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原初の魔女と雇われ閣下  作者: 野中
序章
4/59

4幕 主の帰還

それを知ろうとした魔族は少なくないが、城の中まで足を踏み入れた酔狂な魔族は、彼一人だった。

そして、知った。



―――――未だ災厄はこの地に残り、誰の餌食にもなっていないことを。



ゆえに、欲が生まれた。

(ならば自分がもらい受けよう)


ただそれまで、…ほんの少し、遊ぶくらいは許されるだろう?


「ふざけるな、五年も耐えたんだ、コレはオレのだ!」

叫びながら、肉袋が伸ばした手が、扉に触れる、寸前。



「ぐげ」



潰れた蛙のような声を上げて、肉袋が後ろへ引っ張られた―――――離れた場所にいた魔族の男が無理やり引き寄せたのだ。刹那。







ぶちぶちぶちっ。


繊維を引き裂くような音とともに、肉袋が裂けた。


…―――――ように、見えた。

その、光景に。



「…は?」







唖然としたのは、魔族の男だ。


さし伸ばしていた手に引き寄せられたのは―――――肉塊。

ぶよぶよと気持ちの悪い手触りに、指先へ触れるなり、汚物に触れた嫌悪感に思わず床へ叩き付けた、それが。




―――――ギャンッ!




獣のような声を上げたのに、魔族の男はハッとなった。

これは、憑依していた魔族の『本体』だ。

本来は、精神体のはずなのに、



(まさか、受肉しただと…っ?)



それだけ、肉体がもたらす愉悦に溺れてしまったのだろうが、おぞましいことこの上ない。

ただし、悪魔らしく、しまりのない話だ。


オァァ、オァァ、と赤ん坊めいたうめき声をあげ、ソレは床の上でもたもたのたうっている。


肉の愉悦を覚えた以上、いまさら、精神体へは戻れないのだろう。

(…待て、『コレ』が出てきた、ということは)







―――――『何』が残ったのか。







魔族の男が顔を上げる、寸前。


「…楽しかったかね」


間近で、声。

低音の、微細に鼓膜を震わせるその声は、どこまでも冷酷に魔族の頭の中へ届いた。

恐ろしく体温が低く、感情が乾ききったような、声だ。


憑依していた魔族が放っていた声と、同じなのに、まったく印象が違う。

同時に。




「弱者を甚振るのは」




頭蓋に、衝撃。

いや、これは。



(…角…!)



視界の端に映った、何かの白い破片は、もしや。






いったい、何が起こったのか。

理解する前に、魔族の肉体は、階段をきりきり舞いして転がり落ちていた。


―――――ダンッ!

無様に肩から床に着地し、痛みをこらえながら、慌てて跳ね起きれば。






先ほどまで、彼が立っていた、階段上。

一人の男が立っていた。


長身。

たるみ一つ見られない、鍛え上げられた肉体。


顔立ちは整っているが、どこか悪党めいていると思わせるのは、酷薄そうな雰囲気があるからだろう。




まとうのは、冬の空気。




印象的なのは、その瞳だ。紫とも青とも取れる、霊妙な色彩。

幾分年を取っているが、背後の壁にかかった肖像画にそっくりな威風堂々としたその男は。


…間違いない。








――――――オズヴァルト・ゼルキアン。







魔族の男は、いっきに警戒と緊張を身にまとい、咄嗟に距離を取った。

その、自身の動きに歯噛みする。


距離を取った、即ち。




警戒し、安全を優先し、逃げる策を取った、ということだ。


魔族の貴族にあるまじき、惨めな行動。同時に殴られた部分に、手をやって。






―――――心底、ぞっとした。





「…―――――きさま…」


右側の角が、半ばから、なくなっている。

殴られたか。

蹴られたか。


それすら、わからない。少なくとも、オズヴァルトは無手だった。



「精神体の魔族に憑依されながら、どうやって、生きて…! いや、それより…よくも…っ、きさま、きさま、きさまあ!」



そこに落ちていたのだろう、身を屈めたオズヴァルトが、折れた角を足元から取り上げた。

その、青紫の瞳が、階段下を見下ろすなり。


魔族の男は組み伏せられていた。


彼を床へうつぶせに抑え込んだのは、魔族の手によって最後に床へ投げ捨てられた男女二人。

かつて、男は執事であり、女は侍女長だった。



左右両方から組み伏せられ、網にかかった野良犬のように、もがきながら魔族の男は顔を上げる。



普通の人間から見れば、巨人もかくやと思わせるほどの膂力を持つ魔族を、やすやすと取り押さえた魔人二人の動きは、魔族には予想外のものだった。その上、マナを操り、魔族の魔術すら封じている。

「どう、なっている…っ。貴様らは、あの魔族の眷属だろうっ、命令に逆らえば盟約違反の苦痛があるはず!」


だが、涼しい顔をしている二人に、盟約違反の苦痛は欠片も浮かんでいない。どころか。

彼ら二人を除く魔人たちが、続々とその場で膝を折る。

階段上のオズヴァルトへ、流麗な所作で跪いていた。


「…この魔族は怠惰な上に吝嗇家でな」

答えたのは、階段上のオズヴァルトだ。



「分け与える命は、私のものを使ったのだ」



聞いた魔族の男はぎょっとなる。

精神体の魔族に憑依された者は…普通、死ぬ。だが、オズヴァルトの肉体は、生きていた。


先ほど、魔人は何と言った?




―――――オズヴァルト・ゼルキアンの心臓は、まだ鼓動している。




それは、嘘ではなかったということか。

信じられないが、オズヴァルト・ゼルキアンは生きていたのだ。


…分け与えられた命が主人のものだと、知っていたからこそ。

魔人もまた、オズヴァルト・ゼルキアンの存命を確信していたのだ。



(だがなぜ…どうして、どうやって…っ)



理由は、わからない。前例などない事態だ。とにかく、今わかるのは。


人間の命を分けたところで相手が眷属となることはない。

だが、命を分け与えた者の身に魔族が憑依している以上、その魔力も命も魔族のマナに感染している。

眷属となった魔人は、憑依した魔族の眷属であるも同然だろう。


魔族の男は歯噛みする。



今、状況はいっきにひっくり返った。



ここに集う魔人たちがオズヴァルト・ゼルキアンのものならば、全員、魔族の敵となったわけだ。

彼等の主人は、魔人となる前から変わらず、オズヴァルト本人なのだから。



魔族の男は、いらだたしい思いで、オズヴァルトに踏みつけにされた肉塊を睨んだ。



(どこまで愚かなのだ…!)

一方で、オズヴァルトの言葉を聞いた魔人たちが、顔を上げた。


「我が君…っ」

幾人かが、無念の声を上げる。

応じるように、オズヴァルトは小さく頷いた。


とたん、何をされても無感動だった魔人たちの顔に、悲痛が浮かぶ。



彼等を眷属化するために、オズヴァルトの命が使われたということは即ち、彼の命が削られたということ。




ヴィスリアの魔人たちはそれを察してはいたが、こうして改めて言葉にされると、胸に迫るものがあった。






では、彼の残りの寿命はいかほどか。








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