第64話 里芋の齎す幸福
俺とリリィが収穫した里芋を持って帰った後、教会の前にはバーベキューコンロに数々の調理器具と調味料、フライパンや鍋なども用意されており、まるで祭り…それこそバーベキューの準備でもするように騒がしかった。
「シン様、この…黒い液体は使いますか?」
「里芋にとんかつソースは使わないな…」
「シン様!このテーブルはどう組み立てれば…?」
「ちょっと待ってて」
テーブルではなく、バーベキューコンロの組み立てに苦戦している女の元へ駆け寄り、俺は慣れた手つきで組み上げる。
——バーベキューをしたことなんて前世ですらないが、何故だかこれらの準備の仕方は知っていた。
「凄いですシン様!なんでもご存知なのですね!」
「…だからその態度辞めてくれって」
「そういう訳にもいきません!シン様は」
「——人殺しだ。ルィリアと同じくな」
「シン様の“人殺し”は誰かを救いました…では、ルィリアは誰を救ったというのです?」
「それは——」
俺はその後の言葉を言おうとして、踏みとどまった。それを言ったら、雰囲気が悪くなってしまうような気がした——まぁ、さっきの俺の発言も場合によっては雰囲気を悪くしかねなかったが。
「いや、なんでもない。とりあえず組み立て方はさっき見て覚えたよな」
「あ、はい!ばっちりです!」
「じゃあこれはよろしくな」
敬礼する女にバーベキューコンロの組み立てを任せると、俺はその場を後にして、里芋についた泥を洗う水場へ足を運んだ。
「あ、シン様!こっちの方はバッチリですぜ!」
「早いな…」
「ウチは生前、農業に勤しんでいたんでね…こういった作業は得意なんすよ!」
「そうか、これ持っていって良いか?」
「いえいえ!シン様の手を煩わせる訳には」
「どうせ調理するのは俺だし、料理人は素材と真摯に向き合ってこそ、美味い料理を作れるんだ」
「…なんかよくわからねぇですが、すげぇっす!ではよろしくお願いします!」
律儀に頭を下げる男に俺は軽く会釈をすると、綺麗に洗われた里芋達の入ったカゴを持って調理場へと向かった。
——あれくらいのテンションの方がやりやすい。
「あ、シン様ー!」
「リリィか。そっちはどうだ?」
「はい!調理器具っぽいものは全部綺麗に洗っておきました!で、このマッサージ器具みたいなのも調理器具なんですか…?」
そう言って、リリィは手に持っている汚れたもの——スライサーの付いたすりおろし器を俺に見せつけてきた。
知っている俺からすると、どこをどう見てマッサージ器具だと思ったのか疑問に思うが…見た事ない人には使用用途を全く推測出来ないのだろう。
「それも調理器具だよ。でも金属のところはすごく鋭利だから気を付けて」
「はーい!」
元気よく返事をすると、リリィはそのまま走って戻って行った。
——これでとりあえずとろろは作れるな。
俺は調理場に里芋の入ったカゴを置く。どうやら包丁やフライパンなど最低限の調理器具は洗ってあるようで、醤油やバターなどの調味料も割と揃っていた。バターって調味料なのか?
「うーん…ひとまずバター醤油で焼いてみるか」
俺は早速里芋を取り、皮を包丁で切っていく。中が白いのも相まって本当にリンゴを切っているような気分になる。
——この里芋はさっき採ってきたばかりで新鮮なので、本当はスポンジが好ましいのだが…この場には無いし、仮にあったとしても新品同様なくらい綺麗でないと使いたくない。
皮を切り終えた後、里芋を厚めに輪切りにしていく。
「誰かー!調理場にバーベキューコンロを持ってきてくれー!」
「はいぃ!!今持っていきます!」
声が聞こえた直後、目の前に魔法陣が出現し、そこからバーベキューコンロが現れた——魔術って便利だなぁ。
しかしバーベキューコンロの中には何も入っておらず、仕方ないので俺は足元に落ちていた葉っぱを拾い集め、それを中に入れる。
「——点火」
俺は指をパチンと鳴らすと、バーベキューコンロの中の葉っぱに着火させる。本当は木炭が理想的だが、多分そんなものはこの世界には無い——というかそもそも里芋がある時点でおかしいのだが。
ある程度火が強まってきたので、俺はバーベキューコンロの上にフライパンを置いて、バターを乗せて溶かしていく。
ある程度溶けてきたら、さっき輪切りにした里芋を焼いていく。この時点でバターの甘い香りが周囲に漂ってくる。
里芋に火が通ったら、その上に醤油を垂らす。じゅわー、という音と共に、甘いバターの香りに芳ばしい醤油の香りがプラスされ、食欲がそそられる。
トングでひっくり返し、両面にしっかり焼き目をつけたら、皿に盛り付けていく…と言ってもただ置いているだけなのだが。
「わぁ…いい匂い!」
背後からリリィの声が聞こえ、振り返ると…そこにはリリィだけではなく、いい匂いに釣られて多くの人達が集まってきていた。
——そうか。みんなバターも醤油も、その匂いすら知らないのか。
しかし俺はその人数の多さに圧倒されてしまう。一人一枚だとしても足りるかどうか…厚めに切ったのがかえって裏目に出たか。
「…ちょっと待ってくれ」
〜
「ん〜!中がホクホクしてて美味しい!」
「初めての味だが悪くない。甘い香りと芳ばしい味わいが見事にマッチしている!」
「シン様、もう一枚無いでしょうか?」
「他の里芋は別の料理に使うから…ごめん、無い」
「そうですか…」
女はしょんぼりした顔で戻っていった。簡単な…料理と言えるか微妙なものだったが、みんな満足してくれたみたいで何よりだ。だがやっぱり全員には行き届かず、香りだけで我慢してさせてしまっている者達も居る。
さて、次は煮っ転がしだ。
俺は大きめの鍋を用意し、食用油を大さじ1杯入れて里芋に油を馴染ませるように炒めていく。
因みに里芋は少しでも食べれる人を増やすのと、味が染み込みやすくする為に一口サイズに切っている。
そして次に水と酒を4:1くらいの割合で入れ、沸騰したら砂糖を加えて蓋をする。ある程度煮たら蓋を開け、醤油を大さじ2杯入れ、再び蓋をして煮詰めていく。
「ふぅ…」
里芋を煮ている間、俺は近くの椅子に座って煮物の香りに包まれながら休憩する事にした。
さっきまでずっと里芋のバター醤油焼きを作っていた上に、その後すぐに煮っ転がしを作り始めたのだ。実はこの里芋を持って帰ってきてから、俺は全く休憩を挟んでいないのだ。
——俺を敬わないでくれ、とは言ったが…ちょっとくらい気遣いしてくれてもいいんじゃないか?まぁ料理をする事は嫌いじゃないし、貴重な里芋を知らない人の手に渡して無駄にする訳にもいかないから、仕方ないか。
すると、ポケットの中から咲薇が飛び出してきて、俺の周りを飛び回る。
「咲薇…」
——“お疲れ様、お兄ちゃん!”
「まだ終わってないけど…ありがとう。そういえば、現世の咲薇の状況は?」
——“今くらい、私の事なんて気にしなくてもいいのに”
「…そういう訳にもいかない。教えてくれるだけでいいからさ」
——“…わかった。フェリノートは今、生きてるよ”
「そうか…良かった」
ひとまず現世にいる咲薇が死んでいないと知り、俺は胸を撫で下ろした。
——“一応、極端過ぎな意地悪したつもりだったんだけど”
「…生きているなら、それでいいんだ」
俺は囁くように弱く言うと咲薇は恥ずかしくなったのか、はたまた怒ってしまったのか…ポケットの中へ逃げるように戻っていった。
——さて、身体も休まった上に里芋も煮詰まった頃だろうから、皿に盛り付けていくか。
俺は椅子から立ち上がり、鍋の蓋を開けて里芋が柔らかくなっているかを確認する。そして柔らかく煮えた里芋を取り出して皿に次々と乗せていき、トロトロの煮汁をかければ里芋の煮っ転がしの完成。
俺はその完成した料理を、さっきバター醤油焼きを食べられなかった人達へ持っていくと、これまた美味しいと言ってくれた。中には嬉しさのあまり涙する者もいた。
「…シャーロットは?」
俺はこの場にシャーロットが居ない事に気付き、自分が食べる用に取っておいた里芋のバター醤油焼きと煮っ転がしを持って、教会へと入っていった。
「…おや、良い香りがしますね」
「やっぱりここだったか、料理作ったから食べてくれ」
「——それは貴方が食べるものでしょう?」
シャーロットは何も言われていないのにも関わらず、今差し出されたバター醤油焼きと煮っ転がしが本来俺が食べる予定だったものだと気がつく。
「…俺は食べた事あるし、シャーロットに一度食べてみて欲しいんだ」
「そうですか。では…」
シャーロットは意外とすんなり受け入れると、足早に俺の料理に駆け寄って、まずはバター醤油焼きを食べ始めた。その後、特に感想も述べずに煮っ転がしも食べ始め、それらを一瞬で平らげた。
——口ではああ言っていたが、実際はお腹空いてたんだな。
「どうだ?」
「——凄く、美味しいです…こんなに美味しい物を普段から食べているフェリノート様が羨ましい限りです」
「そ、そうか…一応、誰でも作れる料理なんだが」
こんなにも真っ直ぐに褒められたのは久々で、俺は思わず動揺してしまう。
「料理の難易度は関係ありません。大事なのは“想い”ですよ…シン様」
「それよく聞くけど、あんまり信じてないんだ…極端な話、どんなに想いがこもってても失敗した料理は不味い訳だし」
「——では、フェリノート様が一度でも貴方の料理を“不味い”と申した事がありますか?」
「それは…」
シャーロットの問いに対し、俺は何の迷いもなく“無い”と告げることができる。だが、それと同時にシャーロットが何を言いたいのかを理解した。手間暇かければそれが“想い”という訳ではなく“人の腹を満たして幸福にしたい”、“自分の料理を食べてほしい”という想いが料理を作る“手”となり、美味しくするのだ。
——道理で、咲薇が俺の作る異世界カレーを一番好きな訳だ。
「ところで、何でずっと教会に?」
俺は話を半ば強引に切り替え、シャーロットに問う。流石に8年も一緒に過ごしているのだろうから、今更気まずいという事は無いと思うが…。
「話逸らしましたね」
「まぁ…図星って事でさ」
「そういう事にしておきましょうか…ルクスリアと共に考え事をしていたのです」
「考え事?」
「はい。貴方をこの世界から脱出させる方法についてです」
「何か思いついたのか?」
「…また貴方に辛い思いをさせてしまうかもしれませんが、ルクスリアと契約を交わすという案が」
シャーロットの案は、正直に言うと俺も考えていた事だった。だが悪魔との契約において最も重要なのは“その願いに反し、やがて本末転倒になる代償”だ。
この世界に俺のような生者が居る事はイレギュラーであり、ましてやこの世界から脱出をするなど、死んだ者があの世から還ってくるようなもの…。
「俺は一度、契約で咲薇を蘇らせた事がある。その時みたいにすれば」
「——無理だよ、シン」
シャーロットの人格がルクスリアに切り替わる。
「シンが交わした契約は、色んな偶然が奇跡的に重なって成り立ったものなの」
「偶然が重なって…?」
「うん。そもそも契約によって妹を蘇らせ、代償も軽くはないと思うけど少なくともシンが今こうして生きていられるのは…妹の死を知る人がシンしか居なかったからだよ」
「確かに、咲薇の死を知ってたのは俺だけ…。ルィリアは死んでしまった後だし、ハティとグラトニーはそもそも悪魔だからノーカン…って事か」
実際、俺は咲薇が一度死んだ事を誰にも言っていない…フェリノートの実の父親であるデリシオスにすらも。
「——しかし、悪魔との契約ですらこの世界から脱出出来ないなんて」
「出来ない訳じゃないけど、その分の代償を払わないとだからね…多分、やろうとしたら命ですら軽い契約になる」
「命が軽いって…」
もはや何を代償にすれば妥当になるのか見当もつかないその契約と、やろうとしている事がそこまでしないと成し遂げられない程のものなのだと改めて気付かされ、俺は半ば絶望する。
「ギャァアアアアアア!!!」
突然、賑やかだった教会の外から悲鳴が聞こえてきた。俺とルクスリアは急いで教会の外に出ると、真っ先に聞こえてきた後はチェーンソーの駆動音であった。
「やぁっと見つけたぜシン…?今からこの悪い奴らから助けてあげるから、待ってろね…ァハハハハハハハハハ!!!」
「——シイナ…!」
俺はチェーンソーの駆動音を鳴らす者の正体の名を呟く。しかもそのもう片方の手には屍のようになっている——ルィリアが引き摺られていた。