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シャルロットの想い








 え……?





「わたくしが…分かるのですか?」

 



 アロイスは気が付いたように顔を逸らす。


 シャルロットは事態を上手く飲み込めなかった。



 陛下のご存命を確認できただけでも吃驚なのに、今世ではまだ出会っていないわたくしのことがお分かりになるなんて…。




 けれど、素直に嬉しい。



 陛下が今世でもいらっしゃったこと。




 陛下と同じ世に、再び生きることができたこと。






「陛下…わたくしは…──!」

「──出て行け」



 シャルロットの言葉を遮り、アロイスは冷たい口調で突き放す。


 シャルロットは「え…」と小さく声がもれた。




 どうして、そんなことを…。





「もうそなたの顔も見たくない」





 アロイスがこの世にいたことに、胸が熱くなったのは一瞬だった。



 息ができなくて、胸が抉られたように痛む。


 声にならない悲鳴を上げそうになったが、唇を噛み締めどうにか堪えた。



 その分、声にならない悲しみが目頭を熱くさせる。





 ようやく……お会いできたのに。




 この世にいらっしゃるのかどうかさえ、分からなかった。


 陛下がこの世にいらっしゃらないのなら、せっかく時を遡っても無意味な気がした。

 ずっと慕っていた方を新しく現れた女性に奪われ、殺され、そして今度は、会うことさえ許されないのかと嘆いた。




 ずっと、お会いしたかった。


 せめてこの目で生を確かめるだけ。

 生きていてけだされば、それで良いと。



 例え……陛下に嫌われようとも。




 


「目障りだ」



 ああ、けれど…っ。

 やっぱり、陛下に嫌われてしまうことだけは…。




 それまで黙って聞いていたシャルロットの耐えていたものが溢れ出す。


 薄暗く紺色に染まる目から透明な雫がほろほろと流れ落ち、アロイスは激しい衝撃を覚えた。




「わたくしはっ…陛下にお会いできる日を、心待ちにしておりました。過去に戻ったと気付いたその瞬間から、陛下のことばかり考えておりました…。


帝国について調べても、陛下の足跡にたどり着かなくて…もしかしたら…ただ過去に戻ったのではなく、陛下のいらっしゃらない世界に来てしまったのではないかと、不安で悲しくて…堪らなかったのです」




 シャルロットには腹蔵のない気持ちだった。



 会いたかった。



 死に別れたただ一人の愛するお方に、一目だけでも。

 



 目にいっぱいの涙が溜まり、無機質に冷たい地面に次々こぼれ落ちる。


 痺れてきたシャルロットの脳内で、あの日の最期の事が浮かんだ。

 




「…………わたくしのせいで、お命を落とされたからですか?」



 わたくしを庇い、致命傷を負わされてしまった。



 わたくしがモーリッツ卿たちから逃げ切れていれば、陛下は怪我を負うこともなかった。





「次はわたくしが陛下の盾になります。だからどうかっ───」

「っふざけるな!」



 腹の底から叫ぶ声に、怯んだシャルロットの肩が大袈裟なほど跳ねた。

 




「……私がどうしてあの時…そなたを庇ったと思っている」




 シャルロットには、その答えが分かっていたつもりだった。

 だがつい今し方アロイスに冷たくあしらわれ、願望は砕け散っていた。




「………分かりませんわ」

「っそなたを失いたくなかったからだ」



 絶望を宿していたシャルロットの目に光が戻る。



 恐る恐るアロイスに顔を向けた。


 光もなく、涙で滲んだ目にはその姿はぼんやりとしか映らない。




「私は過去に戻ってからこの二年、後悔の念に苛まれてきた」



 今度はアロイスの瞳が潤んでいる。

 キラキラとまるで宝石のエメラルドのようだった。




 どうして陛下が…それほどお辛そうな顔をなさるのですか。


 辛いのは、嫌われているわたくしの方なのに。




「私の元に嫁いだことで、そなたは……。

苦しい思いをしてきただろう。私もそなたに酷いことを多くしてきた。そして、ついにはあのような最期を迎えさせてしまった」




 陛下と共にいた日々は、決して輝いたものではなかった。


 それに…、ビアンカ皇妃殿下が嫁いできてから、陛下は変わられてしまった。



 昼夜を問わず、狂ったように彼女の元に足繁く通う陛下を見ていることができず、押さえ込むべき真っ黒な感情が溢れそうになっては、泣き叫びたい思いだった。


 けれど…、陛下は最期の瞬間、わたくしを選んでくださった。




「私のそばにいれば、またあんなことに巻き込んでしまうだろう。だから、そなたはそなたのことを幸せにしてくれる者と共になるべきだ」


 それって…。



「…わたくしのことをお嫌いになられたわけではないのですか…?」



 願うように尋ねていた。重ねた手が震えている。


 アロイスは小さく息を吐いた。



「そんなこと…あるわけがないだろう」



 どこか呆れたような口調に、ホッと胸を撫で下ろした。良かった……。


 嫌われたわけではないのね……。



 そう分かると、ざわついていた胸元も静まり頭が冷静さを取り戻してくる。




「…陛下の仰る通り、苦しいと感じることもありました。けれどわたくしは、陛下と過ごしたあの日々を振り返るたび、幸せだった思い出ばかり蘇ってくるのです」



 泣き止まないわたくしを夜空の綺麗なお気に入りの場所へ連れ出してくださったこと。



 眠れない夜に手を繋いでくださったこと。


 星空の下、共にお茶をしてくださったこと、夜風が冷たいのを気にされて羽織を掛けてくださったこと。




 暴君と言われるだけのことはあった。王には向いていらっしゃらなかったのかもしれない。



 けれど一個人の男性として、夫としては、陛下ほど寄り添ってくださる心温かなお方は他にいらっしゃらない。


 その優しさに、わたくしは気付いてしまった。





「わたくしは今生も、陛下のおそばに在りたいと思っております」





 思わず口をついて出ていた。



 アロイスは一瞬瞠目したが、すぐに戻る。


 

 けれど瞳が複雑な思いに迷うように揺れていた。




 アロイスの拒絶はシャルロットの心に耐え難い苦痛を与えた。




 けれど嫌われていないのなら、わたくしは、

 

───再び、陛下と未来を歩みたい。






 その時だった。階段を降りる足音が響いてきた。


 誰か来る…!




「早く逃げろ!左をまっすぐ行くと隠し通路から外に出られるはずだ」


 アロイスは声を潜める。


 シャルロットの目から大粒の涙が頬を伝った。




「離れたく、ありません……!」




 ようやく…ようやく、お会いできた。



 それなのに拒まれて、こうやって離れてしまうというの?

 次にいつ会えるのかも分からないのに…。



「っ殺されるぞ」



 足音は着実に近付いている。


 しかしアロイスが脅すように言っても、シャルロットは動こうとしなかった。





「…っ明日の昼間、またここに来い。監視は昼食と酒を飲みにいなくなる」


 …明日、また会えるのなら…。


「…分かりました…」

 渋々立ち上がったシャルロットは、アロイスの真剣な顔を最後に、足音を立てぬよう注意を払いながら出口へ向かった。



「おい、誰かいたのか〜」

 監視はしゃっくりをしながら乱暴に鉄格子を叩く。




「………」


 壁側にいるアロイスにも漂うほど酒臭く、その顔はタコのように真っ赤だった。

「うぃっく。…気のせいか〜…」



 踵を返す足音を聞き、安堵の息が溢れた。





 彼女は無事に出られるだろうか…。


 立てた膝に額を寄せる。




 目を閉じると可憐な透き通った声がこだました。




『離れたく、ありません……!』




 最初から最後まで泣かせっぱなしだった。


 彼女の泣き顔が瞼の裏にこびりついて離れない。




「……シャルロット…」

  

 その響きだけで、様々な感情が波のように押し寄せた。





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