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原初の魔女と雇われ閣下  作者: 野中
第3章
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幕5 本物



たとえ冒険者たちを応援していたとしても、自身が殺されるとなれば話は別である。


…まあ、魔人たちは強いため、開発したものを利用する必要がないとも言えた。

逆を言えば、だからこそ、オズヴァルトの一言がなければ、魔人たちは誰も結界石をはじめ、さまざまなものを作ろうという気にはならなかっただろう。


オズヴァルトが一番に、店のメニューのために頼った存在。

それは―――――シェフ。




ゼルキアン城の、専属シェフだ。それこそ。


―――――ヨアキム・ステンホルム。




当たり前だが、結果として、オズヴァルトは、他のどの魔人たちより、ヨアキムとの会話頻度も接触回数も多かった。

そして、代々ゼルキアン城のシェフを務めたとはいえ、ただのシェフに過ぎない彼まで魔人になったことを、嘆きながらも感謝した。


ヨアキムがいなければ、オズヴァルトに憑依した魔人を、あれほどしっかりゼルキアン城内におとなしく引き留めておくことは不可能だっただろう。




その上、ヨアキムは穏やかで根気強かった。

そして、食物に関する知識もまた、豊富。


しかも東西南北のあらゆる調理法まで熟知していた。

なんと心強いアドバイザーだったことだろう。




彼は、オズヴァルトの知識とこちらの世界の食材とをすり合わせ、新たに様々なレシピを開発した。

この作業は苦にならないか、とオズヴァルトが尋ねたところ、照れた態度で答えたものだ。



―――――楽しいです。



この瞬間、オズヴァルトはヨアキムに全幅の信頼を置いた。





ところでなぜ彼は、八本腕なのか?


魔人となったとき、こうなったらしいが、本人の望みがなければ肉体の造りまで変わることはないだろう。

ちなみに彼の服はオーダーメイドである。


いったい、何を望んでいたのか、と尋ねれば。




―――――腕が多いと料理を同時並行でたくさん作れるんじゃないかなあとは思いました。


この男、本物である。




ただ、もっと本音を言えば―――――…ヨアキムはタコになりたかったそうだ。

あっちの方が自在に動けそうだから、という理由である。


だが、却下された。主に女性陣から、厳しく。


オズヴァルトもちょっとな、と思ったので、絶対許可はしない方向で決定している。




なにせ、オズヴァルトが許可すれば、ヨアキムは簡単に成ってしまいそうだったからだ。タコに。




タコの件は蛇足だが、シューヤ商団の『食』開発者はヨアキムだとオズヴァルトは公言している。

ゆえにその道の人間が、ヨアキムを意識しないわけがない。


いずれにせよ。




ヨアキムは本物だった。才能も、努力からなる実力も。




ただ。


それでどうしてその筋肉なんだ、と皆に思わせるほど厨房にこもりきりの彼は、外部の人間と触れ合う機会はほとんどない上、とことん鈍かった。


ほとんどファンの眼差しを向けるスタッフの態度に気付いた様子もなく、右の一番下の腕にぶら下げていたバスケットを持ち上げる。

「ええと、まずは陣中見舞いに、これ。よかったら。我が君が、持っていったら喜ぶだろうって。卵にサラダ、肉はカツサンドがあるよ」


言いつつ、置く場所はないか、きょろきょろ周りを見渡すヨアキムの姿に、何人かがさっと動き、スペースを作る。



「ああ、ありがとう。休憩が難しいなら、食べながら作業を続けようか」



食事を抜いて作業していたスタッフは、ありがたさに涙しながらバスケットの中からサンドイッチを取り出した。

それぞれがかぶりつき、食材がたちまち栄養となるような感覚に浸ったその時。



「ヨアキム」



厨房のドアが開いた。そこに立っていたのは、

「ビビ様」


小柄な人影。

外からの光に輝く白金の髪に、空色の瞳。

ミルクのように白い肌。


その可愛らしい容姿に、しかし、スタッフ全員が固まった。




シューヤ商団の中で、ビアンカの洗礼を受けていない者はいない。




ただ、気弱そうに見えるヨアキムは、彼女をそれほど恐れていないようだ。

穏やかに微笑みながら彼女を振り返った。


「お疲れさま。どう、問題はないかしら」


淡々とした、それでいて鞭とも同等の視線が、厨房内を薙ぐ。刹那、

「お疲れ様です、問題ありません、まだ戦えます!」


スタッフの代表者が姿勢を正して言うのに、ビアンカは目を細めた。

全員が、うすら寒い心地で身構える。


彼女が使う言葉の武器は、的確に致命傷を与えてくるから、玉声を賜るときは、決死の覚悟が常に必要なのだ。


「疲労が濃いわね。いったい誰が、無理なスケジュールを組んだのかしら?」


「あ、いえ、違うんです」

代表を庇うように、スタッフが口々に言う。

「寸前でちょっと貴族家のひとつが我儘を言ってきて」


「おい」


「しっ」


誰かが小声で窘めるのに、ビアンカの顔から表情が消えた。刹那。




「ならば、この場にヨアキムを連れて来られたのは僥倖だ」




体温が低そうな声がして、彼女の背後に、誰かが立った。


長身。

黒衣。

中折れ帽を深くかぶっているため、顔はよくわからない。ただ、覗く髪は銀。


ビアンカはたちまち困った顔になり、

「若さま」

言いながら、後ろを見上げる。




―――――若さま?




ビアンカの言葉に、はじめて店のスタッフたちはいつもと状況が違うことを悟った。


そう言えば、先ほど、ヨアキムは何と言っていたのだったか。そうだ。





我が君。





確かそう、言っていた。


思い出すなり、スタッフたちは、寸前とは違う意味で青ざめる。

「そうだろう、ビビ」

ゆったりと構えた相手は、厨房の中へ視線を投げた。


「ではヨアキム、後は任せたよ」


「はい、我が君」

「さて、皆、お疲れさま。事情は後程報告を。休憩は適度に取りたまえ」


「…若さま」

「ビビ、我々は宿へ」




厨房が、かつてない緊張に満ちる中、手短に告げ、男はさっとその場を後にしてしまう。




その背を視線で追ったビアンカは、わずかばかり不満そうだったものの、すぐさま従った。

しずかに閉じられた扉を見つめ、しばし固まったままだったスタッフのうち、一人が、


「あのう…ヨアキムさま…」

呼びかけられるなり、恥ずかしそうに、ヨアキム。

「あ、呼び捨てでいいよ」


「はい、あ、いえ、ヨアキムさま。まさか、さっきの男性は」


戦々恐々としたスタッフの呼びかけに、

「ああ、うん」



しあわせに満ち溢れた聖職者に似た笑顔で、ヨアキムは答えた。






「あの方が、オズヴァルト・ゼルキアン閣下―――――僕たちヴィスリアの魔人の主人だよ」






突如、緊張から解放されたスタッフたちが嘆きの姿勢で崩れ落ちた。


当て逃げされた気分で、呻く声が重なった。







「ご、ご挨拶する隙もなかった!」










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