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原初の魔女と雇われ閣下  作者: 野中
序章
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1幕 はじまりは絶望と共に

「飽きた」





吹雪に抱かれた、壮麗な城の中。

重厚な扉内部のエントランス。


乾いた沈黙が漂う中、聞く相手を突き飛ばすようなその声はよく響いた。



頭に羊に似た角を生やした男が、首を掴んでいた青年を放り投げる。



角の形状は、それなりに大きく立派だ。

この身体的特徴は、彼が魔族であり、しかも高位貴族であることを示している。

魔王となれば、魔族の中で、最も大きく立派な角を持つ。



磨き抜かれた床の上には、先ほど投げ捨てられた青年以外にも、侍従や侍女たちの身体が折り重なって倒れていた。

ただし、四肢がバラバラになっているわけでもなく、深刻な怪我を負った者はいない。


悲鳴も聞こえなければ、うめき声ひとつ上がらなかった。

彼らが身に着けている衣服だけが、ぼろぼろだ。ひどい拷問にでもあったように。


無残に引き裂かれているものの、上等な衣服を身にまとった、見目麗しい十数人の身体が壮麗なエントランスに転がっている光景は、やりかけで放り出された人形劇の舞台でも見ている心地になる。

だがその全員が、無表情のまま、ゆっくり瞬きをしていた。そして、微かに漂う呼吸音。



与えられる痛みに無反応であっても―――――生きている。



寸前に放り投げた青年の背中を億劫そうに踏みつけ、魔族の男は顔を上げた。






扉真正面にある階段の上。






肉樽が震えていた。

いや、正確には、樽のような体型の男が、蒼白になって身を縮めている。

質だけは上等な夜着に包まれたその身体はたるみ、最早肉袋と言える代物だ。


十人中十人が醜悪だと評する姿だろう。


こぼれ落ちそうなぜい肉をぶるぶるを震わせながら、男は卑屈に笑った。

「そ、そうか。じゃあ、もう今日は帰るんだな」


「つくづく阿呆だな」

魔族の男は、どうでもよさそうに顎をしゃくる。


「嬲る相手は、まだ貴様が残っているだろう」


「馬鹿言うな!」

肉袋―――――男は祈るように両手を組み、その場に膝を落とした。




「お、オレは言うとおりにしたじゃないかっ? オレの魔人たちをいつだって好きにおもちゃにして構わないって、許可をやっただろうっ」




それは紛れもない恐怖に満ちた声だ。

男は、エントランスに立つ魔族の男を恐れている。


たるんだ瞼の下から、視線を折り重なって倒れる男女へ向けた。

「…こいつらで遊ばせてやったら、オレは見逃してくれるって話だろっ!?」

魔族の男は、破裂するような声を上げて嘲笑った。


「お前の魔人たち? 違うだろ、こいつらはお前のものなんかじゃない」

言いながら、魔族は腰を屈めた。

足元に転がっていた侍女の一人、その細首を掴む。

掴んだ手に力を籠め、無造作に持ち上げた。


彼女は顔をしかめたが、成すがまま、抵抗もしない。






肉袋に命じられたからだ。


抵抗せず、暴虐を受け入れろ、と。






寸前まで腫れ上がっていたとは思えない、うつくしい面立ちが、苦悶に歪む。

そのさまは匂い立つような色香に満ちていて、ある種の人間にはたまらない光景だったろう。



「お前が憑依しているその男―――――オズヴァルト・ゼルキアンのものだ」



実のところ、魔族の中でも貴族の位置に立つ彼に殴られたなら、いかに人間を超越した魔人とて、ただでは済まない。

四肢がちぎれるのはまだ可愛いほうで、拳を受ければ、肉体は風船が割れるように四散するのが普通だ。


それを、この城の魔人たちは幾度も身に浴びながら、五体満足で息をしている。


要するに、この城の魔人たちは潜在能力が図抜けているのだ。




正直言えば、これは異常な状況だった。

なにせ、主人の魔族より、眷属となった魔人の方が強いことを示しているからだ。


本来、魔人とは、弱い人間を魔族が唆し、誘惑し、自身の命を分け与えることで眷属化した存在だ。

魔族が上位に立つ性質上、魔人は主人の魔族より、決して強くはなれない。


なぜなら、もし魔族が自身より強い相手を従えようとしても、不可能だからだ。




力の強弱がはっきりしている場合、強い方へ強制的に命を分け与えようとしたところで、相手が受け入れなければ、決して弱い者は強い者に隷属を強要できない。自明の理だ。




だが明らかに、魔族の男の足元にいる魔人たちは主となった悪魔の能力を超えた存在だった。


―――――なぜこのようなことが起こったのか。答えは簡単だ。


魔族の男は、自らの手で吊り下げた、冷め切った女の顔を見上げる。



「なあ、教養高い貴族の貴様らなら知っているのだろう?」



彼女の無反応さは、これから与えられるだろう痛みを勝手に予感して震える、彼等の主人とはひどく対照的だった。

喉を締め上げられているのに、顔にわずかな苦悶を浮かべるだけで、女はじっと黙って耐えている。


…この冷たいほど整った面立ちが、これから聞くことに対して、どう変化して見せるのか。考えただけで、ぞくぞくする。


心のままに、魔族の薄い唇が弧を描いた。

魔族は愉悦に満ちた声で言葉を続ける。




「一つの身体には、一つの魂。それがこの世界の普遍の原理だということを」




この城に集う魔人たちの本来の主はオズヴァルト・ゼルキアンだ。…しかし、今。

彼の身体には今、魔族が憑依している。精神体の魔族だ。


五年前から、オズヴァルトの肉体に宿っている魂は、魔族のもの。…即ち。







「お前たちの大切なオズヴァルト・ゼルキアンの魂は、とうに消滅している」







女は、微かに目を瞠った。

同時に、何をしても全く無反応だった他の魔人たちの意識が、魔族の男に集中したのが分かる。


(楽しくなってきた)


無反応より、こちらの方がよほど楽しい。魔族は言葉を続けた。

「お前たちを眷属とするのに、ヤツは何と言った?」

言いながら、肉袋を視線で示す。



「自分の用が済んだら、オズヴァルト・ゼルキアンを返してやるとでも言ったか」



女の瞳が、一瞬、鋭くなった。魔族の男はつい、笑みを深めた。図星か。

そして、彼等は受け入れたのだ。

オズヴァルト・ゼルキアンなる男に憑依した魔族の提案を。


これが、主の魔族より強い眷属を手に入れた種明かし―――――感心するほど、卑怯なやり口だった。


その上、彼の魔人となるためには条件があった。

それは、魔族が目的を達成するまでの間、魔人たちが誠心誠意主人に仕えること。


恐ろしく屈辱的な提案だった。

しかもオズヴァルトに憑依した魔族は、こう望んだ。






―――――頭を下げて頼み込め。どうか、ぜひ、あなた様の眷属にしてくださいってな!






震えるほどの屈辱を、しかし彼等は。


呑んだ。




一人残らず。




彼等にとって、オズヴァルト・ゼルキアンは主人である。

ただ、それだけならば、魔族の眷属になるなどといった屈辱を前に、進んで首を垂れるような真似はしなかった。


むしろ、主のためにと死を選ぶことを誇ったろう。

そう、しなかった理由は。




「―――――もし主が戻ったらと期待していただろうに、気の毒なことだ」




魔族の男は、嬲るように言った。


「だがそいつに仕えていたのなら、この五年の間に、とっくに気付いてたのだろう? あれは死体だと」

肉袋は、魔族の男の言葉を止めたりはしない。


せわしなく逃げる隙を探している。


宣言した以上、魔族の男が肉袋を逃がさないことは、確実だったからだ。



魔族の男が今、話している言葉が、まともに聞こえているかどうかもわからない。












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