺麗に言葉を言い換えて良い風に聞こえさせる事が出来る。だがナギノの場合、あれはもはや遠回しに“お前のせいでこうなったんだ”と言われているようなものだったし…どうすれば償えるのかも、許してもらえるのかもわからないまま全て終わってしまったのだから。
——これから一生、ナギノは罪悪感を胸に生きていく事になるだろう。
「世の中詭弁だらけだ。正義とか平和とか、自分の都合の良いように解釈して、前を向いて生きるのが人だ」
「僕は…そんな都合の悪い事から目を背けて生きる人間にはなりたくない!」
「——ナギノは昔の俺と似てるな」
「え…?」
「別に目を逸らせって訳じゃない。でもナギノにはこの辛さを共有できる仲間がいるだろ」
「…!」
「辛くてどうしようもない時は、誰かに頼っても良いんだ——安心しろ、ナギノは一人じゃない」
俺はまるで過去の自分の鏡写しのようなナギノに向けて、そう告げる。その言葉は、もし過去の自分と出会ったら、という質問の回答にもなり得る。
「あ、あのー…何か良いシーンの所悪いんだけど…君達、帰りはどうするんだ?」
「…ナギノ、どうする?」
「えっ、えーっと…折角ですし、ドラゴンに乗っていきます?」
——そんな“ドライブ行く?”みたいなノリで言うな。
〜
その後、俺達は割と長い空の旅を堪能した末に王国へと戻ってきた。しかしその時はもう既に夜は明け、社会人であれば目を覚まさなければいけない時間帯になっていた。
——フェリノートは大丈夫だろうか…隣に俺が居なくて不安がってないだろうか。
「まさか人生でドラゴンの背中に乗る日が来るとは思ってなかったよ、有難う!」
「何か困ったら騎士団本部に連絡を!」
数名の騎士団の団員達はドラゴンから降りると、俺達に向けて手を振って騎士団本部へ帰っていった。
あっさり別れたという事は、彼らは俺の色欲の悪魔としての能力“誘惑”に惑わされなかったようだ。まぁそこまで長く関わっていた訳でも無いから当然と言えば当然なのだが…どうやら人によって惑わされるまでの時間が異なるらしい。
その基準は…女性に対する耐性だろう。
「はぁ…はぁ…」
「…ナギノ?」
突然息を荒くするナギノに気付いた俺は、異変を感じて駆け寄った——その瞬間、ナギノはぎゅっと抱きついてきて、俺の胸に顔を埋めた。
「僕…もう我慢の限界です…身体に触れて、匂いを嗅いで…慰められて…はぁ…はぁ…」
「ナギノ…あんたまさか」
「ごめんなさい…僕、シンさんの事…女性として好きになっちゃいましたぁ…」
そう言って俺を見上げるナギノの瞳は、ビュリードと同じように惚けていた。
そんな素振りは一切見せなかったのに…いや、ずっと我慢してたのか?でもまぁ確かに、何とか自我を保とうと耐えてるところに身体を密着させられたり胸に顔を埋めさせられたりすれば、無理もないか。
——いや、胸に顔埋めてたのは自分からやってたよな?
「そうか…ナギノ、あんた見る目ないよ」
「もっ…もちろん、僕のこの思いは色欲の悪魔の力によるものだっていうのは理解してます!でもそれ以前に…女性になったシンさんのビジュアルが、そして何気ない優しさがその…僕の好みだったんです」
「えぇ…」
ナギノに改めて告白され、俺は困惑して思わずドン引きするような声を出してしまう(実際は別に引いてない)。
真正面から“好きだ”と言われた人って、嬉しいという感情よりも先に困惑が勝ってしまうんだな。女になったとはいえ、体つきも顔も男のものから派生して今の姿になっている訳だし…多分ナギノが“女装男子”なるものを見たら、そっちの方の性癖に目覚めそうだな。
——いや…もしかしたらこれは、自分の見た目に対するコンプレックスもあるのかもしれない。ナギノはいわゆる“男の娘”、俺はいわゆる“TS娘”…自身と似た境遇である俺に対して無意識に仲間意識を感じていたはずが、人を惑わす力のせいでそれが恋愛感情として歪んでしまったのかもしれない。
「僕のこの思いが実る事は無いって事はわかってます…でも、叶うのなら、お願いがあります」
「何だ?」
「——寿命が尽きるまでで良いですから…生きていてください。誰かの為に、大きな事の為に、自分の命を犠牲にしないでください」
「俺が戦死する事は滅多に無いと思うぞ?」
「そう、だからわざと死ぬつもりですよね」
「っ…」
「多分、悪魔である事と見た目が変わった事を利用して、この国にとっての敵——死んでも誰も悲しまない存在になるつもりだったんですよね」
ナギノの告げた言葉は全て正解だった。性転換して見た目が変わり、七つの大罪の一画を担う“色欲”の悪魔である事を利用し、この国と敵対して誰かに倒してもらおうと思っていた。
そうすればフェリノートは俺と離れざるを得なくなって、パートナーを見つけるキッカケを作れるんじゃないかと…そう思った。
もちろん強引過ぎるのもわかっている。だがこれくらい強引にでもしないとフェリノートは一生俺から離れる事はできない。ただでさえ歳を重ね、日を跨ぐごとに距離が縮まっていくのだから。
「そうだと言ったら?」
「大切な人が突然居なくなった、もしくは死んだ…だから自分が強くなる、大切な人に代わる人を見つける…そんな事、普通は出来ませんよ」
「…」
「人間は悪魔みたいに強くないんです…!とっても弱いから…進む事よりも、立ち止まって過去に縋って自分を無理矢理保つ事しか出来ないんです…!それでも保てなくて、自ら命を断つ人だっているんです…!シンさんは、フェリノートにそんな末路を辿ってほしいんですか!?」
「——ッ!」
ナギノの心からの叫びは、俺のしようと目論んでる事が馬鹿馬鹿しくて、結局自分の事しか考えていない事を気付かせてくれた。
人の心は弱くて複雑…でも悪い側面では驚くほど強くて且つ単純である。それは俺が一番経験してきて、見てきたものの筈だった。
今のフェリノートにとって一番な存在は父親でも、母親でも、アーシュ達でもこの国でもない…そう。それは紛れもなく俺なのだ。
——だって俺はフェリノートにとって唯一の“兄”で、一番長く共に過ごしてきたのだから。
これから笑う事や新しい仲間…未来に向けて歩んでいく事は出来ても、共に過ごした時間や過去を得る事は出来ない。
「——俺達、約束したもんな」
俺は考えを改めて、そう呟く。
「え…?」
「ありがとうナギノ。お陰で目が覚めた」
「そうですか…良かった」
安堵するようにナギノが言うと、自分よりも俺を優先するように自ら身体を離した。
「いいのか?」
「はい。目が覚めたら大切な人が居なくなっていたなんて、悲しいから」
「ああ…そうだな。じゃあ行ってくる」
「行ってらっしゃい、シンさん」
ナギノが俺に向けて手を振る。俺は手を振り返すと、そのままフェリノートが居る我が家へと駆け出していった。
◇
「ん…んぅ…」
陽の光が差し込み、チュンチュンと鳴く小鳥が朝を告げ、私は唸り声を出しながら目を覚ます。
「…あれ、お兄ちゃんは?」
私は目が覚めて早々、隣で一緒に寝てたはずのお兄ちゃんが居なくなっている事に気付く。いつもなら一緒に目を覚ますか、お兄ちゃんが起こしてくれるのだが…でも、まだ焦る事じゃない。
もしかしたら汗でびしょびしょになっていた為に朝シャンでもしに先に下へ降りていったのかもしれない、そう思って私は起き上がって階段を降りていった。
するとバスルームの方からシャワーの音が聞こえてくる。やっぱり朝シャンしてたんだ…と安堵の息を漏らす。
「…」
ふと私はシャワーを浴びて無防備なお兄ちゃんに悪戯してやりたくなって、そのまま脱衣所に向かって歩き始める。
裸を見るのはちょっと恥ずかしいけど…兄妹だし、昔は一緒にお風呂に入ったことも…あったっけ?まぁいいや、とにかく妹である私がお兄ちゃんの裸を見ても普通である。うん、普通普通。
そしてスライド式のバスルームの扉に手をかけ、一気に横にずらす。
「お兄ちゃんおはよっ!」
「さ、咲ッ…!?」
そこに居たのはお兄ちゃん…ではなく、ボンキュッボンの理想的なスタイルで綺麗な女の人だった。
「………ぇ」
私の頭は一瞬、思考停止した。
◇
フェリノートの朝はいつも俺によって始まる。逆を言えば俺が起こさなければ起きてこないと思った上、外から帰ってきたのだからせめて身体は洗っておこうと真っ先にシャワーを浴びた結果、この日に限って自分から起きてくるなんて。
まぁどちらにせよ自分の姿を見られる事に変わりは無いが、やっぱりこう…心構え的な、言い訳の準備の一つや二つあるだろう。でも女になった言い訳ってどんなのだ?
「——それで、何があったのお兄ちゃん」
俺の真正面には、ソファに座ってこちらを睨むような…少なくとも確実に怒っている目で見つめてくるフェリノートが居る。
一方、俺はというと、まだ途中だったシャワーを止めて適当に身体を拭いただけなので、服装は上半身と下半身を覆い隠すほどの大きなバスタオルを巻いているだけの状態だ。
「いや、これはその…ってちょっと待てフェリノート、今俺の事“お兄ちゃん”って…?」
「え、うん。そうでしょ?」
フェリノートは俺が女になっているにも関わらず、さも当たり前かのように振る舞い、満更でもないようだった。
「あぁ…それは間違いないんだけど…どうしてこんな見た目になってても俺が兄だってわかったんだ?」
「こんな森奥に家がある事を知ってるのは私とお兄ちゃんだけだし…何より私の事を“咲薇”って間違えるの、この世界でお兄ちゃんだけだからね」
「…そっか」
そのたった二つの理由でフェリノートが俺を自身の兄——シン・トレギアスであると理解してくれた事が嬉しくて、俺は思わず笑みを浮かべる。
——どうやらフェリノートは俺がどんな姿になろうと、絶対に気付くし、絶対に離れないし、絶対に離れさせてくれないようだ。
「それでさ、何でそんな見た目になってるの?」
「俺自身が悪魔として自覚し始めた事で、色欲の悪魔の遺伝子が覚醒してきているんだ」
「色欲…って?」
「まぁ簡単に言うと性的欲求の事だよ。色欲の悪魔は男からエネルギーを奪って生きる存在…男の身だとそれが不便だから、身体が女の形に変わってきてるんだと思う」
「そっか…でも大丈夫!どんな姿になっても、私はお兄ちゃんの事…ずっと愛してるからね!」
フェリノートは見た目なんて気にしないという事を表すかのように、満面の笑みを浮かべる。
「そうか…」
「——でもっ」
満面の笑みから一転、フェリノートは不満げな表情に変わったと思った次の瞬間、突然俺の胸を揉む…というより、ギュッと少し力強く掴んできた。
「痛っ…ちょ、何だよフェリノート…?」
「私よりおっぱい大きいの納得いかない!」
「はぁあ!?そんな事言われても…!」
「オマケに私より綺麗だし!私より身長あるし…私より、スタイル良いし……」
女となった俺の容姿を褒めていく度に徐々に威勢を失っていき、やがて俺の胸から手を離して脱力するように勢いよくソファに座り込んだ。
——まぁ女の人からしたら、元々男だった人に色々な点で負けていると思うのは納得いかないだろうし、屈辱でもあるとは思うのだが…俺だってなりたくてなった訳ではない事はわかってほしい。
「大丈夫。フェリノートは俺なんかよりよっぽど可愛いから」
俺はそう言って、ソファに座って俯いてしまったフェリノートの頭を優しく撫でた。
「もぉ、誘惑しないでよ…もっともっと好きになっちゃうじゃんか…」
「誘惑なんかじゃない、ちゃんと本音だよ」
「——じゃあお兄ちゃんのコト、もっともっと好きになっちゃうからねっ!」
フェリノートはそう言って俺に向けて飛び上がり、そのまま勢いよく抱きついてきた。
感情の浮き沈みが激しいなぁ…と思いはしたが、昔の俺みたいにずっと引きずって暗い雰囲気を周囲に垂れ流すよりかはマシだと、そう思った。
〜
それから俺達はいつも通り朝ごはんを食べて、いつものように外へ出向いてスライムに寄生された人達を助ける活動をした。性転換はしたものの、助けた人に“男の人が来ると思ってた”と言われるだけでそれ以外は何ら変わり映えはしなかった。
——いや、助けた人に結構な頻度でナンパされたな。もちろん俺は男になんて興味は微塵も無いため、全て断っているが。
「みんなお兄ちゃんの事えっちな目で見てる…何か嫌だー!」
歩いている道中、突然フェリノートがそんな愚痴を言う。
マスター曰く禁書の力——悪魔の使う魔術は普通の人が使う魔術とは根本的な概念が異なるらしい。だから流石の俺でも未だこの人を惑わす力を制御出来ていない。
「我慢してくれ。これも悪魔の血を受け継いでる者の運命だ」
「望んでなった訳じゃないのに…何でそんな簡単に割り切れるの」
「認めないで否定し続けたって奇跡が起きる訳じゃないからな。こればっかりは受け入れて前に進むしかない…でもそのお陰で俺はグラトニーを倒して、フェリノートを守れた」
「そんなの結果論じゃん…」
「結果論でもいいじゃないか。“終わり良ければ全て良し”だぞ」
「……」
フェリノートは納得いかない表情を浮かべながらも、言い返せる言葉が無いからか、もしくはこのまま続けても俺の気持ちが変わらない事を察したのか、そのまま黙り込んだ。
——幾らフェリノートを納得させる為とはいえ“終わり良ければ全て良し”だなんて、我ながらよく言えたものだ。
「さて…今日は次で最後にしよう、行くぞフェリノート」
「うん」
俺はフェリノートと手を繋ぐと、まだこの王国に潜んでいる寄生スライムを人間と分離させるべく、再び歩き出した。