幕17 雷の洗礼
代わりに、すぐさま、身を翻した。
ルビエラを腕の中で守るためだ。
果たして、彼女は。
起き上がっていた。
おっとりとした面立ちが、オズヴァルトを見上げている。
ただし、大きなその緑の目に輝きはなく、気配も存在の在り方も―――――人形のようで。
そのくせ、無表情に見えるかわいらしい顔には、怯えがにじんでいた。
痛ましいこと、この上ない。
果たして、こんな目に遭うだけの、何をこの子がしたというのだろうか。
「申し訳ないが、時間がない―――――ルビエラ王女」
できるだけ優しく声をかけながら、身を固くするだけが唯一の抵抗である子供に、手を伸ばす。
「少しだけ我慢を」
本当ならば、無理やり抱き寄せるような真似などしたくないが、仕方がない。
両手で抱き上げ、胸の内に抱え込む。
頭上に広がる、晴れ渡った青空、そこにいくつもの光点が輝いたのを視界の端に収めながら、裂けたような口に笑いを浮かべる魔神を、オズヴァルトは冷めた目で振り返った。
「必ず、御身をお守りする」
観客の中の幾人かが、何かに気付いたように空を指さす。直後。
「あはははははっ、天からの雷なんて、まるで神の裁きだなあ!!」
耳障りな声で魔族が嘲笑った。同時に。
――――――ドンッ、ドンッ、ドンッ、―――――
一発一発が、腹の底に響く轟音と共に、大地が揺れる。
数多の雷が、闘技場に落ちたのだ。同時に。隕石のごとく。
耳を聾する轟音と、大地を乱打する雷の雨。
この世の終わりのような光景…それはしばらく続いた。
魔神が姿を現わした時以上に、死を覚悟した観客たちは―――――。
耳がばかになったような感覚の中。
焦げ臭いにおいが立ち込める状況に、それでもどうにか目を開く。
彼等は、目の前に立ちはだかる、繊細な青い紋様が強く明滅するのを見た。結界だ。
このような状況の中でも、ゼルキアン大公の結界は、正確に機能し、彼等を守っていた。
…では。
―――――本人は?
腰を抜かすより、観客たちは思わず前のめりになった。
結界越しに見えた、闘技場内では。
「嘘だろぉっ!?」
魔神のそばにいたカラスが静寂の中、良く響く声で絶叫した。
「なんで無事なんだよ、あんなの、魔族でも死ぬぞ! しかも」
カラスは虹色の目で、忙しなく周囲を見渡す。
「観客全員、無事だって…そんな…あんたほんとに人間か!」
「騒がしいカラスだ」
焦げ臭い空気の中、それを打ち払うように、体温の低そうな声が、冷たく闘技場内の空気を震わせた。
いつから抱いていたのか、片腕に幼子を抱えたオズヴァルトが、魔神に向かって一歩踏み出す姿に、誰もが心から安堵する。同時に。
「待て、待て待て待てよ」
カラスが喚いた。
「人間は魔神にはかなわない。それが、世界の理だ」
「そうかね」
「どうだ、ここらで譲歩しないか?」
オズヴァルトは億劫そうに、魔神を見上げる。
「大技で魔力を使い果たしたか? …随分、弱っているようだが」
「いや、ねえ、俺の言うこと聞いてる?」
魔力の鎖で足を捕えられているカラスが動ける範囲でぐるぐるしながら言うのを聞き流し、オズヴァルトは魔神を探るように見上げ、目を細めた。
先ほどよりおとなしいが、弱っている、と言っても。
(先ほどより魔力が減ったか? ああ、魔術を使うのに、消費されたのか。それが、…次第に補充されている)
「なるほど」
オズヴァルトは確信した。今が、攻め時だ。
片腕に座らせるように抱き上げた少女に、
「しっかり掴まっていなさい」
囁くなり、足元を蹴る。
駆け出した。魔神目がけて。リオネルは舌打ち。
「くそ、やっぱり、聞いてないだろっ! ―――――おい!」
リオネルは、やけっぱちの勢いで、魔神に言った。
「もう潰せ、魔女なんか知ったことか!」
直後、魔神の太く大きな拳が、隕石の勢いで、闘技場の床に叩き付けられた。当然、狙いはオズヴァルトだ。
図体のわりに、拳の勢いは速かった。
ずんっ、闘技場が揺れる。
それが、子供が虫でも捕まえるような無差別な動きで、―――――殴る、殴る、殴る。その殴打すべてを。
オズヴァルトは後ろに残し、加速、加速、加速。
地下など完全に崩壊しただろう。
床が瓦礫と化した影響か、おそらく、最初より闘技場の高さは低くなっている。
近寄ることもできそうにない、気が狂ったような攻撃の中、しかしオズヴァルトは着実に距離を詰めた。
攻撃が、魔術でなく物理になった今こそ、追い詰めるチャンスだ。
つまり今、魔神は魔術が使えない。
どうせすぐ、魔力は回復する。だがもし。
―――――回復する前に、叩きのめしてしまえば?
リオネルは叫んだ。
「いい加減、諦めろよ! 人間は、決して魔神に勝てない、それが理だ!!」
オズヴァルトの口元が、知らず、笑みを描く。
その時には、彼の足が魔人の身体にかかっていた。
勢いもそのままに動けば、たった数歩で飛ぶように、オズヴァルトの足は、魔神の頭頂部を蹴っている。
そのすぐ近くに、カラスはいた。固まるリオネル。
彼に向かって、オズヴァルトは低く告げた。
「不可能か。ならばなおさら」
オズヴァルトは強く拳を握り締める。
「…試したくなるではないか」
引力に引かれるがまま、無防備な魔神の頭に落下しながら、自由な方の腕を後ろへ引いた。
魔術もいい。剣もいい。だが、結局。
すました顔で、オズヴァルトは思った。
(やはり、これだな)
―――――拳。
これが、一番だ。
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