6幕 守りたかった
つまり一平の父親は、法を逆手にとって行動するような怖いおじさんたちに対して、死んでからも強い影響力を持つ人物だったということで。
そんな人物の、これがもう一つの逸話―――――良いところのお嬢様との駆け落ち。
遠くから見ればある意味憧れるが、もし身近にいれば、近しい人は大変な目に遭っただろう。
一平を見る限りでは、とてもそういった人間の血が入っているようには思えないのだが。
(ああ、お母さんがちゃんとしてたのかな)
鈴木がはらはらしながら思った矢先、女の小さな唇が開いた。
「…歴史ある一族の方が、そのような蛮行はなされないでしょう?」
かと思えば、放たれたのは、若い女性に似つかわしくない、不思議なほど落ち着いた声だ。
それでいて、一度聴くだけで、くらりとくるような、魅惑的な響き。
同じように感じたか、白澤は一度沈黙し、次いで、ぎゅっと目を閉じた。
「代々の歴史があるために、浮ついた噂が立つのは勘弁して頂きたい」
(浮ついた噂って…いや本当、いったい、何言ったの)
目を開き、白澤が再び女の姿を映した時には、頑なな光が宿っている。
「大体先日も、高校生の女の子が、息子に連れられ、仏前に参ったかと思えば、長いこと泣き止まないという状態で」
眉間の皴が深まる。
その話に、鈴木は『タマちゃん』を連想―――――まず間違いない。
彼女が白澤の息子さんと知り合いだったとは、また、世間は狭いものだ。
彼女と一平がどういうやり取りをしているのか聞いていた鈴木は『タマちゃん』が気になっていたから、これで消息が分かって、少しほっとした。
(あ、でも)
『タマちゃん』と言えば、もう一つ、絶対外せない存在があった。
(犬は、どうしたのかな)
この二か月、時間を見つけては一平が通っていた駐車場に出向いたが、鈴木もかつて何度か見たことがある神秘的なまっしろな犬が、いないのだ。
近くですれ違った人たちにも尋ねてみたのだが、誰も最近はあの大きな犬を見ていないという返事だった。
(…まるで、一緒に逝ったみたいな…)
「その他にも続々とガラの悪い連中が、」
そこまで言った直後、白澤は何かに気付いた態度で、不自然に言葉を切る。
視線こそ向けられなかったが、彼が鈴木たち他人の耳を意識したことは分かった。
…なぜこのような場面に出くわしてしまったのか。
鈴木が居心地悪くしている間に、福丸さんが彼らに向き直った。何事もなかったかのように、自然体で声をかける。
「お話し中、失礼致します。本日は、急な訪問にもかかわらず、お通しくださり、ありがとうございました」
笑顔の福丸が頭を下げるのに、鈴木も慌てて続いた。
白澤が、ハッとした態度で咳払い。丁重に頭を下げてきた。
鈴木たちは事前に連絡を入れて来たのだ。わざわざ時間を調整して待っていてくれたに違いない。
「ところで、不穏な言葉が耳に入りましたけれど、本当にそのようなことはなさいませんよね?」
不穏な言葉―――――すなわち、一平の骨を道路に投げ出すかもしれない、という件だろう。
幾分か言いにくそうに、しかしはっきりと尋ねる福丸。男前だ。
隣の鈴木が硬直する合間に、白澤はバツが悪そうな顔になる。
「一平は白澤の人間です。…ですが本人が望んでおりましたので、奥方と子供と同じ墓へ骨壺をおさめるつもりでおります」
納得だ。
にこやかに頷く福丸。ホッとしたように鈴木。
一平が毎朝、そして、仕事からの帰り道、墓に立ち寄っていたことを、二人は知っている。
空気が和やかになりかけたところで、
「要らないと捨てるなら、わたしにくれと言ったのですが、だめなのですか?」
さも当然といった態度で、女が言った。
とたん、白澤が渋面になる。笑顔のまま固まる福丸。蒼白になる鈴木。
(え、それって)
ごくり、鈴木は息を呑んだ。
(遺骨をくれって言ってる?)
―――――確かにこれは、事件だ。
ある男が死んだ後、身元もはっきりしない美女が、その遺骨を望む、とくれば。
良からぬ噂が立つだろう。絶対、誰もが男女の関係を疑うはずだ。
頭痛を覚えた態度で、白澤が女へ視線を戻す。
「白澤は決して、一平を捨てたわけではない」
強く、はっきり、言い切った。
か弱い女性相手に、思い切り斬りつけるような物言いだ。
鈴木ははらはらしたが、女は泣き出すどころか、
「…どうでしょう?」
淡々と言い返した。凍えそうなほど冷たい声で。
鈴木は思った。今すぐ逃げたい。
白澤とこの女性に間には、互いに対する不信があるようだが、どうも一点、類似点がある。
―――――一平を守ろうとする姿勢だ。
そう、どちらも一平を守ろうとしている。
…白澤は親戚だから、理解できるが。
こんな美人と、いったい、一平はどんな関係だったのか。
早速、よからぬ考えを抱いてしまった鈴木は、慌てて頭を横に振った。
なるほど、白澤が怒るのも無理はない。
どこの誰とも知らない女が、このような申し出をしたなど、一平の名に傷がつく。
鈴木でさえこうなのだ、人生経験が豊富な福丸が何も思わなかったわけがないはずだが、
「鈴木くん、そろそろお暇しますよ」
何かを感じなかったわけではないだろうが、福丸は明るく言った。次いで、
「さぁさ、そちらのお嬢さんも」
何も気づかなかった態度で、図々しい演技をして鈴木と女性を促す。
福丸の言葉に、ふ、と女性は口を閉ざした。福丸を見る。
そのタイミングで、福丸は立ち上がった。
鈴木がそれに続けば、彼女も黙って立ち上がる。
その仕草も、操り人形のようでありながら、目が覚めるほど優美で、生まれ育ちの良さを感じさせた。
場に居合わせた全員の顔に、同時に違和感が浮かんだ。
―――――なぜ、このような分別のありそうな女性が、無茶を言ってくるのか。
どう見ても、愚かな行動をとるような女性には見えなかったのだ。
年の功か、真っ先に我に返った福丸が、二人を促す。
型通りの挨拶をして、わずかに不快そうだった白澤も、タクシーを呼び、最後は穏やかな態度で三人を見送った。
門前で別れ際、福丸が黙ったままの女性を見上げ、悩んだように尋ねる。
「…一平くんを、困らせたいわけではないのでしょう?」
名も知らぬ彼女は、ふ、と顎を引いた。
「―――――…ただ、」
特に意見が通らなかったことを残念がる様子もなく、淡々と答える。
「守りたかったのです」
…誰を、かは。
聞くまでもないだろう。
「わたしなら」
ふ、と横を向き、彼女は確信に満ちた声で言った。
「あのひとを傷付けません…いえ」
静かに首を横に振り、
「たとえ傷つけても、絶対手放さないのに」
意味深な言葉を残し、彼女は先にタクシーに乗り込んだ。
もう一台のタクシーに乗りながら、鈴木は変に凝った肩を回す。
「…はあ、福丸さん、すごいですね。あそこで割って入るなんて」
同じタクシーに乗り込みながら、福丸は肩を竦めた。
「勇気は要ったわよ。だけど…」
座席に身体を沈めながら、福丸は寂しそうに笑う。
「揉めるなんて悲しいじゃない。皆、一平ちゃんが好きなのに。ねえ?」




