第31話 わたしにできるなにか
あの夜から数ヶ月。
殆どが灰になってしまっていた繁華街も徐々に復興していき、賑やかさを取り戻していった。
あの夜を境にルィリアさんに対する人々の評価は変わってきていた。
世間から理不尽に悪い評価をされているとはいえ、怪我人達を避難させて治療を施したというルィリアさんの“優しさ”に触れ、人々は自身達が理不尽な評価をしていたと気付き始め、今となってはそれなりに良い目で見られるようになり、ルィリアさんは怯える事無く外に出歩けるようになったのだ。
「…同じ景色の筈なのに、なんだか前と比べて明るくなったような気がするな」
「うん…私もそんな気がする」
私達は部屋の窓から繁華街を俯瞰しながらそんな会話をする。
あれからお兄ちゃんは居なくなったシャーロットさんの代わりとして家事を担当し、ルィリアさんは外に出向いて怪我人や病人を無償で治療し…と、戦いとは無縁の日々を送っていた。
しかしこうして平凡な生活を送る中で、私は度々思う事があるのだ。
私はお兄ちゃんのように料理も作ったりも、掃除も…まぁ部屋の片付けとかはやったりするがそれは家事とは言えないし、ルィリアさんのように誰かを助けられる力も無い。
…私の存在意義って、何?
◇
「お兄ちゃん!」
私は、キッチンで皿を洗っているお兄ちゃんに突然声を掛ける。
「…なんだ咲薇?」
「私に何か手伝える事は無いの?!」
「急にどうしたんだよ?」
「いいから何か手伝わせて!」
「良いよ咲薇。俺がやるからゆっくりしてて」
お兄ちゃんは私を思ってなのか、優しくそう言った。
私を思う優しさは嬉しいし、お兄ちゃんからすれば単なる善意なのだろうけど、それは時に厄介である。
…そうだ、良い事思いついた!
「わかった…」
私は露骨にテンションを下げて言うと、そのまま部屋に戻る…フリをして、風呂場に向かった。
“こっそりお風呂を掃除して、お兄ちゃんを驚かせよう!”
そう思い、私は風呂場を洗うブラシを手に取ると、それに洗剤を付けてゴシゴシと風呂場の床を擦り始めた。
段々と泡立ってきて、次に浴槽の中を掃除しようと立ち上がったその瞬間。
「ちょっ!?いっっった!!!!」
私は洗剤で泡立っている床で足を滑らせてその場に転んで壁に頭を思いきりぶつけてしまった。
直後、風呂場の外からドタバタと急いで向かってくる足音が聞こえて、扉が開かれる。
「…咲薇!?風呂で何してんだ?!」
「うう…ごめんなさいぃ…」
私は頭にたんこぶが出来ている部分を押さえながら駆けつけたお兄ちゃんに謝った。
作戦失敗である。
〜
お兄ちゃんが皿洗いを即座に終え、私が途中までしていた風呂掃除を変わっている最中、私は次なる行動に出た。
“頑張ってるお兄ちゃんに私の料理を振る舞おう!”
過去に一度料理をお兄ちゃんに作った事はあるが、その時は目が見えなかった事もあって失敗してしまった。お兄ちゃん曰く、見た目は美味しそうだったらしいけど。
しかし今回は目が見える。であれば、失敗なんて当然する訳がないのである!
まず手始めに私の身長よりある大きな冷蔵庫をやっとの思いで開けて中身を確認する。
「な、なにこれ…」
私は不思議なものを見るような目で冷蔵庫の中を見回した。
別にゲテモノしか入っていなかった訳ではないが、見たことのない食材ばかりで軽く絶望してしまった。
「お兄ちゃん、こんなよくわかんない食べ物使ってカレー作ったんだ…凄いなぁ。私も頑張らないと!」
因みに作る料理は決まっており、私はその料理に必要な材料を取り出す。
まずは赤身の多い肉、以上!
察しの通り、焼いた肉である。手抜きという訳ではなく、敢えて焼いた肉を選んだのにもちゃんとした理由があるのである。
まず、目が見えない時も焼肉をお兄ちゃんに作ったのだが、失敗したという事でそのリベンジ。
そして、お肉はスタミナが付く!つまりお兄ちゃんにはうってつけである!
最後に、焼けば良いだけなので簡単!!
「よぉし、レッツクッキング!」
私は一人でそう言うと、棚からフライパンを取り出し、火をつけて熱する。ある程度フライパンが温まったら、肉を上に乗せて焼く!…以上!
なんて簡単なのだろうか。こんなの目が見えなくても作れてしまうではないか。
…あれ、じゃあ何で前回は失敗したんだろうか…?
「えっと、確かある程度焼けたらひっくり返して両面をしっかり焼くんだよね…」
念のため声に出して確認すると、私は棚からトングを取り出して肉をひっくり返そうとする…が、何故か肉がフライパンにくっついて取れない。
…はっ!そうだ、油やるの忘れてた!
とんだ凡ミスである。料理をするにおいて油は一番大事と言っても過言ではない。完全に頭の中に無かった。
「ふんにゅぅうううっ!」
私は唸り声を上げながら、力づくで肉をフライパンから剥がそうと試みるが、トングで肉を掴んでいるため全然力が入らない。
かといって手で掴むと当然ながら火傷する。
どうしよう、このままじゃお兄ちゃんにまた迷惑を掛けてしまう!
…私は閃いた。くっついて取れないのなら、切ってしまえば良いのだと。
早速私は棚から包丁を取り出して、フライパンにくっついた肉を慎重に切っていく。
「このまま…!このまま行けば」
直後、包丁を握る私の手の親指が、フライパンの熱々になっている金属部分に触れた。
「あっつぅうううううう!?」
私は熱さのあまり声を上げてしまい、そのまま手から包丁が離れ、飛んでいってしまった。
そして飛んでいった先の扉が勢いよく開かれる。
「どうした咲薇っ…うぉおっ!?」
「お兄ちゃん危なっ…ぎゃぁあっ!!」
私はお兄ちゃんの方へ飛んでいく包丁を追いかけるようにその場から駆け出すと、何故かフライパンが足下に落ちてきて火傷しながら転んでしまった。
直後、包丁が刺さる音が耳に入った。
「え…?嘘でしょ…?」
私は足に感じていた熱さと痛みを忘れてしまう程、頭が真っ白になってしまう。
…もしかして、包丁がお兄ちゃんに刺さって…いや、考えたくない…!
私は立ち上がってお兄ちゃんの方へと駆け出すと、そこには。
「あぁぁ危ねぇえ…!」
…壁に突き刺さっている包丁と、それを間一髪で避けたものの、頬に切り傷が出来ているお兄ちゃんがいた。
私は、ため息を吐いて胸を撫で下ろした…いや、そうじゃない。
こうなってしまったのは、私のせいだ。
「あ、あぁ…お兄ちゃん…」
「…咲薇、大丈夫か!?」
「…え?」
私はお兄ちゃんの第一声に、耳を疑った。
…この状況、全部私のせいでこうなってるのにも関わらず、お兄ちゃんはどうして私を心配しているのだろうか?死にかけたのは、お兄ちゃんの方なのに。
私が言うのもアレだけど、その時はなんとなくお兄ちゃんの“狂気さ”を感じざるを得なかった。
「あぁ、足を火傷してるじゃないか…早く手当を」
「お兄ちゃん…おかしいよ」
「え?」
「どう考えたっておかしいよ!!こんな事になったのは私のせいなんだよ!?なのに私を怒るどころか、何で私を心配するの!?明らかに死ぬかもしれなかったのは、お兄ちゃんの方でしょ!?」
私はお兄ちゃんの“狂気さ”に恐怖を覚えてしまい、思わず強く言ってしまった。
だっていくら妹を守るのが兄の役目だとしても、これは流石におかしいって思うのは普通でしょ!?
「…確かにそうかもしれないが、結果的に俺は生きてるし、咲薇は俺の為に色々してくれようとしてたんだろ?だったら、文句は言えないよ」
「言えるよ!!寧ろ文句だらけでしょ!?何をしてもお兄ちゃんの迷惑しか掛けてなくて、剰え今度はお兄ちゃんを殺してたかもしれないんだよ…!?」
「…俺を、殺してた?」
お兄ちゃんは突然、妹である私ですら聞いた事のない程に低い声でそう言い、私は思わず背筋がゾッとして、鳥肌が立った。
…もしかしたら今、私は言ってはいけない事を言ってしまったのかもしれない。
「お、お兄ちゃん…?」
「俺が…死にかけた…?俺を殺しかけた…?俺が殺した…?俺を殺…?俺殺…殺、コロ」
「だ、大丈夫…!?」
「俺が俺ガ俺か“俺ガ俺ga俺害俺蛾俺ガ俺ga俺か俺が…死死死…ヌ?」
突然狂ったように、まるでバグでも起きてしまったかのようにお兄ちゃんは一人でブツブツと“俺”、“殺”、“死”に関係する事を呟き続ける。
私はそんなお兄ちゃんが別人のような気がして、怖くなってその場から逃げ出して、玄関まで走り出した。
「ただいまー、ふう、疲れました…」
「ルィリアさん!!助けてください!!」
ちょうど良いタイミングで帰ってきたルィリアさんに、私は無意識に大粒の涙を流しながら、まるで縋って助けを求めるように抱きついた。
「ど、どうしたんですかサクラさん!?」
「お兄ちゃんが…お兄ちゃんがぁっ!!」
「シン君がどうかしたんですか…!?」
私はもはや口にする事すら恐ろしく思えて、そこから先は答える事が出来ずにただ小刻みに頷く事しかできなかった。
しかしそれだけで察したのか、ルィリアさんはリビングへと駆け出していった。
「ぁああああああああああ!!!!!」
「シン君落ち着いてください!何があったんですか!?」
「あぁぁあっ…ごめんなさいごめんなさいごめんなさいぃいっ…!!もう…咲薇に酷い事言わないからっ…!!許して…!!許してくださいぃいい!!!!!」
「どうしちゃったんですかシン君!?君がサクラさんに酷い事言う訳ないでしょう!?」
リビングの方向から、ルィリアさんの戸惑いと焦りが入り混じったような声と、お兄ちゃんの聞いた事のない狂ったような…でも何処か苦しそうな声だけが聞こえてくる。
私は、その場に尻餅をついて崩れてしまう。
「どうしちゃったの…お兄ちゃん…」
私は一人玄関に取り残されたまま、そう呟いた。
「仕方ありません…強制睡眠!」
お兄ちゃんの悲痛な叫び声の中、ルィリアさんは魔術の名を叫ぶと、徐々にお兄ちゃんの声が小さくなっていって、やがて静寂が訪れた。
私は立ち上がって恐る恐るリビングへ向かうと、そこには目を瞑ったお兄ちゃんを抱えるルィリアさんの姿があった。
「お兄ちゃんは…?まさか、死んじゃったの…?」
「そんな訳無いじゃないですか。強制的に眠らせただけですよ」
「よかった…」
私は胸を撫で下ろした。
「いや良くないですよ。こんなシン君、初めて見ました…何があったんですか?」
「それが…私にもよくわからないの。お兄ちゃんにとっての禁句を言っちゃったのかもしれない」
「禁句ですか…とりあえず、シン君を部屋まで運びましょう」
「…はい」
私は頷くと、お兄ちゃんを抱き抱えるルィリアさんに付き添うように部屋へと移動した。…ここでも私、何もできないのか。
部屋に入り、ルィリアさんはお兄ちゃんをベッドに寝かせるとそのまま私を連れて部屋を出てリビングに戻っていった。
「うわ、何ですかこれ…さっきはシン君に気を取られてて気付きませんでしたが、包丁が壁に…!?ああっ!火を付けて肉を焼いたままじゃないですか…って、しかもくっついてる!?」
ルィリアさんはリビングの惨状を目に入れると、急いでそれらの修復に取り掛かった。
包丁を引っこ抜き、火を消してフライパンからくっついてしまった肉を切除して、フライパンは使い物にならないと言って捨てた。
「そ、その…ごめんなさい」
「サクラさんがやったんですね…はぁ、どうしてこんな事を?」
「…お兄ちゃんは家事をやってるし、ルィリアさんも外に出かける機会が増えて… なのに私は、この家に来てから何もしてないなって思って…それで」
「なるほど…それでシン君は痺れを切らして遂に怒ったと言う訳ですか」
「いや違うの。ここまでお兄ちゃんに迷惑掛けたのに全然怒らないから、いくらなんでもおかしいって言ったら…あんな狂ったように」
「うーん…わかりませんね。“君はおかしい”がシン君にとって禁句なのだとしたら納得いきますが…それでも相手はサクラさんですよ?サクラさんでも許せない事だったのか、それとも…」
ルィリアさんは途中まで言って、横に首を振って無かった事にしようとした。
「…ルィリアさん、続きを言ってよ!」
「良いんですか?」
「…うん」
「…わかりました。シン君が禁句を言われてあそこまで狂ってしまった理由は、サクラさんですら許せない事だったのか、あるいは…サクラさんが原因なのかもしれません」
「…私が、原因?」