第61話 連鎖の悲劇
「も…申し訳ありません」
俺の怒りを露わにした声にシャーロットは焦って謝罪する。
その後は俺としてもシャーロットとしても気まずい空気が漂い、暫くの間沈黙が続いていた。
——いくら自分の逆鱗に触れる事とはいえ、流石に言い過ぎたか?
ふと、そんな思いが頭をよぎる。
「で、ですが…まさかトレギアス先輩がそんな卑劣な人物だったとは思いませんでした」
「——妥当な結末を迎えたよ、アイツは」
「そう…彼は亡くなったのですね」
シャーロットの声は心なしか悲しそうだった——恐らく、今までもずっと好意を寄せていたんだろう。俺にはシャーロットがアイツのどこに惚れたのか全くわからないが、今の今までずっと恋心を抱いていたという事は、空っぽなシャーロットにとってそれだけ大きな存在だったのだろう。
「どうしてルィリアに天才の頭脳を?」
俺は半ば強引にルィリアを被験体とした例の研究について話を切り戻した。アイツの話は俺にとっても、今のシャーロットにとっても無益な話だからだ。
「今もですが、異世界転生者が共通して生まれつき手にしていた強大な力は、当時人々に恐れられていました。そこでもし異世界転生者が人類に敵対しても対抗出来るようにと、私を含めた研究員達は全知全能の人間兵器を作り出そうとしたのです」
「人間兵器…馬鹿馬鹿しいな」
俺は当時人間兵器を生み出そうと本気で尽力した研究員達に対し、鼻で笑うように呟く。
——しかし口ではそう言いつつも、内心ら少し当時の研究員達の気持ちも理解出来た。やろうと思えば世界なんて一瞬で消し炭に出来るようなヤツがもし敵になったら…と想像してみると、戦慄ものだ。
いつ敵になるかもわからない上、現時点ではどうしようもないのだから、人の道なんて踏み外してでも対抗する手段を1秒でも早く作り出そうと行動を始めるのは当たり前である。
——実際、俺だってそうだったから。
しかし皮肉なものだ、異世界転生者に対抗する為に生み出された天才が、俺と咲薇という異世界転生者を養い、やがて俺の手によって殺される結末を迎えるなんて。
「今にして思えば、なんて愚かなんでしょうね…あの頃の私達に、人の心なんてありませんでした。幼いルィリアの悲鳴を聞いても何も感じないどころか、人類の未来の為には仕方のない犠牲だと自分達を正当化していました」
「転生者の力に対する不安と恐怖に押し潰されそうで余裕が無かったのは理解出来るが…それじゃまるで悪の組織だな」
「そうですね…多くの犠牲者を生み、ルィリアは脳の容量が限界を超え、天才の頭脳を得た代わりにそれまでの自身に関する記憶と研究についての記憶を失うと同時に新しく得られるものが無くなった——結局、研究は失敗に終わったのです」
シャーロットは失敗に終わった研究に携わっていたからこそ、心底残念そうな声で言う。大掛かりな事をして多くの犠牲を生みながらも、長い時間を掛けた結果何も得られなかったのは、確かにどれだけ人の道を踏み外している研究だったとしても虚しいのだろう。
しかし、という事はルィリアは本当に自分が類い稀なる天才だと思い込んだまま生きてきたって事か。
「ルィリアの両親は何とも言わなかったのか?娘をそんな危険な研究の被験体にするなんて」
「——ルィリアは奴隷商から貰った“廃棄物”なのです」
「…」
シャーロットから食い気味に告げられたルィリアの事実に、俺は絶句して頭を抱える。
“元々奴隷として売られていた”——それだけでも十二分に酷だというのに、売れなかったから廃棄処分される予定だったなんて。
——ここまで来ると、被験体に選ばれたのが寧ろ幸いとまで思えてくる。そのお陰で、ルィリアは生き延びる事が出来たのだから…それが例えどんな形であれ、その後どんな人生を送ったとしても。
異世界転生者に対抗する兵器を作りたいのなら、人造人間でも作ってそれに天才の頭脳を組み込めば良いだろ、と思っていたが、わざわざ作るより廃棄処分される予定の両親も身寄りもない奴隷——人間を使う方が当時の研究員達にとって手っ取り早かったのだろう。
「都合良く研究の記憶を失ったルィリアは、他の研究員が両親の代わりになって育てられる事になりました——それから数年間、ルィリアがどんな生活を送っていたかは知りません」
「——で、シャーロットはメイドに転職か」
「はい。私が勤めていた研究施設はこの研究に多額の予算を注ぎ込んでいましたから…それが失敗し、やがて倒産したんです」
倒産したという事はつまり、父親は職を失った事になるのだが…俺はその事を今まで知らなかった。という事はこのルィリアが被験体となった研究は、俺が産まれる前に行われていた事になる。
「——待て、そうなるとシャーロットって今何歳だ?」
「ふふ、女性に年齢を聞くなんて…ご法度ですよ?」
俺の問いに、シャーロットは微笑みながらそう言った。俺よりも歳上なのは当然なのだが、ルィリアが少女と呼ばれる歳の時は新人だったとはいえ既に研究員だったという事は、少なくとも50歳はギリ超えてるか超えてないかくらいという事になるが、全然見えない。
とんでもない美貌の持ち主だというのに、寧ろ結婚していないのが不思議だ——シャーロットの身の回りには、女を見る目が極端なまでに無い男ばかりだったのだろうか?
「——言っておきますが、この世界に誘われた者は歳を取らないようですよ?」
「だからリリィも幼いままなのか」
道理でリリィも…ルィリアも昔と見た目は当時のままで一切変わっていなかったのか。あと歳を取らないのを考慮したとしても、シャーロットの実年齢と見た目は多分一致していないだろうけどな。
「まぁ永遠に大人になれないというのも残酷ではありますがね」
「しかしあれだな、メイドに転職したら最終的にルィリアの専属になるなんて凄い偶然…まさか、シャーロットがルィリアの専属メイドになったのって」
「彼女に対しての罪悪感からで——んぅっ…その割に、シンにヒトメボレして拙と契約しちゃったんだよねー?」
シャーロットが喋っている途中で、ルクスリアが無理矢理人格を入れ替えてそう言う。どんなに強く心に念じている事があったとしても、ちょっとの恋心でそれは大いに揺らぐ——愛は人を狂わす、とでもいうのだろうか?
「ルクスリア…」
「——今は出てこないでくださいっ…はぁ…あの時は“やれと言われたから”と答えましたが…まぁ、それも強ち間違ってはいないのですが」
シャーロットはルクスリアの人格を引っ込め、無理矢理自我を保ちながら言う。
——今にして思えば、あの時シャーロットがルィリアに対して悪い目で見ていなかったのは、口では“どうでも良かったから”と言っていたが、本当は研究によって酷な人生を歩ませてしまった事への罪悪感からだったのか。部屋が殺風景だったのも、自分に対しての戒めのようなものだったのだろうか?
「まぁ、確かにシャーロットに断る理由は無いな…寧ろ望んでたくらいか?」
「そうですね。お陰でルィリアの今の状態を確認する事も出来ました…後遺症が無さそうで本当に良かったです」
「じゃあもしかして、あの手帳は」
「はい。ルィリアの観察記録です」
シャーロットはそう言いながら、ポケットから例の手帳を取り出して俺に差し出してきた。
これはかつて俺が間違えてシャーロットの部屋に入ってしまった時に、机の上に置いてあった手帳だ。その後すぐにシャーロットに回収されて結局何が書いてあったのかは謎のままだったが、まさかこんな形で明らかになるとは。
俺はルィリアの観察記録を開いて内容に目を通してみるが、その内容はどのページも書いてある事は一括して“異常無し”だった。
「——健康状態とかは細かく書かれてる割に、精神面に関しては全く書かれてないのは何でだ?」
俺はルィリアの精神状態や心について一切書かれていなかった事に少し意外だと感じ、シャーロットに問う。心はプライベートな部分だから敢えて触れていないのか、それとも研究と自分の事さえ憶えていなければそれで良かったのか——というか、そもそも心の状態なんて本人でない限り確認しようがないと言われたらそれまでなのだが。
「それは敢えて書いてないんです」
「敢えて…か」
「心はプライベートな部分ですし、何より人間兵器としての運用を目的とする研究の被験者となっていたルィリアが、喜んだり悩んだりという人間としての感情を当たり前のように持っている事を尊重しての事です」
「そういう事か…」
俺はシャーロットが告げた理由に心底納得した。
心がある事が当たり前だからこそ、心について一切書かない。寧ろ書いてしまったら人間としての心を有している事が異常だと言っているのと同義という事なのだろう。
「でも何で急にそんな事を?」
「——なんとなく、シン様に伝えておかなければならないと感じたのです。深い理由なんてありませんよ」
「そうか…」
内心“無いのかよ”と思いながらも、俺は言う。確かに話した理由は無いかもしれないが、俺にとって凄く有意義な時間だった。
——研究者だったというのは意外であったが、俺の父親は恐らく研究所が倒産してから徐々に狂い始めたのだろう。そのピークが俺が咲薇を連れて家出をするきっかけになったあの出来事だったのだろう。
凄惨な姿で死んでいたのは、まさかまたトチ狂って変な研究でもしようとしていたのだろうか?
「しかし、シン様がフェリノート様を残して死んでしまうとは思いませんでした」
「いや俺死んでないけど」
「えっ?では何故この世界に…?」
シャーロットの問いに最初は疑問に思ったが、俺はこの世界が“現世で大罪を犯した者が誘われる地獄”だという事を思い出す——いや忘れていたという訳ではないが、シイナもルィリアも俺が生きたままこの世界に連れてこられた事を知っていた為、てっきり知っているものだと勝手に思い込んでいた。
「そういえば言ってなかったな…俺はグラトニーによってこの世界へ無理矢理連れてこられたんだ」
「——暴食の、悪魔」
シャーロットはその名を呟く。だがシャーロットはグラトニーの存在を知らないはずだから、恐らくルクスリアの人格が呟いたのだろう。
「ああ、そのグラトニーだ…多分、今はルクスリアだよな?」
「うん」
「だったら、グラトニーの目的は何なんだ?同じ悪魔だから、分かったりしないか…?」
「——拙自身はわかんないけど、ラグニアの記憶からなら何かわかるかも」
「ラグニアか…ちょっと気が引けるが、頼んでも良いか?」
「シンの頼みなら良いよ!でも悪魔は同業者を好ましく思ってないから、ラグニアも例に漏れず他の悪魔との関わりは少ないと思うけど…まぁやってみるね!」
そう言って、ルクスリアは自身の頭に指を当てて考えているような唸り声を出す。
——にしても当時はあんなに許せなかった悪魔であるラグニアの力を、まさかこんな形で頼る時が来るとは思わなかった。
加えて、悪魔は同業者…他の悪魔をあまり好ましく思っていない——その言葉を聞き、俺はルクスリアとハティが何故かお互いを敵視してた事を思い出す。だがそうなると何故マスターは悪魔としての同業者であるハティやルクスリア、そしてグラトニーにすら敵意を見せなかったのだろうか?
「どうだ、何かわかったか?」
「ラグニアは過去に一度だけ、グラトニーと接触した事があったみたい」
「過去…って?」
「多分30年くらい前——しかも場所は、シンの故郷」
「なっ…え!?」
俺は驚きのあまりまともな言葉にもなっていない声を出す。
そもそも俺がラグニアを倒したのが10年くらい前だから、年数が2桁になるだろうというのは頭に入れていたが…まさか俺が生まれる前だとは思わなかった。それだけでも十分だというのに、加えて30年くらい前とはいえ俺が暮らしていた街でラグニアとグラトニーが接触とは…まさか俺の父親は、その頃からラグニアと共に居たのだろうか?
「——30年程前というと、丁度私達がルィリアを人間兵器として作り出す研究をしていた頃ですね」
シャーロットは人格を自身に戻して、付け加えるように割と重要な事を告げる。
父親とラグニアの関係は30年以上の付き合いで、ラグニアは30年程前の俺の故郷でグラトニーと接触、そして父親はルィリアを人間兵器にする研究に携わっていた——この事から推測されるのは…。
「まさかその研究にグラトニーとラグニアが関わってる?」
「あの研究にはかなりの人数が携わっていたので、もしかしたら研究員の中に悪魔が紛れていたかもしれませんね」
「だったら尚更、グラトニーの目的は何なんだ…?」
「——グラトニーと接触した時に、ラグニアはその目的について聞いたみたい」
再びルクスリアはシャーロットと人格を入れ替えて話を切り戻した。
「グラトニーは、なんて答えたんだ?」
◇
「ちょっと待ちなさい、アンタ」
ラグニアは同業者にして目障りな存在であるグラトニーをわざわざ呼び止める。
「どうしたんだいラグニア、ボクに何か?」
呼び止められて振り返るグラトニーの表情は、どこか機嫌が悪そうだった。グラトニーは悪魔と人間の共存を嫌う者——その為、人間の精を喰らって生きている色欲の悪魔であるラグニアは、嫌悪の権化なのである。
「アンタ、人間との共存を極端に嫌うくせに、どうしてこの研究に協力してるワケ?」
「物作りと一緒さ。その先にある達成感と自身の求めた完成形の為に、今はその完成を楽しみにワクワクしているのさ」
「…アンタの言う、完成って何なの?」
回りくどい話し方をするグラトニーに怒りを募らせながらも、それが爆発するのを必死に堪えてラグニアは単刀直入に問う。
「ボクはね…」
◇
「——“人間達が招いた…醜く、愚かで、胃もたれする程の悲劇が見たいのさ”…だって」
グラトニーがラグニアに向けて返答した言葉をルクスリアが記憶を基に真似て俺に告げた。
「悲劇、か…」
思っていたよりも意外では無かったグラトニーの目的に、俺は妙に納得がいった。
“多くの予算を掛けた研究が失敗に終わる”という悲劇の為に研究に加担し、“作られた天才が報われる事も無く、信頼がガタ落ちした上で殺される”という悲劇の為にルィリアと契約を交わし、そして今は…“前世から紡がれている兄妹愛を乖離させ、言葉も交わせぬまま永遠の別れをさせられる”という悲劇を見たいが為に暗躍してきた…という事か——何となく、グラトニーが悪魔たる理由が分かったような気がする。
「——さしずめシン様はグラトニーの目的を達成させない為に、この世界からの脱出を目論んでいるのですね」
まだ俺の目的を告げていないにも関わらず、シャーロットは人格を自身に戻して考察を俺に告げた。
「グラトニーの思い通りにはさせない。だがそれはあくまでついでだ」
「…なるほど、そういう事ですか。では改めてお聞きします——シン様の目的は?」
俺はいつの間にか完全解毒した身体で立ち上がり、教会のスタンドガラスから差し込む紅い月の光に照らされる。
「——咲薇を守る事だ」




