幕14 逆らってはいけない
あの威圧は、宰相と同じか、…それ以上。
向き合うなり、本能が叫んだ。
―――――この生き物に、逆らってはいけない。
そう、格が違うとかそういう話ではなく、別の生き物のような感覚があった。
蟻が象にかなうわけがないだろう?
ゆえに、オズヴァルトが欲するだろう情報を、…ものを、恭しく差し出すほかなかった。
それこそが、もっとも、賢明な判断だったろう。交渉など、二の次だ。
そんな姿勢を見せたならむしろ、レナルドはオズヴァルトから叩き潰され何も得られず終わった。
むしろ、すべてを失った可能性が高い。
それでも、近くに接して理解したことだが―――――彼は、魔族ではない。
決して、油断ならない存在なのは、事実だ。しかし。
(…あの噂は、どこまで事実なのだ?)
威圧の壁の向こう、確かに、情を感じた。
レナルドは、闘技場から響く破壊音に、嫌でも我に返らざるを得ない。
恐々とそちらを覗き込む。
支配人にまでなり上がった彼にとって、コロッセオは城だ。
それが破壊される音は、正直、胸に来た。つらい。しかし。
これで終わるつもりがないなら、現実を直視するべきだ。
闘技場を覗き込んだ、刹那。
目を瞠る。
…観客席が、無事だったからだ。
破壊の粉塵が舞い上がっているのは、闘技場のみで、観客席は、そこに集った観客まるごと無事だった。
よくよく目を凝らせば、分かっただろう。
その前面に、結界の壁が張り巡らされていることが。
しかも、闘技場の破片が飛び、もしくは、魔術の余波が走るたび、その壁の上に、繊細な紋様が青く浮かび上がる。
ひどくうつくしい結界だった。
観客席で固唾を呑んで闘技場を見守る観客が、時折、目の前に走る青い輝きに見惚れる。
それ以上に。
闘技場で起こっている出来事に、皆が目を奪われていた。
青い、稲妻めいた輝きが、粉塵の中、縦横無尽に奔る。
魔術だ。
それらを構成し、放っているのは―――――魔神。
無論、見境なしに放たれているわけではない。ターゲットがあった。
足元と視界の悪い中、危なげなく身をさばき、魔術の攻撃を避け、あるいは相殺している一人の男―――――オズヴァルト・ゼルキアンが。
魔神は、観客席に集った人間には見向きもせず、いっしんに、オズヴァルトを攻撃している。
魔神は、魔族が使役するものだ。
ということは、魔女エメリナとなんらかの交渉をしていたという魔族が、オズヴァルトへの攻撃を優先したのだろうが。
肝心の魔族はどこにいるのか。
それに。
(なんだ?)
オズヴァルトが、一か所から動かない。まるで、背後を庇うかのような姿勢だ。
そこに、何があるのか。
粉塵の中、目を凝らせば、そこに四角い箱のようなものが見えた。
―――――…トランク?
しかもその蓋は、開いているようだ。
そう言えば、と記憶の淵から蘇った声に、レナルドは意識を凝らした。
それは、奴隷の声をしている。
―――――トランクに入れて、闇の中にいるものを持ち出す、と言っていました。
「まさか」
レナルドが呻いた時。
「あ!」
小さな子供のような声が近くで上がった。
思わず振り向けば、いつからどこに潜んでいたのか、白猫が、ぴょんと手すりに飛び上がる。
オズヴァルト・ゼルキアンは、先ほどそこから飛び降りたが、もしや。
思うなり、白猫は空を見上げ、
「すごいのが来る! 逃げて、逃げて、オズヴァルトさま!!」
人の言葉を叫びながら、白猫がそこから飛び降りた。
遅れて、うわあん、怖いよお! という叫びが下の方から聴こえる。
刹那。
魔神の攻撃が、いっとき、止んだ。
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