幕18 シューヤ商団
今は溌溂としているが、いつかちゃんと元に戻してあげたい。
三人の侍女たちは、ビアンカの指示に従って、せかせかとあそこの布、ここの布、とかき集め始めた。
どうやら、何か大切なことが決まったらしい。だが、オズヴァルトは思う。
心から、どうでもいい。服など着られたらそれでいいのだ。
だが。
オズヴァルトは自身が今、身にまとっているものを見下ろす。
肉袋時代のたるんだ腹を覆うための襟元が非常に余っており、胸元など豪快に開きっぱなしだ。
男同士ならともかく、女性もいる場でこれはみっともない。ところで。
…肉袋時代は知らなかったが、オズヴァルトの胸筋がすごい。
その上、この、割れた腹筋。
ぜい肉がはみ出す余地はない。
もしこれが機械のように、ゴツゴツゴリゴリした感じだったなら、脱いだところで亀の甲羅でも被っているようなものだったかもしれないが。
オズヴァルトの場合、しっかり筋肉の厚みがあるものの、輪郭がなだらかでしなやかな印象が強い。一言でいうなら、優美である。
貴族とは、こういうところも違うのかとオズヴァルトは他人事として感心した。
現実逃避していたところで。
疲れ切った表情ながら、目をギラギラ…違う、キラキラさせた侍女たちが、一斉にビアンカに指定された布をもって立ち上がる。
まるでこれからより以上の戦場へ向かう態度だ。
室内の中央、彫像よろしく薄着で立っていたオズヴァルトは、気分的には燃えつきた目で、自分には理解しがたい状況を見渡した。
そこへ、ビアンカのテキパキした声が響く。
「デザイナーは今度呼ぶとして。いくらかの案を黙って書き留めてあるのを押し付けられたことがあるから、それをもとに今から裁断に入りなさい。服はそれらで仕立てましょう」
「はいっ! ビビさま、喜んで!!」
謹厳実直な侍女長のグラツィエの前では整然と冷静に動く侍女たちが、まるで子供のようにはしゃいだ声を上げる。
それでもオズヴァルトへは、非常に丁寧で優雅に、一礼。
波が引くように退室していく彼女たちを、
「ご苦労」
体温の低い冷たい声で、それでも労えば、誤解なく受け止めてくれたらしい彼女たちの顔に、明るい笑顔の花が咲いた。
今にも踊りだしそうな彼女たちを見送って、やれやれとオズヴァルトは胸元を直そうと腕を上げた。
ここまではだけたのは、サイズを測っていたからだ。
とはいえ、やはり、突き出た腹を計算して作られた衣服である。
オズヴァルトが思う、『きちんと』にはならない。
ある程度はだけているのは諦め、オズヴァルトは室内を見渡した。
一人残ったビアンカは室内でちょこまかと立ち働き、散らかっていた室内を整えていく。
彼女が動けばあっという間にきれいになった。
それを横目に、なんだかオズヴァルトは眉を寄せてしまう。
優秀な人材が、どうでもいい無駄なことに使われている気分になって落ち着かない。
「ビビ」
「はい、若さま」
手を動かしながらも顔を向けてくる童女に、オズヴァルトは静かに尋ねた。
「確か君には、人事や経理の最終責任者になってもらったはずだが」
四年と二か月ほど前になるだろうか。
ヴィスリアの魔人たちはオズヴァルトの指示により、事業を起こした。
それが現在の、シューヤ商団である。
シューヤとは、ゼルキアン領―――――とくに北部において主に信仰されている狩猟の女神の名だ。
農耕に向かない環境下にある極寒の地においては、食べ物を得る手段は狩猟が主になる。
よって女神シューヤが信仰されるのは無理からぬ話だ。
ただ、『冬見一平』の息子の名も修也であり、最初はそちらの意味で名付けられた。
だが、いつしか女神の名としてこの世界では親しまれている。
さて、なぜ事業を起こす必要があったかと言えば。
ゼルキアン領において…先立つものが底をついていたからだ。
もともとは国があって、領地を持っていた。ただ今となっては。
国は滅び、領地はあれど人がいないといった状況だ。
徴収し、財源にすべき税金など望むべくもない。
にもかかわらず、魔族は浪費家で贅沢を好んだ。
―――――とにかく早急な金策が必要だった。
オズヴァルトの中にいた魔族は高望みだったが、能力という点では非常に残念だった。
それでいて唯一優れていた小狡さでオズヴァルトという男に憑依したのだから、世の中何がどうなるか本当に分からない。
それはともかく、オズヴァルトは以前から頻繁にこまめに、あちらの世界とこちらの世界を行き来していた。
もちろん、魔族が眠りについているときに。
怠惰な悪魔は頻繁に惰眠をむさぼり、彼の隙をつくことは難しくはなかった。
そんな中、どこの世界でも、先立つものが必要なことは変わりないことを早々に察したオズヴァルトは、行き来していた当初、まだこの城に全員とどまっていた魔人たちに、提案したのだ。
―――――商売を始めてはどうか。
もちろん、最初はオズヴァルトのことを理解できなかった魔人たちは素直に耳を傾けたりはしなかったが―――――トチ狂った魔族が何かを言っている程度の認識だったろう―――――それが、いち早く『冬見一平』の存在に気付いたのが、このビアンカである。
彼女とは早い段階から正しく意思疎通が可能だった。
ビアンカにとって、彼は主人の友人。違う世界にいる主人の安否を教えてくれる人。
いち早くそう認識したのだから、大した洞察力だ。
それは『冬見一平』が魔族とはけた違いに誠実だったからすぐ違和感に気付いたのだとビアンカは言ったが、他の魔人たちは演技と思っていたのだ。
やはり、彼女自身の能力が優れているのだろう。
ただし彼女以外には、彼は主人の友人、『冬見一平』ではなく、『オズヴァルト・ゼルキアン』そのものとして動いてくれ、と頼み込んできたのも、ビアンカだ。
なんにせよ、鈴木の話のように、いきなり異世界へ飛ばされたところで、元の世界にあったモノをいきなり作れと言われたところでできるわけがない。
ところが幸いなことに、彼はあちらとこちらを行き来できた。
そのため、ネットで色々調べた知識を狼のオズヴァルトの知識とすり合わせ、様々な形で商品を開発することができた。
とはいえ、いきなりそういう段階から始まったわけではない。
ヴィスリアの魔人たちには、市場がなかった。
当たり前の話だ。
彼らは貴族であり、領地があった。
貴族である彼らが、商売に携わることに対してどう折り合いをつけたかはわからない。
ひとまず結果として、ヴィスリアの魔人たちは事業を始めた。
最初に何から手を付けよう、という話になったところで。
オズヴァルトは食堂を提案。
世界を股にかける商売人、冒険者、魔術師などをターゲットに、あちらの世界にあってこちらの世界にない食事を提供するところから仕掛けは出発した。
メニューはともかく、本当にただのありふれた食堂、だったわけだが。
ひとつ、他にはない売りがあった。
それは何か。
ヒントを上げるなら、対象が主に移動の多い冒険者だったことだ。
ところで、冒険者が大勢いるところはどのような場所だろうか?
―――――危険な場所だ。
そもそも、厄災が現れた前後数年は、各地で魔獣や魔物の出現率が高まる。彼等にとっては稼ぎ時。
そして、そういった人間が集まる場所は、他より危険である。
…そんな場所に、食堂ができる。
安心して立ち寄って、食事をするためには、ある絶対条件が必要だ。それは何か。
―――――安全。
その一事に尽きる。




