第34話 あにのこころ
俺は手を掴めたにも関わらず、咲薇を救えなかったあの日…転生して異世界の住人となってからずっと“自分は兄失格だ”と、“何も守れない”と思ってきた。そんな俺は、幸せになるべきではないと…そう思って生きてきた。
でもこの異世界でも妹が出来ると知った時、俺はその新しい妹を咲薇と重ねて、次は守ると…幸せにすると誓った。
ある日、俺は新しい妹…フェリノートの事を間違えて“咲薇”と呼んでしまったが、そこで俺は妹が咲薇の転生した存在であると知り、同時に生まれた時から盲目である事にも納得がいった。
そしてその矢先に、あんな事が。
◇
「…いや、何だこの状況」
俺は何故かリビングのテーブルに座らされ、その真正面には咲薇とルィリアが俺を疑うように見つめていた。まるで事情聴取でもされているような気分だった。
「シン君、君はどうしてサクラさんを助けたんですか?」
「いや普通に妹が死にそうになってたら助けるだろ」
「…まぁ確かにそれはそうですね…ですが、それは本当に君の意志ですか?」
「…どういう事だ?」
何か事情聴取というより、面接を受けているような気分だ…まぁ、面接なんてやった事ないから実際どんなものなのかは知らないが。
しかしルィリアの質問の意味というか、意図が一切わからない。咲薇を助けた事は自分の意志かなんて、そんなの聞かなくてもわかるだろ…普通に考えて妹を助けるのは兄として当然だ。
…もしかして、咲薇を助けてはいけない理由でもあったのだろうか?いや、どんな理由があったとしても咲薇を死なせていい訳は無い。
「お兄ちゃん…本当は、私と一緒に居るのは嫌?」
「そんな訳無いだろ、何でそんな事言うんだよ?」
「だって、私ずっとお兄ちゃんに迷惑かけてばかりで…」
ああ、もしかしてさっきの事を言っているのだろうか。
咲薇は俺の事を想って自分から家事をやろうとしてたんだが、ドジして大惨事になってしまったあの事を言っているんだ、きっと。
…あれ、そういえば俺あの後どうしたんだっけ。全然記憶に無いな…気が付いたらベッドで寝転がっていたし。
…まさか咲薇が窓から落ちたのって、自殺しようとしていたのか!?それってつまり。
「俺、もしかしてまた咲薇に何か言っちまったのか…!?」
「…え」
「ごめん!でも全然記憶に無くて…いやこんなのは言い訳だよな、次からは気をつけるから…」
「だから!!」
咲薇は立ち上がると、俺の発言を遮るようにテーブルを勢いよく叩いて大きな音を出した。
その突然の咲薇の行動に、俺も向こう側であるルィリアすらも驚いて硬直してしまう。
「っ!?」
「…そういう…ところだよ」
テーブルに手をつけたまま俯く咲薇は、弱々しく震えた声で俺にそう言った。
「咲薇…?」
「なんで何もかも自分が悪いって思っちゃうの…?どうして私を咎めないの…?」
「だって事実だし、咲薇は何も」
「もういい。お兄ちゃんなんて大っ嫌い!」
咲薇は自暴自棄になったのか、俺に向かってそう告げるとそのままリビング…いや、このルィリア邸から出て行った。
あまりにも突然過ぎるその言葉に、俺は咲薇を追いかける事を忘れてその場に硬直してしまう。
「…待ってくれ咲薇」
「待つのは君の方です、シン君」
思い出したかのようにそう言って椅子から立ち上がって咲薇を追いかけようとする俺を、ルィリアが引き止めた。
「離してくれ!俺は咲薇を…!」
「それは本当に本心なんですか」
「当たり前だろ!妹を守れないで何が兄だっていうんだよ…!みんなさっきからどうしたんだよ!?」
「…どんな理屈かは不明ですが、サクラさんは君の前世の記憶を見たんです。内容は私も聞きました」
「だから何なんだよ…?」
「君は未だ母親から受けた洗脳が解けていないという事です。確かに妹を守るのは兄の役目なのかもしれません…ですが、君の場合少し異常です。だからサクラさんは、君から妹という存在を…自身を遠ざけようとしているのです」
「…じゃあルィリアは、妹に対する俺の思いや行動が母親の洗脳によるものだと思ってんのか?」
「そうです。サクラさんは兄であるシン君に…私は、私の養子である君に幸せでいてほしいんです。だから」
「…俺は母親に酷い目に遭わされた。やがて感情を失って、“自分自身”がわからなくなって、ひたすら“殴られないように”って一心で妹を守ると偽って生きてた。確かにその時の俺は、半ば洗脳状態ってやつだったのかもしれない」
「シン君…」
「でも、咲薇が事故に遭いそうだった時…偽りだったはずの“妹を守りたい”って思いが本物になった。でも結局、咲薇を救えなくて…転生してからもずっと後悔して…自分に絶望して…。もうあんな後悔はしたくない。後悔しない為に、今度こそ兄として、命掛けても守ると誓ったんだよ!」
「…そうですか」
ルィリアは納得したような顔をして手を離した。
「いいのか?」
「…何をしているんですか、妹が飛び出してしまったんですよ?早く助けにいってあげてください!」
「わかった!」
ルィリアに感謝を告げるように頷くと、俺は誰に言われた訳でもなく、自分の意志でルィリア邸を飛び出して、咲薇を追いかけて外へ出て行った。
〜
…飛び出してきたはいいものの、肝心の咲薇がどこにいるかがわからない。
そんなに時間も経ってないし、咲薇は一人で外を出歩いた事も無いからきっと行った事のある場所にいるだろう。
「となると、繁華街か…!」
咲薇はきっと繁華街にいると推理して、俺はそのまま走り出した。
現在の時刻は夜だが、繁華街は夜でも賑やかである為、人が多い。いくら珍しい髪色をしているとはいえ、あの人混みから咲薇を探しだすのはさすがに時間が掛かるだろう。それにきっと、咲薇は俺の言う事を守ってフードを被っているだろうし。
「ぐっ!?うぁあああああああ!!」
「きゃあああああ!!」
突然、繁華街の方から男女の悲鳴が聞こえてきた。数的にはそこまで多くはないだろうが、只事ではないだろう…まさか、咲薇も巻き込まれているのでは…?!
俺は急いで繁華街に駆けつけると、そこには胸を押さえて苦しんでいる老人と、足を押さえてその場に倒れながら泣いている少女の姿があった。
咲薇ではない事に安心と不安が入り乱れるが、俺はその二人に駆け寄った。
「大丈夫か、何があったんだ…!?」
「わ、わからない…治った筈の病が再発したようだ…ぐぅっ…!」
「いたいよぉっ!あしがっ…あしがぁあ!」
「…?」
俺は“病”と“足”という単語に、何にかはわからないが引っかかった。何処かで見たような、聞いた事があるような気が…。
「リリィ大丈夫?!何があったの!?」
そんな時、足を押さえて泣く少女の母親らしき人物が駆け寄ってきた。この子の名前、リリィっていうのか…いや、そんな事はどうでもいいか。
「ママっ…あしがいたいの…!」
「えっ!?ルィリアさんに治してもらった筈なのに…!?」
「わ、私もだ…ルィリアさんに病を治してもらったはずなんだが…」
「…あ」
思い出した…そういえば割と前に“病を治してくれた”“足を治してくれた”というルィリアへの感謝の手紙だ。あの手紙の差出人はこの人達だったのか。
しかしルィリアの完全治療はその名の通り傷や病を完全に治すことの出来る魔術の筈。でもこうして病が再発しているって事は…いや、今はそれどころじゃない。咲薇の事が心配だが…くそ、問題が錯綜してやがる…!
…色々気になる点はあるが、一先ずは咲薇だ。
「…なぁアンタ、この場は任せていいか?妹が家出しててな…」
「え、えぇ…わかりました!」
「ありがとう…!」
俺はリリィという少女の母親にそう頼むと、そのまま繁華街中のフードを被っている女の子を探して回った。
しかしフードを被っている者がそもそも少なく、咲薇に対する不安がどんどん煽られていく。
そうやって探していく内に、いつの間にか闇市への隠し道にまで来てしまっていた。
約1年振りに来たとはいえ、周辺の光景が凄惨な為か全然懐かしさを感じない。辺りを漂う不快な異臭には吐き気を催した。
「…流石にこんな所にまでは来てないよな」
そう口に出して、引き返そうと思ったその時だった。
ここから先にある闇市から、金属と硬いものがぶつかり合うような…戦闘のような音が聞こえてきた。いや…この音は戦闘というより、一方的に攻撃しているようにも感じる。
ついでに、焦っているような逃げているような足音も聞こえる。まさか、咲薇じゃないだろうな?
俺は念の為、その音が聞こえる方向に向かって、足音を立てずに歩いていった。
「あはは!!ここなら誰も来ないよ…死ね死ね死ねぇっ!!」
「嫌っ…いやぁっ…!!」
この声は…咲薇だ!そしてもう一人は…何か聴き覚えがあるが、思い出せない。
俺は足音を立てずに近づく事を忘れ、ある事を念じた後に咲薇を守らねばとその場から走り出した。音が間近まで近づくと、そこにはハティと俺が持っていた物と同一の黒い剣を振り回す女…シャーロットと、それを間一髪で避けて逃げ続ける咲薇の姿があった。
「咲薇っ…!」
何でシャーロットが咲薇を殺そうとしているのかなんて疑問は捨てて俺は駆け出し、トドメを刺されそうだった咲薇の手を掴んで引っ張り、そのまま抱き寄せた。
「おっ、お兄ちゃん…!?」
「間一髪だったな…でももう大丈夫だ」
「何で来たの…!?私、もうお兄ちゃんの事…!」
「大嫌い、か?」
「う、ううん…い、いや!そっ、そうだよ!助けに来られても…迷惑、なの…!」
…とは言っておきながらも、咲薇の表情から嬉しいという感情が滲み出ているのがよくわかった。現に嫌いな俺に抱き寄せられているというのに、ちっとも離れようとしないのが何よりの証拠である。
「咲薇も反抗期か…成長だな」
「ち、違うってば…!本当にお兄ちゃんが…嫌い、なの…!」
「別に嫌われようが、俺は兄として、咲薇が幸せになるまで守ってみせる」
「…だから、私は」
「うるせぇ!!黙って俺に守られてろ!!」
この日、俺はこの異世界に転生して初めて自分の意思で咲薇を本気で怒鳴った。
この世界での俺は迅田達月ではない。だからもう母親に殴られる心配もないのだ。
…にしても、妹に怒鳴るのはやっぱりあんま良い気分じゃないな。
「っ!?」
「妹は妹らしく、怖かったら強がらないで、素直に兄の後ろに隠れて任せとけば良いんだよ…!」
「…やっと、私を怒ってくれたね」
咲薇は怒鳴られて一瞬だけ身体がビクッと動いたが、その後はまるで安心したかのような…願いが叶ったような、寧ろ感謝すら感じるような優しい笑顔を俺に見せた。
「もう、殴られる心配もないからな」
「…お兄ちゃん、ごめんね。大嫌いなんて言って」
「気にしてないから大丈夫。それよりも咲薇は隠れてて…俺は咲薇を虐めたアイツを懲らしめてくる」
「うん!」
咲薇が近くの物陰に隠れていったのを確認すると、俺はシャーロットの方を見つめた。
直後、“ある事”を念じていたのがようやく届いたのか、ハティから譲り受けた2本の黒い剣が目の前に飛んできて、俺はそれを引き抜くと咲薇を守るようにシャーロットの前に立ち塞がった。
「ふふ、久しぶりだね…シン?」
シャーロットはかつてルィリアの専属メイドであったが、諸事情により解雇された女である。
しかし俺の目の前にいるシャーロットは、あの時とはまるで別人のようであった。こんな…ずっと嬉しそうにニヤニヤ笑う表情を顔に貼り付け、愛おしくて堪らないかのような目を向けてくるような、不気味な女性では無かったはずだ。それは瓜二つの別人なんじゃないのかと疑うほどに。
「お前…どういうつもりだ。何故咲薇を狙う!?」
「そんなの決まってるよぉ…ぜーんぶシンの為だよぉ?」
「何…?」
「妹さえ居なければ、シンは苦しむ必要も辛い思いをする事も無くなってぇ…拙の事を見てくれる…!」
子供のような口調に、“拙”という一人称。
俺は約1年前に、そんな少女と出会った事がある。その少女は変身能力を持っており、恐らくはシャーロットに変身しているのだろう…その正体は。
「“拙”って…お前まさか、ルクスリアなのか!?」
「あはっ…拙の事、憶えててくれたんだぁ…嬉しいなぁ」
予想通り、今俺の目の前にいるのは紛れもないルクスリアだった。
という事は、シャーロットが専属メイドを解雇されたのは、ルクスリアがそうなるように仕向けていたからなのか…いや、だとしたら一体何故…?
「何故シャーロットの姿に?!」
「あはは…この女もシンの事が大好きだったんだよぉ?それでお互い“シンを幸せにしたい”って意見が一致してぇ、契約を交わしてその代償に身体を貰ったのぉ」
「契約…って、お前悪魔だったのか!?」
「正確にはぁ、悪魔に“なった”だけどねぇ?」
「悪魔に…なった?」
「ほらぁ、前に禁書を回収しにシンの故郷に行った時、拙の中に禁書の力が入っていってたでしょぉ?その時にラグニアの力を継承して、末裔である拙が悪魔に…色欲の悪魔の後継者になったのぉ」
確かに、ルクスリアと共に禁書を回収しに行った時、黒いモヤのようなものがルクスリアの中に入っていた。
その時はラグニアの残留思念がルクスリアの身体を乗っ取ろうとしていたと思っていたが、まさか記憶だけでなく力を継承していたとは。
ラグニア…かつて咲薇の身体に宿り、咲薇を発情させていた悪魔である。この異世界での父親が残した最悪の置き土産である。
“あの女とはあまり関わらない方がいい”
“あの女は、いずれお前の妹を殺す”
ふと、ハティに言われた忠告を思い出した。
まさか、ハティはあの時からルクスリアが悪魔の末裔だという事に、後にこうなる事に気づいていたのか?
だからハティは俺にこの剣を託したのか。
いや待て…ハティはルクスリアとマスターの事を“自分と同じ人狼”とも言っていた。という事は、まさかハティもマスターも悪魔の末裔なのだろうか…?
「ルクスリア…お前、ハティはどうした」
ルクスリアがハティが持っていたはずの黒い剣を持っている事に、俺は嫌な予感がした。
ルクスリアに対して敵意を持っていたハティが、残り1本しかない自身の武器をルクスリアに渡すとは思えなかったからだ。
「ん〜?あぁ、ハティねぇ…妹を殺そうとする拙をいっつも邪魔するからぁ…殺しちゃった」
「なんだと…!?そんな訳無いだろ!だってハティは見た魔術を自分のものにできるんだぞ、ルクスリアに負ける訳が…」
「え、そうなのぉ?魔術とか全然使ってこなかったけどぉ…」
「…!?」
魔術を使わないというハンデをして負けたのか、そもそも魔術を自分のものにできるという事自体嘘だったのか…いや、ハティに限ってそれはあり得ないだろう。確かに俺はハティが戦っている姿は見た事がないが、黒曜石をふんだんに使った剣を3本も所持している時点でそれなりの金持ち…つまりは実力者という訳だ。
…まさか、ハティは何かの事情で自分のものにした魔術を使う事が出来なかった?もしかして、剣を3本もしくは2本持っていないと魔術が使えないのだろうか。だとしたら何故俺に託したんだ…?!
「邪魔者は居ないし、後は妹を殺せばそれで終わり、だよぉ?だから…退ーいーて?」
「…退かねぇ」
「ん?」
「お前は…一線を超えた。これ以上好き勝手に殺させねぇ」
そう言って俺は構え、ハティに託された2本の黒い剣に炎を纏わせる。
これ以上咲薇に危険な目に遭わせない為にも、成す術なく殺されてしまったハティの為にも、ここでルクスリアの暴走を止めなければ。そして、合意の契約とはいえルクスリアからシャーロットを解放しなくては。
ルクスリアは自分の目的の為なら…邪魔をする者は容赦なく殺す。ただ身体を奪われただけのシャーロットにルクスリアが犯した罪を着せる訳にもいかない。
「…拙を殺すの?」
「お前が降参して諦めるのなら殺さない。だがもし食い下がるのなら…シャーロットごと殺すしかない」
「そんな、お兄ちゃん…!」
「わかってる。俺だって殺したくはない…でも手遅れになる前に、誰かがやらなきゃいけないんだ」
ルクスリアからシャーロットを分離させられればそれが一番なのだが…生憎俺にはそれを成す手段が無い。それにシャーロットも代償とはいえ望んで身体を貸しているだろうし、契約破棄をさせる事は厳しいだろう。だから最悪、シャーロット共々ルクスリアを葬るしかない。
…これから人を斬り殺すかもしれないと思うと、俺の額から冷や汗が出てくる。
俺は深呼吸をして気持ちを整え…ようとしたが、辺りには異臭が漂っているため小さく首を振って深呼吸を中止した。
「…咲薇、やっぱり逃げろ」
「なんで…!?お兄ちゃんが隠れろって」
「ああ。でも…俺が人を殺すところ、咲薇には見られたくないんだ」
「お兄ちゃん…」
「頼む咲薇…俺の我儘に従ってくれ」
「…わかった。家で待ってるからね。絶対、帰ってきてよ…!」
そう言うと、咲薇は物陰から身を出してこの闇市に繋がる道から出ていった。
「行かせない…!」
「こっちの台詞だ!!」
逃げる咲薇を逃がさんと殺意マシマシで剣を振りかぶって向かってきたルクスリアを、俺は剣をX字に構えて堰き止める。
「どうして!?何でシンはそこまであんな奴に命を掛けられるの!?」
「兄として、妹を守るのは当然だろうが!」
「でもその妹がシンを悩ませて、苦しませてるんだよ!?」
「…前世で味わった“痛み”と比べたら大した事ねぇよ…!確かに咲薇の事で悩んだりもしたし、苦しんだりは…したような気もする」
「だったら…!」
「でもな!咲薇は俺の生きる理由なんだ…咲薇の居ない世界に、俺の存在意義なんて無ぇんだよ!!」
俺はそう言って、点火飛行を発動してルクスリアを押し返して吹き飛ばした。
もちろん、永遠に守っていく訳ではない。
咲薇の“未来の幸せ”はそのパートナーに任せるとして、まだ咲薇にパートナーが居なくて、俺を必要とする間は…咲薇の“今の幸せ”は、俺が作り出してみせる。
つまり咲薇に人生を共に歩んでいくパートナーが出来た時…それは俺の役目が終わる事を意味する。
咲薇の歩む道に“兄”という存在はいないから。
「…とにかく、俺はここを退かない。どんな理由があってもだ…降参して大人しく」
「そっかぁ…意地でも退かないんだね。じゃあもういっか」
ルクスリアはそう言ってよろよろとゾンビのように立ち上がると、指をパチンと鳴らした。
途端、俺の身体から一瞬力が抜けるような感覚に襲われ、剣を纏っていた炎も、炎の翼も消えてしまい膝をついてしまった。
「なっ…!?何をした…ルクスリア!?」
「シン、忘れてなぁい?シンがその魔術を何のデメリットも無しに使える…り・ゆ・う」
「…まさか!」
「ふふっ、そうだよぉ…?拙の力があったからだよねぇ?でもわざわざ邪魔な人に、力を貸す必要は無いからねぇ…点火飛行」
俺から加護を消し去ると、ルクスリアはまるで煽るかのように俺と同じ炎の翼…点火飛行を発動した。
「何でルクスリアが俺と同じ魔術を…!?」
「ふふ…シンがバイトを辞めた時、チューしたでしょ?あれはね…“悪魔の口づけ”っていって、シンの居場所、使った魔術…記憶と心以外は何もかもわかっちゃうんだぁ…。だからこの魔術の使い方も習得済みだよ?流石にオリジナルよりは劣るけど…そのオリジナルであるシンがこれを使えなくなっちゃったからねぇ」
「マジかよ…」
しかしどうしたものか…ルクスリアの加護が消えてしまっては炎を纏う系の魔術を使う事が出来ない。一応使う事は出来なくもないが、壮絶な激痛と熱さに襲われるだろう。
「これで、拙と戦う術は無くなっちゃった。形勢逆転ってやつだね?」
「…まだだ」
「え…?ま、まさか!ダメっ!!」
「…い、点火飛行ッッッ!!」
俺はそう叫んで炎の翼を展開した。
ルクスリアの加護が無い状態で展開は過去に一度だけあったが、ルィリア曰く魔術の力は魔力量に比例している。そしてその魔力量は成長と共に徐々に増えていくものらしく、あれからそろそろ2年近く経っている。
前よりも炎の翼の火力は増している為、前回とは比にならないくらい熱かった。
「ぁあああああああああ!!!!」
背中全体を根性焼きしているような熱さと痛みに耐え切れず、俺は叫び散らかした。そんな中でも、更に俺はまるで自分を追い込むように2本の黒い剣に炎を纏わせる。そして超高温の炎の熱が剣を伝って持ち手の方にも熱が加わり、熱々に熱された中華鍋の持ち手を直で持っているような感覚に襲われる。
「シンもうやめてよ!!拙と違って、悪魔じゃないんだから…!」
「辞めっ、ねぇ…!!うぅっ…言っただろ… 俺はここを、退かないッ…どんな理由があってもだ!」
「そんな…死んじゃうよ…!!拙はシンを殺したい訳じゃないの!!シンがそこを退けば良いだけなの!!」
「だから…退かないって言ってんだろうがぁぁぁあ!!!!」
俺は炎の翼で飛翔し、ルクスリアに向かって炎を纏った2本の剣を振りかぶる。
「…水流!!」
ルクスリアは手を翳して水属性魔術を発動して、俺の身に纏っている炎を消化しようと試みる…が、普通なら火は水によって消化されて消える筈が、俺の炎は寧ろ熱によって水を沸騰させ、やがて気化させた。
「なっ…どうして!?拙の時は消えたのに…!?」
「俺の炎はな…!水如きじゃ、消えねぇんだよぉッッ!!!!」
俺はそう叫んで、ルクスリアに向けて炎の剣を振り下ろした。とはいえ刀身を当てた訳ではなく刀身に纏った炎を飛ばした為、シャーロットの身体には切り傷ではなく、痕が残るであろう火傷がつくだろう。
ルクスリアは攻撃を防ごうと水属性のシールドを形成して守ろうと試みるが、呆気なく蒸発し、そのまま攻撃を食らった。
「ぐぁあっ…身体に、火傷が」
「…やっぱり、熱は…感じねぇ…か」
俺は地面に足をつけると魔力が限界を迎えてしまったのか、それとも俺の身体が思いに反して根を上げたのか、纏っていた炎が消失してしまった。
攻撃を食らったとはいえ、ルクスリアは自身の加護がある為、いくら俺の炎が水に消えない程強いものだとしても、熱さは感じないようだった。
そりゃそうか…だって、俺にルクスリアの加護がある時も炎の翼を何度か使ったが、熱は感じなかった訳だし。
「はぁ…はぁ…でも、これで決着は着いたね」
俺の炎の剣は消失し、ルクスリアの炎の翼は未だ発動している。更に俺自身も力が入らず膝をついてしまっている。
それによって勝ちを確信したルクスリアはニヤリと笑うと、剣を逆手に持って徐々に俺の元へ歩き出した。
「くそ…まだだッ…!イグナイテッド…!」
俺はそう言って、身体が限界だと言っているのを無視して立ち上がり、もう一度炎の翼を展開しようとする。
「ぐっ!?なっ…何っ…!?ひ、膝がっ…」
「…あ?」
突然ルクスリアが膝を押さえて苦しみ始めた。
何故いきなり膝が…もしかして、シャーロットの身体には膝に何かしらの病気が?いや、だとしたらもっと前から症状が出ているだろう。
するとシャーロットの何ともなさそうな膝から突然、擦り傷のような傷痕が浮き出てきた。
「あぁぁぁぁぁぁあ!!!あの女…何か仕組んでいたの…!?ぐっ…仕方ない…!」
すると、シャーロットの身体からピンク色のモヤのような物が出ていくのが見え、残された身体は力が抜けたように倒れていった。
まさかあれが今のルクスリアの本体だというのだろうか…という事は。
「シャーロットッ!!」
俺はルクスリアから解放されたシャーロットを、倒れる寸前で抱きかかえた。すると、シャーロットの膝の擦り傷を中心に身体が腐敗していった。
そんな最悪のタイミングで、シャーロットは目を覚ました。
「あ…あれ…私は」
「シャーロット…クソッ、望んだ結果にはなったのに…!」
ルクスリアからシャーロットを分離する。それが理想であったが手段が無い…にも関わらず、その理想の結果を齎したというのに。
…クソッ、何でこうも上手くいかないんだよ…!
「ああ…シン様…申し訳ありません…悪魔の囁きに…負けてしまいました」
「良いんだ…謝らないでくれ」
「私は…死ぬのですね…最期を貴方に看取ってもらえるのは…嬉しい」
ただひたすら、今にも光を失ってしまいそうな弱々しい目で俺を見つめるシャーロットの身体は、腐敗が進んで胸元まで侵食されていた。
「シャーロット…やっと再会できたのに…」
「…申し訳ありません…こんな再会に…なって、しまって…」
「だから謝るな…!寧ろ謝るのは…俺の方だ…!」
「…」
「…シャーロット?」
シャーロットの身体の腐敗はもう既に全身を侵食し終え、シャーロットは俺に謝りながら息を引き取った。
「…まだ、謝れていない…さよならも言えてない…ありがとうも言えてない…まだ…伝えたい事沢山あったのに…うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!!!!!」
俺は夜道で屍を抱き抱えながら、一人泣き叫んだ。