幕5 絶対的な指導者
ホテルの席でもいいのではないかと言えば、オズヴァルトの希望に沿うと前置きした上で、こちらの方が会話を誰かに聞かれる可能性が低いからお勧めだ、と言った。
である以上は、異空間にとどまるほうがベストだった。
ただし、油断してはならない。
(クロエは、女帝だ)
実のところ、先日、ゼルキアン城での別れの際―――――彼女は、アスランを殺しかけた。
彼の発言が癇に障ったようだ。
その攻撃を跳ねのけたのは、ビアンカだった。
クロエの行動を止めるべく、後ろから拘束したオズヴァルトは、一瞬遅かった。
巨大な鎌を持って身構えるビアンカがいなければ、ゼルキアン城のエントランスでは血の饗宴が開催されていただろう。
―――――クロエ。
冷たい怒りに満ちた声でオズヴァルトが呼ぶなり。
彼女はオズヴァルトの頬へ手を伸ばした。
オズヴァルトの感情など、素知らぬ風でもあり。
同時に。
むしろ、なぜか。
(私に、苛立っている、のか?)
そう、クロエは苛立っていた。
彼女が殺そうとしたアスランに対してではない。
それを阻止したビアンカにも対してでもない。
咄嗟にクロエの行動を阻止しようとした、オズヴァルトに対して。
後ろから強く抱きしめるような格好になったオズヴァルトを、クロエは何の感情も浮かばない目で見上げる。
―――――オズヴァルトさま、行動にはお気をつけて。
オズヴァルトに対して、まるで主に傅くような態度を維持したまま、彼女は。
―――――わたしがうっかりあなたを殺したりしないように。
ひやりとさせることを告げたものだ。
…彼女は、黒江緑だ。だが、やはり、…女帝クロエなのだ。
女帝は、やりたいときにやりたいことをやりたいようにやる。
たとえ態度がどうであれ、油断はできない。
オズヴァルトはこの時、はじめて本気で彼女に恐怖した。
(女帝とはどういう存在か、知っていたというのにな)
百聞は一見に如かず。
やはり、知識として知っているだけでは、本当の意味で『知っている』ことにはならない。
それはそれとして、クロエの考えはよくわからない。
そのようにしておきながら、再会した彼女はやはり、生真面目な風情だった。
方向性を間違いながらも、礼儀正しくあろうとしていた。
そうする理由があるというのなら、いつか教えてくれるのだろうか。
いずれにせよ、王女の関して助言を求めたオズヴァルトに、彼女は答えた。
―――――王女に関して、わたしは何もできませんが。
前置きした上で、
―――――当日、わたしもその場にいるでしょう。
情報をオズヴァルトに与えた。
―――――コロッセオに、何の用事があるのだね?
自然と聞いた後で、少し後悔する。
個人的な事情があったらどうするのか。
答える必要はない、とクロエに言う直前、
―――――そこに、わたし以外の魔女が出入りしています。彼女は。
淡々と、クロエは答えた。
―――――王女を狙っています。わたしは彼女に、用事があるのです。
狙うとは、穏やかではない。
だが、いったい王女の何を狙うというのか。
五年前は十歳の少女であり、今は奴隷におとされた無力な子供だ。
彼女から、これ以上何を搾取するつもりだろう。
今、王女が持っているものと言えば。
ただひとつ。
―――――狙いは王女の命かね?
尋ねたオズヴァルトの声は、いつも以上に低く冷たい。
クロエは冷静に、彼を見返した。
とたん、冷ややかさを、むしろ心地よさげに感じた態度で目を細める。
―――――いいえ、魔女としての力そのものです。
―――――魔女が、魔女としての力を求めているとは、おかしな話に聞こえるが。
―――――魔女の中にも派閥があります。それぞれの派閥が持つ力を強固にして、他と争える力を手に入れようという考えは、おかしくないでしょう?
魔女たちの中で派閥があるとは、オズの知識に照らしても、初耳だった。
要するに、魔女たちは一枚岩ではないのだ。
ただ、誰にしろ、魔女たち内部で派閥ができているとは、想像もしないに違いない。
なにせ、魔女という存在には、…いるからだ。
絶対的な、指導者―――――女帝という存在が。
クロエの言葉を鵜呑みにするのは危険だろう。
だから、丸ごと信じるわけにはいかないが。
(クロエが、嘘を言っているようには思えない。そもそも、誤魔化す必要を感じていない様子だな)
―――――わたしは彼女を捕え、情報を引き出し、罰を与える必要があります。
だがその詳細までは当然だが、クロエは語らない。
実際、その情報は今、オズヴァルトにとって必要なものではなかった。
とはいえ、ひとつだけ確認が必要なことがある。
―――――その魔女は王女を攫ってどうするつもりなのかな。
―――――魔女たちの中にある、わたしと相対する派閥に組み込むつもりなのでしょう。
クロエの言葉を聞くなり、オズヴァルトは正直、巨大な山を針で突き崩そうとしている人を見るような心地になった。
相対する派閥、とクロエは言ったが、もっとはっきり言えば、敵対関係に違いない。
敵対。女帝と。
(いや無理だ)
女帝を敵に回してどうするのか。
勝ちたいのか?
むろん、つまりは女帝に対し、優位に立ちたいのだろうが…。
それこそ不可能としか思えない。
女帝の敵となることを選んだ者たちにむしろ同情を抱いたオズヴァルトの前で、クロエは淡々としたものだ。
―――――彼女たちは、自らの派閥の力を強め、私が支配している魔女たちを解放するそうです。
解放。
確かにクロエという存在は、圧倒的だが、魔女たちを抑圧しているようには見えない。
ただ、どこでもそうだが、思想の対立というのは、溝を深めやすいものだ。
考え方がそもそも違うから、言葉が通じない。
相手に対して、対話の姿勢を保っている方が珍しい。
(それに、魔女という存在は、寿命が長い。長い歳月を共に過ごして、何事もないほうがおかしい、か)
幸い、オズヴァルトの表情は、そうたやすく変わらない。
好奇心を迂闊に出さないよう、オズヴァルトは気を逸らした。
なんにしたところで、それ以上は踏み込みすぎだった。
理由は知れないが、王女を狙うという魔女を女帝が引き受けてくれたなら、それ以外はオズヴァルトが知る必要のないことだ。
読んでくださった方、ありがとうございます。




