第71話 新たなハジマリ
「ん…」
眠りから目を覚ますと、目の前にはフェリノートが俺の腕を抱き枕にして、可愛らしい寝息を出しながら眠っていた。
“一生側にいる”と約束はしたが…まさか同じベッドで寝るとは思わなかった。フェリノートは普通なら絶賛思春期真っ只中で、いわゆる反抗期とかだったりするはずなのだが、寧ろ今までより距離が近くなっているような気がする。
「フェリノート、起きて」
「ん…なぁに…?」
「朝だよ」
「まだねむねむ…」
「そっか、なら俺は朝ごはん作って待ってるから」
「じゃあ起きる…」
フェリノートはそう言って目を開けるが、まだ眠たいのかその場から起き上がらず布団に入ったままだった。
——どうしようか。朝ごはんはともかく俺にはやるべき事がある為、起きなければいけないのだが…俺の腕にはフェリノートが抱きついている為、フェリノートに動いてもらわないと俺も起きれない。
「おんぶしてあげるから起き上がって」
「うん…」
するとフェリノートが身体を離し、俺は即座に起き上がって背中を向ける。フェリノートが背中に乗るとそのまま立ち上がって、可愛らしい寝息を片耳にリビングへと降りていった。
グラトニーとの戦いから3週間が経った。
あの日から俺とフェリノートは、まだ寄生されている人からスライムを分離させるべく王国内でボランティアじみた活動をしていた。
——しかし、全国民を一人ずつ分離させている為、恐らくだがまだ半分以上も助けられていない状況だ。だが寄生された者は“眼球が青みがかっている”という共通点を発見し、寄生されていない人間を誤って殺してしまった、という事は未だ無い。
この共通点をデリシオスや騎士団を通じて国民に伝えてもらい、寄生された人を見つけてもらっては駆けつけて分離…という日々を送っている。
◇
「…あれ、お兄ちゃん太った?」
朝ごはんを作っている際、隣で俺が料理している姿を見つめながらフェリノートがそんな事を言ってくる。
——どうやら料理の音で目が覚めたようだが…第一声が中々に酷いな。
「そうか?」
「うん、お尻とか太もも辺りがちょっとね」
「多分筋肉じゃないか?そんな高カロリーなもの食べてないし、最近は足をよく動かすからな」
「そうなのかなぁ…私もお兄ちゃんと同じくらい食べて運動してるけど」
「まぁ人それぞれ体質っていうのがあるからな…さて、出来たから食べよう」
「うん!」
俺は出来上がった料理——と言ってもただのスクランブルエッグだが、それを皿に盛り付け、予め作ってあった野菜スープ、そして切れ込みの入った少し硬めのパンと共にリビングへ持っていく。
「いただきまーす!」
「召し上がれ」
フェリノートは早速スクランブルエッグをパンの切れ込みに詰めて口に頬張ると、美味しそうに微笑む。このパンは少し硬めなので、俺は野菜スープに浸してほぐしてから食べる。
基本的にどれも味付けは薄めにしてあるため、良く言えば健康に良く、悪く言えば味気ないが…朝の食事にはこれくらいがベストだと個人的に思っている。
「うん…やっぱりお兄ちゃんの料理が一番だな」
「そっか。普通の食材で作る料理が一番だよな」
「…あれからみんなどうしてるんだろう?」
ふと、フェリノートがそう呟く。
グラトニーを倒したあの日から、俺がいない間フェリノートと共に行動していた面子は、俺達が毎日王宮内を歩き回っているにも関わらず誰一人として会っていない上、どう過ごしているかの事情もわからない。
——ただ、アリリだけは知っている。アイツは俺に言われた事がキッカケかはわからないが、今は総団長として忙しい日々を送っているそうだ。稀に自ら戦いに赴き、異世界転生者としての力を見せつけているんだとか。
「さぁな…でもきっと、新しい道を歩んでると思うよ」
「そうだよね」
「さて、お腹を休めたら出掛けるぞ」
「うん!」
朝ご飯を食べ終えると、俺は皿をキッチンへ持って行き一枚ずつ丁寧に洗い始める。丁寧にと言ってもそんな一枚一枚に時間を掛ける訳ではなく、もう手慣れているので手際よくササッとやるのだ。一見すると適当に洗っているように見えるゆえ、フェリノートが真似しようとするとただただ雑になるという…。
皿を洗い終えると、俺はクローゼットへ向かって着替えを取り、パジャマを脱いで着替えようとする…が。
「あれ…入らないッ…うぅッ!」
パジャマは特に理由は無いが少し大きめのものを着ていた為支障は無かったが、外に着ていく服のズボンを履こうとするも何故か入らなかった。
——さっきフェリノートから下半身周りが太ったと言われたが、俺は改めて自身の尻や太ももを触ってみると…筋肉と言い訳するにはあまりにも柔らかすぎる。まさか俺本当に太ったのか!?でも昨日は普通に履けたんだよな…こんな短期間で太くなるものなのか?
「フンッッッ!!」
俺は思いっきり力を入れてズボンに足を通すと、何とか履く事はできたが…もはや履いているというより締め付けられているような感覚に近い。
「よし履けた!…うん、動きに支障は無いな」
俺は足を大きく動かして、締め付けられているような感覚の割にそれなりに動いても大丈夫な事を確認すると、四足歩行のバケモノと“NYAN”という文字がプリントされたTシャツを着て、その上から黒色に赤い血が飛び散ったような柄のパーカーを羽織る。
——あんたと笑い合うのは、もう少し後になりそうだよ。
「お兄ちゃん、着替え終わったよー!」
「おう、俺もちょうど終わったところだ。じゃあ行こうか」
「うん!一緒にね!」
フェリノートは笑って手を差し出す。俺はその手を握って、二人で一緒に外へ出掛けていった。
〜
「あ、シンさん!」
王都へ到着すると、近くに居た騎士団の兵士に早速声を掛けられた。
「今日はどこだ?」
「はい、今日は繁華街を抜けた先の噴水広場ですね」
「人の多い場所か…」
「どうかなさいましたか?」
「いや、何でもない。情報提供ありがとう」
「いえ、スライムを分離出来るのはシンさんだけですから!」
そう言って、兵士は俺に敬礼する。
俺は寄生された人の目撃情報があるらしい噴水広場へ向かうべく、フェリノートをお姫様抱っこして炎の翼で急行した。
「いつも思うんだけど、それ熱くないの?」
「全然熱くないよ。あ、でもフェリノートは絶対触るなよ?」
「そんな勇気無いよ!だからこそお兄ちゃんは凄いなぁって」
「凄くないよ…ただ悪魔の治癒能力を活かしてるだけだから」
俺は半分とはいえ悪魔である。
実は悪魔には自身を自然回復する治癒能力があるらしく、深さにもよるが割と傷が早く治るのだ。その上、色欲の悪魔は見た目が最も重要な存在な為、他の悪魔よりも更に治癒速度が早いらしい。
悪魔は人間の攻撃が一切と言っていいほど効かない上に、仮に攻撃が効いたとしても回復されてしまう為、自分という悪魔を通して、改めて悪魔はあくまで“契約の際に利用するもの”であって、決して敵にしてはいけない存在なのだと思い知らされた。
——こうして考えてみると、俺がラグニアを倒したのって本当に奇跡だったんだな。
「さて、到着だ」
俺はやたら人集りが出来ている噴水広場に到着し、フェリノートに極力衝撃を与えないようにゆっくりと降下していき、地面に足をつけるとフェリノートを下ろす。
「あ、来たぞ!」
「遅ぇなぁもうちょっと早く来いよ!」
「スライムに寄生されたヤツはここよ!早く助けてあげて!」
「……はぁ」
俺は目の前の光景に深いため息を吐く。
人集りの正体は案の定、スライムに寄生された人を俺が来るまで取り押さえていた国民達だった。だが抵抗していたのか、寄生された人の顔は青痰だらけで、服は砂などで汚れており…拷問紛いな行為をされていたようだった。
「——退け」
俺はそう告げ、手の平を翳すと集っていた人達はモルテ流魔術に巻き込まれないように寄生された人から距離を置いた。実際巻き込まれる事は無いのだが。
「ぁ…たずげ…て…」
「——溺死」
「うううううっ!!!ごぼぼぼぼぼ…」
俺がモルテ流魔術を行使すると、人の口からスライムの死体が老廃物として嘔吐された。直後、集っていた人々がまるでサッカーの試合でゴールを決めた時のような歓声を上げた。
「うぉおおお!!」
「スライム如きが人間様に入るからこうなんだよ!!」
「あたしの中にも居たらって思うと気色悪いわホント!」
——スライムから人を助ける度、俺は複雑な心境になる。俺は別にヒーローになりたい訳でも、こんな醜い歓声を聞きたい訳でも、正直望んでやっている訳でもない。でも出来る人が俺しか居ないから、やっているのだ。
他人にモルテ流魔術を教えればいい、と思われるかもしれないが…こんな醜い奴らにモルテ流魔術を教えてみたらどうなるかなんて、考えなくてもわかるだろ?仮に醜くない奴に教えても、結局“他人を殺す事”に対する敷居が低くなるだけだ。
「あ…あなたは…?」
「この人はお前をスライムから助けてくれたヒーローだ!」
「ええ!良かったですね、スライムから解放されて!」
人の疑問に、俺ではなく集っていた醜い奴らが答える。相手がわからないのを利用して、露骨な手のひら返しをして自分達を良く見せようとする…見ていて吐き気がする。
「そ、そうだったんですか…!ありがとうございます!」
「いや…構わないよ。俺は当たり前の事をしただけだから…行こう、フェリノート」
「う、うん…」
俺はフェリノートの手を繋いで、逃げるようにその場から…フェリノートも俺と同じ心境だったからか、お互い早歩きで離れていった。
唯一の救いは、スライムを分離した後は人権を得られるといったところか。だが俺の予想では結局“過去にスライムに寄生された”という理由で差別が起こるだろう。
——だって人間というのは、他人を蹴落としてまで自分と仲間を上に見せたい生き物だから。
「ごめんなフェリノート、あんなもんを見せちゃって」
「ううん、お兄ちゃんは何も悪くないよ…ほら」
するとフェリノートはまるで俺に自身の身体を見せつけるかのように両手を開いた。
「…なに?」
「おいで」
「え?」
「嫌な気分になった時は、一人で抱え込まない方が良いんだよ。だから…おいで?」
フェリノートは優しく微笑んでそう告げた。俺は少し申し訳なく思いながら無言で近寄り、フェリノートに優しく抱きしめられる。
「——情けない兄でごめんな」
「ううん、お兄ちゃんはとーっても立派だよ。いつも頑張ってるんだから、もっと甘えたっていいんだよ…全部私が受け止めてあげるからね」
フェリノートは俺の頭を優しく撫でながら、耳元でそう囁いてくれた。
「…ありがとうな」
「うん。こちらこそ」
「俺は何もしてないよ」
「ううん…こうして生きてくれて、お互いの体温とか鼓動を感じ合ってるのが…すっごく嬉しい」
「——そっか。」