幕20 花の微笑
「さあ?」
マルセルに、カミラは素っ気なく応じた。
答えなど、わかりきっている。
あの男が、あの男である以上、―――――ここに来た目的など、一つだろうに。
マルセルとて、それは知っているはず。
であるにも関わらず、わざわざ聞きに来たということは。
不意に、カミラの腹の底で、ざわざわと、嫌悪感に似た何かが渦巻き、胸までせり上がってきた。
…もとより。
この男に対する不信感は、あったのだ。
王国の財務を預かる重要な立場にありながら、五年前のあのタイミングで、国外にいたこと。その後、どうにか逃げ出せた民を手助けし、仕事につけるよう尽力したと言われるが…ところどころ奇妙な点がある。
過程までは調査していないが、その際に、シハルヴァの民の幾人かが―――――奴隷になっている。だが。
夫のオリヴァーですら、その確実な証拠は掴めていない。その最たる理由は。
奴隷におとされた民は、その後の扱いの酷さにより、所在を確定できた時にはほぼ全員が死んでいたからだ。
顔の前で広げた扇の下で、一瞬、カミラは奥歯を食い縛る。
すぐ、意識して力を抜いた。
―――――だめよ、カミラ。落ち着きなさい。
男たちと立つ場所は異なれど、ここがカミラの戦場だ。
微笑まなければならない。
さあ、笑うのよ。
…目の前のこの男、マルセルは何かを知っている。
シハルヴァ王国があのように滅んだ、その核心をきっと掴んでいる。
何らかの形で関わっているはずだ。
本当は。
今すぐ、胸ぐらを掴み上げて、力の限り揺さぶり、真実をその膨らんだ腹から蹴り出させてやりたい。
だが、カミラは。
何を知っていても、微笑まなければならない。
何に気付いていても、そ知らぬふり、無害なふりをしなければならない。
―――――なんて、歯痒い。しかし…。
忘れてはならない。カミラには、守るべきものがある。そのためには、何だって耐えてやる。
ただこの悪臭は、耐えがたい。
(それに、お兄さまが言っていたわ)
生前の兄を思い出しながら、カミラは泣きたい心地を呑み込んだ。
(財務大臣には、横領の疑惑が…)
すべてを飲み下し、そして―――――花が綻ぶように、微笑んで見せた。
「そうそう、思い出しましたわ」
廊下の向こうから、騎士の幾人かを連れ、戻ってくる夫の姿に視線を定めながら、棘をきれいに覆い隠した彼女の微笑に見惚れたマルセルに言う。
「近く、コロッセオの試合見物へ向かうと仰っておりましたわね。ゼルキアン卿に御用がおありなら、そちらへ出向かれては?」
言葉途中で、さっとマルセルは青ざめた。カミラが見たのは、そこまでだ。
彼女の夫のオリヴァーに気付いたマルセルは、すっと身を引いた。
直接ではないが、マルセルは、国営のコロッセオの経営に関わっている。
平民上がりの、コロッセオ経営者と昵懇の付き合いのはずだ。
そして、その地下で。
―――――国の許可がない奴隷市場があると聞いている。
これらの情報を、あのオズヴァルトが、…のみならず、名だたる能力の高さを誇るゼルキアン家門出身のヴィスリアの魔人たちが、見逃すものだろうか。それとも。
これは、期待しすぎというものだろうか?
カミラは、守るべきものがある。
たくさんのものを、そのために斬り捨てた。
残酷な女と思われたって、仕方がない。それでも、本音は。
(ねえ、ヴァル)
年に何回も会えなかったが、幼友達だったオズヴァルトの愛称を心の中で唱え、一度、ヒールの踵を床で高らかに打ち鳴らし、真剣に心の中で呟いた。
(あんな連中、はやくやっつけてちょうだい)
お転婆だった少女の頃の口調そのままに。
オリヴァーに挨拶し、急ぎ足で去っていくマルセルから目を逸らし、夫と共に歩き出しながら、カミラはそっと彼に寄り添った。
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