幕2 忘れろ
オズヴァルト・ゼルキアン。
王国の守護者とすら称えられた騎士にして、霊獣ヴィスリアの子孫。
そして、数日前、災厄の一部を消滅させ、天人への位階を上った。
王国が滅びた今、他国に下る様子もなく、爵位は消えたとはいえ、大公という立場に封ぜられたと聞く。
そして今や大陸の経済に強い影響力を持つシューヤ商団の主である。
個人としては、機会があればお近づきになりたい。
レナルドの内心など見透かした瞳で通信相手は彼を見遣り、さしたる感情の浮かばない顔で低く告げた。
『見ればわかる』
それきり、通信は途絶える。レナルドはつい、薄い頭髪を撫でた。
相変わらず、もったいぶった口調だ。
いずれにせよ、侍従どころか、宰相の側近が御自ら通信してきたということは、やはり、オズヴァルト・ゼルキアンという存在は、大きいのだ。
(そんな存在が、コロッセオに来るかもしれない、とは)
いやはや、見世物を提供する側であるレナルドの方が、つい、楽しみな心地になる。
つい口元を緩めた時、管理人室のドアがノックされた。
―――――入室許可と共に入ってきたのは。
「あたしを呼んだって聞いたけど。なに?」
魔女エメリア。雇い主に、随分な態度である。そして、
「なんで俺も呼び出しなんだ? 今日は試合だってのに」
剣闘士のラン。主殺しの魔人だ。
二人は管理人室に入ってくるなり、お互いを指さして言った。
「「しかもこいつと一緒なんて」」
そして顔を見合わせる。
気が合うのは結構なことだが、そんなに嫌ならとっとと話を終わらせよう。
一緒に呼んだのは、双方への話が、特に聞かれて困るものではなかったからだ。
「喧嘩をしたいなら、試合の用意をしてやるから、そっちでしてみるか?」
レナルドが言えば、二人揃って嫌な顔をしてそっぽを向いた。
なかなか楽しい見世物になりそうだと思うが、どちらも死なせるには惜しい。
「まず、エメリア」
椅子から立ち上がりながら、レナルドは手短に告げる。
「どんな手を使ってでもいい。例の商品を、今すぐ壊せ」
「…なにそれ」
エメリアは琥珀の目を瞠った。レナルドを探るように見遣る。
「商品として売れるようにしたいんじゃなかったの」
「状況が変わった」
「なら、あたしにくれない?」
「なに?」
「使い道があるのよ」
レナルドは少し考えたが、首を横に振った。
「持ち出しも禁止だ」
宰相の望みは、『商品』が跡形もなく消えること。
レナルドとて、アレを持ち続ける危険性は承知している。
もとからなかった。そういうことにしたほうがいい。
もし責任を問われることがあれば、そもそも、アレの正体を知らなかったと言い通せば済む話だった。
正直、端から受け取りたくはなかったのだが、宰相の御機嫌取りをするにはちょうど良かった。
それに、どうせすぐ手放せると思ったのだ。
(―――――美しい子供を好む貴族などいくらでもいる)
そこで短い命を散らすだろう。
確信すらしていたのに。
まさか、五年間、闇の内に潜み、手出しすらできない状況になるとは。
この魔女が道具のように言っているにせよ、どのように使用されるかわからない。
それを詳しく聞こうとするほどの興味など、レナルドにはなかった。
いずれにせよ、これ以上人目に付く可能性は、排除したい。
「いらないんでしょう?」
エメリアは上目遣いにレナルドを見る。レナルドは目を細めた。
(なんだ?)
執着している? 魔女が? アレに?
ふと好奇心が湧いたが、魔女が素直に答えるはずがなかった。
恩を着せるのもいいかもしれないと思ったが、それは危険な橋だ。
レナルドが今の地位を失いたくないならば、宰相の意向に従うのが一番いい。
ならば、『商品』の存在を外に知られるわけにはいかなかった。連れ出されていいわけがない。
「出すぎだな」
レナルドは一瞬で迷いをエメリアの申し出ごと切り捨てた。
「所詮きさまは雇われ者だ。言うとおりにできないなら、これまでだな」
そうですかと出ていかれたらそれなりに困っていたところだが、さほど執着はなかったか、エメリアは、両手を顔の横に挙げる。
「はいはい、仰せのままに。報酬は上乗せしてくれるんでしょうね」
「ああ」
それで依頼をこなしてくれるなら文句はない。だが。
(一応、見張りはつけておくか)
この、冷淡な女が、一度は食い下がったのだ。妙な違和感があった。
「それから、ラン」
「ちょっと待った」
細い金の、魔力封じの首輪をはめた剣闘士は、さらりとコロッセオの支配人の言葉を遮る。
ここで腹を立てないのが、レナルドだ。どころか、
「なんだ」
嫌そうながらも、話を聞く姿勢をとる。
そこが、ただの貴族とは違った。むろん、舐められてはよくない場面では窘める。
しかし、こういった、ある意味身内同士の話し合いの場では滅多なことでは下のものを咎めない。
何よりこの剣闘士は、当コロッセオでも五指に入る人気者だ。
黒髪。紺碧の瞳。褐色の肌。日焼けというのではなく、生まれつきの肌色から、彼が流浪の民ルオルドであることは明白だ。
そして、ぎりぎりまで引き絞られた肉体。精悍な狼のような男。
「オーナーが今話してたのは、奴隷たちの地下牢にいる闇の話だろ」
レナルドは細めた目で、針のような視線をエメリアに向けた。話したのか、と目で確認。
魔女は素知らぬ態度で肩を竦める。
「中に人がいるって言ってたけど、壊せって、…それごとって意味、」
言いながら、ランがエメリアを見た。レオルドはすかさず口を挟む。
「忘れろ」




