第70話 兄妹の約束。
「——終わった、のか…?」
あれだけ多くの悲劇を自身の娯楽のために生み出してきた黒幕…グラトニーとのあまりにも呆気ない決着に、どこからともなくそんな懐かしいような声が聞こえてくる。
俺はその声に返答せず、聞こえてきた方向——倒れているドラゴンへ無言で歩き出す。
「お兄ちゃーーん!!」
するとドラゴンの背中からフェリノートが飛び出してきて、俺に駆け寄って苦しくない程度の力で抱きついてきた。フェリノートの匂いが鼻腔をくすぐり、身体の温もりを通じて、改めて現世に戻ってこれたのだと自覚する。
「お兄ちゃんだ…本当にお兄ちゃんが居る」
「ああ、そうだよ」
「本当に不安だったんだからね…!ずっとお兄ちゃんが居なくて…もう、二度と会えないんじゃないかって」
フェリノートは俺の肩を涙で濡らしながら弱々しい声でそう言った。
結果的に生きてくれてよかったが、あの日からずっとフェリノートは俺抜きで頑張ってきたんだ。共に歩く仲間が居たとしても、当たり前で大切だと思っていたものが突然無くなる悲しみとの虚しさは…俺が一番知っているから。
——かつて俺が味わった思いを、フェリノートにも味わせてしまったんだ。
「…ごめんな」
「謝らないで…私知ってるんだからね、ここに来るまでにお兄ちゃんが相当無理してる事くらい」
「…そんな事は無いよ。妹の為なら命だって掛けるのが兄だからな、こんなの朝飯前だ」
「そんな簡単に命を掛けないでよ…!それで死んじゃったら、私嫌だよぉっ…!」
「安心しろ。フェリノートが俺を必要としてくれる限り、俺は死なない」
「本当に…?」
「ああ。俺が破った事あったか?」
「——じゃあ、一生私の側に居てくれる?」
「当たり前だろ」
フェリノートの願いに俺は即答する。今にして思えば“一生”という事は、必然的にフェリノートは俺を一生必要とするという事になるが、それは逆を言えば俺さえ居ればそれで良いという事にもなる。
——兄という存在が必要じゃなくなり、人生のパートナー共に幸せになってほしい俺としてはちょっと悲しいような…少しだけ嬉しいような。
「感動の再会してるとこ悪ぃんだが…」
そんな気まずそうな声と共に、こちらへと向かってくる足音が複数。恐らく俺が居ない間にフェリノートと共に行動していた仲間達だとは思うが、その中には一人、知っている顔があった。
「——アーシュ」
俺はこの面子で唯一知っている者の名を告げる。かつて王国への復讐の為に、王都の繁華街を火の海にして最終的に俺に倒された“選ばれし勇者”というやつで、俺と同じく異世界転生者である。
「いや、その…色々言いてぇ事はあると思うんだが」
「——やっぱり、お前がフェリノートを守ってくれてたのか」
「…“やっぱり”って?」
「地獄の世界——マースリィン・デストロでお前の知り合いに会ってな、伝言があるんだ」
「地獄に知り合いなんざ居ねぇんだが…そもそもマースリィン・デストロって何だ?」
「かつてこの世界を創造した神マーリンが太陽系第三惑星“地球”を模して作った、大罪人を収容する為の固有結界だ」
「何で地球を?」
「さぁな。かつて俺達が生きていた世界がこの異世界の神々にとって地獄に思えたんだろうな」
「確かにな…」
俺の推測に、アーシュは深く頷いた。
様々な問題が積み重なり、次々と枷をつけていく人間社会が構築された…毎回その場凌ぎでやり過ごして国民に負担を負わせるような、そこに暮らす人々に生かせる気の無い世界は“地獄”と言って差し支えがないのだろう。
——実際、あんな世界で一切の文句が無く“幸せ”に暮らせている人間はごく僅かの富豪のみだろう。
「それで、伝言なんだが」
「あぁ…話を聞いても、やっぱり地獄に俺の知り合いは居ねぇと思うんだがなぁ…」
「一応聞け、特徴的な口調だから一瞬でわかる。俺が預かった伝言は————」
そして俺は知り合いによるアーシュに向けての伝言を本人に告げた。アーシュにも誰が言ったのか理解させる為、敢えて直接聞いた口調をそのままに伝えた。
伝言を聞いたアーシュは誰からのメッセージなのかを理解したからか、ボロボロと目から涙を溢した。
——それだけ大事な人物だったという事だろう。
「へっ…テメェみてぇに強烈なヤツ、忘れられる訳ねぇだろうが…!」
「良かったね、アーシュ君」
アーシュは涙を拭きながらも本当は嬉しいのか口元は笑っているようで、そんな姿を見たフェリノートはあれからずっと俺に抱きつきいたまま、微笑みながら言う。
——“一生側に”ってそういう事なのか?
「…で、ドラゴンに寄りかかってんのは」
「アイツは今負傷しててな、そっとしておいてやってくれ」
「わかった…じゃああんたは?」
「あ、はい!私はエアトベル王国に仕える騎士団の総団長を務めています、アリリ・イルシエルと申します!以後お見知り置きを」
アリリと名乗る少女は“騎士団総団長”という身分に誇りを持っているのか、意気揚々と自己紹介を告げる。
俺の記憶が間違っていなければ、騎士団総団長はカナンのはずだが…8年も経っているとはいえ、そんな短い期間で代わるものなのか?カナンは俺より少し年上くらいに見えたし、それくらいの歳なら今も現役で動けるはずだ。
——となるとカナンがどうなっているのか気になってくるが…それ以前に、俺は騎士団総団長に問わなければならない事がある。
「あんたが今の総団長か」
「はい!“今”って事は…カナンの知り合いですか?」
「ああ。でもまず、聞きたい事がある」
「ええ!何でも聞いてください!」
「——繁華街に“悪魔崇拝教団”っていう奴らが度々出没してた事は知ってるか?」
「え、悪魔崇拝…?」
アリリは全くもって知らなかったのか、驚いているような声を出す。
俺がまだグレイシーの事をグラトニーだと気付かず共に行動していた際、繁華街で遭遇したガルバー率いる“悪魔崇拝教団”。あの時は騎士団総団長はカナンだと思っていたから尚更、対応に遅れている事に疑問を抱いていた。
しかしこんな俺より年下のアリリが総団長に代わったのであれば、対応に遅れるのも納得——出来る訳がない。
「——すいません、存じ上げないです」
「どうしてカナンから代わったのかは知らないが、あんたが総団長を受け継いだのなら何故その責務を全うしない?」
「私はカナンの悪虐から騎士団のみんなを守る為に…!」
「国民を守らず、騎士団の仲間を守るのか?」
「だ、だって…」
ふと、カチャリという金属音と握りしめるような音が聞こえる。俺はアリリの手元に目を向けると、その手にはかつてアーシュが持っていた勇者の剣に似た剣があった。
恐らく勇者に選ばれ、魔王を倒すべくこの王国から姿を消していたのだろう。そしてその間に悪魔崇拝教団が出現した…もしそうなのであれば、アリリがその存在を知らないのも仕方ない…が。
「言い訳するな。悪魔崇拝教団がただのチンピラ集団なら“次からは許されないぞ”で済むんだ。だが…罪無き多くの命が、くだらない理由で犠牲になってるんだよ…!」
「っ…」
「——失ったものは戻ってこない。今更俺が何を言っても無意味だが…あんたは総団長としての自覚が無さすぎる」
「………」
俺の説教じみた言葉に、アリリどころか辺りがシーンと静寂になる。誰も庇護しないのを見るあたり、どうやらアリリはフェリノート達にあまり信頼されていないのだろうか?
——そもそも、どうして騎士団はこんな少女を総団長にさせたんだ…こう見えてカナンが総団長の身分を受け継ぐに相応しいと認めるほどの実力者なのか?
「フェリノート!」
気まずい空気感を壊すかのようにフェリノートを呼ぶ、とても懐かしい声が聞こえてきた。
声の方向に顔を向けると、姿を現したのはフェリノートの本当の父親であるデリシオスとその妻イェレスだった。
「っ…」
「グラトニーがぶっ倒されたのですっかり忘れちまってたが…王国に関しては何も解決出来てねぇぞ!?」
目線の先にいるのは国王とその妻だというのにも関わらず、アーシュとアリリはまるで敵を見るような目で睨みつけ、フェリノートに至っては本当の両親にも関わらず怯えているようで、俺にぎゅっと一層強く抱きつく。
「何が起こってるんだ?」
「そうか、テメェは知らなかったのか…この王国は今、スライムに乗っ取られてんだ」
「…スライム?どうしてスライムが」
「知るかよそんな事!とにかくそういう訳で、国王もスライムに寄生されてんだ…だが、寄生されたヤツを助ける方法が未だ見つかってなくてな…!」
「——だったら、俺に任せろ」
武器を構えていながらも手段がない故に動けないアーシュ達にそう告げると、俺はフェリノートを優しく離し、スライムに寄生されているらしいデリシオス達に向かって歩いていった。
「お、おい!!テメェも寄生されるぞ!」
「そうだよ!お兄ちゃんが寄生されて敵になるなんて絶対嫌だからね!」
アーシュとフェリノートの声を背に受け、返答もせずにデリシオス達の元へ歩みを寄せる。
「やぁシン君、本当に久しぶりだね」
「…」
「まさかグラトニーを倒してしまうなんて、本当に強くなったのねシン。私はもう母親ではないかもしれないけれど…誇りに思うわ」
「僕もだよ…」
「——黙れスライム…!」
俺は見事にデリシオスとイェレスを演じていると思い込んでいるスライムに向かってそう呟いて、デリシオスに手の平を翳す。
「な、何を…」
「溺死…!」
俺はモルテ流魔術を発動し、スライムの核を潰すように開いていた手を思い切り強く握った。
——モルテ流魔術には2つの弱点がある。一つは相手が複数の場合でも一体にしか発動出来ない。もう一つは相手に合った属性でないと殺せない事。
もし寄生というのが、スライムが体内に居座って宿主の身体を操作しているだけなのであれば、この二つの弱点を利用すれば中にいるスライムだけを殺せるのではないかと考えた。ただ不安要素があるとすれば、このモルテ流魔術は相手に合った属性でなければいけないという点なのだが、人間が相手の場合はどんな属性でも良いのだ。人間と魔物——殺す優先順位が不明な為、もしかしたらデリシオスの命を殺してしまうかもしれない。いや、その確率が高い。
何故なら、モルテ流魔術は“人を殺すための魔術”なのだから。
「うっ…ォッ…ぼぼ…ごぁっ…あ…」
「ど、どうしたのデリシオス!?シ、シン…貴方何をしたの…!?」
まるで溺れているような声を出した末に倒れて動かなくなったデリシオスに駆け寄るイェレスが、俺を睨みつける。
「次はお前だ…!」
俺は次にイェレスに手のひらを翳し、再び溺死を発動して開いた手を握る。
「ぁあっ…!!がっ…ごご…ォ…」
「パパ!!ママ!!」
夫婦共に倒れたデリシオスとイェレスに、フェリノートが駆け寄る。
「テメェ、幾ら方法が無いからって…!」
アーシュが俺に駆け寄り、胸ぐらを掴んで睨みつけてくる。
何をしでかすかわからない状態で倒れれば、当然俺が“スライムから助け出す手段は無い為、俺が手を下した”ように見えるだろう。
「うっ…ぐぶぇえっ…!」
「お、おぇえっ…!!」
すると突然デリシオスとイェレスが起き上がったかと思いきや、その場でドロドロに溶けたスライムを口から吐き始めた。
——どうやら、見事にスライムだけが殺されたようだ。
「きゃっ…何!?」
「テメェ、何をしたんだ…?」
「——ただ中にいたスライムを殺しただけだ。恐らくスライムの死体が老廃物となって、体内から外に出すように身体が働いたんだろう」
「よ、よかった…どうしようもないからって、お兄ちゃんがパパとママを殺しちゃったんじゃないかって」
「大丈夫だ、フェリノートを悲しませるような事はしないさ」
「——すげぇな、フェリィの兄貴は…こりゃ勝てねぇわ」
アーシュは感心するような声でそう呟いて、俺からそっと手を離した。
「はぁ…はぁ…あれ、僕達は一体…?」
「フェリノート…!!」
「パパ…ママ…!」
スライムが分離した事によって、正気を取り戻したデリシオスとイェレスが自身の娘を見て、フェリノートもようやく戻った両親を見て、互いにずっと離れていた時間を埋めるように抱きしめ合った。
——フェリノートが両親との時間を過ごせていなかったのは…大半が俺のせいだ。だからその場に居るのが気まずくなって、俺はその場から離れようと足を一歩踏み出した。
「——待ってくれ、シン君…!」
突然、求めてもないのにデリシオスが呼び止める。俺は思わず、足を止めてしまった。
「…」
「——ありがとう。僕達をスライムから救ってくれて」
「そうか」
俺はデリシオスの感謝を聞き、再び足を一歩踏み出して玉座の間から出ようとする。
「…もういいじゃないかシン君!!」
「!?」
「確かに、僕達は間違ったやり方で結ばれた家族だ!それで君には嫌な思いをさせたと思う!」
「…」
「だけど…もうそろそろ、君を家族としてこの王宮に迎えさせてくれないか…?僕達は待ってるんだ…未だ空き続けている椅子に君が座るのを」
——何故だ。どうしてそんな顔が出来る?
本当に嫌な思いをしていたのは…俺のエゴのせいで自分の娘を抱きしめる事さえ許されなかった、お前のはずだ。
家族団欒の場に、俺専用の椅子をわざわざ用意しているとでもいうのか。こんな…汚れに汚れまくった血を身体中に巡らす俺のために。
「——俺は、その椅子には座れないよ」
「どうしてだ!?僕達は君を歓迎するのに!」
「王宮内の誰でもない最低な男と、人を誑かす悪魔の穢れた血を継ぐ…俺は人に災いを齎す悪魔なんだよ…!!だからシャーロットは死んだ!ルィリアも死んだ…目の前の罪無き人達がみんな散っていった…フェリノートは…」
俺はその後を続けることが出来ず、まるで絶望したかのようにその場に膝をついて崩れてしまう。
フェリノートだって死んで、前世からグラトニーに殺されるまでの記憶を失って…そんな事、言える訳が無かった。フェリノートが実は過去に一度死んでいると明かせば、契約破棄となりフェリノートはあるべき姿——死体へ戻る。
「俺はもう誰も悲しませたくないんだよ!!だから…!」
「…お兄ちゃん」
崩れる俺に、フェリノートが近づいて来る。
本当の事を言うと、前世と違ってフェリノートが俺を異常なまでに好いてくれるのは、俺の“色欲の悪魔”としての——異性を惑わす力に影響されているからだ。だからルィリアもどこぞの知らない俺を養おうと思い立って、シャーロットも俺に一目惚れして、カナンも初対面にも関わらず俺に心を許して、シイナも俺に脱出して欲しくなかった。
「フェリノート…俺は…ッ!?」
近づいて来たフェリノートは何をするかと思いきや、突然ぎゅっと俺を抱きしめ、普段の俺のように優しく頭を撫でてきた。
「——私は、ここにいるよ」
「え…?」
「確かにお兄ちゃんは、色んな人との別れを経験してきたかもしれない…でもね、さっき約束したでしょ?“一生側にいる”って」
「でも…俺はフェリノートにまた辛い思いさせるかもしれないんだぞ…?」
「昔、私が家出して兄ちゃんに見つけてもらった時…言ったよね。“例え茨の道でも、お兄ちゃんと一緒なら乗り越えられる気がする”って」
「っ…!」
「私一人じゃ、辛い事があったらすぐ挫けちゃう…でもお兄ちゃんと一緒ならきっと乗り越えられる、だから“一生側にいてほしい”って約束したの。私もお兄ちゃんと同じく——じゃなくて、一緒に強くなりたいから」
フェリノートは俺を抱きしめて頭を優しく撫でながら、優しく告げた。
この世界から“咲薇”という概念が無くなっても、俺がわざわざ名前を呼ばなくても、フェリノートの中にちゃんと有り続けている…本人にその自覚が無くて、それが他人事のように思えたとしても。
——間違いなく、ここに咲薇は存在している。
「俺は…フェリノートに幸せで居てほしい。ほんの少しの苦しみも、味わって欲しくない」
「私にとっての幸せは、お兄ちゃんと一緒にいる事だよ。お兄ちゃんが隣に居てくれるなら、どんな苦しみだって幸せに変わるし、それを乗り越えたり、今こうしてお兄ちゃんを感じる事が…私のいっちばんの幸せ」
「…そっか」
「だから…ね、幸せで居てほしいなら私との約束…守ってよ」
「——わかった。フェリノートの幸せが俺と共にいる事だと言うのなら…俺は喜んでフェリノートの側に居よう」
「うん!私も喜んでお兄ちゃんの側にいるよ!ずっと…一生だよ!えへへっ」
フェリノートはとても嬉しそうに笑った。俺もその笑顔に釣られて笑った——恐らく、こうして互いを想って笑いあう今この瞬間が、俺とフェリノートにとっての“幸せ”というヤツなんだと思う。




