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原初の魔女と雇われ閣下  作者: 野中
第2章
13/59

2幕 会いたい


「滅相もありません」


命を懸けてアスランは真剣に答えた。

視線は、ひやひやと鎌の切っ先を見ている。

さらに何かを言いさしたビアンカは、ふと、アスランの背後、遠くへ視線を投げた。


とたん、彼女の手から鎌が消えた。


「時間が惜しい。…行きますよ」

言葉と同時に、ビアンカが低く飛ぶように駆け出す。

積雪をものともせず。遅れて、


「はい!」


助かった、とアスランが大きな声を上げ、彼女の後に続いた。

二人の目に映るのは、壮麗なゼルキアン城。

常に吹雪で覆われているため、その全容を見る機会を得られた者は少ないが、見た者は口を揃えて褒めたたえる。




堅牢にして、目も覚めるほど絢爛だ、と。




遠くに、―――――今や近くに迫ったその威容を見上げ、アスランの中に、輝くような期待が生まれる。それ以上の、不安と共に。

「本当でしょうか」

アスランが、そわそわした様子で、城の方を見やりながら、言葉を紡ぐ。




「本当に、ご主人さまは…完全に、還られたのでしょうか」




それは、何度目の台詞だったろうか。

何度聞いても、何度答えをもらっても、物足りなさばかりが募ってしまう。


隠せぬ期待がにじむ少年の声に、ビアンカはまっすぐ前を見つめたまま応じた。



「つながっている若さまの命が、答えを教えてくれています」



力強い、断言。


ビアンカの言葉に、アスランは、分け与えられた主人の命を意識する。

かつて、魔族の魔力に感染していたそれは今や―――――あきらかに。





五日前までとは違っていた。





…五日前。


ゼルキアンの地に、天より光の柱が降りた日。

その命の欠片は、清浄な強さと輝きで、アスランを癒し、満たしていた。


感じるなり、涙を流した魔人は、アスランだけではなかったはずだ。



魔族に憑依された後、オズヴァルト・ゼルキアンの魔力も命も、その魔族の魔力に感染した。

その命を分けられることで、分け与えられた者は、魔人と化した。


分け与えられた命がたとえわずかであっても、魔人となることで、人間とはけた違いの魔力と寿命を彼らは得た。



魔族の命が人間の命と混ざると、まったく別の存在となるとはこういうことか、とアスランは知った。

引き換えに、魔人は、いのちを分け与えた魔族に逆らえなくなる。


だが、今。





彼等はいったい、『何』になったのか。





アスランが身内に感じる命の片鱗は、今や魔族のものではない。


情報通りであるなら、そして…自身の感覚を信じるなら。



―――――もっと別の、力強い清浄さに満ち、高貴な輝きを湛えた、これは。


天人のものだ。



つまり、アスランの主人は、天の権能を宿す存在。その方は。

屈辱と絶望の中、待ち焦がれた、真の主。


その事実に感じるのは、最早屈辱ではない。




歓喜だ。




あまりの昂りに、知らず、身体が震えた。

じわり、目尻に涙をにじませかけ、慌てて堪える。


それでも堪り兼ねた気持ちが、言葉となって飛び出した。




「―――――…お会いしたいです…っ」




いや、そこまで贅沢なことは望まない。

垣間見るだけでも、アスランにとっての救いとなる。


もちろんこれは、他のヴィスリアの魔人、全員に言えることだろう。











アスランは、かつてシハルヴァ王国首都で、残飯を漁りながら生きていた孤児だ。


―――――今でも覚えている。


饐えた臭いが漂う裏路地。

薄汚れたその場所に立つ、高貴な人。


気高く強い、絶対者。


そのときあの方は、何かの事件を追っていたようだ。

アスランなど、貴族にとっては、ゴミ同然の存在だったはず。けれど。


目が、あった。


ちゃんと、一個の命として、人間と、して。あの方は、アスランを、見た。




ゼルキアンの証―――――青紫の瞳に、アスランの姿が映りこんだ。




その姿はみすぼらしくみじめで、こんな格好で彼の前に立っているのかと、どこかへ逃げたい衝動が湧きあがってきたけれど。同時に。

―――――…チャンスだと、思った。


この、汚泥のように生き、汚泥のように死ぬ、この生き様を変える、チャンスだと。


なぜそんな確信を持てたのか、アスラン自身、よくわからない。

なにせ、あの方はうつくしいが、恐ろしい。

どこからどう見ても、悪者だ。


ひどく冷酷で情が薄そうに見える。


実際、自ら手を差し伸べるような、慈悲深さはあの方にはない。ただし。





妙な、確信があった。


自ら立ち上がろうとする者には必ず手を差し伸べてくださる方だ、と。





ゆえに、意地でその場に踏みとどまったアスランは声を上げた。



ずっとここにいる自分なら、必要な情報を提供できる、だから何でも聞いてくれ、と。



結論から言えば―――――アスランの直感は、間違っていなかった。

―――――この子は役に立つ。


そう言って、アスランが望むなら、とこの地、ゼルキアン領へオズヴァルト・ゼルキアンは彼を連れてきてくれた。


そんな彼が、…ようやく。











「早く、はやく、ご主人さまに…!」

皆が、会いたがっていた。


領地からの報告だけで十分だろう、と思われるかもしれないが。




足りるわけがない。




しかし、全員が持ち場を離れるわけにはいかず、ビアンカとアスランが代表でゼルキアン領へ走ることになった。

ビアンカは特別だ、彼女が行くのは、誰も反対しなかったが。


アスランの場合は、何も彼でなくともよかった―――――つまり。



今日ここへ来る権利を、彼は戦って勝ち取ったわけだ。



それは、熾烈な争いだった。



先を駆けるビアンカは、黙って頷いた。

ただ、その表情は、厳しく、…どこか暗い。


思わず、と言いたげに、彼女は低く呟いた。





「…本当に、ご本人が、戻られたの…?」





力ない声は、吹雪にかき消され、結局誰の耳にも届かなかった。

魔人が本気になれば、城までの距離は、簡単に詰められた。


見上げる巨大な鉄の扉は、氷つき、永遠の封印をかけられたように見える。


それを見ても、二人とも足を止めない。ビアンカは雄々しく告げた。

「開けますよ…っ!」


「いえ、」

鼻をすすり、最後の一歩でアスランは、ビアンカを追い抜く。




「ぼくが、開けます」




刹那、彼の口元に浮かんだのは、不敵な微笑。

その眼前、大きな術式が描かれる。




それは荘厳な輝きを宿し、不意に燃え上がった。一帯が、真紅に染め上げられる。




「開け!」

生じた灼熱の炎に、鉄の扉が真っ赤に染まる。

たちまち、その赤が扉の中央に凝縮―――――まるでそれが鍵だったかのように、自ら内側から開きだした。


客人を迎え入れる巨人の腕のように。


その隙間を縫うように、二人が敷地内に駆け込んだ瞬間、吹雪がやむ。同時に。

彼等の背後で、扉が閉まった。


吹雪は嘘のように掻き消え、庭先に満ちているのは、穏やかな冬の朝の空気。

外から見れば空には曇天が広がっていたはずなのに、ここでは太陽の光さえ感じる。


そう、これが、ゼルキアン城。


懐かしい空気に、アスランの気が緩む。帰ってきた。


知らずホッとして、自動的に閉ざされた扉を振り返った、その時。





「…アスラン!」










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