幕23 夢の中
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ヴィスリアの魔人、ヒルデガルド・ラウはゼルキアン騎士団の一人である。
戦い方の苛烈さで名高いが、昨今は騎士団に同行することもなく事務仕事に明け暮れていた。
騎士団の仕事は現在、戦闘より土木作業である。
だが、事務仕事より、ヒルデガルドはそちらへ合流したい。彼女は常々そう感じていた。
なにせ、身体を動かす仕事だ。
ずっと座っている事務仕事は、彼女の性に合わなかった。
しかし、騎士団が全員出た後、拠点を襲われては元も子もない。居残り組も必要だ。
ヒルデガルドはいつも居残り組だった。
騎士団長率いる騎士団本体は、現状、南の町で港の増設に明け暮れている。
ヒルデガルドは彼らが羨ましい。しかし彼女は彼女の仕事があったため、出向けなかった。
そんな彼女を置いて、悪く思うなよ、と同情するどころか勝ち誇った笑顔で、騎士団は西へ東へ、縦横無尽の働きぶりを見せていた。
本来は騎士団のはずだが、今や腕利きの職人たちだ。
それを情けないと思うどころか、やりがいを覚えたか、彼等はいつも輝くような笑顔である。
たまに顔を見せたと思ったら、動けないヒルデガルドを悔しがらせる土産話を大量吐き出してまた出かける。
ところが今、彼等の立場は逆転していた。
ヒルデガルドは勝ち誇った気分で拳を握る。
(今日ほど、居残り組でよかったと思ったことはないよ、団長…!)
「嬉しそうですね、ヒルデガルド」
並んで足早に馬車を置いている場所へ向かっている青年が、穏やかに言った。
かなりの速度だが、彼ら二人に急いでいるという雰囲気はない。
ヒルデガルドは颯爽と、ルキーノは品よく―――――隙がなかった。
「当たり前のこと言うんじゃないよ、ルキーノ」
オズヴァルトの執事である男を流し見て、ヒルデガルドは幼子じみた満面の笑みを浮かべた。
弾む声を続ける。
「あんただってそうだろうに」
二人は、主の許可を得て、彼より先に馬車の元へ向かっていた。
正しい主人の下、彼のために力を振るう―――――この時を、皆、待っていた。
ヒールを鳴らし、意気揚々と進むヒルデガルドの隣で、ルキーノは物静かにそっと胸を押さえる。
「仰る通りです。そのためか、未だ」
言葉途中、彼は遠くを見遣った。
「夢の中にいるようですね」
同時に、彼等の足先が皇宮の結界から外へ出る。とたん。
頭上を照らす明るさに、ふっと顔を上げれば。
「ふうん?」
赤く塗られたヒルデガルドの唇が、好戦的に吊り上がった。
「こうして見ると、きれいなもんじゃないか」
数多の火炎、それが数えるのもばからしいほどの数の矢となって、地上の彼らを狙っている。
二人がそれに気付いた刹那。
火の矢が雨のように彼等の元へなだれ落ちた。
見上げたルキーノは優し気に目を細め、ヒルデガルドはヒールを一度鳴らし、身を低くする。
どちらにも怯えは見えない。
「それじゃ、やるよ」
「はい、お手柔らかに」
ヒルデガルドはふんと鼻を鳴らした。
彼女が苛烈で有名なら、ルキーノは。
(よく言うね、ヴィスリアの魔人の中で、一番、残酷な男が)
心中で吐き捨て、地面を蹴った。
ドレスやヒールをものともせず、全力疾走。
火の豪雨の中、竦むことなく避けながら、駆ける。低く飛ぶように。
周囲で隠れている魔術師は、目の前で何が起こっているかわからなかっただろう。
ヒルデガルドの動きなど、目で追えなかったはずだ。
なにより、魔術が生み出した炎のきらめきで、視界は赤く塗りつぶされた。
まともに状況が見えなかったに違いない。
そして―――――攻撃が地面に噛みつく轟音が、一帯を席捲する。
耳を押さえながら、正直、彼等は簡単に考えていた。
ことは、刹那に済む。
対人戦としては過剰なほどの攻撃を用意しろと命令され、その通り、一瞬で死を産む魔術を編んだ。
戦争で使用する規模の魔術である。
正直言えば、たった数人相手にやりすぎなほどだ。
しかし相手はヴィスリアの魔人である。
いかに魔人でも、これほどのものが直撃すれば危ういはずだ。
しかも今日はこの場に、オズヴァルト・ゼルキアンがいる。
やりすぎなくらいでちょうどいい。
誰もがそう思っていたのに。
場に現れた魔人は、男女二人だけだった上、
「ばかな…っ」
もう止められない術を発動させた魔術師たちは、致命傷でも負わされた気分で呻いた。
五人がかりの魔術が発動した後に、女の姿はなく、ただひとりそこに残っていた男はと言えば。
「ば、…化け物が…」
焼け焦げた地面の上、涼しい顔で最初と同じ場所に立っていた。
しかし、攻撃を真っ向から浴びたわけでないことは、彼の足元だけきれいなことから理解できる。
いったい、男はどうして無事なのか―――――考えさした矢先、
「まさか」
幾人かの魔術師が呆然と呟く。
「…火の矢の軌道を逸らした…?」
しかも、直撃する可能性がある分だけを。理解するなり、
「う、うわああああっ!」
実力の彼我、その圧倒的な差を感じた魔術師が幾人か、悲鳴を上げながら駆け出した。
息をひそめ、隠れていたところで、すぐ見つかると察したためだ。
現に、幾人かの魔術師は男と視線が合ったことを自覚していた。
容姿は聖職者のような慈悲深さを感じるほど優しげだというのに、―――――温かな栗色の瞳に浮かぶのは、酷く冷たい輝きだった。
読んでくださった方、感謝です。




