幕15 ただの悪戯
昔、聞いたことを思い出した。
アルドラ帝国の皇宮内では、魔術封じの結界が施されているが、皇族二人が許可した相手だけは、使用が許されると。
でなければ、宮廷魔術師もまた、魔術が使えないことになる。
なるほど、考えたものだ。
この兄妹には、何もない。あるのは、皇族という身分だけ。
それを利用した、これが――――――対価。
相手の力を許可することで、信頼を示す、そういうことだ。
それにしたって、大胆なことだ。
オズヴァルトがもし、そのありあまる魔力でもって、問答無用でアルドラの皇宮を滅ぼしにかかれば、どうするつもりなのか。
責任はすべて、この兄妹にかかることになる。
…むろん。
実のところ、そのようなことをされずとも、やろうと思えば無理やり魔術を使うことはオズヴァルトには可能だった。
ただしそれは、アルドラへの宣戦布告ともとられかねない。
ゆえにやるつもりはないが――――――。
「ふ」
つい、オズヴァルトは息だけで笑う。
それすら、どこか冷ややかで、酷薄さがにじむ。
好意的な笑いには見えないことを、自覚した上でオズヴァルトは言った。
「面白いですな…私を利用、なさるか」
マティアスは、一瞬、怯んだ。
だが、開き直ったように胸を張る。
「違います」
「ほう?」
「ご協力を、乞うているのです」
乞う。
(皇族が、奴隷のように?)
無論、マティアスの態度は、奴隷どころか、生意気も甚だしい。
それが癇に障るというより、子供が必死の勝負に出ている感があって、オズヴァルトとしては困るところだ。
助けを求める子供の手を振り払うような、最低の大人にはなりたくない。
しかし相手はただの子供ではない。
皇族だ。
…オズヴァルトがこの場に居合わせたのは、たまたまだ。
これが、この兄妹に取って、運が良かったことになるか、はたまた、命取りになるか。
それはこれからのオズヴァルト次第。
協力を乞う、と言いながら、試しているようで、また。
(…丸投げかね?)
なかなかいい根性だ。
「いいでしょう」
マティアスにとっては、おそらく、これがこの場でできるぎりぎりの行動なのだ。
そうまでしながらも。
得難い機会を逃すまいとしている。ならば。
「では、殿下のその豪胆に免じて」
―――――応えるまで。
いいだろう。
限られた条件の中での、皇子の機転と胆力には、敬意を示そう。
なにより。
…子供の前では、堂々と胸を張れる大人でありたい。思うなり。
「…かっ、は!」
虫の息だった刺客の身体が、陸に挙げられた魚のように跳ねた。
とたん、その身から刃が押し出される。
内側から肉が盛り上がり、刃を外へ吐き出したのだ。
肉が塞がる。
繊維がつながる。
斬られた肺が、元通りになる。
…その時には、刺客は完全に拘束されていた。その上。
「轡を噛ませろ」
皇子が冷静に命じる。
口の中に毒でも仕込まれていては厄介だ。
舌を噛むこともできず、刺客はなすすべもない。あとは。
オズヴァルトは目を伏せる。
無言で、皇宮の敷地内へ意識を広げた。
それが、拾うのは。
貴族たちの会話。
騎士たちの動き。
侍従侍女が立ち働く様子から、草木のざわめきまで。
その中でも。
「…捕まえた」
―――――先ほどの刺客たちが、全員、どこにいて、何をしているのか。
オズヴァルトには、つぶさに見て取れた。
見えた、なら。
…悩むことはない。
捕まえればいい。
追っている騎士たちもいる。全員捕縛されるのはすぐだ。
その時、なんとなく指を鳴らしたのは、無意識の行動だった。
音が耳に届いて、自身がそうしたことを自覚する。
「あなた、どうやらまた」
何らかの行動をとるときの、それはオズヴァルトの癖だったか、そばにいたカミラが優雅に扇で口元を隠しながらも、いやそうな声を出す。
「『悪さ』をしましたね」
そのくせ、オズヴァルトへ向けた流し目は、麗しい限り。
「…」
惑う目で大人二人を見たのは、皇女だ。
はぐらかす態度で、オズヴァルト。
「ただの悪戯ですよ」
特に力のこもらない声で言って、警戒と緊張をまとう皇子を見遣る。
「逃亡した刺客も間もなく捕まるでしょうな。ゆえに、殿下」
カミラをエスコートするように彼女へ手を差し出す。
ちらと視線を投げたカミラは、しかし抵抗はせず、素直にエスコートに応じた。
彼女にもわかっているはずだ。
これから向かう先で、オズヴァルト・ゼルキアンは改めて、社交界へ足を踏み入れる。
その再デビュー戦として、帝国の宴は、ちょうどいい場所だろう。
とはいえ。
好きな場所ではない。
もとより、会社員としても、飲み会は苦手な人間だった。これだから、出世できないのだ。
ただ、おとなとしてえり好みはできなかった。
オズヴァルトは熱のこもらない声で、マティアスへ退屈気に告げた。
「今宵の遊戯は、ここまでに」
さあ、お仕事の時間だ。




