第65話 王国、しかしてスライム。
少しの間、空の長旅を体験した末に私達は最終目的地である王国へ帰ってきた。
——正直、この王国から脱出した時と殆ど変化が無い…強いて言うなら、アリリとナギノくんという仲間が増えた代わりにカナンさんが居ない事くらいで、結局スライムから人を助け出す手段は分からずじまいだ。
「着いたよ。エアトベル王国はここで合ってるよね?」
「バッチリですナギノ。さて、国王に顔を出しに行きましょう!」
未だに王国がスライムによって乗っ取られた事を信じていないのか、アリリはそう告げると一人で門を抜けて、王国内へと入って行ってしまった。
「ま、待ってよ!」
ちょっと癪だけど、アリリは異世界転生者ゆえに味方としては心強い存在。そんな人が不意を突かれてスライムに寄生されたらいけないので、私は追いかけるように駆け出して王国内へと入ってゆくと、そこに広がっていた光景は——。
「これがスライムに乗っ取られた王国に見えますか?」
「——あれ…?」
アリリが勝ち誇ったようなムカつく表情でこちらを見つめてくる。しかしアリリの言う通り、私の目に映る光景は賑やかな街並みと、コミュニケーションを交わして道を行き来する多種族の国民達——何の変哲もない“ごく普通”の光景だったのだ。
私はその光景に、思わず目を疑った。
「やっぱりスライム如きにこの王国、そして社会を乗っ取れる訳無いんですよ!」
「——何言ってんだテメェ」
背後からアリリの言葉を真っ向から否定する声。振り返ると、長い空の旅のお陰で漸く立ち直れたアーシュ君がナギノくんと一緒に歩いてきていた。
「スライムはテメェが思ってるより賢い。そして宿主に順応するのも早い」
「じゃあ、この人達は…」
「お察しの通り、コイツらはただ宿主の記憶や行動パターンから、この社会を再現してるだけだ」
「だとすれば、普通は私たちのようにスライムに寄生されていない“例外”は排除しようとしてくるはずです」
またもや癪だけど、アリリの言葉にも一理ある。自分達と同じではない存在が現れれば、それを排除するか同じにするかで何かしら私達に仕掛けてくるはず…でも実際は私達に気付いても何かしてくる訳でも無く、当たり前のように通り過ぎて行った。
「——どうやらスライムは、人間の狡猾さも再現しているみたいだね」
不意に、ナギノくんがそんな事を呟く。
「ナギノくん?」
「前回俺が処刑された時もそうだった。最初は普通を装ってんだが、どっかのタイミングで本性を現す。俺の場合は、王に魔王討伐の報告をした時だったな」
「——であれば、国王にご報告に参りましょう!そして本当にスライムに寄生されているのか確かめましょう!」
「バカかテメェ。それで本当に寄生されてたとして、助ける手段はあんのか?」
国王へ魔王討伐の報告に出向こうと足を動かし始めたアリリを、アーシュ君は胸ぐらを掴んで止めてそんな事を問う。
「まぁなんとかなりますよ!何だかんだ乗り越えてきた訳ですし!」
「ああ…今までは相手が人間だったから、その性別と顔と立場——最悪の場合は力でなんとかなってただろうな」
アーシュ君は皮肉のように言う。
アリリの“なんとかなる”は今まで本当になんとかなってきたのだ。何故なら、普通の人なら美少女というだけでまず言う事を聞くし、顔には惑わされない人でも相手が騎士団の総団長なら言う事を聞くし、何でもかんでも暴力に走る人にはその異世界転生者特有の力を使って実力行使——癪だけど、アリリには非の打ち所がない。
「だが今回は違う…相手はスライムだ、人に寄生して、宿主の身体を人質に取って」
「それはあくまで王国がスライムに乗っ取られていたらの話ですよね?」
「テメェ、まだ信じてねぇのかよ」
「どちらにせよ、国王に会いに行けばわかる事です」
「話聞いてたか!?会いに行ったら俺達は成す術なく殺されるか寄生されるかの二択なんだぞ!?」
「——少なくとも、今は国王に会わない方が良いと思うよ」
ナギノくんがすかさずアーシュ君の意見に賛同する。私も当然ながら賛同し、露骨に首を上下に動かして頷く。
「はぁ…わかりましたよぉ、ですがこれからどうするんです?」
「うーん、ひとまずグレイシーさんを探すのはどうかな?」
「「…グレイシー?」」
ナギノくんとアリリが同時にその名前を発する。
——そっか、この場に居る人でグレイシーさんと面識があるのは私とアーシュ君だけなのか。
「えーっと、要するに仲間だよ!」
「——俺は賛成だ。丁度、グレイシーに聞きたい事があるしな」
さっき私が意見に賛同したからか、今度はアーシュ君が私の意見に賛同してくれた。
「聞きたい事って?」
「勇者の剣についてだ」
そう言って、アーシュ君は自身の懐から勇者の剣を引き抜いて鏡のように輝く刃を見せつける。
「私も気になっていたんです。どうして貴方も勇者の剣を持っているんですか?」
アリリも自身の勇者の剣を引き抜き、まるで自分の剣こそが本物であると証明するかのように見せつけてきた。
——アーシュ君とアリリが持つ勇者の剣はこうして見比べてみると、造形や装飾は多少異なってはいるけど、双方も常人には触れる事すら許されないような神聖な雰囲気を漂わせている。故に片方が人工——偽物とは思えないけど、かと言ってどちらも本物かと問われると何とも言えない。
「この勇者の剣は王宮に保管されてた物だ。俺が牢屋から出た時、グレイシーにそう言われて受け取ったんだ。最初は偽物だと疑ったが、戦ってみてこれが俺の持ってた剣だって理解した」
「——では、本当にグレイシーという人に会えばわかるのですね」
「だからそう言ってんだろ」
「でしたら善は急げです!早くそのグレイシーとやらを見つけましょう!」
「テメェのせいで立ち往生してんだけどな」
アーシュ君がそんな愚痴を呟くがアリリの耳には入っておらず、そのまま私達はなんとか生き残っているであろうグレイシーさんを探すべく、この王国内を散策する事にした。
こうして王国内を出歩くのは、たまにお兄ちゃんの買い出しの付き添いに行く時くらいだ。でもそれを踏まえても、周囲の雰囲気は以前と何ら変わりが無かった。
まず一目で見ただけでは、辺りの人達が全てスライムに寄生されているとは気付けないだろう。
——私は無意識に、ある場所でアテも無く前に動かしていた足を止めた。
「ここら辺、妙に人が少ないな…」
「え?知らないんですか?」
「ああ、9年前からの出来事はな」
「あー…じゃあギリ知らないですね〜」
「んだテメェ、馬鹿にしてんのか?」
「——フェリノート?」
突然ある場所を前にして足を止めた私に、いち早く気付いたナギノくんが駆け寄ってくる。それに便乗するかのように、先程まで口喧嘩寸前だったアーシュ君とアリリがこちらへと歩いてきた。
「どうしたんだ?こんなデケェ廃墟の前に立ち止まって」
「——ここ、懐かしいなぁ」
「懐かしいって…?」
「実は私、一回だけ家出した事があってね…その時にここに隠れてたんだ。何でここを選んだのかはわかんないんだけどね」
あの時の事はよく憶えていた。王宮から家出をしてお兄ちゃんを探そうと思っていたのに、最終的に私がお兄ちゃんに見つかるっていう。
自分でも本当に不思議なのだ。どうして私はこの廃墟とはいえ知らない人の家に入ったのか——当時は何故か、導かれるようにこの場所に足を運んで、そして妙に落ち着いたのだ。これも、失った記憶に関係するのだろうか?
「——行きたいのか?」
アーシュ君は私の内心を察したのか、そんな事を言ってくる。
「えっ、でも…」
「確かに時間は有限だが、別に切羽詰まってる訳でもねぇ。ちょっと寄り道したって支障は無ぇだろ」
「じ、じゃあ皆んな…ちょっと付き合ってくれる?」
「ああ」
「もちろんだよ」
「…本当に行くんですか?」
みんなが廃墟に寄り道する事を了承する中、アリリだけは完全に拒んでいる訳ではないけど、どこか躊躇しているようにも見えた。
——先程の会話から察するに、ここら一帯にやたら人が少ない理由も知っているみたいだし、もしかしたら…と思い、私は口を開いた。
「これは私のわがままだけど…知ってるのなら教えてほしい。ここは何なの?」
「君、知らないでここに行こうとしてたんですか」
「う、うん…何か落ち着くってだけで」
「こんな場所が落ち着くなんて…まぁそれは人それぞれですね。この場所…この豪邸に住んでいた者は——ルィリア・シェミディア。かつて悪魔と契約を交わしてグリモワール・レヴォル賞を不正受賞した後、パンデミックを起こした大罪人です」
「え…!?」
前にゴーストタウンで見つかった資料を基に、カナンさんがそこで行われていた研究の被験者を告げる時と全く同じ言葉でアリリはこの廃墟に住んでいた者を告げた。
——やっぱり、私はルィリアという人と深い関わりがあるのだろうか?