幕13 すべて守り抜く
呆れつつ、オズヴァルトは軽く地面を蹴った。直後。
「―――――…は?」
騎士たち数人が、呆気にとられた声をもらす。
呻くような息とともに。
なにせ、彼等の目には。
突如、刺客の背から刃が生えたように見えたからだ。
刺客が手にしていた短剣が、自らの胸を貫いたのだときちんと把握できたものは、何人いただろうか。
正確に言えば。
真横から刺客の手首をつかんだオズヴァルトが、それとほとんど同時に、刺客の手首を捻り、関節を壊し、相手の胸を貫いていた。
言葉で言えば簡単だが、やろうと思って簡単にできることではない。
「あら」
真正面で行われたことを、悲鳴も上げず見ていたカミラは、冷静に言った。
「殺さなかったのですね」
「死体を見たいなら」
血と共に、乾いた息を短く吐き出し、攻撃の気力を失い、オズヴァルトの存在に肝を冷やした刺客から、彼は興味を失った態度で手を離す。
「コロッセオへ行ってください」
「殺さないと後悔するわよ」
カミラの声は、唆すというより、単に事実を語っているかのようだ。
実際、そういった側面もあるだろう。
こうまでした相手が、まさか、オズヴァルトを恨まずに済ませるなどあり得ない。
そもそも、相手はこちらを殺すつもりで刃を振り上げたのだ。
である以上、殺されたって文句は言えない。
今、刃が貫いたのは、刺客の心臓ではない。肺だ。
長くは保つまい。
そうできるだけの力があった、にもかかわらず、オズヴァルトはそうしなかったのだ。
即死させたほうが、慈悲深いだろうか?
無論―――――どんな悪人であっても、命に、罪はない。
である以上、できることなら命は尊ぶべきだ、という考えが、オズヴァルトの中では根強かった。『冬見一平』の意識の影響だろう。
傷つけておきながら、偽善だろうが。その半面で。
自分を、そして、自分が大切にしているものを殺そうとした者には、オズヴァルトは一片の慈悲すらかけるつもりはなかった。
オズヴァルトは、決めたのだ。
せめて、これから、自分がいるこの世界では―――――大事にしているモノを、すべて守り抜くと。たとえそれが欲張りだとしても。
失って、失って、失い続けた、過去を振り返って。
これ以上、もう失わないために。
この決意だけは決して、揺らがないだろう。
大切なものを守るために必要ならば、オズヴァルトはどこまでも冷酷になれる。
もし刺客がオズヴァルトの肉親ともいえる魔人たちなら、行動に迷うことなどなかった。
ただ、今回は。
「情報を得る必要があるでしょう」
オズヴァルトにとって、とばっちりを受けた状況に過ぎない。
彼はアルドラ皇族の刺客であり、その刃は、アルドラ帝国貴族にまで向けられた。
ただし相手はカミラだ。人質に取ろうとした可能性もある。
なんにしたって、オズヴァルトはたまたまその近くにいただけだ。
カミラは優雅で柔和な貴婦人の微笑を保ちながら、冷めた声で呟く。
「理解できないわね。…昔から、」
そんなことを告げる、うつくしい顔に浮かぶ微笑に、見惚れる者は多いだろう。
「冷酷で、退屈な男よ、あなたは」
殺しを生業にする者から、情報を引き出そうとするなら、それなりに残忍な拷問が必要になってくるだろう。
そんなものにさらされるより、いっそ殺すほうが慈悲かもしれない。
ゆえにカミラは、オズヴァルトを冷酷と評したのだ。
だがこの後、生き残りたければ努力をすべきは、それができるのは、本人だけだ。
オズヴァルトにできるのは、ただ、命を奪わず済ますことのみ。
それ以上の責任は彼にはなかった。
「結構」
カミラの評価に、オズヴァルトは安堵し、退屈そうに応じた。
「あなたを楽しませたらどんな無理難題を吹っ掛けられるか、そちらが恐ろしいですね。…さて、殿下」
どこまでも冷え切った声で言いながら、胸を押さえた刺客が後退するままに放置し、顔を上げたオズヴァルトは皇子に告げる。
「その刺客。治癒を施し、拷問すれば、情報を引き出せるかもしれませんよ」
無論、放置すれば、待つのは死のみだ。
オズヴァルトは、…どちらでもいい。
刺客の、生存か死か、選ぶのは、被害者だ。
冷酷とすら言える言葉を、まるで、別の世界の出来事のように、オズヴァルトはどうでもよさげに淡々と言った。
胸を貫かれた短剣もそのままに、他の騎士たちにあっさり捕獲された刺客は、また盛大に血を吐いた。
目の焦点が合っていない。
オズヴァルトを鋭い眼差しで見遣ったマティアス皇子は。
一瞬、目を細めた。
記憶の中の何かを見定めようとするように。直後。
その碧眼を大きく見張り、幽霊にでも出くわした顔で、呆然と呟いた。
「…まさか…―――――オズヴァルト・ゼルキアン公爵閣下…?」
その、名に周囲の騎士たちが、緊張と警戒で身を鎧った。
かつてはともかく、現在において。
オズヴァルト・ゼルキアンの名から連想するのは、悪名―――――何よりも、『死』の気配に違いない。
大陸の歴史の中でも数少ない天人であるといえど、尊崇の対象とはなり得なかった。
そのくせ。
その名に恐怖を抱きながらも、同時に感じる恐怖と同じくらいに慕う者は多い。
災厄に沈んだシハルヴァの領土は、―――――本来ならば。
『消失』したはずなのだ。




