第60話 断罪の英雄
身体の一部に黒いモヤがかかっている者達が、こちらへ向かってくる。あの者達は皆、ルィリアの完全治療の代償によって亡くなった。その被害者の数は俺が思っていたよりも遥かに多く、街一つでは収まるかどうか…という程だった。
あんな人数の中でルィリアの味方なんてしたら、例え一人一人が弱かったとしても数で押されてしまうだろう。
——道理でシャーロットがルィリアを助けなかった訳だ。
「私が彼女を助けなかった理由——ご理解頂けましたか」
「ああ…」
「おかえりなさいシャーロットさん、そしてシン様!」
ルィリアの被害者の中の一人の——片足に黒いモヤがかかっている少女が俺達に駆け寄り、シャーロットに担ぎ上げられている俺に目線を向けて言う。
——この子、何処かで見たことがある気がする。とはいえルィリアのパンデミックが起こったのは8年以上前だからな…。
「何で俺には様付けするんだ?」
「決まってるじゃないですか!私達をこんな目に遭わせたルィリアを殺してくれたからです!」
「——そうか」
まるで俺を英雄か何かのように見つめる少女の無邪気な表情から発せられた言葉に、俺は苦笑する。
——複雑な心境だった。世間的に見れば多大なる功績なのかもしれない…だが実際は、こんな少女の笑顔にすら見合うほど輝かしい事では無いのに。
「あ、申し遅れました!わたし、リリィって言います!」
「リリィ——か」
姿はうろ覚えで、名前と一致していなかったが…その名前と娘を失った母の——心の底から他人を憎む顔を、俺は忘れる筈もなかった。
しかし今日はやたら8年前に別れを告げた者達とこうして思いがけない再会をする——“そろそろ過去に決着をつけろ”というメッセージなのだろうか?
——だったら流行りの小説の主人公みたいに、転生した時から最強の力を有しているみたいな、そんな楽な人生を生きさせてくれよ。
「はぁあっ!シン様に名前を呼んでもらえた…嬉しいです!」
リリィは赤面する——そういう事を望んでるんじゃない、俺は咲薇と幸せとまではいかないにしろ、ただ平穏に生きたいだけなのに。
どうして家出しなきゃいけないんだ、どうして兄妹なのに積極的な血の繋がりが無いんだ、どうして悪魔と戦わなくちゃいけないんだ、どうして大切な人を殺さなくちゃいけないんだ、どうして咲薇の記憶を無くさなきゃいけないんだ、どうしてこんな世界に連れてこられなきゃいけないんだ——これらも全て、俺が選択を間違えた結果だとでもいうのか?
「はっ!ごめんなさい!わたし、シン様の前ではしたない姿を…!」
「——気にしないでくれ。シャーロットに担ぎ上げられたままの俺の方が、よっぽどはしたないだろ?」
「そんな事はありません!どのような姿であっても、シン様はとっても立派です!」
「…あんまり敬うもんじゃないぞ、俺は君が思ってるほど立派な人間じゃないから」
俺は苦笑いをしながらリリィにそう告げると、表情を見て察したのか、シャーロットは俺を担いだまま無言でリリィを含めた群がる人々を退けて教会の中へと向かう。
すれ違う人達は皆、目を輝かせて俺を見つめ、その後に一礼していた——本人達はそんなつもりはなく本心から行なっているのだろうが、俺から見るとどうしてもわざとらしく見えてしまって、結局苦笑いをしてその場を凌いだ。
〜
「人、出てってもらう必要あったのか?」
俺は椅子に座らされ、シャーロットは何故か教会内に残っていた少数の人達を退出させた。別にあの人達が嫌という訳ではないのだが——。
「当然です。これから話す事は、ルィリアの件ですから」
「そういう事か…でも今更話す事なんて」
「——シン様は、ルィリアについて少し変だと思われた部分は無いですか?」
「なっ、何だよ急に…ルィリアが変な人なのは百も承知だろ」
「具体的にどういったところが?」
シャーロットは何故か、“ルィリアが変な人”という事について深く問い詰めてくる。
——表情を見る感じ、どうやらルィリアを蔑んでいるという訳ではなさそうだ。
「えぇ…例えば、天才を自称してる割にそれっぽい事しないところとかか?」
「他には?」
「うーん、ずっと敬語とか」
「…それは私にも言えるのでは?」
「いや違う違う違う!ていうかいきなりルィリアの変な部分述べろとか言われても無理があるぞ!」
「ではその辺にしておきましょう。確かにルィリアはワイズクラスを卒業出来るほどの頭脳を備えています。グリモワール・レヴォル賞は悪魔との契約によって得たものなのでノーカンですが」
「…何が言いたいんだ?」
「完全治療という奇跡の魔術はどれだけ純粋な天才の頭脳を寄せ集めても実現不可だった、という事です」
シャーロットは恐らく答えを告げているのだろうが、俺にはその言葉の何がどういう形で正解を言っているのか全く理解出来なかった。
ひとまず理解出来る事を並べていこう。まず、完全治療は天才の頭脳を以ってしても実現不可。だからルィリアはグラトニーと契約してそれを成し遂げた。
しかしここで謎なのが“純粋な天才の頭脳を寄せ集めても”という点だ。まるで多人数で完全治療を編み出そうとしていたかのような言葉に思える。だがルィリアは俺達と関わるまで“人との関わり”を知らずに生きてきた。そんな人が誰かと協力なんてしないだろうし、出来ないはず。
——“シン様は、ルィリアについて少し変だと思われた部分は無いですか?”
——“天才を自称してる割にそれっぽい事しないところとかか?”
俺はふと、先程交わしたシャーロットとの会話を思い返す。
天才の割にそれっぽい行動をしない…ルィリアはワイズクラスを卒業出来るほどの頭脳を備えている…純粋な天才の頭脳を寄せ集めても実現出来ない魔術…。
「——まさか」
俺の辿り着いた結論はあまりにも現実離れしていて、寧ろ外れている可能性が高いであろうものだった。
——だが逆に、もし間違っていたらどういう答えなのかも気になるが。
「わかりましたか」
「——要するに、ルィリアの頭には“天才”と呼ばれる者達の頭脳が組み込まれてるって事か」
「その通りです。ルィリアは幼い頃にある研究の被験体として選ばれ、その際に当時グリモワール・レヴォル賞を受賞していた——いわゆる“天才”の頭脳を無理やり組み込まれたのです」
「半ば冗談のつもりで言ったんだけど…本当なのかよ」
俺は深くため息を吐いて、まるで自分の事のように頭を抱えて俯いた——いつの間にか身体中を巡っていた毒は解毒されていたようだが、今度はショックで身体が重くなるような感覚に襲われる。
——何だか出会ってから今まで、ずっと騙されていたような気分だった。
「あの頃の私はまだ新人でした…何をしてもトレギアス先輩の足を引っ張って」
「——トレギアス、だって?」
俺は何気なく告げられた、シャーロットが実はルィリアに天才の頭脳を無理やり組み込むという研究に携わっていたという事実よりも、何故そんな研究が行われていたのかよりも、研究員からどうしてメイドに転職したのかという疑問よりも、自分と同じ苗字をシャーロットから発せられた事に驚きのあまり思わず口を開いた。
——そういえば初めて会った時、咲薇も俺も名前しか名乗ってなかったな…道理で今まで触れてこなかった訳だ。
「はい…どうかしましたか?」
「トレギアス先輩ってまさか…俺の父親の事を言っているのか?」
「父親って——なるほど、だから私は…」
シャーロットは俺がそのトレギアス先輩の息子だと知り、最初は驚いていたようだがその直後に謎に納得して頷いた。
「いや、もしかしたら同じ苗字の別人かもしれないけどな…」
「いいえ——シン様は確実に私の知るトレギアス先輩の息子です」
「根拠は?」
「——トレギアス先輩が既婚者というのはわかっていたんですが…私は密かに好意を寄せていたのです」
何故俺をトレギアス先輩の息子だと断言出来るのか——それは、トレギアス先輩に好意を寄せていたシャーロットが俺にヒトメボレした事を考えると、自ずと理解出来た。
——だが断言出来る理由に、俺は納得出来ず沸々と怒りを募らせる。
「それは俺に父親の面影があるって言いたいのか」
「血の繋がった親子なのですから、当然でしょう?」
「——アイツと一緒にするな」
俺はシャーロットに目を向けず、俯いたまま食い気味に言う。
子に親の面影があるのは当たり前で、シャーロット自身に悪意が無いのはもちろんわかっている——だが、ただでさえ咲薇をあんな目に遭わせた上に、それ以前にルィリアを実験台にして意味のわからない研究をして、最悪の置き土産を毎回残していくアイツと一緒にされるのは、俺にとって侮辱と同じなのだ。
——俺は、アイツとは違う。