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原初の魔女と雇われ閣下  作者: 野中
第2章
12/59

1幕 冬の霊獣ヴィスリア

× × ×








ゼルキアン領―――――雪深く、生命を拒絶する、極寒の地。


生き物が一歩でも踏み入れば、たちまちのうちに骨まで凍り付く。

ゆえに生命力の強い異形しか闊歩しない、弱肉強食の世界。


その上、ゼルキアン城周辺には鬱蒼とした森が広がっていた。

遠い昔から、神秘の森として人々から畏怖されている。




その森は、冬の霊獣の名であるヴィスリアの名が名付けられ、今では魔獣や魔物たちの巣窟となっていた。




それが、名高きゼルキアン領。ただし。


雪深くとも、五年前はここまで過酷な地ではなかった。




魔境と化したのは、五年前。




領主たるオズヴァルト・ゼルキアンが、領地を囲む結界の中に災厄を封じ、魔族に憑依されて以降の話だ。


その奥にそびえたち―――――一年の大半を、猛烈な吹雪で覆われるゼルキアン城。

このような環境下、いったい、誰がどのように建設したかは、人類史上、最大の謎の一つだ。



建設に携わったのは霊獣ヴィスリアであり、ゆえに、人力でも魔術でもなく、霊力で構築された城だという伝説があった。


だがそれが、一番真実に近いだろう、と住んでいる者たちは口を揃えて言う。

実際、人知が及ばない、異端の壮麗さがこの城には溢れていた。



そこから、ヴィスリアの森へ続く雪深い道は、眼前さえ見えない吹雪の中、それでもかろうじで舗装されていた。

ただし、毎日、尋常ではない積雪量であるため、どうしたって、道は雪で埋もれてしまう。


よって、端から除雪はしない方向で魔人たちは過ごしていた。

彼等にとって、そんなものは何の苦もなく排除できるものだからだ。


その道を、今。




雪煙を上げながら城へ向かって全力疾走する少年が、一人。




彼は先ほど、ヴィスリアの森から、転がるように飛び出してきた。

不思議なことに、その身体が雪に埋もれることはない。


一拍置いて。


その背中を追うように、森から巨大でまっくろな猛獣が複数、飛び出す。

一見、熊に見えた。

だが大きさが、大陸の平均から考えれば三倍はある。


しかも、動く速さが、尋常でない。




魔獣である。




ただしそれら以上に少年の足が速かった。

吹雪の中、魔獣の丸太のような腕が焦れたように振り上げられる。

少年が吹雪を殴るような勢いで、叫んだ。



「一対一ならともかく、複数っていうのは! 無! 理!!」




―――――ドンッ!




地を揺らす勢いで振り下ろされた鉤爪を、少年は横っ飛びに避けた。

不安定な姿勢にもかかわらず、転倒しない。


雪の上をすべるようにして走る、走る。




「一、二、三、…七頭っ!? なんでぼくの方に来るんだよっ、ビビ様だっているのに!」




頓狂な声で八つ当たり君に叫びながら、すぐ遠い目になった。


「いやそうか、ぼくよりビビ様の方が強いって魔獣には分かるんだろうね…」


達観した表情になった後、涙を呑む。

だが下手に泣けない。

涙が凍る。


白い息を吐き出しながら、困った顔で行く先の城を遥かに見遣る少年。



「まさか、城までこんなの引き連れていくわけにいかないし…でもここまで来て迂回なんてそんな殺生な…いや待て」



ハッと周囲を見渡し、

「もう、森の外じゃん!」

思わず、といった態度で、両手を上げ、バンザイ。


「ふふん、なら、反撃できる!」

意気揚々と、雪の上、威勢よく反転―――――しかけて。




「あ」




少年は間抜けな声を上げる。


「ここ雪の上だったあ!」


絶叫に似た声を上げた時には、駆け抜けた勢いを殺そうと踏ん張った足が、もりもりと雪に埋もれていた。

あっという間に腰までつかる。


とたん、寸前まで少年の頭があった位置を黒い剛毛で覆われた魔獣の腕が掠めた。


同時に、半端に少年が組み上げた術式陣が、吹雪の中、光を散らす。



それは水面に映る影のように揺らぎ―――――暴発。



「ぅわっぷ」


腕で顔を庇った少年が、情けない声を上げた時には、一帯の雪がいっきに蒸発。

火の系統の術が放たれる予定だったのだろう、水蒸気の柱がいっきに上がり、刹那に、吹雪にさらわれて消えた。


幸か不幸か、少年にも魔獣たちにも怪我はない。


吹雪の壁越しに、互いに見つめ合い、状況を把握する間が空いたのは、束の間。

少年はいい笑顔で顔を上げた。



「それじゃ」



魔獣たちが意表を突かれている合間に、小気味良く別れの挨拶をして、踵を返そうとした、寸前。

魔獣の群れの後ろ、巨大な鎌が降り上げられたのが、少年の目に映る。


少年の目が、安堵を宿し、歓喜に満ちた声が上がった。




「ビビさま!」




刹那。

少年の眼前、紙でも裂くように、魔獣の野太い首が、巨大な鎌に刈り取られた。


それも複数、同時に。

胴体と泣き別れになった首が、瞬く間に雪が積もり出した雪の上、どんっ、どどんっ、と地を揺らして次々落ちていく。


あわあわと、少年は吹き上がった血しぶきを避けた。

それを尻目に小柄な人影が、巨大な鎌を手に、ふわりとその場に降り立つ。


少年はそちらへ、力いっぱい両手を振った。



「さっすが、ビビさま! 鎌の一振りで魔獣の首を複数同時に落とすなんて、腕利きの冒険者でも簡単にはいきませんよ!」



立っていたのは、十歳くらいの童女だ。


光を受ければ控えめに輝くだろう白金の髪。

大きな空色の瞳。

ミルクのように、白い肌。



とびきり愛らしい容姿の持ち主だが、浮かべた表情は、周囲の風雪より冷たい―――――もっとはっきり言うなら、文句なしにかわいらしい外見ながら、惜しいことに、全く表情がなかった。



少女の名を、ビアンカ・モイオーリ。

彼女もまた、ヴィスリアの魔人の一人である。


中でも代表格の一人と言っていいかもしれない。


吹雪で、相手の姿も声もろくに確認できないはずだが、二人は双方の位置をきちんと把握し、向き合っている。

湯気が立つ血をふりまきながら、魔獣の肉体が音を立てて沈む中、



「アスラン」



白くふわふわの外套を着込んだ童女は、落ち着いた声音で少年を呼ぶ。

「はい」

とたん姿勢を正し、アスランは直立不動になった。





「ヴィスリアの森近くで火の魔術を使いましたね」





「もちろん、外に出たのを確認してから、使いました!」


ぼくお利巧でしょ? と子犬が浮かべるような表情でアスランが言うのに、ビアンカの視線が氷柱のように尖る。


「おバカ」

周囲の吹雪などものともしない少年が、その一言で凍り付きそうになった。


「森の。近くで。火を、使う?」


直立不動のアスランの身体に、雪が積もり始めている。

が、ビアンカの身体には、雪が触れる気配すらない。叱責は続く。




「ヴィスリアの森は冬の霊獣ヴィスリアの遺骸に生じた場所。あなたの愚かな行動一つで、この聖なる地を焼失させるつもりですか」




びっくりするくらい可愛いのに、猛烈な凄味に満ちていた。


アスランは確信する。

返事を間違えれば、アスランは首を斬られるだろう。


ビアンカが鎌を掴む手は今なお緩んでいない。


その姿は頼もしさより、物騒さが強かった。









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