幕3 全力を出さない
この剣闘士はお人よしではあるが、立場は弁えている。
表情を消し、深く長く息を吐いた後、
「わかりました」
冷静に、返事を返した。
納得はしていないだろうが、だからといって、返事をした以上、ランは今の話に対して動きを見せることはないだろう。
「それでいい。ところで、ラン。お前を呼んだ理由だが」
頭の痛い問題に、レナルドは低く告げる。
「今日の試合、わざと負けるのは無しだ。手加減するな。全力でやれ」
恫喝の表情で告げたというのに、ランは常の調子で軽く応じた。
「はいはい」
「…本当に分かっているんだろうな」
「はーい」
別にわざとじゃないし、という表情で、ラン。
実際、彼はわざと負けているわけではない。手加減しているわけでもない。単に。
全力を出さないだけだ。
―――――ソノ気にならないんだよ。
これが、ランの言い分だ。
「大概にしておけよ、ラン」
だがいつまでも、オーナーとしてそれを通すわけにはいかない。
「あまりに我儘がひどいと、追い出す必要が出てくる」
「ふうん」
他人事のように、ラン。どうしようかな、と考える態度。
まるで試すように聞く。
「本気ですか、オーナー?」
だとしても、特に困らないと言いたげな様子に、レナルドは目を細める。
黙って聞いていたエメリアも、おやと言いたげにランを見遣った。
ランが慌てた様子はない。
噂通りなら、コロッセオを追い出されたら困る立場のはずなのに、だ。
特にコロッセオから出ても問題はないように見える。
それとも。
自信が、あるのだろうか。魔族からの報復を、いなせる自信が。
二人の視線に不審を感じただろうに、表情一つ変えず、ランは両手を挙げた。
「分かりました。それは困るんで、ちゃんと全力出しますよ」
口でそう言いながら、その声にやる気は見えない。
レナルドの目から見ても、ランがどこまで本気か掴めなかった。ひとまず、
「死に物狂いでやらん態度が、他の剣闘士の癇に障るんだ」
叱るように言って、背もたれにもたれかかるレナルド。
「知ってますってぇ。よく突っかかられるんですよ、鬱陶しい」
観客から人気は高いランだが、剣闘士の間ではやたらと敵対視されていた。
である以上、コロッセオ内部での生活において、命がけのやり取りを幾度かしたことがあるという報告を受けている。無論、私闘は厳禁だが、いくらでも抜け道はあった。
抜け道がある理由は、ストレスには、ある程度のガス抜きが必要だからだ。
それをものともせずに、鼻歌交じりにランは日々を過ごしていた。
最近はさらにご機嫌に見える。
誰かと手紙のやり取りをしているふうでもなし、身内もいない男だが、客とは関係が良好なようだから、
(…女か?)
ふと、レナルドは思った。報告では、よく会う女がいるようだ。
いつだったか、剣闘士の一人が言っていた。
―――――赤毛の美人だった、と。
「女に、いいところを見せたくはないのか?」
レナルドが、挑発するように、言えば。
ふ、と―――――ランが真顔になった。
かつてない真剣な表情に、レナルドとエメリアが、虚を突かれた刹那。
「お、オーナー!」
支配人室の扉が、けたたましく開け放たれた。
入ってきたのは、子供の頃からレナルドにくっついていた古なじみの部下―――――気分的には子分―――――は、しかし、中に二人がいることに気付き、室内に一歩踏み込むと同時に怯んだ。そこに、
「ノックはしろと何度言えば覚えるんだ!」
子供にでも言う気分で怒鳴りつけたレナルドに、すんません、と頭を下げた男は、それでも外へ出るどころか言葉を続けた。
「聞いてください、偽名かと思ってたんですが、本物だったんです!!」
いきなり、何の話だ。
レナルドは顔をしかめ、じろりと男を睨みつける。額には青筋が立っていた。
―――――レナルドを舐めているから、こんな態度なのだ。
引き締める必要があるか、と大きく息を吸い込むなり、
「オズヴァルト・ゼルキアンがVIP席にいます!!」
派手に咳き込んだ。
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