幕10 公爵夫人
無論、カミラは個人としても優れ、魅力的な女性だ。
とはいえ、彼女にとって、すぐ、自身をただの女と見ることは難しかったろうし、彼女なりに、肉親や故郷の数多くの知り合いを亡くしたショックもあったろう。
しかもカミラという女性は、弱音を吐くことができない。
もっと正確に言えば、弱い自分をさらすことは負けだと思っている上に、猛烈な意地っ張りだ。
ちょっとした刺激で崩れ落ちてしまう可能性は高かったはず。しかも。
カミラは、そっとしておいてもらえることはなかったろう。
なにせ、滅びた王国の王族、その最後の生き残りというのが、彼女の立場だ。
今、シハルヴァ王国は、滅亡し、その領土は魔境とも呼べる厳しい環境下にあり、人間が住める状態にはないが、その領土の正統な後継者である彼女が、放っておかれたわけがない。
カミラを立て、今は放置されている領土を手に入れようとした人間も多かったはず。
ただ、カミラはそれを放棄した。
―――――わたくしはレミントン公爵夫人。
その立場を、頑として貫き通したのだ。
今、ハシルヴァの領地は、…分かりやすく言うなら、放置された空き家も同然だった。
災厄の影響か、正直なところ、過酷な環境であり、人間が安穏と住める大地ではなくなっている。
それでも欲しがる人間はいるもので。
結局、五年前、国家間で協定が結ばれたようだ。
王族の死体が見つかっていないことから、王族が生き残っていることを前提に―――――十年。
王族の帰還を待ち、十年間、ハシルヴァの領地を見守ることにする、と。
その結論には、カミラの行動も強く影響しているに違いない。
なにより、五年前の災厄の現れ方には不審があった。
なぜ、ハシルヴァの魔術師協会は、災厄の現われを予測できなかったのか。
全国に設置された協会の支部の仕事の一部は、災厄の観測にある。今まで通りであるならば、一か月前には予測できたはずなのだ。
にもかかわらず。
災厄が現れた当日になって、はじめて民はそれを知ったのだ。
―――――なぜそのような事態になったのか。
残念ながら、当時、支部長だった男は亡くなっており、職員も大半は散り散りとなって行方知れずだ。
生き残った王国の官僚は、そのような報告は一切上がってこなかったと主張している。
ただ、当時シハルヴァを行き来した魔術師協会の人間は、不穏な魔力の揺らぎを幾度か感じた、その情報はハシルヴァの支部の人間と共有していたと答えた。
これが事実ならば、―――――…どこかで情報が止められたことになる。
それを考えれば、オズヴァルトは腹の底が冷たくなる心地と、同時に、カッと燃え上がるような怒りが湧いてくるのを感じた。
現在の結果が、人為的な思惑によるものならば、当事者には相応の罰を受けてもらわなければならない。
いや、人間が考え得る罰程度では、その罪に相応しいとは言えないだろう。
…だが、その目的は何なのか。
いずれにせよ。
誰の目にも明らかな、王族の生き残りは、連日、厳しい立場に立たされたはずだ。
オズヴァルトは顔を上げた。
それでも、カミラ・レミントンは、今目の前で、凛と立っている。
彼女自身の強さも理由の一つだろうが、夫のレミントン公爵の支えも、無視はできない。
(確か、レミントン公爵の祖母が、皇室出身だったとか…)
公爵という地位もさることながら、帝国内では影響力の強い存在に違いなかった。
「そうまで言ってくれるなら、何かもらおうかしらね」
カミラはつけつけモノを言った。
「ゼルキアン領鉱山では、この数年のうちで質の高い魔石が発掘されるようになったと聞いたけど」
皮肉なことに、災厄に見舞われて以降、ゼルキアン領の鉱山から発掘される鉱石は、魔石に変わった。それもかなり質の高い魔石だ。
小指の爪くらいの大きさの魔石ですら城ひとつ建つほどの金額がかかるというのに、それが赤子の頭くらいの大きさのものがごろごろ転がっているのだ。
天候の悪さと、周囲を闊歩している強力な魔獣の存在のため、大々的な発掘には踏み切れないが、わずかだけでも高値が付いた。しかも調査させたところ、膨大な量の魔石が眠っていると結論されたものだから、うまく回せば当分資金難に陥ることはないだろう。
だがオズヴァルトにとって、それは最後の手段だ。
そんなものが大量市場に出回れば、世界経済がおかしくなる。
「わかりました」
オズヴァルトは静かに言って、カミラの長い金髪に目を向けた。
「魔石で簪でも作って贈ります」
「…あなた」
すこし気味が悪そうな表情で、カミラは言葉を紡ぐ。
「気が利くようになったのはいいけど、不気味よ」
失礼な。
だが、気が利くと言われたということは、簪は欲しいということだろう。
なにより、カミラから素直に褒められたりしたら、それこそ不気味だ。
ふと思いつき、オズヴァルトは言葉を付け加えた。
「いざとなったらそれが攻撃の道具になりますしね」
簪ならば、身を飾る装身具が、武器に早変わりする。
相手の虚を突けて、一石二鳥だろう。
「…あなた」
また、カミラはあからさまに身を引いた。
「前言撤回、相変わらず無粋だわ」
こういう、オズヴァルトに慣れ親しんだような相手からも、変わらない、という評価が得られるということは、以前のオズヴァルトも今のオズヴァルトも、反応や思考がよく似ているということだろう。つまりは、変に演技しようとしないほうが一番いい。
「でしょうね。それでも、…色々ありましたから」
変わったことも多いはずだ、と念のために付け加える。
いずれにせよ、オズヴァルトとカミラ、幼馴染の再会としては、これで十分に違いない。
彼女の本質が変わった様子はなかった。
だが、互いに周囲の環境が変わりすぎている。
二人きり、暗がりでこれ以上共に過ごすのはよくないだろう。
「色々あった、…そんな言葉一つでくくれるものではないけれどね」
カミラの態度は、そう言いながらも、とことん冷ややかだ。オズヴァルトを上回る。
ただしそれ以上、双方とも、その話題に触れる気は起きなかった。
慰め合うような間柄でもない上、慰めてほしいとも思わない。
「会場まで送りましょう」
オズヴァルトと同じ判断をしたのだろう、彼が差し出した手に、カミラは迷いもせず、手を重ねた。
同時に、互いに、素っ気なく目を見かわす。
カミラならば、理解したはずだ。このまま、オズヴァルトと共に会場へ戻る意味を。
かつての王女と騎士の姿を、覚えている者はまだ多いだろう。
カミラとしては、面倒に巻き込まれるのはごめんだが、かと言って、オズヴァルトとのつながりを全くないとするのも、惜しいに違いない。
親密でなくとも、付き合いはある―――――そういった演出をこれからするわけだ。誰に?
会場に居並ぶ他の貴族たちに対して、だ。
目立つのは嫌いだが、仕方がない。
「そう言えば」
微笑むカミラが、単刀直入に言った。
「あなたここまで、どうやって入ってきたのかしら」
ぎくり。
内心、悪戯が見つかった子供の心境になるオズヴァルト。だが隠しても仕方がない。
ある程度は見透かしているようなカミラを前に、すっと空を指さした。




