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恐怖と後悔







『待ってなさい、すぐにその座を奪ってやるわ』


 その自信は、彼女が何かを企んでいる証拠でもあった。



 アロイス様とダンスを踊り周囲に見せつけ、お似合いだと印象操作をした。

 そしてわたくしが耐えきれずに立ち去った先で、ベア・モーリッツが現れた。


 これは、偶然で片付けられないはず。




 木陰に隠れて伺っていたのは、わたくしを見張っていたから?

 帝国でわたくしを陥れようとしてきたのに都合良く味方を騙ったのは、ビアンカ王女に命じられたから?


 

 だとしたらやはり、昨夜の姿もわたくしやアロイス様を騙してこちらの内情を探るための嘘………?




「考え事か?」

 既に手元の紅茶は冷め切っていた。それを包むように握っていたシャルロットは、虚ろだった視線を上げる。


「アロイス様…」

 どこか生気がないシャルロットの姿に、目敏いアロイスが気付かないはずがなかった。


「ジョルダーニ、シャルロットの紅茶の替えと、私にも同じものを」

「かしこまりました」


 ジョルダーニが一礼をして去ろうとしたところを、ソフィーは「わたくしが用意致します」と止めた。



「コフマン伯爵夫人はもう休め。せっかく数十年ぶりに王国に来たのだから、王城内を観光しても良いのではないか」

 ソフィーにとっては、先々代皇后陛下の付き添いで王国に足を踏み入れて以来の訪問だった。しかしソフィーは見破ったようにすうっと目を細める。


「皇后陛下と共にいるのにわたくしが邪魔になっただけではありませんか」

「気遣っているだけだ」

 アロイスは軽く笑ったが、ソフィーは硬い顔のまま、シャルロットに挨拶をした。

「ではわたくしはこれで」

「ええ」



 最古参の侍女であっても年齢を感じさせない。ハキハキと言葉を述べ、侍女たちの模範らしく背筋をピンと伸ばして歩く。

 そして何より、鋭い。

「シャルロットのことは甘やかすのに…やはりコフマン伯爵夫人は他の者には手厳しいな」

「…ところで、わたくしに何かお話でも?」

 シャルロットが話を促すと、アロイスは周囲を警戒しながら向かいの席に着く。



「ああ…。ディートリヒ卿とバジリオ子爵に探らせたのだが、どうやら王国が武器や人手を集めているのは事実らしい」

「っ…!

では、やはり…逆行前と同じ方法で、王国が帝国を侵略しようと戦争を仕掛け…、あえて敗戦してビアンカ王女を差し出そうと…?」

「その可能性は十分あり得る。あの女が貴族たちの前で私を踊りに誘ったのも、周囲に見せつける意味があったからだろう」


 

 シャルロットはぐっと口を閉ざした。

 お似合いだと散々言われていた。


 …分かっているわ。

 まるで童話の中から出てきた王子様とお姫様のようだと、わたくしも思っていたから。

 過去にもずっと、思っていたことだったから。

 


 わたくしには釣り合わない。

 それでも、アロイス様のおそばにありたいから。

 少しでも認めてほしいから。


 第一皇妃の時も、皇后となった今も、アロイス様に相応しい妻であろうとしてきた。


 高まる国民の歓迎する雰囲気を街で感じながら、過去に置き去りにしてきた自信を取り戻し始めていた。




 けれど一夜にして、その自信も薄れてしまった。


 まるで、過去に見てきた全てが再び起こってしまったかのようで。

 アロイス様が、遠くにいってしまったかのようで。



 見るからに落ち込むシャルロットに、アロイスはできる限り優しく声を掛けた。

「……私にはそなたしかいない。安心しろ」



 テーブルに置いていたか細い手を、大きな手が優しく包み込む。いつだって温かく、力強い手だった。

 その優しさに、堪えようとしていたシャルロットの口が開きかける。



「…分かっては、いるのですが…」


 今世でアロイス様と帝国を築き上げながら、いかに変わられたのかもそばで見てきた。

 アロイス様はもう、逆行前のアロイス様とは違う。


 分かっている。

 国民の前でわたくししか妻に迎えないと公言されたお方だもの。

 時間があれば朝食を共に摂られ、二人で過ごす時間を僅かでも作ろうとしてくださる。

 お忍びで街に連れ出してくださったり、ラングルンの茶葉を大量に取り寄せても微笑んでいらっしゃる。


 


「妊娠初期は精神面でも不安定になりやすいそうだ。私がしっかり支えるよう、クラメールにも言われた」


 ガタッと席を立ったアロイスがシャルロットの背後に回り込む。筋肉質な腕がぎゅうときつくシャルロットを抱きしめた。


 …温かい…。


「すっかり体が冷えているじゃないか」

「…アロイス様はいつも、温かいですね」


 振り向くと、既に深い緑色の瞳がこちらを見つめていた。

 何を問うでもなく、ただ静かに微笑んでいて。けれどその目からも愛おしく思う気持ちが伝わり、シャルロットは喉の奥から込み上げるものを感じた。



 

「怖いのですっ…。また…アロイス様がわたくしの元から去ってしまうのではないかと…」


 嫁いでから半年、寵愛を受けるとまではいかなくとも、簡単に人を殺してしまっていた陛下が足繁くわたくしの部屋へ通われるくらいの関係は築けていた。

 残酷な一面を持ち、愚王とも呼ばれていたが、優しかった陛下。

 

 ずっと変わらず、関係が続いていくものだと思っていた。



「どうか、彼女に近付かないでくださいっ…」


 本当に全て香りのせいなのか、それは今となってはきっと分からない。彼女自身の容貌や愛嬌もあったのかもしれない。

 けれど、もしその香りがきっかけで近付いたのなら、香りに惑わされて体を重ねたのなら。

 


「もう…あのような思いはしたくありません…」


 口付けを交わしていた姿。

 寵愛を受けているかのように固く抱きしめられていた姿。

 見せつけるように皇妃宮で逢瀬を重ねるのを目撃してしまった後は決まって、一人ベッドで枕を濡らしていた。




 ふと、ぼろぼろと溢れていた涙をそっと指先で拭われる。関節が太いのに、アロイスらしい繊細な手付きだった。


 …わたくし、先ほどから何を……。

 アロイス様もよそ見しないと言ってくださっているというのに、自分勝手な発言ばかり…。

 

 貴族は感情を面に出してはならない。それは泣くことも同様だった。

 感情任せに発言をしたシャルロットは急に我に帰り、恥ずかしく思うと同時に申し訳なさを感じた。



「…我儘を言って申し訳ございません」

 帝国は皇帝に一夫一妻制を取っていない。寧ろ後継者問題の観念から多妻である方が国民からも好まれる。

 ただアロイス様が他の妻を取らないと言っただけのこと。




 それなのに、どうして自分だけなどと思っているのか。



 頭を下げたシャルロットに、穏やかな声が降る。


「……我儘ではないといつも言っているであろう」

 頭を包むように撫でられ視線を上げると、アロイスはどこか困ったように笑う。


「私のたった一人の妻なのだから、夫に意見を言うことは何も問題ではない。それを受け止め、聞き入れるのも夫の役目だ」

「ですが…んっ」

 言葉を言いかけたシャルロットの唇が、塞がれる。


 唇を噛むように挟まれ、吸い取られ、そのうち気が緩んで開いたそこから舌が入り込んだ。

「ふっ、う…」

 ゆっくりと、隅から隅まで堪能するように動き回る。求めるよりは、慈しむようだった。



 唇が離れると、シャルロットの白い肌にすーっと一筋の涙が落ちる。

 アロイスは情けない顔を見られたくなくて、額同士を合わせた。



「私の過去の行いがそなたを長い間苦しめている。

…心底、後悔している」


 あの女を警戒していれば。

 いや、私が愚王などでなければ。


 そもそもあのような女を帝国に迎える事もなく、シャルロットと二人でいたら。





 あんな最悪な最期を迎えることもなく、今世にまでシャルロットに苦しみを引き摺らせることもなかった。






「……アロイス様…」

 一瞬陰りを落とした緑の瞳は、すぐに瞼に隠される。




「存分に泣け、と言いたいところだが…。明日目が腫れていては、他の貴族たちに変な勘繰りを入れられるだろう」

 破局寸前の両陛下、なんて思われたら余計にビアンカ王女に隙を与えてしまうわね………。

 まだ目に浮かんでいるシャルロットの涙を指先で掬いながら、アロイスは口元を緩ませる。


「可愛くない顔になってしまってもいいのか」

「……そのような発言は傷付きますわ」


 シャルロットが少しだけ唇を尖らせると、アロイスは破顔した。

「大丈夫だ。そなたは拗ねていても可愛い」

「……ありがとうございます」

 アロイスはまだどこか拗ねているシャルロットが愛おしくて、額に唇を寄せた。

 二人は顔を見合わせて、口元を綻ばせた。






 少し離れた位置で見守っていたジョルダーニは、手に持つトレーの紅茶を見つめた。

「……冷めてきましたので、淹れなおして参ります」

「仕える主人があれだと、侍従も大変だなあ」

 隣にいたラクロワは両手を頭の後ろに組んでゲラゲラと笑っていた。


「口を慎めヘクター」

「皇帝陛下に失礼だぞ」

「今皇后陛下の事も侮辱したな」

 しかしその軽口により、トルドー、エリック、マルティンに鋭い目付きを向けられる事となった。




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