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原初の魔女と雇われ閣下  作者: 野中
第2章
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幕17 お手柔らかに

× × ×







今、オズヴァルトの前には、海がある。

もちろん、彼がいるのは室内だ。では目の前にいったい何の海が見えるのかと言えば。




―――――布だ。




あらゆる色彩、あらゆる柄、あらゆる質感の豊富な布が、広い床を埋め尽くしていた。

まぶしい。

目がチカチカする。


現実逃避に、職場の福丸さんの言葉を思い出す。






―――――たっぷりの布が目の前にあるとそれだけで幸せ。


そんな彼女は、ミシンを使って色々な小物を作っていた。

お手製のバッグなど、店で売っている商品のようによくできていたことを思い出す。


―――――本を見れば誰だってできるわよ。


幸福感に満ちた顔と声で、ハムスターに似た彼女がコロコロ笑う姿には、ほんわりした気分になったものだ。が。






(…これは少し私には厳しい光景だ)

何が良いとか悪いとかいう以前に、情報過多で幸せどころではない。


男と女性とでは何か感性の違いがあるのかもしれない。まあ、個人差もあるだろうが。


これらがなんのために、迅速に用意されたかと言えば。




…どうやら、オズヴァルトの新しい服を作ろうとしているらしい。




ちなみに今、彼がいるのは衣装部屋だ。


既にたくさんの衣服が所狭しと吊られている。

専用に部屋を取るのも無理はないと思われる量だ。


しかもすべて、―――――…高価そうである。


着る以前に、触りたくもない。

汚損の賠償金額を考えるだけで気持ちがもう遠ざかってしまう。


いったいこんなの誰が着るんだ…とまで考えたところで、頭が痛い現実に気付いた。





あれらの持ち主は―――――オズヴァルト・ゼルキアンである。即ち。


(私、だと…?)

驚きのあまり、心の内側で言葉を失った時間は長い。





我に返ったオズヴァルトは、新しく作るのならせめて、日常的に気安く着られる服がいいと思った。切実に。

簡単に洗濯もできるとなおいい。



(ポロシャツとか…ジーンズとか…)



だが触れた布の感触からして、間違っても安い量産ものが仕上がる気配はしなかった。






今なぜ、布選びから衣装づくり開始の笛が高らかに鳴らされようとしているのか。






理由は一つ。


オズヴァルトが隣国の宴に出席する意向を示したからだ。



隣国―――――広い国土と高い文明、なにより大陸中を見渡しても特筆すべき、国民たちの生活の豊かさがよく知られたアルドラ帝国である。

この二十年ほどの間、戦争は起こっていないが、温暖で豊かな国である以上、周辺国家から標的になりやすい。


よってどうしても、高い軍事力が必要となり、騎士・魔術師共に、高水準の能力を有する軍隊を抱えている。

平時には金食い虫になりがちだが、かの国には必要なものだろう。


今のオズヴァルトには、そのアルドラ帝国へ出向く必要があった。





お隣さんだから挨拶しとこう―――――そんな話ではない。帝国には。


(シハルヴァの王妹が、帝国の有力貴族に降嫁しているからな)





そういった理由で、知らんぷりはできない。

オズヴァルトが魔族に憑依されていた肉袋状態から脱した以上、…出向く必要があるだろう。そして、もう一つ。




―――――ことによれば、王妹への挨拶より、重要な案件があった。


それは魔人たち全員が承知していることだ。そのために。



アルドラ帝国へ出向く。




その言葉を聞くなり、ビアンカを筆頭に城にいた魔人たちはいっせいに立ち上がった。


何事かと目を向けたオズヴァルトに、ビアンカは丁重に告げたものだ。




―――――若さまの最近の衣装は、あの肉袋体型に合わせたものでしたし、古いものは流行から外れております。




肉袋体型。

出来損ないの卵のようだったな、とオズヴァルトは低く言った。


客観的事実だったが、魔人たちは、…特に女性たちが悔し気な表情を浮かべた。いったい、何事だろうか。



どうしたのかね、と尋ねたオズヴァルトに、答えてくれたのはビアンカだ。






―――――あれらすべて、我らがゼルキアンの主人に、相応しいものとは、ええ、まったく申せません。






とたん、出そろっていた全員が、同時に力強く頷いた。


よって、新たに作るしかない、という結論が彼等の中で同時に自然と出たようだ。嘘だろ。




―――――あるものでいいじゃないか。




言おうとした言葉を、オズヴァルトが自然と飲み込むくらいには、何やら彼等は気迫に満ちていた。


…ただ、確かにその通りだ。




アルドラの皇室への挨拶は二の次としても、ひとまず、宴に出向く以上はオズヴァルトの見た目を整える必要は確かにあった。




面倒だが、出で立ちひとつで舐められるわけにはいかない。よし。


即断即決即実行。

オズヴァルトは立ち上がった。




―――――では衣装室へ行くか。




言うなり、待っていたかのように魔人たちは動き出した。


ちなみに、あの時なぜ、いきなり体形が変わったのか、オズヴァルトにはよくわかっていなかったが―――――時にあの魔族が眠っているときこの身体にお邪魔していたオズヴァルトは、動きにくさのあまりこまめに筋トレをしていたのだが効果がなかった―――――個人の体型は、この世界では少なからず、魔力の影響を受けるそうだ。

ビアンカの説明によれば、こうだ。




―――――いくら魔力量が多くとも、たるんだ精神だとたるんだ体型にしかならない。




どうやら、単純に魔力量で決まることでもないようだ。

(ということは、心の持ちようが体型にも出るということか)


ある意味、それは怖い話でもある。


オズヴァルトの場合、魔力は元から桁違いだった。

なにせ、霊獣ヴィスリアの子孫である。その上、今は天人だ。



その魔力量たるや、推定も測定も不可能の領域。






そんなわけで、今オズヴァルトは衣装室にいる。






ビアンカの他に、侍女が三人いた。最初は五人だった。どうして人数が減ったのかと言えば。





やってきた侍女たちが、緊張気味に挨拶し、室内へ踏み入ることを躊躇する様を見かねたオズヴァルトが、


―――――おいで。


せいぜい優しく促した時だった。






内の二人が顔を真っ赤にして昏倒した。

倒れた彼女たちは、音もなくやってきた侍女長のグラツィエに無言で回収されて行った。






(…そんなに怖かっただろうか)


落ち込むオズヴァルトに、ビアンカは諭すように言った。




―――――若さま、乙女にはお手柔らかに。




何を?


悩む合間にも、この事態を侍女たちに指示した諸悪の根源―――――いやいや世間知らずのオズヴァルトに衣装の問題提起をしたビアンカは、満足げに「あれとこれとそれと…ああ、そこにあるのも」いくつかの布をパパっと示し、ああでもないこうでもない、と賑やかに侍女たちと盛り上がっている。

戸惑いが強かったオズヴァルトだが、彼女たちを見ているうちに、微笑ましい心地になった。


やはり、男だろうと女だろうと、楽し気に笑っているのが一番だ。


この五年、皆の顔に笑顔が浮かぶ時がなかったことを知っているからこそ、余計強くそのように感じる。




「よろしい、では」


ビアンカが、ぱん、と手を叩いた。

オズヴァルトは我に返る。




彼女が手を打ち鳴らすことで、一区切り、といった様子で、忙しなく動いていた侍女たちがぴたりと動きを止めた。

もちろん、彼女たち全員、もれなく魔人である。



十代半ばで、人間をやめて魔人になるなど―――――どんな気持ちだったことか。









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