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原初の魔女と雇われ閣下  作者: 野中
第2章
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幕24 黒江緑



どちらが本当の彼女なのかはわからないが、ひとまず、どちらも彼女だと知っていれば今は問題あるまい。


女帝は何やら目を泳がせた。

最終的に、ふっと視線をオズヴァルトとは逆の方へ流し、



「それより、早く服の前を合わせて頂けると助かります」



言われて、オズヴァルトは自分の身体を見下ろした。みっともないことこの上ない。

妙齢の女性に自分の裸を見せつけるおじさん―――――これでは変質者である。

「申し訳ない」


「ご理解いただけているなら、早くしてください」

女帝はあらぬほうを向いたままそっけなく言った。



ただしやはり、耳だけ真っ赤だ。



オズヴァルトは自分で自分にうんざりしながら前を整える。

これで少しは肌が隠れたはずだ。


黙って見ていた黒猫が、気のせいか、にやにやしているようだ。女帝が咳払いした。

「今はまだ、身体に合う服がないでしょうし、仕方がないことはわたしも理解しています」

言い訳のように言う女帝の姿が、黒猫の目に映っている。


オズヴァルトも彼女を見遣り、その低い声で呟いた。



「…黒江緑…」



「なんでしょう」


静かに言って、女帝クロエはオズヴァルトを振り向く。

黒江、という姓は名のクロエ、からきているだろうし、名の緑は。



―――――その印象的にキラキラ輝く瞳から取ったのだろう。



オズヴァルトは、ふっと息だけで笑う。

「そのまま、取ったのだね、黒江さん」


立ち上がりながら言えば、彼女は真面目な態度で言った。

「どうぞ、クロエとお呼び下さい」


「ではクロエ、私のことはヴァルと呼ぶといい」




『冬見一平』はオズと呼んでいたが、そもそもオズヴァルトは、ヴァルと呼ぶように、と最初告げたことを思い出し、そう告げたのだが。






「いいえ」

ソファから足を下ろし、改めて立ち上がったクロエは、背を伸ばし、毅然と言った。




「それはできません、オズヴァルトさま」







それは理解に苦しむ反応だった。


先ほどの、フルネームでのオズヴァルト・ゼルキアン呼びともまた違うが、『さま』付けとは。



距離を置こう、というよりも、むしろ、気安くはできない、そんな意思を感じる。


思えば黒江緑だった時もそうだった。



そもそも、自分の呼び捨てを許した時点で、それなりにクロエはオズヴァルトに気を許しているはずだ。

と思ったところで。



(…ああ、オズには、ということか)



今のオズヴァルトは以前とは魂が違う。

とはいえ、肝心のオズの記憶にあるクロエも、…なんというか、傍若無人極まっていた。


話し方こそ、今と同じ敬語ではあったものの、気安いどころの話ではない。


思い出した関係性は、これでは犬を呼びつける主人のほうがまだましだろうという態度である。

なにせ飼い犬の主人にはちゃんと愛情があるのだから。




「…何をお考えかはわかりますが、それは違います」




生真面目そうな表情で、微かにバツが悪そうに視線を逸らすクロエ。

彼女自身、今までのオズに対する態度がひどかった自覚はあるのだろう。


ただしそれだって、他に対する態度よりましだった。


「…では?」


「…オズヴァルトさまに、お願いしたいことがあるのです。今は、話せませんが」

オズヴァルトはクロエを見ながら、目を細めた。


彼女からは確かに、オズヴァルトに対する好意を感じる。

ささやかではあるし、魔人たちは否定するだろうが、確かに。




だがまさか、齢千年を超える神秘のいにしえの魔女が、翻弄されたように世界を渡った、彼女から見ればまだ赤子のような相手を、好意的に見る理由は一つもない。




なにがしかの事情がある、というよりも、何かオズヴァルトに望むことがあると言ったほうが、確かに、信用できた。

とはいえそれも、なにか、本当ではない気がする。


そもそも、彼女にできて、オズヴァルトにできることが、いったい、いくつあるというのだろうか。

そんなクロエの『お願い』とは、いったい。


彼女は、オズヴァルトを翻弄したいだけか。それとも。




―――――ただ愚直なだけなのか。




クロエが、表情のない顔をオズヴァルトに向けた。

「一つ言えることは」


感情は全くないくせに、訴えかけるような大きな目が、真っ直ぐにオズヴァルトに向けられる。




「わたしはオズヴァルトさまの味方であるということです」




眼差しの方が雄弁に、クロエの本音を語っていた。

…これは、一片のウソも誤魔化しも入っていない。けれど。

オズヴァルト以外の全員が、同じことを思ったに違いなかった。




―――――戯言を。




無論、誰も、面と向かってクロエに言えるわけがない。

とはいえ背後に控えるビアンカとルキーノの眼差しが好意的でないことは、オズヴァルトには理解できた。

むしろ今の一言で、敵意が増した。


一瞬、オズヴァルトはクロエが怯むと思った。





だが、彼女の瞳から、表情から、芯の通った強さが消えることはなく―――――。




「信じられないなら、精霊の誓いを立てましょうか。魔女クロエはオズヴァルト・ゼルキアン大公に隷属すると」





自身の胸を押さえ、自ら奴隷になると告げたも同然のことを淡々とクロエは言い放った。

そのくせ、どういうわけか、威圧的というか、命令じみた気配を感じる。



さあ、やれ。



と、強制されているような気分だ。

いったいこれはなんだろう。


頭痛を感じながら、オズヴァルトは片手を上げて止めた。

「待ちなさい」


にもかかわらず、クロエは首を傾げて別の提案をする。




「魔女が操る精霊の誓いを信用できないというなら、魔術における隷属化でも―――――」




それは犯罪だ。




「落ち着け」

体温の低い声ながら、いささか強く言えば、ようやくクロエの唇の動きが止まった。


クロエの発言に、周囲が呆気に取られている。

彼女の使い魔である猫たちも真ん丸な目を瞠り、固まっていた。


背後の魔人たちに至っては、困惑も極まっている。


そんな中、クロエは妙な自信を持って言った。




「ですが、おそらくそうでもしなければ、わたしのことなど信じられないかと」




どうやらクロエには、自分自身の今までの所業がひどい自覚はあるらしい。

それこそ信じられない話だが。とはいえ。



(演技、とは思えない)



妻子があったとはいえ、オズヴァルトは女慣れしているとは言えない武骨な男だ。

そんな男を、玄人の女が騙し、手玉に取るのはきっと容易いだろうが。


男女の関係に無知であれども、人間の誠実を見る目は、それなりにあるつもりだ。

その点で言えば、目の前の女性は、誠実であるように見えた。



少なくともこの場、オズヴァルトの前においては。



…それでいい。

他でどうあれ、オズヴァルトの前で誠実ならば、十分だ。


「では少し、確認をしたい」

気付けば、オズヴァルトは口を開いていた。


「答えられるようなら、教えてほしい」

豪奢な美貌の女は、微笑み一つこぼさず、淡々と頷く。



「なんなりと」



先ほど、クロエはオズヴァルトを監視すると言った。

額面通りに受け取るなら、反発は必須の言葉だが。


彼女が黒江緑であるならば、話は違ってくる。



「最初にクロエが言った監視とは、私の体調を慮っての事かね」



監視する、という言葉が、もし。


女帝ではなく、黒江緑がオズヴァルトの身体に宿ることになった『冬見一平』の魂を見た上での発言であるとするならば。



オズヴァルトの肉体に宿った、本来の世界で死んだ『冬見一平』というご近所さんを案じてのことだと―――――そう判断する以外の道はなかった。



つまり、言葉は『監視』であったとしても、その真の意味合いは、慣れない身体・慣れない世界での生活を『しばし見守る・手伝う』という意味ではないだろうか。

無論、世間の意見は違うだろう。



女帝という女が、それほど甘く優しいわけがない、と。しかし。



オズヴァルトが知る黒江緑とはそういう女性であり、言葉が端的過ぎて足りないために、誤解を受けやすく不器用だったが、基本はとても優しいひとだった。

おそらく、頭がいいのだろう、その分、言葉が足りず、伝え方が下手だったのだ。


あの世界、田舎の自治会においても、最初は皆、彼女を遠巻きにしたが、どういう人間かはすぐわかったためにそのうち親切に接するようになっていた。



しかしそれはもちろん、あちらの世界での話だ。



オズヴァルトの言葉に、魔人たちだけでなく、クロエが連れていた猫たちもギョッとなる。

周囲にかまわず、クロエはオズヴァルトだけを見つめて、こくりと頷いた。




―――――信じてはいけません。




魔人たちのそんな言葉を聞いた気がしたが、…オズヴァルトはひとつ、頷いた。




「ならば私は信じよう」








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