幕1 正しい方へ立ちたければ
× × ×
レナルド・ベルタンは、金勘定が得意だ。
なにせ、生まれが、誰もが貧しいスラム街だった。
そこから外の世界を見れば、金こそが力だったのだ。
生きるため、のし上がるために、力に執着するのは当たり前の話だった。
周囲の全てを踏みつけにして、時に踏みつけにされながら、それでもしつこく足搔いた。
権力者にしっぽを振って、麻薬密売、人間のやり取りをする奴隷商、地下格闘場の経営を経て、国営のコロッセオの経営を任された。
レナルドは、そんな男だ。
危機感や人間を見る目は、そうやって生きている間に、そこそこ養われた。よって。
「…はい、承知しておりますとも」
―――――微笑を浮かべ応対しながらも、今日はなんだか良くないと感じる。
うなじ付近がざわざわするのだ。
いくらタブついた肉に包まれていようとも、こういった感覚は昔から変わらない。
そしてそれは、何度もレナルドの命を救ってきた。
昔は、気持ち悪いと言われた笑顔も、続けているうちに、好々爺然としたものに変化している。
まだ三十代半ばだが。
それを浮かべ、通信具向こうの相手に、丁重に答えた。
「ですが、客としてお越しになられては、こちらも追い出すことはできかねます」
『その場合は仕方なかろう。だが、…分かっているだろうな』
レナルドは笑みを深める。
下手を打てば見捨てるぞ、と相手は言っているのだ。悪びれもなく、堂々と。しかも。
―――――汚いことを言っているはずなのに、堂々としているせいか、まるで相手の方が正しく、レナルドが失敗する方が間違っている心地になる。
まあ、世の中そんなものだ。強い権力を持つ方が正しい。
正しいほうへ立ちたければ、勝たなければ―――――権力を持たなければならない。
レナルドは身の程をわきまえている。
だが同時に、舐められ過ぎてもいけない。
「そう言えば昨晩、トリベール卿がお越しになりました」
通信相手から、反応はなかった。ただ、無言だ。
レナルドは言葉を付け加える。
「直接、こちらへ」
レナルドは無害な笑顔を浮かべた。
「帝国にゼルキアン大公がお越しになったこと、よほどご不安のようで」
通信相手は、岩のような空気を崩さない。
「地下のあの方を始末するよう仰せになりましたが…さて」
唯一、笑っていない目で、レナルドは相手を見遣る。
「これは宰相閣下のご指示によるものですか?」
地下のあの方―――――それは、彼らの間では、名を告げずとも誰の事か明らかな話だった。
通信相手である宰相の側近は、さすが、動揺一つなく即応した。
『…好きに取れ』
レナルドが見たところ、あれはマルセル・トリベールの独断だが、
―――――正直には仰せにならないだろう。
ともすれば、既に情報は彼の元へ入っていた可能性の方が高い。
(しかし、宰相閣下に、飼い犬のように従順なトリベール卿が独断で動き、あのような命令をなさるとは…)
よほど、ゼルキアン大公が恐ろしいと見える。
いったい、オズヴァルト・ゼルキアンとは、どれほどの男なのか。
宰相の側近は、思ったとおりの反応をしたが、この時期に、マルセルが直接ここへ来た、それは相手にとって、主人の宰相のためにも頭が痛い話には違いなかった。
それとも今、今後のマルセルの扱いをどうするか、頭の中で考えているのだろうか。
斬り捨てるか、もう少し利用するか。
レナルドの通信相手。それは。
アルドラ帝国の宰相クリストフ・ジュネスト―――――の側近だ。
宰相は、冷酷で苛烈な気質の男だった。
アルドラ帝国の軍に、毎年多額の予算が割り当てられるのは、宰相の意向とも言われている。
彼は常に戦争を意識し、大規模な軍事演習には常に同行する。
そんな彼は清廉とは言い難いが、それでもあまり、コロッセオとの密接なつながりを世間には知られたくないはずだ。
にもかかわらず、このつながりを、彼の陣営深くにいるマルセルが明らかにしてしまった。
クリストフのことだ、それを弱みになどしないだろうが、この情報は彼に対する、ちょっとした嫌がらせ程度にはなるだろう。
「ただ、あの方を始末するには多少困難がありまして」
レナルドは渋面になる。思い出すのは。
―――――闇。
できればこちらで手を汚すことは避けたかったが、どちらにせよ触れることができなければそれ以前の問題だ。
知り合いの魔術師では手に負えず、なんでも屋の魔女に、他人を介してどうにかできないかと依頼すれば、あの闇は精霊だという話だった。
ならば操るのは魔女の十八番のはずだが、魔女にも得手不得手、格の違いがあるらしく、すぐには解決できないということで、ずるずると五年の月日が経ってしまった。
『それがどうした』
通信相手の声に、特に熱はこもっていない。
『無駄なことを聞いている時間はない』
つまり、できないという弱音や文句を聞く気はない、ということだ。
ただそれで、やり方は決まった。
(ずっと任せているのに、成果を出せないんだ。魔女に押し付けよう)
そもそも、災厄の騒動で世間が混乱しているうちに、始末をつけたかったのに、世間はもう落ち着いてしまっている。
しかも、肝心の災厄はオズヴァルト・ゼルキアンによって消滅した。
世界は明るく、浮足立った雰囲気がある。
こういう時、下手に動けば、後ろ暗い行いはすぐに罰せられる可能性が高い。
ならばもう迅速に後始末に動くべきだ。
さっと心を決めたレナルドは、気が軽くなった。
「ところで、わたしはあまり詳しくはないのですが」
それはそれとして、とレナルドは目下、最大の興味を持つことを話題に挙げた。
「それほどですか、オズヴァルト・ゼルキアンという方は」
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