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舞梶市で昔会ったおじいさん

作者: 小財 明

現在は、中央公園と名前が改められている舞梶市の「ひまわり公園」で、月矢はそのおじいさんと少し、犬の散歩をしていて話をした。


向こうも、「小春」と言う犬を散歩していた。月矢は当時、コミュニティー交流サイト「mixi」で佐藤亜紀コミュニティーで割かし活発に活動していたが、「小春」と言うおじいさんの犬の名前に少し、どきっとした。


弟のハンドルネームが「ハル」だったからだ。


言葉のもたらす、仮想と現実世界の強固な壁はその時点で、構築されておらず、だからこそ、人は「ハンドルネーム」を使うわけであり、偶時がもたらす何らかの田舎共同体の顔を会わしてのコミュニケーションが生み出す可能性に人は無闇矢鱈と傷つく、と言うことがあるのである。


それはインターネット前の世界ではありふれたことであり、世界は魔族の「退行の罠」に、人間性を削り取られていったと言える。


言葉の蜘蛛糸は、容易くは切れない。地獄に至る道はその人の水鏡の池を、つまり無意識のプールを湛えた記憶と言葉の連想に委ねられているからであり、糸が切れたときは空中に人は投げ出され、地上に叩きつけられるだろう。


自由とは、限定された世界で、パソコンと言う「箱」の中で、王様のように振る舞うことではない。


糸とは、自在に編み込むのではなく、嫌いに見える糸も積極的に時間をかけて織り込む根気良さにより上手に編み込まれる。


紙の本は糸辺に氏と書いて、構成される。質感が重要なファクターになる。


紙の本を大事にしよう。想像力は、魔族の罠をかいやぶる。

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― 新着の感想 ―
[一言] ハンドルネームが仮想と現実のはざまで一時的に生じるものだとすれば文中の「ひまわり公園」は既に過去の存在、文中の言葉を借りれば強固な壁が構築されて以後の話ととれるが月矢は現在の中央公園でおじい…
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