第42話 サイコーな世界/スライムの侵略
シイナに名前も知らないグループの新メンバーとして迎えられてから数十分が経過し、俺はようやく頭の整理が追いついた。
ひとまず、これからの目標についておさらいしておこう。まず最前線でやらねばならないのは、この地獄の世界からの脱出。そして、その手段の模索。運良く俺はこの世界の住人であるシイナが味方としている。彼女なら何か知っているのかもしれない。
…そんなシイナはというと。
「おまたせー!はい、おれっちが汗鼻水垂らして作った手料理!」
「鼻水は垂らしちゃダメだろ…」
「ヌフフ、ナイスツッコミ」
シイナはサムズアップをすると、その汗鼻水垂らして作ったらしい手料理のプレートをちゃぶ台に置いた。
こんな地獄の世界でこんな奴のことだ、一体どんな料理が出てくるのやら…そう思いながら、プレートの上に並べられた料理達を見つめる。
…白米に味噌汁、肉の入った野菜炒め。
「…思ったよりちゃんとしてるな」
「えっへん!おれっちは女だからね!料理くらい朝飯前ってばよ!料理だけに!」
シイナは仁王立ちして、ドヤ顔でそう言う。
…そんなドヤ顔するほど凄い訳でもないし正直誰でも作れるような料理なのだが、せっかく作ってくれたんだ…文句は言えない。
それに味噌汁の具材や野菜炒めに使われている野菜は少なくとも異世界には無い野菜達ばかりだ。やはり、ここはあの日本なのだろうか?
「まぁ、料理が出来てる時点で咲薇に勝ってるな」
「咲薇って誰!?もしかして…これ?!」
シイナは俺の口から発せられた“咲薇”という言葉に敏感に反応し、小指を突き立ててくる。小指は確か…彼女って事か。
「妹だ!なんでみんな彼女って言うんだよ…!」
「へー妹居るんだ!ねっ、おれっちもシンの妹になって良い?」
「断る。俺の妹は咲薇だけだ」
「えー、いーじゃーん!おれっちだったら夜の営みもウェルカムなのに!」
「妹にそんなやましい兄がいてたまるか!」
「冗談だよっ!…あー、もしかしてちょっと期待してた?」
シイナは俺に人差し指を向け、ニヤニヤしながら言う。
「そんな訳無いだろ」
「もー、照れちゃって〜このこの〜」
「…そろそろ食わせてくれないかな!?」
「あっ…ごめん…そ、その…手作りだから」
そう言うとシイナはもじもじして、顔を赤くする。その仕草はまるで、初めて彼氏に手料理を振る舞う初々しい彼女のようだった。
「そういうのいい、作ってくれただけでもありがたいから」
「えっ…」
「いただきます」
俺はようやく箸を手に取り、お椀を持って盛られた白米を口に入れて味わうように噛む…味は、普通に白米だ。
次におかずの野菜炒めを箸で掴み、口に入れて噛む…キャベツとかほうれん草とか、よく知っている野菜だ。
最後に味噌汁を啜り、具材として入れられている豆腐やお麩、油揚げを箸で優しく掴んで口に入れる。
「ど、どう…?」
「美味しい、特に味噌汁。ちゃんと出汁が効いてる」
「そ、そっか…良かった、口に合ったみたいで」
俺の感想に、シイナは正座しながら嬉しそうに微笑んだ。
…出会ってからずっと面倒くさい女だと思っていたが、やっぱり新しいメンバーという事で舞い上がっていただけで、本当は大人しい奴なのかもしれない。
話すなら今がチャンスかもしれない。
「なぁ、色々聞きたい事があるんだが」
「お!なんだね?プライベートな事以外ならなんでも答えるぞい!」
シイナは立ち上がり、腕を組みながらやたらデカい声でそう言った。面倒くさいあのテンションに戻ってしまった為、俺は内心深くため息を吐いたが、今のところはシイナにしか聞けない事だ…と意を決して口を開く。
「この世界は何なんだ?何でこの世界は日本に似てるんだ?あのバケモノは何なんだ!?俺達以外にも人が居るのか?!だとしたらどうしてその中から俺を選んだ?!」
「ちょ、ちょーっと待った!質問過多でバグる!順を追って答えるからその質問攻めを止めてくださいなっ!?」
「…ごめん、まだ頭が混乱してるみたいだ」
「まぁこんな世界、誰でも初見は混乱するさね…寧ろそんな中でおれっちのボケに対応できるシンは冷静な方。あ、それ片付けるからちょっち待っとれ」
そう言うとシイナは俺の食べ終えたプレートを持ち上げ、そのまま別の部屋…恐らくキッチンへと向かっていった。直後、水を流す音が聞こえてくる。水が流れる音が止まると、シイナが再び戻ってきた。
…意外にもちゃんと家事はやるようだ。
「んで、質問返答タイム。えーっと…何だっけ?」
「あぁ…まず聞きたいのは、この世界は何なんだ?」
「え、知らないのに来たの?」
シイナは驚くような表情でそう言ってきた。
俺はグレイシーのあの鍵の力によって生み出されたブラックホールに飲み込まれ、気が付いたらここに居た。
「…俺は望んでここにきた訳じゃない。どうやらここは“地獄”らしいが」
「地獄ねぇ…まぁ大罪人からしたらそうかも」
大罪人…確かにグレイシーが鍵を取り出した時に“ 神が罪人を地獄送りに…”みたいな事を言っていた。シイナの言い草からして、この世界には俺達以外に人間は居るのだろう。ただそれは現世で悪行を成して神の裁きを受けた者であり、まともな人間では無さそうだが。
しかしこれによってひとまず“ 俺達以外にも人が居るのか”という疑問も同時に晴れたが…それと同時に新たな疑問も生まれた。
「…シイナは大罪人じゃないのか?」
「違うよ!まぁ確かにおれっちは可愛いからそれだけで罪な女なんだけどっ!」
シイナは自身が大罪人である事を否定すると、ウィンクをして赤い舌を出し、まるでぶりっ子のようなポーズをとった。
「そういうのいい。シイナが大罪人じゃないなら、何でここに居るんだ?」
「うーん…おれっちが望んだから、かな?」
「望んだって…こんな変な世界に来る事をか?」
「まぁ流石にこんなメルヘンチックな世界だとは思わなかったけどね。でも悪いヤツいっぱいいるし、何回でも殺せるし」
「…今、なんて?」
俺はシイナの言葉に驚愕すると同時に、聞き間違いであってほしいと願った。俺の耳が正しければ、今“何度でも殺せる”って言ったよな?
「ちょ、何そんな顔すんだよー、悪いヤツを何度でも殺せるって言ったんだよー!聞き流すなよー!」
驚愕のあまり硬直してしまう俺に、まるで空気が読めていないのかシイナは楽しそうな表情で俺の肩を軽く叩く。
…何でそんな単語をそんな顔で言えるんだよ…?確かに俺も散々人を殺してきた身ではあるが、そこに“楽しい”なんて感情は無かった。少なくとも、こんな顔は出来ない。
「…何でそんな顔で殺すだなんて言えるんだよ…?!」
「えっ、だって悪いヤツはみんな死ねばいいじゃん?散々悪い事してきたんだから、殺されても文句は言えないよねー!」
「何言ってんだあんた…?!」
「でもさ!ここに連れて来られた大罪人はどれだけ殺しても死なないんだよ!?だから殺し放題なんだよ!大罪人は相応の痛み…罰を受けて、おれっちは爽快感で気持ちよすぎだろーっ!ってなれる!しかもそれが無限に出来るんだから、もぉ最ッッ高の世界だよね!」
「…」
その時のシイナの目は輝いていて、とても生き生きとしていた。そんなサイコパスじみたシイナに対して、俺は絶句した。
…もしかしてあの動画配信はこの地獄を必死に生き延びてる人に向けてではなく、裁きを受けてここに来た大罪人に向けての動画だったのか?
「無双ゲーみたいにさ、悪いヤツをバッサバッサと殺していくの、正義のヒーローにでもなったみたいで楽しさレベチで気持ちいいんだよ!」
「…正義のヒーローなんて、そんな輝かしいもんじゃない」
シイナの嬉々とした言葉に、俺は絞り出すような声で水を差した。
「ほぇ?」
「相手がどんなヤツであれ、人を殺して気持ちいいなんてどうかしてる…!」
「いやいやいや、流石に普通の人を殺すのは嫌よ?でも罪の無い真っ当な人間をたっくさん殺してきたような大罪人ぞ?そんな奴死んだ方が絶対良いじゃん!」
「…」
俺は言葉が出なかった。
シイナの言い分自体は正しいと思える。罪の無い真っ当な人間を大勢殺してきたような大罪人が罰として死刑を執行されるのも納得である。
だがシイナは“大罪人を殺して罰を受けさせる”というより“大罪人なら殺しても問題は無く、自身は快楽を得られて相手には罰も受けさせれるから一石二鳥”という考えなのだろう。タチが悪いと思うが、言葉遣いや目的が違うだけで、俺も同じようなものだったのかもしれない。
…一歩間違えれば、俺もシイナのようになってしまっていたのだろうか。
「…何で俺を新メンバーに選んだんだ」
「シンだって、おれっちと同じく“悪いヤツは居なくなればいい”って思ってるんでしょ?」
「殺す事に快楽を得てるあんたとは違う!」
「でもやってる事自体はおんなじだし、殺す時の感情とか関係なくない?」
「っ…」
「だーいじょーぶ!シンは殺さないから!」
シイナは笑顔でそう言うと、俺の肩に手を置いた。
「そういう問題じゃ…!」
「言っとくけど、おれっちも自身がサイコパスって自覚はあるぞよ?」
「え?」
「だって考えてみてよ、こんなおれっちが現世に居たら大変だっぺ?」
「…まぁ、な」
「だったらこの世界みたいな悪人を殺しても良い場所で勝手に殺して気を済ませてる方が良くね?そうすれば現世は平和、おれっちも我慢せずに済む!ウィンウィンじゃね?」
「…この世界から出ようとは思わないのか?」
「言っただろー?おれっちは望んでこの世界に来たって。おれっちだってちゃんと世界の治安、考えてるんだぜー?」
にしし、と綺麗に並んだ白い歯を見せながらシイナは笑う。
人殺しは良くない…なんて俺は言えないが、シイナにはそれをしたいという危ない欲がある。でもシイナ自身もそれはわかっていて、悪人に限定しているが“殺したい”という欲を日頃から抑え、我慢してきた。
この世界は大罪人ばかりで、どれだけ殺しても蘇る。そのお陰でシイナは殺したいという欲を永遠に満たせて、かつ悪人にも今まで奪ってきた命の数の罰を下せる… 確かに、理にかなっている。例えるなら“需要と供給”というヤツだろうか。
「…そっか」
「んじゃ、おれっちの思いを伝えた事によって仲が深まったっちゅー訳で、キスをしよう!」
「何でそうなるんだよ?!」
「同じ屋根の下で男女2人きり…ぐへへ、当然ナニも起こらない訳が無いからじゃぞ〜?」
シイナはニヤニヤと不敵な笑みを浮かべ、手をわきわきさせながらこちらへと歩み寄ってくる。
…え、何なのコイツ。どうして欲しいんだよ?コイツの性格上、これが果たして本気なのか冗談なのかが全くわからないから対応出来ない。
「…なっ!?」
徐々に迫り来るシイナから逃げるように後ろへ少しずつ下がっていたが、背中には壁があり、逃げ場を失ってしまう。
「ぐへへ…遂に追い詰めたじょ…」
「ま、待て!こういうのは段階を踏んでだな…!」
「キシャーッ!!覚悟なりてーーっ!!」
勝利を確信したシイナは、トドメの一撃を食らわすかのように俺目掛けて飛び掛かってきた!
「ギャァアアアアアア!!!!」
◇
「はぁっ!クソが!!」
アーシュ君は走りながら立ち塞がる人達をやたら豪華な剣で薙ぎ倒して道を切り開く。あの剣は“選定の剣”というらしく、選ばれた勇者にしか扱えない特別な剣なのだそうだ。
…まぁ、アーシュ君は言葉遣いが荒いからちょっと勇者っぽくないけど。
「ここは…玉座の間か?!」
王宮から脱出する為に走っていると、開けた場所…グレイシーさんの言う通り玉座の間に出た。普段は綺麗な装飾もあって神聖な雰囲気があったが、今は辺りにスライムがへばりついており神聖さの欠片も無い。
「オ、ォオ…フェリ、ノートォ…」
そんな聞き覚えのある声が聞こえ、私は玉座の方に顔を向けると、そこにはスライムまみれになったパパとママが居た…が、もう手遅れだった。
「パパ…ママ…」
「…アイツらはもう手遅れだ。無視して脱出するぞ…!」
「待て、そこに倒れている人が!」
グレイシーがそう言って指さす方向に目を向けると、スライムまみれになって倒れている鎧を纏った女の人が居た。
「助けなきゃ!」
「あんなのに構ってる暇は無ぇだろ!どうせもう手遅れだ…!」
「でも…!」
「…はぁ、仕方がないね」
そう言うとグレイシーさんはまるで私達を守るように前に立ち、辺りのスライムやパパとママを凍らせた。
「グレイシーさん…!?」
「何してんだ、そんな事してる暇は無ぇだろ!」
「フェリィは一度決めたら曲げないよ…ここは僕が引き受けるから、その人を助けなよ」
「んな無駄な事…!」
「スライムはすぐ解凍してしまう!早く!」
「…ぁあもう!しゃーねぇな!今回だけだからな!」
アーシュ君はそう叫ぶと、私と一緒に倒れている女の人に駆け寄った。
「この人、大丈夫かな…」
「起こしてみりゃわかる…って、コイツは…!」
「知ってる人?」
「…嫌なくらいにはな。だが今回は借りを作る良い機会だ…おい、起きろ」
そう言うとアーシュ君は女の人の顔をやり過ぎじゃないかと思うほど強い力で引っ叩いた。
…嫌なくらいに知ってるとはいえ、こんなに強くやるなんて恨みすぎじゃない?
「ん、ぐぅ…」
「おい、起きろこの野郎」
「…き、貴様は反逆者のアーシュ!?何故檻の外に!?」
頬を強く引っ叩かれた人は唸り声を上げながら目を覚まし、アーシュ君を見て早々にそんな事を言い放った。
…喋り方も相まってこの人は寄生されていないと思うが、それ以前に“反逆者”とか“檻”とか一体どういう事なのだろうか?アーシュ君は勇者なんじゃないの?
「せっかく助けてやったのに何だよその態度!!」
「貴様に助けを乞うた憶えは無い!」
「んだとテメェ…!!」
「ち、ちょっと2人とも喧嘩しないで!」
私は口喧嘩を始めそうな2人の間に入り、鎮めようとする。やっぱりこの2人、過去に何かの因縁でもあるのかな…だとしても、こんな状況で喧嘩なんてしてる場合じゃないのに。
…直後、グレイシーさんの凍らせていたスライム達が解凍されてしまう。
「すまないみんな…限界だ…!」
「大丈夫です!早くグレイシーさんも行きましょう!」
「…いや、僕はここで囮になるよ」
「な、何言ってんだ!テメェも寄生されるぞ!」
「僕の身体よりも、君達を逃す方が優先だ。外に馬車を用意してある」
「テメェ、最初からそのつもりで!」
「…皆、行くぞ」
「何でテメェが仕切ってんだよ…!」
グレイシーさんを囮にして逃げる事を決断した女の人に、アーシュ君は胸ぐらを掴んだ。
「では彼女の犠牲を無駄にして、ここで全滅するつもりか!?」
「…クソッ!行くぞ、フェリィ」
アーシュ君は女の人の胸ぐらから手を離し、拳を強く握りしめながらやむを得ず走り出した。私もアーシュ君と同じくグレイシーさんを囮にするのは反対で、みんなで脱出するのが理想だけど、グレイシーさんの犠牲を無駄にする訳にもいかない。
「…姫様、失礼をお許しください」
「えっ、ちょっ!?」
女の人は一言添えると私を軽々と持ち上げ、お姫様抱っこをして走り出した。徐々にグレイシーさんとパパとママとの距離が離れていく。そして私達が脱出すると、王宮の出入り口が氷の壁で全て塞がれ、戻れなくなってしまった。
「…これがグレイシーの言ってた馬車か!」
すぐ近くでアーシュ君がそう言う。
確かに目の前にはグレイシーさんが用意したと思われる馬車が配置されていた。
…あれ?乗った事無いはずなのに私、何故かこの馬車を知ってる…?
「あっ…ぁああ!!」
直後、またあの頭の激しい痛みに襲われ、私は頭を押さえる。本当に…なんなのこれ…!?
「ひ、姫様!?」
「まさか、スライムに…!」
「ち、違うっ…頭が、痛いだけっ、だから」
「…馬の操縦は私がする!貴様は姫様の介護を!」
「言われなくても!」
女の人はお姫様抱っこしていた私をアーシュ君に託すとそのまま馬に乗った。私をお姫様抱っこするアーシュ君はそのまま人が乗る荷台へ入り、私を横にさせた。
「…大丈夫か?」
「う、うん…だいぶ落ち着いたよ」
「よかった…スライムに寄生されてる訳じゃないみたいだな」
「…乗ったか!?」
「見りゃわかるだろ!早く走らせろ!」
女の人に問われ、アーシュ君は露骨に態度を変えて返答するとその直後に馬車が動き出した。しかし操縦が少々荒いのか、内部は舗装されていない道を走っているかのようにかなりガタガタ揺れた。
アーシュ君は、横になる私の頭に衝撃を与えないように手を添えてくれた。
「くそ!慣れない馬に加え、走る調教もされていないのかこの馬は!」
外から馬を操縦する女の人の愚痴のような声が聞こえてくる。
確かに馬車は基本的に身分の高い人が利用するものだから走ったりしないもんね。そんな馬を無理矢理走らせているのだと思うと、このガタガタ揺れてしまう程の荒い操縦にも納得が行く。
「フェリィが頭痛ぇって言ってんのに…おいテメェ操縦変われ!!」
「貴様に任せられるか!」
「ヒメサマの身が危ねぇから言ってんだよ!俺ならこの馬を飼い慣らせる!」
「…やむを得ん」
やたら意地を張っていた女の人は諦めて馬車を停めると、アーシュ君が慣れたような動きで外に駆け出していった。
…アーシュ君、何で自分ならこの馬を飼い慣らせるって思ったんだろう?実家が馬を育てたりとかしてたのかな。
外でアーシュ君と女の人の口喧嘩が少し聞こえた後、アーシュ君と入れ替わるようにして女の人が入ってきた。
直後、馬車がゆっくりと動き出し、徐々に加速していく。しかし先程よりも揺れることは無く、安定していた。恐らくアーシュ君が馬を飼い慣らしたのだろう。
「申し訳ありません姫様。こんな無様な姿で…不甲斐ない」
「あ…大丈夫ですよ、生きているだけで全然無様なんかじゃありませんから!」
「そんな!騎士団総団長という身でありながら、国を守れなかった私に姫様が敬語など…!」
キシダンソウダンチョウ…蝶の一種みたいな知らない単語だけど、きっと強い人なのだろう。
「どんなに強い人でも、あんなスライムに寄生されちゃったら抵抗のしようがありませんから…仕方ありませんよ」
「慰めなど…身に余る光栄です…!」
そう言って、女の人は私に頭を下げた。
…うーん、何か調子が狂うなぁ。いつもお兄ちゃんとグレイシーさんしか関わってこなくて、お兄ちゃんは家族だからまだしも、グレイシーさんは知らなかったとはいえ身分とか関係無しに接してきてくれたから、こうやって改めて“姫様”として接されるのは何だか新鮮だった。
「え、えーっと…その、貴女の名前は?」
「はい。私は、我が国を護衛する騎士団の総団長を務める、カナン・リゼルベラであります!」
女の人…カナンさんはまるで、軍隊みたいな自己紹介をした。我が国を護衛するって事は、私とお兄ちゃんがこの国で平和に暮らしていたのは、カナンさん達騎士団が戦ってくれていたからなのか。
…まぁ、お兄ちゃんも裏で悪い人達と戦っていたけど。
「えっと、改めて…私はフェリノート・トレギアスです」
「なっ…トレギアスだと!?」
カナンさんは私の名前ではなく、何故か苗字を聞いて驚愕する。
…え、何だろう。“トレギアス”って名前はあんまり良くないのかな?
「えっはい…そうです、けど…」
「…そうか、ふふっ…道理で国王様に対して呼び捨てかつタメ口な訳だ」
ずっと強張っていたカナンさんの表情が何故か緩み、寧ろ微笑んでいた。
その時のカナンさんの表情はとても凛としている中に優しさがあり、とても綺麗であった。
「な、何の事…?」
「…姫様は、シンの妹だったのですね」
「なっ、何でお兄ちゃんの事を!?」
「前に一度だけ、シンと会った事があるのです…もう8年前の事ですが」
「そう、だったんだ…」
「彼はそ、その…私の事を、憶えていますのでしょうか?」
カナンさんは言葉遣いがおかしくなりつつも、まるで恋する乙女のような瞳で私を見つめながら聞いてくる。
…ああ、カナンさんはきっとお兄ちゃんに恋をしているんだ。そうだよねー、お兄ちゃんかっこいいもんねー!罪な男だね全く!!
「わかりません…お兄ちゃん、何も話さないから」
「そう、ですか…」
「で、でもきっと憶えてると思います!だって私が憶えてない事も、お兄ちゃんは憶えてますから!」
露骨に気分が下がっているカナンさんを慰めるように、私はそう言った。
「いや…どちらにせよ、彼に会わせる顔がありません…私は“どんな犠牲を払ってでもこの国を守り抜いてみせる”と誓ったにも関わらず、このザマで…」
「だったら尚更、生きてお兄ちゃんに会いましょうよ!」
「え…?」
「お兄ちゃん、いつ言ったかは忘れちゃったけど、前に言ってました。“例え住む家を守れたとしても、そこに誰も居なかったら意味が無いんだ。…ただ虚しいだけだ”って。だから例え国を守れたとしても、カナンさんが居なかったら意味が無いんです!」
私は前にお兄ちゃんが言っていた言葉をカナンさんに伝えた。
…本当にいつ言われたのかはわからないのに、その言葉はやたらと記憶に残っているのだ。だってその時のお兄ちゃんの顔、とても悲しそうだったから。
「…確かに、シンが言いそうな言葉ですね」
「でしょ?」
「わかりました。シンと会えるその時まで、シンの為にも、私は必ず生きてみせましょう!」
「うん!」