9幕 喪失の痛み
あちらの世界で、出会ったばかりの頃、半ば死体となっていたオズヴァルトを生かそうとする一平を最後まで拒絶しきれなかったのは、彼と境遇が似ていたからだ。
戻る場所があるなら戻ったほうがいい。
優しい警句を繰り返す一平に、腹立ちまぎれに、だったら君がいけばいい、と一平の魂をオズヴァルトの肉体につなげたのは、言ってみれば子供っぽい腹いせだった。
怯えて怒って、離れて行ってほしいと思った。なのに。
一平は、オズヴァルトの代わりに、絶望の中、人形のように動くヴィスリアの魔人たちに対して真摯に行動した。
その上で、いちいち報告してくれるようになったものだから、報告しなくても全部見えているから知っていると吐き捨てた。
ヴィスリアは何を考えたのか、元の世界の光景を、ずっとオズヴァルトに見せ続けていた。
オズヴァルトの対応に、一平は呆れて今度こそ怒ると思った。なのに。
ならこれについてどう思う、とか、普通に話題に挙げるようになり、あちらの人間関係についても、一平は詳しくなった。と言っても。
所詮人づきあいが苦手なオズヴァルトの知識だ。事実とは異なる可能性が大いにあった。
そしていつしか四年と半年が過ぎて。気づけば、友人と呼べる関係になっていた。
だが。
―――――本当の問題から逃げ続けたことで、オズヴァルトはそんな友人すら失ってしまった。
(いや、まだだ)
喪失の痛みは知っている。
不在の空虚に感じる静寂の重みは、心にのしかかり、切れるような寂寥をもたらす。
ずっと、ガラスの破片でも吸い込んでいるようで。
そんな気持ちはもう、ごめんだった。
(違う、まだ、…まだ、つなぐことができる。イッペーの、存在を)
ヴィスリアと同化しながら、オズヴァルトはふと存在すら忘れそうになっていた女帝を見遣る。
「だが、イッペーは別のようだ」
彼女は世界中で女帝と呼ばれ、畏怖される、千年以上を生きる魔女。
長い時間の中で、心を見失った怪物と呼ばれる彼女が、一平の死を前に、惑乱した。
そんな彼女に、オズヴァルトは一平の魂を見失うぎりぎりで、ある提案をした。
今は主を持たないオズヴァルトの肉体に、一平の魂を定着させろ、と。
実際、主を持たず、空っぽのオズヴァルトの肉体をこのまま放置するのは危険だった。
―――――一平は抵抗した。
いやだ。
認められない。
誰が受け入れるか、そんなこと。
世界の狭間で気付き、残ったローンとやらで落ち込む一平を慰めているうちに、状況を悟った彼と言い争いになったほどだ。
ただの人間に過ぎない一平が、魂の状態で状況に気付き、その場に踏みとどまれたのは、幾度も世界間を行き来した経験のためだろう。
彼の勢いに押されたオズヴァルトではきっと、説得しきれなかったに違いない。
最後には、焦燥を浮かべた女帝が、
―――――このままでは、消滅するだけです。
そう言って、強制的にコトに及ぼうとした刹那。
魔力の動きを察した一平が、不意にオズヴァルトを睨んでいた目を彼女に向けた。
…それだけで。
今までどんなことがあっても、不動だった女帝の瞳が頼りなげに揺れた。
思わず、と言った態度で目を逸らす。
その姿は、悪戯をした少女が叱られているようにも見えた。
驚いたオズヴァルトを、一度尖った眼差しで見遣り。
しかし、どこか観念した態度で、一平を上目遣いに見上げる表情は、彼の機嫌を窺っているようにしか見えなかった。
一方で、一平の怒気に怯えているように見える女帝の姿に、毒気を抜かれたか、一平はバツが悪そうな様子になる。刹那。
パンっと音を立てて、女帝は顔の前で祈るように両掌を合わせた。
次いで、いつもの無表情で強く告げる。
―――――わたしはわたしが決めたことをします。
それは、ゆるぎないようで、妙に悲壮な覚悟を決めた態度だった。
一平が完全に怯んだ、その隙をついて。
すべては、―――――オズヴァルトの望み通りになった。




