晩餐会
王城の客間にも格の違いがある。森の鬱蒼とした景色しか見えず、窓を開けると虫が入ってきてしまう部屋から、広大な庭園を見渡すことができ、中でも西日が一番綺麗に見える部屋まで。
シャルロットたちはその最高の景色が覗ける部屋に案内された。
「見て、遠くに街が見えるわ…!」
シャルロットはそれまで通ってきた道を窓から振り返る。
「帝国にも負けない歓迎ぶりだったわね…」
「両陛下とも即位されてから王国を訪れるのは初めてですからね。それに、色々とお噂が飛び交っているようですから、興味津々なのでしょう」
ソフィーはシャルロットを椅子に座らせると髪を櫛で梳く。サラサラと揺れる髪は窓からの日差しで艶めいていた。
「噂?」
「お二人が美男美女だというお噂ですよ」
「そんな噂が流れているの?」
シャルロットはうんざりした顔でソフィーを振り返る。
「他の侍女たちが王城の侍女たちに捕まっておりました」
「はあ…。祝賀会は気が重いわね」
「事実ですので、胸を張ってくださいませ」
「…けれど、皇女を見慣れている国民にはわたくしなんて掠れて見えるはずだわ」
「何を言いますか!私は皇后陛下以上にお美しいお方は見たことありませんわ」
「ふふっ…、ありがとう」
先々代皇后陛下の侍女を務めていただけある。
肖像画でしか見たことはないけれど、真っ直ぐに伸びた黒い髪は神秘的でアロイス様にそっくりな顔立ちをされていた。
あんな方を前にしていたら、ソフィーの目も肥えてしまったに違いない。
「皇后陛下、皇帝陛下がいらしております」
「入れてちょうだい」
アロイスはシャルロットと同部屋を希望していたのだが、国王スーザがそれぞれの部屋の景色を堪能してほしいと最後まで譲らず、二人は隣同士の部屋になった。
シャルロットが椅子から立ち上がろうとするとアロイスに手で制される。
「休める時は休んでいたほうが良い」
いつ戦うことになるかわからないから。シャルロットにはそう言われているように聞こえた。
「長旅で体が痛いだろう」
「それほどでもありませんわ」
「今日は早めに休め」
ゆっくりとアロイスが歩み寄るとソフィーたちは気を利かせて部屋を出ていく。
アロイスは背もたれに手を置くとぐいっとシャルロットの顔に迫った。瞬きしている間にくつりと笑われ、耳元に熱い吐息が掛かる。
「もうそなた一人の体ではないのだ」
甘く囁かれた言葉にやけにどくどくと心臓が騒いでいた。シャルロットは熱くなった頬を見られるのが恥ずかしくて、顔を逸らした。
「……はい…」
長い指が顎に掛かる。クイと上げられると、その瞳が焦がれているように見つめてきた。
「…あ、アロイス様…っん…」
噛み付くように唇が塞がれる。息継ぐ暇もないほど唇を重ねられ、胸が苦しくなっていく。
「っま、て…っ」
ようやくその言葉を絞り出せた。アロイスは混ざり合った唾液を喉を鳴らして飲み込む。
唇が解放された瞬間、ぷはっと息を吐いて吸った。肩で息をするシャルロットを笑うでもなく、アロイスはそっとシャルロットの肩を引くと額に額を合わせた。
「…やはりそなたをここへ連れてくるべきではなかったかもしれない」
ぽつりと呟いた声は、荒々しいキスとは反対に臆病なほど小さなものだった。
「そなたに何か起こったらと、不安で堪らない」
目をギュッと閉じて、全てから目を逸らす。
「…それはわたくしも同じですわ」
アロイス様がわたくしを庇って傷を負ったあの日。何ももっていなかったわたくしはただその首を公衆の面前に晒されないよう、湖に飛び込むことしか出来なかった。
帝国民や周囲の信頼も、背後の権力も、にこにこと振りまく愛想も、それらの全てをかつてのビアンカ皇妃は持ち合わせていた。
そんな彼女を主人として置き、国民が反乱も起こしたものと聞いたとしても頷ける。
「気付いていたか?馬車を降りて王城に入る際、あの女がこちらを見て笑ったのだ」
気付いていた。まるで何かを企んでいるかのように、含みのある笑いだった。
「正面から仕掛けてくることはないでしょうし、表立って剣を向けられることもないはずです」
「ああ…。だが警戒は怠るな」
力強い腕が回り、抱きしめられる。シャルロットはその温もりを感じながら、旅の疲れて眠りに落ちていた。
1日の休みを経た夜、シャルロットたちの歓迎を祝う晩餐会が開かれた。
ジャスナロク王国の生誕祭。そのために召集された他の国々の代表者たちは既に王城に滞在していて、先にシャルロットたちに挨拶に来ていた。王国に匹敵するほどの国力を持つ国はほとんどなく、ジャスナロク王国より小さな国の者たちばかりだった。
晩餐の席には他の国々の貴賓に加え、既に国王スーザと第一王子レオナルド、第一王女のビアンカがいた。
ちらりとビアンカを見やると、視線が交わる。淑女の仮面を被ったまま愛らしい顔を綻ばせたが、その目は全くと言っていいほど笑ってはいなかった。
「皆さんお揃いですね」
スーザが悠々として立ち上がる。余裕のある振る舞いはアロイスとシャルロットの婚姻の儀の動揺ぶりからは考えられないほどだった。
「本日は最後の招待客、ラングストン帝国の皇帝陛下と皇后陛下がいらしてくださいました。
この度は招待に応じていただき、誠にありがとうございます」
形式的に挨拶をされ、シャルロットとアロイスは会釈を返す。その後もつらつらと言葉があり、王子と王女の紹介を終えるとタイミング良く料理が運ばれてきた。
「美味しそうですね」
帝国側の席でそう話したのは、イアン・バジリオだった。その隣で公爵家を背負ってきたモーガン・ディートリヒも「ああ…」と頷いた。
「本日第二王女は体調不良で欠席とさせていただきますが、一同心を込めてご用意致しました。
ごゆっくりお召し上がりください」
その言葉に偽りはないようで、料理は絶品だった。帝国とは一風異なった舌触りと独特の香り。
それらを堪能しながら当たり障りのない会話をしていたが、一国の公爵が何気なく口を開く。
「第二王女殿下は体が弱く、あまり社交会には姿を現さないと聞きましたが」
「はい。ほとんど部屋に篭りきりです。ですが、可愛いもう一人の娘がその分王女として立派に務めを果たしてくれています。
きっとどこに嫁いでも上手くやっていけるでしょう」
チャンスだ。
陛下にビアンカの存在を訴えねば…!
何かを含ませたようにスーザはアロイスに視線を向ける。アロイスは知らぬ顔でデザートに手を付けた。
「それは素晴らしいですね」
「これほどお美しい王女様のお相手は、さぞ恵まれたお方なのでしょう」
周囲は力のある王国に媚びへつらう。ビアンカは当然でしょう…と鼻で笑いたいところだったが、謙遜するように首を振って見せた。
「そんなことありませんわ。わたくしなどが伴侶となる方を支えられるかどうか…。
皇后陛下はそういった心配はなさいませんでしたか?次期皇后としての事前教育もされず、小さな公国とは比較にならないほどの帝国でさぞご苦労なさっていることでしょう…」
帝国に継ぐ広大な領地と人口を持ち、ドレスに欠かせない絹が特産物であるジャスナロク王国。テノール公国など小さく財政状況もひっ迫していた国の存在を知らない者は多くいるが、ジャスナロク王国を知らない者はいない。
つまり、わたくしが皇后としての器に相応しくない、と言いたいのね…。
シャルロットは内心うんざりしながら、顔に出さないように努めた。
「一人皇妃でもいれば、公務が楽になるのではありませんか?公国の公女だった皇后陛下には荷が重過ぎると───」
「口を慎めジャスナロク国王」
水を打ったように静まり返る。
アロイスの鶴の一声に、皆の緊張の糸がピンと張り詰めた。
「……私はただ、皇后陛下の身を案じて発言したまででございます」
スーザは冷や汗を拭いながら弁明したが、アロイスは毅然として返した。
「帝国民を思いやる彼女だからこそ推し進めた施策は帝国の未来に繋がり、緊急時の判断力もその采配ぶりに皆が舌を巻いた。
明敏な彼女は一目置かれている。公私のパートナーとして彼女の代わりなどいない」
慈善活動、医師の学び舎設立の助言、そして帝都東部の土砂災害、鉱山ろう城事件。
全て彼女がいたからこそ進み、解決したこと。
アロイスに真っ直ぐ目を見つめられ、スーザはたじたじになって大きな体格を小さく縮こめていた。
その力の差は大きなものだった。
帝国と王国。
その差を、周りの者たちは嫌でも見せつけられた。
ビアンカはスッと目を細めた。
…公私のパートナー…?
ふっ…。笑わせないでよ。
あの愛想も振りまけない感情の希薄そうな女しかそばにいないからそう思うだけ。
この私が近くにいたら私の魅力に気付いて夢中になるに違いない。
そうならなかった男などいないのだから。