幕15 酷い傷跡
× × ×
最初の拳を叩き込んだ時だった。
魔神の、無事だった方の腕から、何かが落ちた。トランクだ。
それは、ぼこぼこになった闘技場の床の上、荒波にもまれるように滑って、壁にぶつかり、止まった。
のみならず。
―――――拍子に、蓋が開いたのだ。
…中には。
(女の子…っ?)
輝く黄金の髪。白い肌。
その姿は、オズの記憶にある。間違いなかった。
ルビエラ・シハルヴァ。その人だ。だが。
(五年前、ルビエラ王女は十歳だった。今は十五のはずだが…まだ十歳に見える)
一瞬、ルビエラに似た赤の他人ではないのか、と思いさしたが。
(ルビエラ王女だ)
間違いない。根拠の一つもないのに、オズヴァルトは自然と確信した。
ならば―――――守らなければ。今度こそ。
なぜならば。
オズヴァルト・ゼルキアンは、シハルヴァの騎士でもあるのだから。
なぜ、彼女が入ったトランクを、魔神が持っていたのかは知らないが、見つかったのは僥倖だ。
だがこの状況では、迂闊に駆け寄って、抱き上げてあげるわけにもいかない。
彼女を背にしたその時。
オズヴァルトの目の前で、魔神が魔力を練り上げるのが分かった。攻撃魔術が、来る。
それとほとんど同時に。
太陽の光が眩しかったか、硬く閉ざされたルビエラの瞼が震え、開いた。とたん。
魔神が攻撃を放った。
直撃を知って、オズヴァルトは―――――避けなかった。
炎。風。大地。雷。水―――――あらゆるエネルギーが半狂乱の勢いで周囲に渦巻くが、身近に至る直前、避けられなかったものは、すべてを相殺した。
背後には、ルビエラ王女がいるのだ。
オズヴァルトが盾となるほかない。
どうやら。
魔神は、苛立っているようだ。
もしかすると、高みの見物を決め込んでいる、あの魔族も。なにせ。
すぐ、魔族の存在に気付いたオズヴァルトは、その足に鎖をかけた。
オズヴァルト自身の魔力で。
召喚者たる魔族が近くにいるなら、それを逃がすのはバカだ。
魔族は、すぐに気付いた。逃げられないことに。
どうやら、鎖をかけたのは、ぎりぎりのタイミングだったらしい。
「ああ、くそ、くそ! 関わるんじゃなかった、魔女なんぞ!」
カラスの姿をした魔族が毒づく。
―――――魔族はいるが、本体ではない。
クロエが言った意味が、これで分かった。なるほど、カラスは仮の姿ということか。
カラスが本体なら、魔族の証―――――角が生えていないとおかしい。
「チクショウ、だいたい、おかしいだろう」
くちばしも縛ってしまおうか、と思う程度には、そのカラスはうるさかった。
「なんでだ、何で生きてるんだ、オズヴァルト・ゼルキアン、あんたはっ!?」
リオネルにとって、オズヴァルトの存在は、謎そのものだった。
しかしそれは脅威というより、興味深い対象だ。
オズヴァルトが危険と分かっていても、猛烈な好奇心が止まらない。
離れようとしながらも、リオネルはオズヴァルトから目を離せなかった。
それゆえに、リオネルはオズヴァルトに捕まってしまったのだ。
「生きているのだから、仕方あるまい」
憑依していた魔族の心配はしないのだな、と他人事のように考えながら、オズヴァルトは適当に返事をした。
巷での噂と違って、リオネルはオズヴァルトが、彼に憑依した魔族ではなく、霊獣の子孫たるゼルキアンの末裔だと、見るなり察した。
―――――あれが魔族だと? ばかばかしい。
「本来は、死ぬんだよ!」
カア! リオネルは一喝。オズヴァルトは内心、うんざり。
彼の腕が届かない位置で、彼の周囲をばさばさ飛び回りながら、リオネル。
「しかし、実際、死んだはずだ。魔族に憑依されたその時に」
「ではここにいる私は、死に戻りかね」
とんだ化け物になったものだ、と他人事のように、オズヴァルト。
リオネルは、鼻白む。
「あんたがどうやって助かったのかは分からない。だが、あんたと同じように、魔族に憑依されたあんたの家族は憑依されるなり死んだだろ」
「ほお、なぜそう思う」
オズヴァルトの声は、素っ気ない。だが。
声が低くなった。確実に。…感情がひび割れた音がする。
彼の反応を見定めるように、カラスの虹色の目が、三日月の形をとる。
声がよくオズヴァルトの耳に届くように、この時ばかりは魔神の攻撃が止んだ。
「魔族の魂と人間の肉体は反発する」
じっくりと嬲るように、言葉を続けた。
「ゆえに、憑依された瞬間に人間は死ぬ」
距離を取りながらも、リオネルはオズヴァルトの顔を覗き込む。彼は無表情だ。
整った顔立ちなだけあって、そうしていると、酷く冷酷に見えた。だが、…間違いない。
これが、これこそが、―――――オズヴァルトの傷。
「魔族は残った死体を動かすってわけだ。…なあ、どんな気分だった」
こんな時でも、相手を嬲る言動を取るのが、魔族だ。
これこそ、無欠に見えるオズヴァルト・ゼルキアンの弱点。
この男は妻子を愛していた。心から。
なのに、自らの手で、その身体を叩ききらねばならなかった。
酷い選択によるその衝撃は、…まだ、彼の中で、癒えていないはず。
ほじくり返せば、どんな態度を取るだろうか。
読んでくださった方、ありがとうございました。




