幕21 女帝
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女帝。
千年を生きたいにしえの魔女。すべての魔女のまとめ役と目されている存在。
魔女とは、生まれつき精霊を使役できる者のことだ。
皆、女性―――――だがその理由は解明されていない。
その上、魔女の因子は遺伝しない。
中でも女帝は、天変地異を起こせるほどの力を保有している。
大陸の歴史を振り返れば、彼女が残したあまたの業績が綺羅星のごとく輝いていた。
それはもちろん、褒められたことばかりではない。
ちなみに表沙汰になっていないところで何をやらかしているのか、どの国の王も頭が上がらないと聞く。
踏み込んで言えば、あらゆる王室、皇室の秘密を熟知しており、そのために誰も手が出せないのだとか。
ゆえに、女帝はその力も知識も禁忌―――――つまり存在自体が災害級の女性。とはいえ。
これだけの力の持ち主である、どれだけ恐ろしくとも、お近づきになりたいと冒険を試みる者は多かった。
そんな彼女は、なぜか。
(オズヴァルト・ゼルキアンが誕生した時から、彼に興味を持っていた…)
オズヴァルト自身の記憶にも、そのように残っている。
だが、記憶の中の女帝の印象は、穏やかなものとは程遠かった。
期待に満ちた目を見たのは、最初に出会った一度きり。
あとの対応は、ごく淡々としたものだった。
関心を持っていたようだが、彼女がオズヴァルトに情があったとは、とてもではないが感じられない。
そんな彼女とは一度、生死の狭間で会ったことがある。
それも、一週間前の話だ。
―――――そんな彼女が、今、オズヴァルトを訪ねてきた。
雪深い門を開けるよう乞うて、正門から。…正門から。―――――…正門から。
「真正面から、お越しになったと?」
「はい」
「本当に、正面から、いらっしゃったのか?」
「間違いございません」
その点について、つい、何度か確認を取ってしまったのも無理はない。
傍若無人で傲慢な長寿の魔女は、今までオズヴァルトの都合などお構いなしに行動してきた。
勝手に空間転移で室内に入り。
言いたいことだけを言って。
やりたいことだけをやり―――――そして身勝手に帰っていく。
そういう、存在だったはずだ。
それが。
―――――正面からやってきて、扉を叩き、相手の都合を聞いて、おとなしく応接室で待っている、など。
どこからの営業だ…いや。
「…人違いではないのか?」
疑念を正直に口に出すオズヴァルト。
「魔族の変装では?」
慎重に口を挟むビアンカ。
「お二方のお気持ちはよくわかりますが」
ルキーノは困った顔で答えた。
こんな時でも彼が漂わせるのは底抜けにお人好しな雰囲気。
だが言うことは鋭い。
「簡単にあの方に化けられる存在が、この世に存在するでしょうか」
ないな。
オズヴァルトの記憶の中にあるのは、女帝の、燃え上がらんばかりの生命力。
ひどく淡々とした女帝の態度とは裏腹に、その印象は苛烈とさえ言えた。
「そうか」
静かに頷いたオズヴァルトは立ち上がる。
「若さま」
行くのか、と確認するビビアンに、
「ルキーノが判断したのだ、間違いはないだろう」
オズヴァルトは言って、扉へ向かった。
ルキーノとビアンカが、扉を開き、丁重に頭を下げる。
当然のようにその間を通り、オズヴァルトは廊下へ出た。貴賓のための応接室へ向かう。
ビアンカと共に、彼に続いたルキーノは、感慨深いような表情を主人の背に向ける。瞳に浮かぶのは、隠しきれない誇らしさ。
「女帝が私に会いに来たとして、要件は何か言っていたか」
ゆったり進むオズヴァルトの歩調に、ルキーノはちらとビアンカを見遣った。
ふわふわ揺れる白金の髪を見下ろし、納得した態度で頷いたルキーノも歩調を合わせる。
「はい。ただ、おかしなことに、」
ルキーノはわずかに言い淀んだ。すぐ思い切った態度で言葉を続ける。
「忙しいようなら、出直す、と」
「…おかしいな」
本人ばかりか、周囲の体温まで低くしそうな声で、億劫そうにオズヴァルト。
「おかしいですね」
ビアンカの声も、心なしか渋い。期せずして全員の心が完全に一致した。
彼女は決して、相手の都合に合わせるような殊勝な人物ではない。
―――――何を企んでいるのだろう。
女帝は自身が法律という存在だ。
傲慢というより、マイペースというべきだろうが。
「女帝が他人の都合を気にするなど、明日は雹が千の矢となって天から降るかもしれませんね」
言ったビアンカは本気だ。困惑に眉根を寄せるルキーノ。
「早急に対策を取りますか」
具体策を取らなければ城が壊れるかもしれない、と心配を口調ににじませる。
「平気よ。ゼルキアン城はそう簡単に破壊されない…いえ、壊せないから」
確かに、霊獣ヴィスリア謹製である。滅多なことでは陥落しないだろう。
一見、本気の態度だが、冗談に決まっている。
二人の会話に、オズヴァルトは口を挟んだ。
「本当に女帝かね? 他に違和感は」
「…その、格好が」
ルキーノが珍しく言い淀んだ。
「どうした」
オズヴァルトが促せば、思い切ったように、
「格好が変わっています」
「格好?」
ビアンカが首を傾げる。
「それは、服のこと?」
ルキーノは一瞬、弱った表情になった。
彼女の言葉に、オズヴァルトの前で、女帝が常にどんな衣服を身に着けていたか、すぐ脳裏に蘇る。
(千夜一夜物語にでも出て来そうな、エキゾチックな恰好だったな)
よく似合うのだが、挑発的なほど露出が高い。
ただ、それによって感じるのは性的な誘惑というより、芸術品に感動するのに似た心地の方が強かった。
今回はそんな姿ではない、ということだろうか。
ルキーノが、考え考え口を開く。
「いつも通りではないと同時に…地味と言いますか」
説明に苦慮している様子に、
「構わない」
オズヴァルトは口を挟んだ。
「会えばわかる」
「はい」
ビアンカがすぐ口を閉ざした。ルキーノもわずかに頭を下げて沈黙。
オズヴァルトは黙々と進みながら戸惑った。
二人はなぜ、ついてくるのか。
城内で危険があるわけでもなし。
だが、オズの記憶の中に、答えはあった。
(大体、いつも誰かが側についているようだな…)
以前、ちょくちょく来ていた時もそうだったが、理由は見張りも兼ねてのことだと思っていた。
ところが、今、オズヴァルトを見張る理由はあるまい。
ということは、オズヴァルトに誰かがついているのは、常態ということだ。
…要するに、慣れる他ない。
応接室にたどり着いたのは、すぐだ。
扉近くで客人のためにか控えていた侍従が、オズヴァルトの姿に姿勢を正す。
「我が君」
お手本のように、丁寧に頭を下げてくるのに、
「ご苦労」
頷けば、輝かせた顔を上げた彼が、意気揚々と応接室の扉に向き直った。
ノックをし、絶妙な間をおいて、扉を開ける。
中へ入り、オズヴァルトのために道を開けながら、中にいる客人へ告げた。
「主が参りました、お客人」
重い気分を隠し、無言でゆったりと室内へ踏み入ったオズヴァルトは。
(…は?)
驚愕のあまり、一度足を止めた。




