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原初の魔女と雇われ閣下  作者: 野中
第2章
27/59

幕16 幕間・2


黒髪。

紺碧の瞳。


褐色の肌。日焼けというのではなく、生まれつきの肌色は、彼が流浪の民ルオルドであることは明白だ。


そして、ぎりぎりまで引き絞られた肉体。精悍な狼のような男。

エメリアは、その男の事なら知っていた。




ランと呼ばれる剣闘士。




この、アルドラ帝国屈指のコロッセオでも、五指に入る、人気者。

だがひとつ、問題があった。


彼は魔人。



しかも、噂に過ぎないが、主殺しの魔人だ。



…通常、魔人は主となった魔族を殺せない。


そういった意思をもって行動するだけで、盟約違反の苦痛が全身を苛むからだ。

それこそ生き地獄の痛みだと聞く。

だがもし、…それを耐え抜けば、どうか。


相手の魔族がおとなしく殺されるとは思えないが、盟約違反の苦痛を乗り越える、それだけでも魔人が主殺しを実行する最大の難関をひとつ越えたことになる。



(ただ、死にも勝る苦痛を味わいながらも主殺しを達成したっていうのは…痛みが好きな変態としか思えないけど)



いずれにせよ、主殺しの魔人であるからこそ、ランはこのコロッセオに身を寄せていると言われている。

コロッセオの剣闘士ならば、たとえ魔族だろうと手が出せないからだ。



しかも、アルドラ帝国の国営コロッセオの人気剣闘士である。



ただし職業剣闘士ではなく、奴隷だ。


国も絡む相手にちょっかいをかけてまで復讐しようとする魔族など…いるかもしれないが、基本的に彼らは面倒を嫌う。

ランの首にある、細い金の首輪は、魔力を封じる道具だ。


肉体の構成には、魔力も影響する。


魔人の強い筋力は、保有する魔力量のためだ。

だが首輪があることで、彼は他の剣闘士と同じ立場に立つことになる。


そんな条件があった上で、ランは強かった。



なんにしろ、自らの主は天のみ、と豪語する流浪の民ルオルドが、そういった魔力封じの道具を身に着けてまで奴隷としてコロッセオにとどまろうとしているのだ。


それなりの理由があるのは間違いない。



だがそれを聞くほど深い仲でもなく、エメリアに興味もなかった。

それはランも同じ事だったろう。ただ、そのことを。



あとで後悔することになるのだが、この時はお互い何も知らなかった。



「ラン…あなた、また奴隷の配膳なんてしてるの?」


エメリアが呆れて言えば、




「手が足りないんだよ、小遣い稼ぎだ」




ちっと舌打ちしてランはそっぽを向いた。が、エメリアはつい半眼で見上げてしまう。


(国営の施設が、人手不足なわけないでしょ)

この程度の仕事に、奴隷とはいえ、花形の剣闘士が駆り出されるわけがなかった。

それでもランが配膳に回ってくる理由はひとつ。



ここには幼子が大勢いるからだ。ランは子供に弱い。



仕事はこなすが配慮が足りない相手に下手に任せれば、この牢につながれているような弱者はすぐに死んでしまうだろう。


この手の仕事を任される人間は、大体がそういうものだ。

動物にエサを運ぶ感覚と同じ。

具合が悪そうだろうが敵意を向けられようが泣こうが喚こうが関心はない。


ランはそれが嫌なのだ。





奴隷という身分から助けられなくともせめて、ここにいる間は自身が配慮してやりたい、そんな益体もない考えで、この男は入れ替わりの激しい奴隷の面倒を見ている。





要するに、自己満足だ。


彼の目がふと、一番奥の闇が詰まった牢へ向けられた。




「お前はよくあの牢の前にいるけどよ、…あれってなんなんだ? 俺が来た時から、ずっとああだけど」




「言ったでしょ、あたしはアレの片付けを頼まれてるって」


「だからアレってなんだよ」

エメリアは、おや、とランを見遣る。


何か言いたげではあったものの、今まで尋ねる気配もなかったからだ。

「闇の精霊よ。流浪の民ルオルドは精霊に対する感応能力が高いから、察するところはあるでしょ」


「そりゃ何となくはわかる。でもなんで、精霊がそんなところに集まってんだ? …まさかと思うが」


ランは眉をひそめた。

そんな顔をすると、男らしさより、幼子のような雰囲気が出る。



「中に魔女がいたのか?」



奴隷として魔女がここに捕らえられていたのか、とランは尋ねたわけだ。

魔女が操るのは魔力ではない。精霊だ。


そのことを考えれば、彼の結論は妥当だが。



「過去形じゃないわよ」



軽く応じたエメリアは、直後に我に返った。

そこまで言うつもりはなかったのだ。

「は?」

案の定、ランは強く反応した。


「まさか、中に魔女がいるのか? 今までここに食事なんて運ばれた形跡もない…」


エメリアはうるさそうに顔をしかめ、ランに対して掌を向ける。





「待って、そこまでよ」





一瞬鼻白み、すぐ、ライは呑み込んだ息を吐き出した。


「…ふうん。けど、俺が知ってる間だけでも、もう四年は経ってるぞ。いつ目途がつくんだよ。さてはお前、魔女だなんて偉そうに言うけど、大して力を持ってないんじゃないか」

棘が含まれたランの言葉に、


「あら」

エメリアの琥珀の瞳が細められた。とたん。





パッ。


ランの頬が裂け、血がしぶく。ランの顔から表情が消えた。


一瞬前、空気の揺らぎを感じ、身体の位置をずらしていなければ、顔の真ん中に穴が開いていたかもしれない。





「…勘がいいわね」


エメリアは胸に落ちていた髪を背に払い、悪びれもせず悠然と歩きだす。


「こんな場所で、剣闘士を殺すつもりだったのか? さすがは魔女、いい度胸だよ」


さして衝撃を受けたようすもなく、ランは冷めた目で呟いた。

対するエメリアは、悪びれもなくランとすれ違いながら、


「そんなつもりないわよ。このくらいの緊張感があったほうが、あなただっていいでしょ」


「チッ、言ってろ」

乱暴に吐き捨てながらも、ランから何かを仕掛ける様子はない。


端からエメリアには何の興味もない態度で、彼は牢の奥へ向かう。





その後姿をちらと振り返ったエメリアは、一瞬首を傾げた。





すぐ気持ちを切り替え、視線を切る。


挨拶もなく、商品を閉じ込めた牢獄から出たエメリアは、ふと眉をひそめた。



「…アイツ、主殺しのはずよね?」



この噂はひそやかに根強くコロッセオの内と外に流れている。とはいえ。






―――――誰も、その事実を調べた者はいない。






そもそも、ランは流浪の民ルオルドだ。

天以外に首を垂れるなど、矜持が許さないに決まっている。


前提からして、主殺しの噂も説得力がある族の出身なのだ。しかし。


エメリアはこの時はじめて、ランの経歴に疑問を抱いた。なにせ。








「主がいないなら、なんで」

低くエメリアは呟く。



「魔力の質が変わったのかしら」








同時に、ある存在が脳裏をよぎる。




―――――ヴィスリアの魔人。悪名高い亡国の公爵オズヴァルト・ゼルキアンの忠実な僕たち。




先日、閉ざされていたゼルキアン領へ天から光の柱が降り、かのオズヴァルト・ゼルキアンが天人となった―――――噂の真偽はまだ確認が取れていないが、その日を境に、ヴィスリアの魔人たちから感じる魔力の質が変わったことはまことしやかに囁かれている。



コロッセオを去りながら、エメリアは一度だけ、来た方向を振り向いた。




「まさかね」








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