第54話 望み、黒塗り。
「クソッ!一向に近づけねぇ!!」
アーシュ君はまるで生きているかのように押し寄せてくる植物を勇者の剣で斬りながら言う。
この植物は斬っても斬っても再生する為、このまま戦闘を続ければ消耗戦になりこちらが負ける。だからなるだけ早く終わらせるためにナギノくんを止めようとしているのだが、中々距離が縮まらない。
本当はさっきみたいに炎属性を使って植物達を燃やせば、ナギノくんを巻き込んで戦いは終わり、この空間からも脱出出来て一石二鳥なのだが、私が二人に“ナギノくんは殺さないで”とお願いしているせいでアーシュ君とカナンさんの二人は苦戦を強いられていた。
…一方、私はというと、そんな苦戦する二人を隠れて見つめるだけだった。もちろん出来る事なら私だって前線に出て二人と一緒に戦いたい…でも、私はお兄ちゃんみたいに強くないし、アーシュ君みたいに勇者の剣を持ってる訳でもなければ、カナンさんみたいに武器を柔軟に使える訳でもない…あれ、私って何が出来るんだろう?
「ねぇねぇ」
「きゃっ!?」
突然肩をつつかれ、私は驚いて振り返る。肩をつついた者の正体を目の当たりにして、私は目を疑った。何故ならその正体はアーシュ君とカナンさんと対峙している筈のナギノくんであったからだ。
「ナ、ナギノくん!?何で!?」
「安心して、僕はフェリノートを攻撃する気は毛頭無いよ」
「いやそこじゃなくて!何でナギノくんが二人いるの!?」
「あ、じゃあ簡単に説明するよ。ひとまずここがナギノの固有結界だっていうのは知ってる?」
「う、うん。意味はあまりわからないけど」
「固有結界っていうのは、自分の思い通りに描いた、自分が望んだ、自分だけの世界の事だよ」
「…よくわかんない」
「まぁ要するにここはナギノの世界って事。だから彼は今、この空間では自分の思い通りに事が進むと思い込んでる」
「思い込んでるって…実際そうなんじゃないの?」
私は蔦や枝などの植物を意のままに操ってアーシュ君やカナンさんを翻弄しているナギノくんを見つめて、もう一人のナギノくんに問いかける。
「うん、でもこれは彼にとっての試練でもある。今は泳がせてる状態」
「泳がせてるって…どうして?」
「彼が大切な事を忘れていないかを確かめる為だよ。…そろそろ頃合いかな」
そう呟くと、もう一人のナギノくんは私から離れて戦う二人の元へと歩いていった。今のあの二人に近付いたらナギノくんが分身したと思われて…まぁ実際そうなのかもしれないけど、斬られてしまうかもしれないと思い、私も追いかけるように駆け出した。
「ナギノくんっ!」
「…これが僕が望んだ“理想の世界”なの?」
もう一人のナギノくんは、二人を翻弄するナギノくんに向かってそう言うと、指をパチンと鳴らす。その直後、植物達の動きがピタリと止まった。
「なっ、何だおまえ!?」
「おいおい、何でガキが二人もいんだよ…!?」
「姫様!今すぐその少年から離れて下さい!」
突然植物の制御が出来なくなったナギノくんと、ナギノくんが二人いる状況に困惑するアーシュ君がそう言う中、カナンさんだけは私優先でそう叫びながらこちらへ駆け寄ってくる。
…なんだかここまで来るとお節介のように思えてくるけど、それってとても贅沢な事なんだよね。
「え、えーっと…とにかく!このナギノくんは味方なの!…そうだよね?」
「うん。僕はナギノの敵になり得るし、味方になり得る存在だよ…ただ絶対に君達の敵にはならない」
「…何言ってんだテメェ?」
「要するに目には目を、ナギノくんにはナギノくんって事!」
「余計に意味わかんねぇんだが!?」
「…とにかく、ここは僕に任せて」
そう言うと、もう一人のナギノくんは困惑するアーシュ君を通り過ぎて怒りで我を忘れそうになっているナギノくんの前に立った。
「何なんだおまえ…!?」
「僕はこの固有結界を作り出した時に君から分離した、君の“真実”だ」
「おまえが真実…?ふざけるな!僕は僕だ!僕だけなんだ!」
「そう、でも君は肝心な事を忘れている…だからこうして分離しているんだ」
「肝心な事…!?」
「…君の願い、だよ。この固有結界では君が望んだ…君の思い描いた事が具現化するんだ。でも、ここに君が望んでいた筈の物が無いんだ…それは何だと思う?」
もう一人の…真実のナギノくんは、まるでナギノくんが自身の本当の望みに気づけるように促す。この中で一番ナギノくんの事情を知っている私には、ナギノくんの本当の望みが何なのかはなんとなく察せた。
でも恐らくこれは、ナギノくん自身が気付かなきゃいけないのだろう…だから言ってあげたくても言ってはいけないのだ。
「…僕が望んでいる事?そんなの決まってる…人間を残らず殺す事だ!!なのにどうして確実に殺せる道具が出てこないんだよ!」
「じゃあ君の望みは、人類撲滅?」
「そうだ!」
「…そっか、残念だよ」
真実のナギノくんは呆れたような、諦めたような…涙を流しているような悲しい声でそう告げると、先程まで静止していた植物達が真実のナギノくんの思いに応えるかのようにナギノくんの両手足を拘束して身動きが取れなくする。
「なっ…何するんだよ!離せッ!!」
「…我ながら失望したよ。何で人間が憎いのかを考えれば、すぐに本当の望みに気付けた筈なのに」
「えっ…あ…ぁ…」
手足を拘束されたままのナギノくんは、ようやく本当の望みに気付いたのか徐々に声に威勢が失っていった。
すると、真実のナギノくんの隣にぼんやりと人影が姿を現した。それはナギノくんよりも少し身長が高く、私にはそれが誰なのかすぐに理解できた。
「…おれっちの事、忘れちゃったんだ」
「ち、違うよお姉ちゃん!僕はただ…悪いヤツらを!」
「あそこまでヒントを与えられたのに気付けないって…もうどうしようもないね」
「ま、待ってお姉ちゃん!!」
「さよなら、ナギノ」
そう言うと、ナギノくんのお姉さんはナギノくんの言葉を一切聞き入れず、一方的に消えていってしまった。
…やっぱりナギノくんの本当の望みは、具体的にはわからないけど、恐らく“お姉ちゃんに会いたい”だったんだと思う。でもお姉さんを殺したも同然の人間達…またはその同類を滅ぼしたいと思うほど憎むあまり、感情が望みを塗り潰してしまったんだと思う。
「嫌だ嫌だぁああああ!!!行かないで!!僕を一人にしないで!!僕はいつでもお姉ちゃんの事を大切に思ってるから!!だから!」
「…もう遅いよ。お姉ちゃんは僕の事なんか見ちゃいない…君の本当の願いは“人類撲滅”になってしまった。だから君は…もう“ナギノ”じゃない」
「ち、違う!!僕はただお姉ちゃんを殺した人間共が許せなくて…!」
「言い訳なんて無駄。この固有結界では“ナギノ”の望んだ通りに事が進む」
真実のナギノくんがそう言うと植物達は思いに応えるように先端を鋭利に尖らせ、それを涙で顔をぐちゃぐちゃに濡らしながら手足を拘束されたナギノくんに向ける。
「…姫様、失礼致します」
これから目の前で起こる事を察したのか、カナンさんは静かに私の目を手で覆った。正直、これからナギノくんの身に起こる事は私にも察せた。それ故に真実のナギノくんを止めようとも思ったけど…情けない事に、“もし私が巻き込まれたら”と想像すると足が震えて動けなくなってしまうのだ。
直後、ナギノくんの悲鳴と共にぐちゃぐちゃと何度も突き刺すような音が聞こえてくる。このカナンさんの手を退かしたら、私には直視出来ないほど凄惨な光景が広がっているだろう。
…何も見えないけど、音だけは聞こえるという今の状況…私には何故かそれが懐かしく思えた。
「…君が“ナギノ”では無くなった今、僕が唯一無二の存在になった。だからこの固有結界は僕の望みに沿って動く。あ、終わったよ」
真実のナギノくんはそう言うと、カナンさんは私の目を解放する。そして真っ先に目に入ってきたのは、大木くらい大きく赤黒い薔薇で、元ナギノくんの死体は見当たらなかった。
「…殺す必要はあったのかよ」
珍しくアーシュ君が気分悪そうな表情でナギノくんに問う。音だけですら凄惨な事が起こっているのがわかるのに、アーシュ君は恐らくその光景を目にしていたのだから、あんな表情になりながら問うのも納得してしまう。
「ああ見えて殺した訳じゃない。ナギノは強い感情を持っているから何をしでかすかわからない。だからあの薔薇の彩色と養分を永遠に補ってもらう事にした」
「じゃあ…あの薔薇の色って」
「憎悪に塗りつぶされた者には、相応しい末路だと思うよ」
「…赤黒い薔薇の花言葉は、“死ぬまで憎む”とか“憎悪”、あとは“恨み”だったか。どれにせよあまり良い意味ではないな」
ふとカナンさんは花言葉を口にする。確かにナギノくんの言う通り、憎悪によって自身の願いすらも塗りつぶされてしまったナギノくんには相応しいのかもしれない。
「…さて、こんな所に居ても気分が悪くなるでしょ?早く出よう!」
重苦しい空気を感じたのか、ナギノくんはぱぁ、と表情を明るくして指をパチンと鳴らす。直後、視界が真っ暗になる…のも束の間、気がつくと私達はあのゴーストタウンの中心でぽつんと佇んでいた。
「…脱出した、ようだな。姫様、お怪我はございませんか?」
「う、うん…大丈夫。それより、何で赤黒い薔薇の花言葉なんて知ってたの?」
「単純に、花言葉について調べた事があるからです」
微笑みながら答えるカナンさんに私はふーん、と頷いた。カナンさんが花言葉とか調べたりするのは、なんだか意外だった。
恐らくは好意を寄せている人に花を贈る際に調べたんだと思うけど…その相手はきっと私のお兄ちゃんだろう。
罪な男だよね、お兄ちゃん。
「んーっ、はぁ…外の空気は良いね」
「あ…」
私達一行は、深呼吸をして“外の世界”を肌で感じるナギノくんの方に目を向ける。こちらに敵意が無かったり、このようなリアクションをするのを見るに、やはりあのナギノくんと完全に入れ替わったのだと感じさせられる。
…凄く複雑だった。一応は私の望んだ結果にはなったのに、今こうして私達の目の前にいるナギノくんは、あの時私の事をお姉ちゃんと重ねて子供のように涙を流したあのナギノくんでは無いからである。
「あ、安心して!これからの僕は君達に協力するよ。…まぁ僕はドラゴンテイマーだから、スライムを使役する事は出来ないんだけど…要らない?」
「…どうするフェリィ」
アーシュ君は腕を組みながら、無表情で私に問う。
…そりゃそうか。だって私がナギノくんを殺さないでと言ったのだから、最終的な判断を任されるのは当然と言えば当然。
もちろん仲間が増えるのは嬉しい…でも、目の前のナギノくんに“一緒に行こう”と口を開こうとすると、固有結界でのナギノくんの悲鳴と涙を流した時の表情を思い出してしまい、今でも本当のナギノくんはあの固有結界で薔薇の養分にさせられていると思うと、発言する事を躊躇してしまう。
「…一つ、よろしいか」
私が躊躇していると、カナンさんがまるで守るかのように私の前に立った。多分、カナンさんは私が今どんな気分なのかを理解しているのだろう。
「なぁに?」
「貴様は異世界転生者か?」
「そんな事この状況じゃ関係ねぇだろ」
「ああ、これはあくまで個人的な疑問だ。だが私にはこれを確認せずにはいられんのだ!」
「……あぁ、そういう事か」
カナンさんの暴論めいた発言を聞いた後、私の事を一目見てアーシュ君は納得するように頷いた。
「えっと、確かに僕はドラゴンテイマーだけど、異世界転生者ではないよ?特殊な力イコール転生者って考え、僕はあまり好きじゃないかな」
「私もだ。だが実際、特殊な力もしくは強大な力を持つ者イコール異世界転生者というのが現実だからな…不愉快極まりない」
「…僕はこの力のせいで異世界転生者だと勘違いされ、迫害されてきた。お姉ちゃんを慕っていた周りの人達も掌返しして僕達兄妹を虐げた。信用してた人達も結局僕達を利用して金稼ぎをしたり、元々お姉ちゃんを嫌ってた人達は当然イキリ倒した」
「…そりゃ、あんな風になる程人間を嫌うのも当然だな」
目の前のナギノくんから、ナギノくん自身の過去の更なる詳細を聞き、アーシュ君はそう呟いた。
アーシュ君が言っていたように、過去にそんな事があったのならあれだけ人間を嫌うのも、“お姉ちゃんに会いたい”という純粋な願いも黒く塗り潰されてしまうのも納得だった。
「…それで、僕の事はどうする?」
話に一区切りがついてしまい、ナギノくんの会話の矛先は私に向く。どうやら時間稼ぎはもう無理なようだ。
私は深呼吸をして、応える。
「…一緒に行こう」
「うん!改めて、僕はナギノ。ドラゴン専門のモンスターテイマーだけど、スライムも使役出来るように頑張るから、これからよろしくね!」
「努力で何とかなるものなのか?」
「でもモンスターテイマーは希少だし、アテが無いんでしょ?だったら僕がやるしか」
「…いや、アテならある」
ナギノくんの発言を遮るように、アーシュ君はそう言った。ただ、その時のアーシュ君はどこか難しい表情をしていたのが気に掛かった。
「アテがあるとはどういう事だ?モンスターテイマーは幻の職業で、貴様は見た事すら無いと言っていたはずだが?」
「ああ、そうなんだが…望み薄だし、ぶっちゃけあんま会いたくねぇっつーか」
「ちょっと待ってよ!?じゃあ僕のいる意味は!?」
「あるよ!それこそテメェが努力でスライムを使役出来るようになりゃ、俺達はわざわざヤツに会いに行かなくて済むんだよ!」
「…ヤツって?」
アーシュ君の言う“ヤツ”が何者なのか…いや、もんすたーていまーである事は間違いないんだろうけど、アーシュ君が露骨に嫌そうな顔をするほど会いたくない人物に、私は少しだけ興味が湧いてしまう。
…なんだろう、まさか元カノとかかな。
「…全ての魔物を統べる最低最悪の魔王、ヴァルガーンだ」