第29話 でいぶれいく
私にはママの不倫相手の…王家の血が流れている。その特徴として、髪の色があまり見ない特殊な色をしている。
その上お兄ちゃんとは顔も似てないし、瞳の色も違う。だからあの八百屋の獣人は私達を兄妹ではなく、カップルだと思ったのだろう。
お兄ちゃんの彼女だと間違えられた時は嬉しかった反面、どこかモヤモヤした。
〜
「ところでサクラさん」
私は自分の部屋でお兄ちゃんの料理の完成を待っていると、ベッドでずっと寝転がっているルィリアさんに声をかけられる。
「なんですか?」
「目の具合はどうですか?どこか違和感とかはありますか?」
「今のところは何ともないよ」
「そうですか。何か異変を感じたらすぐに言ってください」
「うん、わかった…ずっと気になってたんですけど、ルィリアさんってどうしてずっと敬語なの?」
私はルィリアさんに対して、ずっと…という程ではないにしろ疑問に思っていたことを告げた。
最初は他人同士だから敬語を使っているのかと思っていたが、今の私達は戸籍上ルィリアさんの養子…家族といっても過言ではない。
…まぁ、養子になってからまだそんなに経ってないというのもあるかもしれないけれど。それに私自身もルィリアさんと喋る時に敬語とタメ口が入り混じってしまっているが。
「私の家庭はとても厳しくて、“親しき仲にも礼儀あり”という教訓のもと、敬語で喋らないと叱られていました。だからタメ口で喋る事に慣れていなくて」
「そうだったんですか…」
「…やっぱり、私の過去の話をすると暗くなってしまいますね」
「うん…私達、あまり過去の話をしない方がいいのかも」
「過去ではなく今を見ろ、という事なんでしょう、きっと!」
ルィリアさんがベッドから起き上がりながら、ガッツポーズをしてそう言った。
“過去ではなく今を見ろ”、かぁ。
うまくポジティブに捉えたルィリアさんらしい言葉だけど、今の私達にはぴったりな言葉でもある。
そうだよね。ずっと過去に囚われてちゃ、未来どころか現在ですら歩き進めないよね。
「二人とも、ご飯出来たから1階に…って、ルィリアはなんでガッツポーズしてて、咲薇はニヤニヤ笑ってるんだ?」
ガチャという扉の音と共に、料理を作り終えたのかお兄ちゃんが部屋に入ってきて、私とルィリアさんにそれぞれ言った。
「ふふ、内緒です!」
「内緒だよ、お兄ちゃん」
「そ、そうか…まぁとりあえず昼飯出来たから」
お兄ちゃんは戸惑いながらもそう言って、部屋を出ていった。
「昼というより、もはや夕飯の時間ですが」
「誰のせいだと思ってんだこの野郎」
ルィリアさんの発言に、お兄ちゃんはわざわざ戻ってきて扉から明らかに機嫌の悪そうな顔だけ覗かせて言い返した。
「私のせいですか?」
「他に誰がいるんだよ!?」
「えぇ…?こればかりは誰も悪くないじゃないですか…?」
「…まぁ、言われてみれば」
「別にどっちでも良いから早くお兄ちゃんの手料理食べたい!」
「おう、冷めちゃうから早く来いよ」
そう言うとお兄ちゃんは覗かせた顔を引っ込めて扉を閉めた。
喧嘩になりそうだったのでなんとか止めようとした結果、とりあえず喧嘩勃発を防げて私はため息を吐いた。
「…じゃあ、行きましょうルィリアさん」
「そうですね。サクラさんの大好物、どんな味か気になります!」
そう言って、私とルィリアさんはお兄ちゃんの手料理が食べられる事にワクワクしながら部屋を出て、階段を降りていった。
リビングに来ると、大きなテーブルにお兄ちゃんが作ったであろう料理が並べられている…が、割と時間が掛かっていたのに加えて昨日の料理がフルコースだった事や、そもそもテーブルが大きい事もあって、どうしても見劣りするというか少なく見えてしまうというか。
…というか、この料理はまさか。
「…言いたい事はわかるが、こんな大きなテーブルに見合った料理と量を出して、結局殆ど残されて無駄になるよりかはマシだと思ってな」
お兄ちゃんは私達の気持ちを察したのか、言い訳のような事を話した。
「見た事無い料理なんですが…これはどんな料理ですか…?」
「これは俺達がいた世界の料理でな、カレーっつうんだ」
「カレー…?辛いんですか?」
「めっちゃ辛いって訳じゃないが、それなりの量のスパイスを使ってるからな…割と辛口かもしれない」
「カレーなんて…この異世界でどうやって作ったの!?」
「全く同じ材料は無いから、キッチンにあった色んなスパイスを組み合わせてそれっぽくしてみたんだ」
だから割と時間掛かってたんだ…というかこの異世界で全く同じものではないとはいえ試行錯誤してカレーっぽいものを作っちゃうなんて。
「お兄ちゃん…天才!?」
「へへ、ありがとうな」
「シン君が天才…!?私の方が天才なんですからねっ!はむっ…」
謎の対抗心を燃やしながら、ルィリアさんは恐らく初めてであろうカレーを掬って口に運んだ。
「その謎の対抗心は何なんだ…」
「えっ…凄く美味しいです!辛いと聞いてたんですが、そこまで辛い訳ではなく、意外と野菜の甘みとかあって食べやすいです!」
「本当!?どれどれ…あむっ…もぐもぐ…美味しい!やっぱりお兄ちゃんは天才だよ!」
「ですよね!こればかりは流石の私も完敗ですね!」
「お、おい…そんなベタ褒めすんなよ…」
お兄ちゃんは照れているのか顔を赤くして、ニヤニヤと笑いながら自身の頭を掻く。今のお兄ちゃんの顔すっごく可愛い。
「ど、どうやって作ったんですか!?」
「あぁ。スパイスを一つ一つ味見して厳選したものを混ぜた後、予め切って炒めておいた野菜と肉と一緒に煮込んだんだ。何度も味見してはいろんな調味料を加えて味を整えてこの味にしたんだ…お陰で舌がぶっ壊れたが」
「舌が壊れたって…相当頑張ったんだね、お兄ちゃん」
「天才というより、努力家ですねこれは」
「…まぁ、過程がどうであれ最終的には美味しいもんが作れたから、結果オーライだな」
お兄ちゃんが舌を壊してまで作った努力の結晶であるカレー…通称“異世界カレー”を私達はお兄ちゃんに感謝しながら、一口一口を味わってすぐに食べ終えた。
ちゃんと味わって食べていたはずなのにすぐに無くなってしまったのは恐らく、前世と違って米が無かった(その分大雑把に切られた野菜がたっぷり入っていた)のと、普通に美味しかったからだと思われます。
「ご馳走様でした!ふう、文字通りご馳走と言って差し支えがない程美味しかったですね!毎日作って欲しいくらいです!」
「勘弁してくれ…もう舌を壊したくねぇ。結局このカレーの味わからなかったし」
「安心してお兄ちゃん、とーっても美味しかったから!」
「…そっか、咲薇がそう言うんなら良いんだ」
お兄ちゃんは満足げに微笑んだ。
〜
お兄ちゃんが作った夕食を平らげてお腹を少し休ませた後、私とルィリアさんはお風呂に入浴して疲れを取っていた。
「はぁ」
「ん、どうしたんですかサクラさん?」
風呂場に私のため息が響き渡り、身体を洗って泡を纏っているルィリアさんが私を心配する。
「いやー…なんかさ、意外と目が見えるようになってもそんなに変わらないなーって」
確かに、盲目だった人の目が見えるようになるというのはとても凄い事で、私自身、ずっと暗闇の中に声や音が聞こえてくるだけだったのが、目が見えるようになった時はとても嬉しかったし感動した。
しかし慣れてくると、最初こそ感じていた“それが当たり前であることの嬉しさ”も無くなって、感動も薄れていった。
「私は目が見えなくなった事が無いので共感できませんが、そういうもんなんですか?」
「うん、“アタリマエ”に対しての感謝が薄れてくっていうか…でもね、一つだけ怖かった事があるの」
「それは?」
「…目が見えるようになったら、もうお兄ちゃんは私の手を握ってくれないかもって」
今までお兄ちゃんが私の手を握ってくれたのは、ずっと側に居てくれたのは、目が見えなくて一人だと危ないからである。
確かに目が見えない状態で例えお兄ちゃんの手を握っていたとしても不安だったが、お兄ちゃんを信頼しているからこその安心感もあった。
何より、お兄ちゃんが私の事を考えてくれているのが嬉しかったのだ。
でも、もし私が目が見えるようになって“咲薇はもう目が見えるんだろ?だったら俺の手なんか無くとも一人で歩けるよな”とか言って私の手を握ってくれなくなったらどうしようと何度も不安になった。
「まぁ、シン君に限ってそれは無いと思います。例え咲薇さんとシン君の状態が逆だったとしても」
「うん…だから、馬車を降りた時、お兄ちゃんが手を差し伸べてくれたのはすっごく嬉しかったの」
「そうだったんですか。なんていうか、君達兄妹の絆には本当、尊敬というか羨ましいといいますか」
「それは、私がお兄ちゃんの事が大好きで、お兄ちゃんは私を守ってくれる…それだけだよ」
「それが実は当たり前では無いんですよ?」
「そうなの?」
「そうですよ?他の兄なんて、妹の“い”の字も気にしてませんし、酷い兄だとストレス製造機や発散機としか思ってないくらいですからね」
「ルィリアさんの知ってる“兄”、いくらなんでも酷すぎない!?」
「流石に少し話を盛りましたが、どちらにせよ君達ほどの兄妹は見たことありませんよ」
ルィリアさんは微笑みながら言うと、身体についた泡をシャワーの水で洗い流す。
“当たり前”への感謝が薄れていっている、とは言ったけど、私が感謝すべき“当たり前”は目が見える事よりも、お兄ちゃんが私を思ってくれる事なんだ。
…いや、何か私がお兄ちゃんに思われるのを当たり前に思ってて全然感謝してないみたいな言い方しちゃったけど、もちろんそんな訳は無い。と言いたいところだけど、そもそも“妹が兄を想い兄が妹を想う”事自体が兄妹にとっめ当たり前だと思っていたから、強ち似たようなものなのかもしれない。
「でも、だったら絆なんて言葉で私達を表さないでほしいかな」
「ん、じゃあなんて表せば…」
「…“愛”、かな!私お兄ちゃんのお嫁さんになりたいし!」
「はは、そうですか…」
ルィリアさんは引き攣ったような顔で苦笑いをする。
「何その顔!私一応本気なんだけど!?」
「本気なら尚更…と言いたいところですが、確かにシン君の性格なら納得出来ちゃいますね」
「うん…私の自慢のお兄ちゃんだよ」
「それを胸張って言えるサクラさんが羨ましいです」
〜
「お兄ちゃーん!出たよー!」
私はお風呂から出ると、部屋で待機しているであろうお兄ちゃんに向けて、階段の下からそう告げた…が、反応が無い。
お兄ちゃんなら必ず何かしら返答が来るはずなのだが。
もしかして寝てるのかな…私はそう思い、階段を登ってお兄ちゃんがいるであろう部屋に向かった。
「お兄ちゃんお風呂だよ、眠たいのもわかるけど起きて…」
扉を開けてベッドで寝てるであろうお兄ちゃんに向けてそう言ってベッドまで来ると、そこには勢いよく飛び出したかのように乱雑した掛け布団しか無かった。
ふと、嫌な予感を胸に秘めた私の横を風が吹き抜けていった。
そして曇りガラスになっている窓が開かれている事に気付いて、私の中の嫌な予感が更に煽られ、急いで窓の外の景色を身を乗り出して見渡す。
「…なに、あれ」
私の目には、昼頃に行った繁華街が火の海になっていて、そこから人々が逃げていく光景が広がっていた。
…という事は、まさか。
「シン君サクラさん大変です!繁華街が…シン君は?!」
直後、扉を勢いよく開けてルィリアさんが私に告げた。
私は振り返って、ルィリアさんに助けを求めるように見つめた。
「…まさか」
「お兄ちゃんが…お兄ちゃんがぁっ…!」
お兄ちゃんが飛び出していった事を察したルィリアさんは、まるで絶望したかのような表情で私を見つめ返した。
私は嫌な予感が不安に変わり、ルィリアさんに駆け寄って縋るようにしがみついた。
「とにかく私達も行きましょう…!そしてシン君を連れ戻します!」
「…うん!」
私は頷くと、ルィリアさんと共に部屋を出て階段を降りて、何も持たずに家を飛び出した。
しかし、私とルィリアさんは家の外の光景に半ば絶望した。
「助けてくれ!」
「ルィリア!貴女の魔術で私の子供の怪我を治して!!」
「中に入れてくれー!」
「怪我人がいるんだ!早く治療を!」
「…そんな」
ルィリアさんは呟く。
無理もない。家の塀の外に、まるで私達の道を塞ぐように…邪魔するように人集りが出来ているのだから。
その半数が傷を負って血を流しているのも相まって、まるでゾンビのように群がってルィリアさんに助けを求めている。
…なんて都合の良い人達だろうか。普段はルィリアさんを嫌な目で見ているくせに、こういう時は助けを求めるなんて。
「こんな時に…!このままじゃお兄ちゃんを連れ戻せない!」
「…」
「ルィリアさん…?」
「…あの人達を中に入れましょう」
「え?!でもあの人達はルィリアさんを…」
「いいんです!それに…ここで助けなかったら、更に悪い目で見られます…だから、助けましょう」
一瞬だけ、歯軋りのような音が聞こえた。
ルィリアさんの表情はとても苦しそうで、今の判断は苦渋の決断なのだろう。
例えるなら、普段から酷いいじめを受けてきたいじめられっ子が、そのいじめっ子に手を差し伸べるようなものだ。
英断と捉えるべきなのだろうが、結局あの人達に良いように利用されているだけに思えて、とても…もどかしい。
「今開けますから、怪我人を優先してください!」
そう言うと、ルィリアさんは急いで門に駆け寄って開ける。
すると、まるで侵食していく泥のように怪我人達がルィリアさんの敷地内へずかずかと入ってくる。
そしてルィリアさんは私の目を治したあの魔術…確かクーア・アスクレピオスだっけ、それを怪我をしている人に向けて発動していく。
私はそんな光景を何かする訳でもなく、ただ見つめていた。
なんでこんな人たちに時間を費やさなければいけないのだろうか…もしかしたらこの間にもお兄ちゃんは。
「…そうだ、お兄ちゃん!」
「ちょ、サクラさん!?」
私はその場から走り出して、邪魔な人達を避けて門の外へと出ていってお兄ちゃんがいるであろう繁華街へ一人で向かっていった。
ルィリアさんの家へと避難していく人達とは逆方向に走っていく私を、人々は不思議なものを見るような目で見つめてきた。
…止めようと声を掛けてくる人は、誰一人として居なかった。まぁ止まる気など無いけど。
「お兄ちゃん…お兄ちゃん!!」
私は“お兄ちゃん”しか喋れなくなったロボットのようにそう呟いて、火の海と化す繁華街へとひたすら炎を横切って走っていった。