第72話 忘れないワスレモノ
あれから更に1週間が経過したが、相変わらず何の変わり映えの無い——寄生された人のもとへ駆けつけては、醜いものを見せられ、その度に不快な思いをする…そんな日々を送っていた。
「…」
俺はシャワーを浴びながら、鏡に映る自分を見つめる。この前はフェリノートに下半身辺りが太ったと言われたが…今度は胸周りに脂肪が付くようになった。まだそこまで肥大化している訳ではないが、マースリィン・デストロから脱出してからは明らかに俺の身体に異変が起きている。
何だか、日に日に自分が自分で無くなってきているような…そんな気がするのだ。
「——俺はシン・トレギアス…フェリノートの、兄だ…!」
俺は鏡に映る自分自身に向けて言い聞かせるように、そう告げる。
◇
俺はある事を思い立って、フェリノートがシャワーを浴びているバスルームへ向かい、脱衣所の扉を開ける。
「フェリノート」
「ひゃっ!な、何お兄ちゃん!?」
「…何でそんなに驚いてるんだ?」
「い、いや…その…心の準備っていうか、ちょっと恥ずかしいっていうか」
フェリノートはシャワーを止め、弱々しい声でそう呟く。
——そっか、フェリノートは思春期真只中なんだよな…最近は距離感が近いとはいえ、流石に兄とはいえ、扉越しとはいえ、裸を見られるのは恥ずかしいか。
「それに関してはごめん、でもちょっと要件があってさ」
「要件?」
「今からちょっと騎士団本部に行ってくるから留守番…」
「あ、ちょっと待って!今すぐ出るから」
そう言って、フェリノートはバスルームの扉を勢いよく開けて——その綺麗な裸体を晒す。
「…あ」
「あっ…あぁあ…うぅうう…」
自分の裸を見られて恥ずかしい気持ちが限界突破したのか、フェリノートは顔を真っ赤にしてその場に蹲ってしまった。
俺も相手が妹だというのに何故か意識してしまい、咄嗟に振り返ってフェリノートの裸体を極力見ないようにする。
「えっと…その…なんか、ごめんな」
「イ、イイヨ…いずれ当たり前になるんだし」
「そ、そうか…で、結局行くのか?」
「いっ、いく…」
「わかった。じゃあリビングで待ってるからゆっくりな!!」
俺はフェリノートに告げると、今自分が出せる最大速度で逃げるように脱衣所から出ていった。
——あまり聞いてなかったけど、何かさらっとヤバい事を言ってたような気が…。
〜
「はっくちゅんっ」
綺麗な月が王都を見下ろす夜にて、俺達は騎士団本部へ向かう。その道中、シャワーを浴びてすぐに着替えて出てきたからか、フェリノートは湯冷めによって可愛らしいくしゃみをした。
「無理して付いてこなくても良かったんだぞ?すぐに帰ってくるし」
「全然無理してないよ…はっくちゅっ…うぅ…どんな時も、お兄ちゃんから離れないって約束したし」
「本当に辛い時は無茶しないでくれよ」
「そっくりそのままお返しします」
「…自重します」
俺はわざとフェリノートから目を逸らしてそう言った。これからはよっぽどの事がない限りずっと一緒…もはや一心同体と言っても過言では無い訳だから、今までのような無茶は控えよう…。
「でも何で急に騎士団に行くの?」
「ちょっと知り合いの件についてな」
「——もしかして、カナンさんの事?」
「どうしてフェリノートがその名前を…?」
俺はフェリノートの口から告げられた名前に、驚きを隠せなかった。
——カナン・リゼルベラ。現在の騎士団総団長であるアリリの前任者で、俺自身も過去に一度だけしか会った事がないのでそこまで面識がある訳ではないのだが…初対面がいわゆる“裸の付き合い”であった為か、やたらと記憶に残っている人物だ。
「実は、最初からあのメンバーで行動してた訳じゃないの」
「さしずめ、何らかの理由で途中からアリリと入れ替わったって事か」
「うん…」
「だったら教えて欲しい、カナンは今何処にいるんだ…!?」
「…」
フェリノートは何故か黙り込んで答えようとしなかった。途中でメンバーから離脱した理由は分からなくても、場所は絶対に知っているはずだ。
「…まぁいい、ひとまず本部に行くぞ」
「うん」
敢えて問い詰めるような事はせずそう言って、俺はフェリノートと手を繋ぐと騎士団本部に向けて足を動かした。
いくら夜とはいえ、王都はどこも割と賑わっている。繁華街はもちろん、住宅街もキラキラと輝く装飾まで施されており、いつにも増して賑やかだった。前世で例えるならクリスマスのようだ。
「すごいね、何かのイベントかな?」
「わからない…まぁどれも本部に行けばわかるだろ。こういう大きそうなイベント事は大体、騎士団も加担してるからな」
「へぇ…騎士団って戦うっていうか、国民を守る事が仕事だと思ってた」
「まぁ普通はそうなんだが…国王であるデリシオスが優しい人だし、上の立場のアリリもあんなんだからな」
「何か納得できる…」
「だろ」
辺りが賑やかな事に対してフェリノートとそんな会話をしているうちに、俺達は騎士団本部へ到着した。
何らかの理由でメンバーから離脱したとフェリノートに告げられ、それ以降行方がわからないのであれば正直ここに来るのは無駄足のような気もするが…来た事に意味を持たせる為、俺達は騎士団本部へと入っていった。
「あ、シンさん!」
入って早々、そろそろ聞き慣れてきた高い声が聞こえてくる。
「あんたは…」
「はい!いつも情報提供しているビュリードです!」
「ああ。いつも助かってるよ」
「いえいえ!それで今日はどうなさいましたか?僕でよければ何でも!」
騎士団の一般兵…ビュリードは自身の胸を大きく張って自信満々にポン、と叩く。
ビュリードには申し訳ないのだが…この俺に対して敬語を使うのは、マースリィン・デストロにいた人達と通ずるものがあってあまり良い気分じゃない。でもビュリードを含め、みんな俺の為に頑張ってくれているのだ…文句は言えないし、寧ろ感謝しなきゃいけない。
「騎士団前総団長のカナン・リゼルベラって人は居るか?」
「アリリちゃんがいない間、代理として総団長を務めていたカナンさんの事ですか?」
「まぁ、多分そうだと思う」
一般の兵ですらカナンに対する認識が“前総団長”ではなく“総団長代理”となっているのが時代を感じるというか何というか——ていうか、自分よりも上の立場の人間に“ちゃん”付けして良いのかよ。いやそう呼べって言われてるのか?
「いやー…最近見てないですね。でもどうしてですか?惚れてるって訳でもなさそうですし」
「知り合いなんだ。何かイベントもやってて騎士団側も落ち着いているみたいだから、久々に会おうと思ってな」
「今日はデリシオス国王即位記念日ですからね。表面上は警備とかしていますが、実際はイベントという名の休日と雰囲気を満喫してるんですよ…でもアリリちゃんは書類やら何やらに追われてるみたいで」
「デリシオスが国王になってからそんな経つか…」
10年前の今日…デリシオスが国王に即位した日、王都ではアーシュの復讐によって繁華街が火の海となり、俺が止める為に戦った。あんなに尖っていたアーシュが、まさか時を経て魔王を討伐し、俺が来るまでフェリノートを守ってくれた勇者になるとは思わなかった。
だがアーシュの名前を一切聞かないあたり、やはりこの日に関してアーシュという存在は不吉なものとでもされているのか——どうやっても、一度付いた不名誉は拭えないという事か。
「はい。しかも今年でデリシオス国王様が即位されてから10周年を迎えるので、人々は更に盛り上がってます。お疲れだとは思うんですが、シンさんも妹さんとご一緒にイベントを回ってみては如何でしょう?」
「パパの記念日なら私達も楽しまなくちゃだね、お兄ちゃん!」
「——そうだな」
俺は“私達”という所に引っ掛かりを感じたが、フェリノートがイベントを満喫したいのであればそうするべきだと思い、騎士団本部を後にして一番盛り上がっているであろう繁華街へと向かった。
結局カナンについては一切の進展が無かったが、どうやらフェリノートが何かを知っているようだし、いずれ話してもらえればそれで良い。
「わぁ…!」
繁華街に到着してすぐ、フェリノートはその景色に目を輝かせる。明るい色が使われた装飾に、いつもより種類も増えて且つ豪華になった屋台に加え、まるでイルミネーションのように発光する装飾もあった。
この世界では文明の発達が前世と比べて圧倒的に劣っているから電気ではなく恐らく魔力によって光を発しているのだと思うが…この景色だけは、前世と遜色ないほど綺麗なものだった。
——まぁ、実際見るのは初めてなのだが。
「気になるのはあるか?せっかくだし何か買うよ」
俺は自身の財布を開き、それなりに入っているのを確認するとフェリノートに向けてそう告げる。
「ほんと!?どーしようかなぁ…あ!あれ気になる!」
フェリノートは何か見つけたのか、俺の手を強く引っ張った。連れてこさせられた先にあったのは食べ物系の屋台ではなく、遊ぶ系の屋台であった。
——こんな子供みたいにはしゃぐフェリノートは初めて見た。
「射的か」
「お二人さん、カップルかい?」
射的に酷似した屋台の店主が、俺達に向けて冗談混じりな事を言う。
「いや、俺達は」
「はい!カップルです!」
「そうかそうか!凄くお似合いだよ!どうだい、代金は取らないから一回だけやってみるかい?」
「えっ、いいんですか!?」
「ああいいよ!じゃあ軽く説明するな?ルールは簡単だ、5発以内でこの棚に置かれてる景品を打ち落とせたらそれをプレゼント!」
屋台の奥の棚に置かれている景品は簡単に打ち落とせるぬいぐるみや玩具、何発打っても落とせなさそうな木細工や高そうな時計など、色々なものがあった。
「う、打ち落とせなかったら…?」
「そしたら残念賞でこの中から好きなお菓子だな」
そう言って、店主は小さい箱の中を俺達に見せつける。その中に入っていたお菓子は、まるで宝石のような見た目をしていてとても綺麗であった。
——よく考えたらフェリノートには健康第一でご飯を食べさせていたから、お菓子を食べさせた事が殆ど無いな。俺自身も、この異世界のお菓子がどんなものか具体的には知らなかったし。
「これやりたい!ねーやろうよ!」
「いいよ」
「やったぁ!」
「それじゃコイツを使って好きな景品を打ち落としてみな」
そう言って、店主は簡易的な銃と小さいコルクのような弾を渡す。しかしフェリノートは玉の入れ方どころか、そもそも銃を持った事が無いのであたふたし始める。正直俺もどうやるのかは知らない為、教えてやることが出来ない…かと言って無理にやって暴発なんてしたらただじゃ済まない。
そんなフェリノートに気付いた店主が、改めて弾の入れ方や打ち方などを実際にやって教えた後、再び銃と弾を渡した。
——にしてもコイツ、どうしてフェリノートにここまで優しくするんだ?本当に根っから優しい人なのか、それとも…いや、流石に考え過ぎか。
「よーし、いくよ!」
フェリノートは元気よく言うと、可愛らしいソフビに狙いを定めて弾を放つ。しかし当たり所は良かった筈なのにビクともせず、フェリノートは意地になって残りの弾を全てソフビに向けて放ってしまった。結局何の戦果もあげられず、フェリノートの手には宝石のようなお菓子だけが残った。
「残念だったなぁ。でもこのソフビに目を付けるとはお目が高いね嬢ちゃん」
「うん、だって可愛いから…」
「嬉しい事言ってくれるじゃねぇか!実はな、これは俺の手作りなんだ」
「へぇ!そうなんですか!?」
「これだけじゃねぇ、この棚に置かれてるもの全てが俺の自作したもんだ。元々何かを作るのが趣味でな…ここにあるのは全部、その副産物だ」
店主が語っている間、俺は棚に置かれている景品を改めて見つめる。
確かによく見れば自作感の溢れる品もあれば、本当に一人で作ったのか疑うほど精巧に作られているものもあった。それこそフェリノートが狙っていたソフビなんて、見る角度によって色が変わるような特殊な質感をしていた。
この人は異世界では珍しい、転生者でないにも関わらず“隠れた才能”の持ち主なのだろう。
「これだけ凄いものを作れるなら、どうして普通に売らないんだ?」
「主に二つの理由があってな。一つは、単純に売れねぇんだ。ジジイの自作した品ってだけで、人は見向きもしねぇ」
「そんなの理不尽だよ…おじさんが作ったものだからって見てすらくれないなんて」
「世の中ってのはそういうもんだよ嬢ちゃん。そしてもう一つは、やるなら楽しくなきゃ意味が無ぇからな」
店主の表情は、どこか悲しげだった。
“やるなら楽しく”…それで射的なのか。確かにくじ引きは幾らでもインチキが出来るが、射的は…まぁ出来なくはないが結局は狙撃者の腕が試される。
「だからこの記念日を利用して、この品々を楽しく受け取ってもらいたくて屋台を開いたんだが…結局人々は通り過ぎるだけでな」
「…」
「お前さんが初の客って事で大サービスだ。このソフビをやるよ」
「えっ、良いんですか!?」
「ああ。その代わり、ちゃんと大事にしてくれよ?」
「もちろんです!」
店主のサービスで、フェリノートは狙っていた可愛らしいソフビを嬉しそうに受け取り、大事そうに抱きしめた。
「よかったな」
「うん!絶対に忘れないよ…これも、おじさんの優しさも」
「——俺は優しくなんかねぇよ。じゃなかったら、こんなもん作ってねぇ」
店主は低い声でそう呟く。その表情は悲しみと怒りが入り混じっているようにも見えた。これらを作った事が、どう“優しくない”に繋がるのか一切わからないが…。
「えっ…?」
「嬢ちゃん、あんま他人に“優しさ”なんて単語は安易に使うもんじゃないぜ」
「そ、そうなん…ですか?」
「ああそうだぞ。ましてや…ほら、彼氏の前で他人に“優しいね”なんて言ったら嫉妬させちまうだろ」
店主は俺の方を見てそう言う。
——俺にはわかる、あの言葉には別の意味がある。でも言えない…もしくは思い出したくない事があるから話を変えたのだろう。
「あ、ああ!そういう事ですね!大丈夫だよお兄…シンくん!いつでも私の一番はシンくんだからね!」
「えっ、あ、そ、そうか…いやぁ嬉しいなぁフェリノートにそんな事言われるなんて、ははは…」
何故か俺達の関係が兄妹ではなくカップルという設定になっている事を思い出したのと、それに伴ってフェリノートから“お兄ちゃん”ではなく名前で呼ばれたのと、二つの理由で驚きながらも何とか話を合わせる。
「いやぁ本当にお似合いだねお二人さん。んじゃ、このイベントを満遍なく楽しむんだぞ!」
「はい!ありがとうございました!」
フェリノートは手を振りながらそう言って、俺と手を繋いで屋台から離れていった。
その後はフェリノートと一緒に様々な屋台を巡った。色々な食べ物を食べたり、作ったり、遊んだり…しかし、そんな中でも俺はずっとあの店主に対するモヤモヤは晴れずにいた。
「お兄ちゃん…眠くなってきちゃった」
朝はスライムに寄生された人の元に駆けつけ、夜は屋台をハシゴしていたからか、流石のフェリノートも疲れて眠いらしく、俺の裾を摘んでそう告げた。
「わかった…じゃあそろそろ帰ろうか」
「うん…あ、おんぶして」
「いいよ。ほらおいで」
俺が背中を向けるとフェリノートは躊躇なく乗っかってきて、そのまま即座に眠りについた。片耳からは可愛らしい寝息が聞こえてきて、よっぽど疲れていたのが窺える。
——ひとまず、家に帰るか。