幕25 前提から、違った
違ったのだ。生きていたのはオズヴァルトという例外だけで、彼の妻子は魔族に憑依された時点で、既に死んでいた。
オズヴァルト・ゼルキアンは妻子をその手で殺した冷酷非情な男だと誰もが思った。
それでも、災厄を消し去るには彼の力が必要であり、彼に対する忠誠は決して揺らがなかったけれど。
しかし、違った。なにもかも、前提からして、違っていたのだ。
魔人たちは、真実を知るなり、真っ先に神殿を問い詰めた。彼等の回答。それは。
―――――神殿や魔術師協会がこの事実を、伏した主な理由は二つ。
世間に、災厄によって英雄が死んだという不安を与えるより、魔族に憑依されたが生きているという希望を持たせたかったこと。そして。
二つ目は、―――――ヴィスリアの魔人たちの暴走を望まなかったためだ。
たとえ魔族に憑依されている状態であっても、彼等の主人はオズヴァルト・ゼルキアンである。
その身が無事である以上は、ヴィスリアの魔人は彼に従うだろう。
だがもし、…魂が消失し、死んだとなれば、どうか。
ヴィスリアの魔人という巨大な力は、災厄以上の災いを、世界にもたらす可能性が高かった。
その危機は、確かに、現実になりうる可能性があった。
それでもヴィスリアの魔人たちは納得しかねたが、オズヴァルトは神殿や魔術師協会への報復を禁じた。
もう終わったことだ、と。
だが未だ、オズヴァルトが憑依されている魔族に肉体を乗っ取られた状態だと思う者は多いはずだ。
その前提あってこその、今回の魔術師の攻撃と思えば、やりきれない上に、腹立たしい。
―――――魔族であったなら別に何をしてもかまわないだろう、というわけだ。
ヒルデガルドは内心歯噛みした。
魔族から与えられたオズヴァルトの命が、彼自身が天人となることで、魔人たちの中でその質を変えた。
よって今の彼はオズヴァルト・ゼルキアン本人だとヴィスリアの魔人たちは、言われずとも理解できる。
その程度のことに考えも至らず、…ヒルデガルドは、皆は。
オズヴァルトの不名誉な話が流れるままに放置してしまった。
正直、それどころではなかったとも言えるが。…いずれにせよ。
主人に憑依したあの魔族。
八つ裂きにしたって、足りない。
しかしオズヴァルトは淡々と告げたものだ。ヤツは死んだ、と。ならば。
(魔族という生命体を根絶やしにしてしまおうか)
憎悪や嫌悪という感情では、言い表せない。これは、嚇怒だ。
腸が煮えくり返る心地が、止まない。
―――――ただ、主を見ているときだけ。
その無事を、存在を確認するときだけ、すべての感情が静まる。いや、湧きあがるのは歓喜だ。
以前より、もっと強く。
至福を胸に抱き、ヒルデガルドは、主に首を垂れる。
この感覚は彼の命によって、魔人となったためだろうか?
だがそれは言えない。
オズヴァルトは、罪悪感を持っていた。ヴィスリアの魔人たちに。
望みもしないのに、人間から魔人に変えてしまったと。
もちろん、彼はそんなことを口にしたりはしない。
以前のように、遠く距離を取られていれば、その心中は決してわからなかっただろうが。
最近、どういうわけか、オズヴァルトは…降りてきていた。魔人たちと近しい場所へ。
だから、わかる。多くの言葉がなくとも、彼の本音が察せられる。
オズヴァルトが言ったのは、一言だけだ。
―――――魔人から人間に戻る方法を探らなければな。
それは違う。
彼等は望んだのだ。望んで、魔人となった。
オズヴァルトこそ、彼等を魔人とするために、勝手に命を使われたのだ。
愚か者と罵倒されるべきは、魔人たちの方だ。
…罰されるべきは、彼等というのに。
幸か不幸か、魔族は今のオズヴァルト・ゼルキアンの正体を知りたがっている。
これからいくらでも、会う機会はあるだろう。
魔人が人間に戻る方法を知っているとすればそれは、魔族以外にない。
彼等の常識では、精神体の魔族に憑依された人間は、死ぬのだ。
憑依されたなら、即座に人間側の魂は消滅し、心臓は鼓動を止める。
この理通りならば、天人となったのは、オズヴァルト・ゼルキアンに憑依した魔族だ。
だからだろう、魔族の使い魔たちが、真偽を確かめるため、ゼルキアン城へ続々と押し寄せている。
しかも、聞いたところによれば、精神体の魔族は、魔族の中でも虐げられる劣等種族に属するらしい。
彼等に戦う気力はなく、ただ、全力が向くのは、魔術の知識を得ること。
ゆえに、己が領地内に閉じこもっているため、あまり、その生態は知られていなかったのだ。
力こそがすべての魔族の中で、異端とも言える性質だった。だが、その中で。
オズヴァルト・ゼルキアンに憑依したような個体が出現するのだから、やはり、魔族は魔族なのだ。
彼が何を望んだのかは知れない。
だがおそらく、同族にバカにされ続けた者が考えることは似通っているだろう。
他を見返したい。もしくは、認めてもらいたい。
その望みは、ある程度、叶ったはずだ。
もう少ししたら、手が届いたかもしれないが―――――これは単純に、狙った相手が悪かった。
抉れ、焼け焦げた地面を一瞥し、ヒルデガルドは夜の中、顔色を悪くした若い宮廷魔術師を見遣った。
彼等は、皇宮の結界の外へ彼女が出るなり、問答無用で攻撃してきた。しかも。
これだけ大きな音がしているのに、騎士の誰もやってこなかった。
―――――この攻撃は、あらかじめ打合せ済みのものだ。とはいえ。
このような形になるのは、予想外だったかもしれない。
だが、一撃で殺せると思ったのならそれは。
(甘いねえ)
頭の片隅で余裕で考えるヒルデガルドは、呆然とした沈黙が漂う中、にやりと笑った。
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