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原初の魔女と雇われ閣下  作者: 野中
第3章
46/59

幕6 思ったのと違う

一方で。


店舗にヨアキムを下したオズヴァルトたちは宿へ向かっていた。


もっと正確に言うなら。




そこは歌劇場から発展したホテルだ。




毎日華やかな演目が開催される劇場は、かつては寂れた掘立小屋だった。

以前は、祭りに使われていたその舞台で平民から数多の歌姫が誕生し、その流れから歌劇が催されるようになった、民の熱意に満ちた場所だった。


いつしかその意味は失われ、長年放置されていたその場所で、また祭りをはじめたのはシューヤ商団だ。


その場がにぎわっていた古い記憶を持つ老人たちが家族と共に訪れだしたのを皮切りに、いつしかそこへ人が集まるようになった。

そして、席の区分がつけられ、民も貴族も観ることが可能な大きな歌劇場が生まれた。


以前は、平民が観る演目、貴族が観る演目と分かれていたが、誰が観ても面白いものは面白い。


演目による平民の入りと貴族の入りは、さして変わることはなかった。

よって、観客の希望もあり、最近の演目に身分の別を意識したものはない。



さらには、その上階に宿泊施設が誕生―――――それは、かつて誰も考えたことがない、高級施設だった。



貴族向けなのは明らかだったが、なにせ、貴族たちは本来、自分の屋敷を持つ。

使用する者はほぼいないだろうと当初は思われていたが。


最初にそこを利用したのは、首都の滞在が短期間のため、いちいち屋敷を使いたくなかったために別の滞在場所を望んだ地方貴族だ。

また、歌劇を観に来た貴族が、一泊を所望した。

首都の端の方とはいえ、宿泊施設は、あれば便利なものだった。



評判は上々―――――一泊がとんでもなく高いが、見合うだけの価値がある。



本来は地方貴族向けに展開した代物だったようだが、そこで宴を催したり、会議に利用したりと、首都に住む者にも利用者が増加した。

常に内外が客で賑わっている場所だが、今日は少し様相が違った。




昼に差し掛かろうかという時間帯。

客をもてなす最低限の従業員を残し、支配人をはじめ、他にも手すきの者が一斉に正面に集まり始める。




平民・貴族の別なく、何事かと見守る中、彼等は整然と整列をはじめ―――――。


ふと気づけば、地面に影が落ちた。

いつも余裕に満ちた支配人が、厳しく従業員に指示を飛ばす。



「お越しになられた―――――早く!」



その言葉が終わるか終わらないかの内に。

空に舞う極彩色の絨毯を、幾人が見ただろう。そして、その隣を駆ける白馬を。


見た、と思った時には、魔術でも働いているのか、いっきにそれらはホテル前に舞い降りてきていた。



絨毯からは、十歳くらいの女の子と十代半ばの少年が身軽に飛び降りる。

そして、赤い目をした白馬からは。


―――――黒衣の男が静かに降りた。


長身。

中折れ帽をかぶっている。


顔を上げた彼等に対し、ホテルの従業員たちは一斉に頭を下げた。上品に、優雅に。


貴族家の侍従侍女であっても不思議はないほど行き届いた所作だ。


彼等は口を揃えていっせいに告げた。






「おかえりなさいませ」






大人びた表情を浮かべた少女は、まあ及第点かな、と言った表情を浮かべる。

少年は頭の後ろで腕を組み、退屈そうに欠伸をこぼした。


黒衣の男は、と言えば。



衆人環視の中、しばし、立ち止まる。



整列した従業員たちを眺めやり、その流れのまま、巨大な劇場兼ホテルを見上げた。

彼等はいったい、それほどの要人なのか。


ホテルの利用者たちが興味津々の目を向けてくるのに、状況の全てにさしたる興味もない態度で、白馬に手を伸ばす。とたん。


白馬が消え、まっしろな猫が空中に現れた。

真紅の目をした白猫は、そのまま男の腕を駆け下り、首のあたりに巻き付き、落ち着く。


猫が落ち着くのを待って、男は歩き出した。


頭から帽子を取って、おそろしく体温が低そうな気怠い声で告げる。

「ご苦労。世話になる」




その時、周囲を一瞥した瞳は―――――青紫。ゼルキアンの証。

その容姿を垣間見た者は、おそろしく整った姿に、感動するより冷酷を感じ取ったようだ。

びくりと身を竦めた。とはいえ。



場に居合わせた客たちは目を疑った。

彼はそのまますぐ、ホテルの中に消えたが、間違いない。






あの男こそ―――――オズヴァルト・ゼルキアン。


今、大陸中の噂の的である張本人が、アルドラ帝国に現れた。






たちまち、沸騰したような騒ぎがホテルの内外で湧きおこる。


対して。

渦中の人、オズヴァルトはといえば。






疲れ切っていた。精神的に。なにせ。






「ティム」

オズヴァルトが呼びかければ。


「なになに? どうしたの?」



最初に見せていたオズヴァルトに対する怯えはどこへやら、白猫は人懐っこく応じた。

ついでとばかりに自分の小さな額を、オズヴァルトの頬にすりすり。






ティムは撫でられるのが好きらしい―――――と察したオズヴァルトが望むところとばかりに撫で続けたためか、警戒心は蕩け落ちて消えたようだ。

掌サイズの小猫も堪らないほど愛らしいが、撫でるならやはりある程度の大きさがないと、と思ったオズヴァルトが普通の大きさの猫になれるか聞いたところ、成れるということだったので、遠慮なくなってもらうことにした。のだが。


―――――まさか馬にもなれるとは。






ティムの仕草はかわいいし、ふわふわの毛の感触は天国だが、…確かめるべきことがある。



「なぜ、あのような白馬になったのだね」



はっきり言って、オズヴァルトは猛烈に恥ずかしかった。

…白馬の王子とかいうだろう。


白馬のおじさんはお呼びでないはず。


いや無論、戦場などで「俺が将だぞ」と分かりやすく差をつける時などはありかもしれないが。

馬になったティムがやたらと美しかったものだから、余計、気後れしていた。

なぜこんなに優美なのか…見る分には非常に眼福であるが、乗るとなるとちょっと、と思う。

もっと逞しい馬なら白馬でもよかったかもしれないが…。

しかし、得意げに鼻高々だったティムにそれを言えるわけもなく。


ようやく猫に戻ってくれて、オズヴァルトは内心安堵していた。とても。


ティムはきょとん。




「だって僕の体毛白いもん」




一言で切って捨てられた―――――ごもっとも。しかし無念である。







事の発端は、女帝の使い魔ティムがどこからか引っ張り出した空飛ぶ絨毯にあった。

ヨアキムが、首都の店舗で戦力として必要だろうと判断したのは、オズヴァルトとビアンカであるが―――――本人も同行を願い出たわけだが、理由はオズヴァルトに変なものを食べさせられないという、ちょっとズレた理由だった―――――彼の巨体が絨毯に座れば、もうオズヴァルトは乗れなかったのだ。


ヨアキムの肉体の質量も大概だが、オズヴァルトの身体も、大概かさばる。



そこにビアンカとアスランが乗れば、定員ぎりぎりといったところ。



悩ましい状況で、ティムが一言。




「僕、馬になれるよ!」




告げるなり、本当になった。猫が、馬に。質量的な違いなどは考えたら負けな部分だろう。

よりによって白馬であったことも乗りたくなかった理由ではあるが、そもそも、今のオズヴァルトに乗馬経験はなかった。


しかも最初、ティムは翼を生やしていた。


だがこの場合、翼は実用的ではない。

邪魔だからなくしてくれ、と言えば、ショックを受けたティムは目に見えてしょんぼりしながらもおとなしく従ってくれた。


従ってくれた…残念ながら。


翼を理由に、乗らずに済むならそれに越したことはないと小狡いことを考えていたオズヴァルトは、観念するしかない状況に陥ったわけだ。

失敗したらした時だ。

そのまま手綱を掴み―――――。




結論から言えば、乗れた。しかも余裕で。


―――――よく忘れがちだが、オズヴァルトの肉体は、そもそも、ハイスペックなのだ。




馬上のオズヴァルトを見上げ、ビアンカはほっこり微笑んだ。

「お似合いです、若さま」

それはおそらく肉親の欲目に似たものだ。


「格好いいです! ご主人さま!!」

嘘だな。

気遣いはいいから、と言おうとアスランを見遣れば、目の輝きが本気だった。

憧れのヒーローでも見る目だ。


腹の底からため息をつきたい気分をぐっと飲み込み、オズヴァルトは低く一言。




「…そうかね…」







以後、オズヴァルトは頑張った。

この姿をできればあまり目撃されたくない。

変な羞恥心のまま、最速で首都についてやると目論んだわけだが。




―――――結局、大多数の目に止まってしまった。




そう言えば、ドルーア商団の皆さんは、大丈夫だっただろうか。

地面に降りるなり、焚火を囲っていたが…。


身体に負担はないが、心が疲労困憊したオズヴァルトはホテルに入って、素っ気なく一言。

「もう休む」


早く部屋に入って一人になりたかった。


今夜は出かけなければならないが、せめてそれまで、と問答無用で宿泊する部屋まで案内してもらったわけだが。




「わあっ、すごーいっ!」




部屋に入るなり、ティムが無邪気な歓声を上げた。

オズヴァルトは渋面になった。


部屋が広い。

家具がすごい。

これではまるで。






―――――極上のスイートルームだ。しかも最上階。






肩から飛び降りたティムが、床をくるくる回り、最後はソファへダイブする。

ごろごろ転がり、ご満悦だ。真紅の目がうっとりしている。


それを尻目に、オズヴァルトが座り込むわけにもいかないから、根性で椅子まで歩いていき、そこに腰を落ち着けた彼は深呼吸した。


確かにかつて、彼は色々言いたいことを言って、アイデアをオズや魔人たちと共有はした。したが、



(思っていた規模と違う)



オズヴァルトは内心、愕然としていた。

だいたい、何だろう、この建物の外観と大きさは。


宿どころではない。

確かにホテルというにふさわしい、いいや、これではもはや城だ。

本当にいまさらだが、









―――――シューヤ商団は、いったい、どれほどの規模になったんだ?









はじまりは、ただの食堂だったはずなのに。


思えば、首都のど真ん中にあったスイーツ専門店とて、冷静に考えてみればとんでもない。

そんな場所で経営が成り立ち、生き残っているのだからさらにすごい。


オズヴァルトはなんだか、じわじわ滲み出してきた冷や汗に、とにかく落ち着こうと目を閉じた。



思った以上に、ヴィスリアの魔人たちの能力が高いのだ。おそらく。



このまま目的だけに邁進しようと思っていたが―――――今回のことが落ち着いた時にはさすがにやらなければならないことがあるとオズヴァルトは決意した。




「シューヤ商団の規模と収支と関わっている人員、家族構成、ああ福利厚生はどうなって…いや一体どこまで手を出したのか…」




過去、オズヴァルトは色々提案したが、まさかすべてが実現するとは思っていない。

彼とて一人の人間だ―――――いや天人とやらになったようだが―――――間違いや勘違いだって多いだろう。


まさか、魔人たちがいくらなんでもオズヴァルトの言だからと言って、すべてを呑むはずがない。




…ないはずだが、なんだか全てを知るのが恐ろしかった。




視線を感じ、目を開けたオズヴァルトを、ひっくり返って万歳をしたティムがしあわせそうに見上げている。


ティムを見下ろし、オズヴァルトは頭が冷えた。

(猫の顔はなぜこんなに幸せそうに見えるのか…)


今、思いつめても仕方がないという気分になる。


へそ天状態のティムの腹にそっと手を伸ばし、ふわふわの毛に指を埋めた。

そこから顎まで撫で上げれば、ごろごろ喉が鳴る。


とにもかくにも。







「やるべきことは多そうだよ、ティム」









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