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〈閑話〉過去ー反乱




「皇帝が施した施策は我々の嘆願とは異なるものだった」


 空になった酒樽の上に乗った男は声を張る。

 侘しい村には不釣り合いなほどの人が集い、その演説を聞いていた。



「50年もの間堤防は壊れることなく幾度もの洪水にも耐えてきたが、200年前に起きた豪雨と同程度の雨が予測されている。当時の豪雨では堤防が決壊し、街を丸ごと飲み込んで近隣の街にも影響が及んだ。

同じ過ちを繰り返さないために皇帝に謁見願いを出し堤防の強化を申し出たが、皇帝は50年耐えてきた、ことを理由に断った。

そして先日、豪雨と共に川が洪水し、堤防は決壊。我々の予測通り街ごと故郷が水の底だ」


 聴衆の中から罵声が飛び交う。

「俺たちは自分たちの街のことは皇帝よりよく分かっていた!」

「ずっと公式の場にも出ずに病弱だからと匿われていた皇帝如きが!」

 そのうちの一人が、酒樽の横に躍り出た。




「先に避難していた町民は助かったが、故郷を取り戻したく再び謁見を申請した。しかし皇帝が我々に掛けた言葉は、


『この度は不運に見舞われたようだな。

しかし町民が無事ならそれで良かったではないか』


だった。


不運に見舞われたわけじゃない。皇帝が我々を見捨てたために、我々は故郷を失わざるをえなかった」



 一人の母親が子供を抱きしめ、堪えるように涙を流す。

「そうよ…、子どもたちにはもう、あの場所へ連れて行ってあげることもできない…」

「皇帝が俺たちの意見さえ聞いてくれていれば、こんなことにはならなかったというのに…!」


 

 噂は尾びれ背びれをつけて広まっていく。


 別の街の酒場でもその話題で持ちきりだった。



「街が水の底か…。想像できないな」

「帝都ソルダの東部地域で土砂災害が起こったことがあっただろう。夜中に発生して横殴りの雨が続き、警備隊は土砂と倒木に道を阻まれ直ぐに駆け付けられず、男たちが救出作業に当たったが人手不足で救出が遅れ、また助かっても避難場所がなく被害に遭った者たちの半数が命を落とした…」

「ああ、覚えてる。皇帝はその街の復旧にも皇室の資金は使わないと断言したそうだな!」

「そのせいで東部地域は今や封鎖されている。

命からがら助かった者たちも手持ちがないから、親族がいない奴らの中には物乞いになったり、体を売り払った奴らもいる。

災害手当さえ出さないと言うのだから、酷い皇帝だよ…」



 酒飲みに紛れ、薄汚れたマントに身を包んだ男がニヤリと笑う。


「知らないのか?皇帝が堤防補強や災害手当に予算を割きたくなかった理由。

皇帝はその分の予算を、第一皇妃のシャルロットに宛てていたんだ」

 モーリッツの青い瞳が閃光の如き光をたたえていた。



 途端に周囲の大酒飲みたちがガバッと立ち上がる。

「第一皇妃!?」

「引きこもってばかりで何もしないじゃないか」

「国民の前に姿を現し慈悲を施すビアンカ皇妃とは正反対だ!」


 シャルロットの妊娠・流産を知らない国民は、表にもほとんど出ずに引きこもっているシャルロットの悲しみも知らず、自分たちの税金で怠惰な生活を送っていると思っていた。

 対して皇帝の寵愛を受けるビアンカは積極的にアロイスと行事に参席し、ボランティアとして平民にも食事を与え、笑顔を絶やさず国民の心を慮る姿勢を見せたビアンカに傾倒していった。






 その考えは貴族たちも同じだった。

 寧ろ皇帝と接する機会のある貴族たちの方が、アロイスに対して皇帝としての器に相応しくないと危機感を感じていた。


「ガルパット鉱山で採掘職人らがストライキを起こして閉じこもってからもう一年以上か…」

「人手不足で日夜働かされてたんだろ?陛下はそれを知りながら、見ぬふりをしていたらしい」

「金を出せば一発ではないか」

「一度そうしたらしいのだが、採掘職人らは採掘再開はしなかったらしい」

「職人らを連れ出して牢獄入りさせ新しいものを雇うなり、人員を確保するなり、案は大臣たちから出ているのだが、皇帝はその全てを大臣たちに一任してビアンカ皇妃の元だ」

「呆れたな。こんな時まで女にかまけているのか」

 


 回廊を通りかかったバジリオ侯爵とエンリオス公爵は、話を小耳に挟みながら緩む口元を抑え切れなかった。

「フッ…。バカな皇帝が」



 皇宮の中だというのに、出入りする者たちは皇帝の悪口を聞いても咎めない。誰もが内心に抱え、同調していることだったからだ。


「災害が起きても何もしない。帝国で人の住める地域が減っていく中、国民は貧しくなるのに物価は上がるばかり。陛下は一体何を考えておられるのか…」

「何も考えていないのだろう。宝石が採れなくても気にも留めていない。各国との貿易が滞り帝国の経済は停滞の一途を辿っているというのに、大臣たちの意見を聞こうともしない」

「せめて宰相がいてくれればなあ。他国との交易が滞ったことによって対応に追われ、国々を回っているらしいから」

「取りまとめる陛下がいないから大臣たちも意見が割れて、鉱山の件は保留になっているらしい」

「せめて陛下に帝国を憂う気持ちがあれば変わるのだが…」

「妻も宝石が高値だと文句を言っていた。今のドレスはレースや柄を付けて無理矢理飾っているようなものだ」



 不満や怒りは、浸透していく。


 度重なる戦争で重税を強いられていた国民には不満が溜まっていた。

 そして新しく皇帝になったアロイスに、その怒りの矛先は向けられた。独断の政策を続け低迷する国策に、国民も我慢の限界だった。

 


「ようやくね…」


 小鳥が囀る空を見上げて、ビアンカは微笑む。

 その笑みにうっとりとしていた侍女たちは、護衛騎士のモーリッツがやって来ると身を引いた。



「ついに明日は避暑のためセリガ湖へ向かう日ですが…、“準備”はできておりますか」

「ええ。貴方こそ“抜かりない”わよね?」

「はい。できております」


 うるうるとして熟した果実のようにピンクに染まった唇が弧を描く。




「楽しみだわあ」







 翌日、セリガ湖周辺に集まっていた者たちは武器を手に高く上げる。

 家族のため、友人のため、故郷のため、暮らしのため、国のために。


「俺たちの故郷を返せ!」

「皇帝なんぞに言い伏せられてはならない!」

「俺たちは、自らの手で帝国を守る!」

「滅びゆく帝国を見捨てられない!」

「皇帝を俺たちの手で!!」



 何千と集まった人手に加え、皇室騎士団の騎士たちもほとんど回収済み。包囲網も張られている。

 宝石が採掘できないことで帝国の価値が落ち、攻め込もうとしている王国の対応に追われて皇帝の守護を貫く騎士団長とその代理がいないのは好都合だった。


「皇帝は先頭から二番目の馬車、第一皇妃はその後ろの馬車になります。更に後ろは第二皇妃の馬車になるので、気をつけるように」




 そして、初めに馬車が襲われた。

 痺れ矢の突き刺さった馬はその場に倒れ込み、しかし逃れた何頭かは怯えて走り出した。

 シャルロットの乗っていた馬車も同様で、ようやく止まった頃に痛む節々を抑えながら馬車を降りた。


「ゔっ……」

 すぐさま、口元を覆う。

 鼻が曲がりそうな血の匂いが辺りに立ち込めていた。


「た…す……け、て………」

「っ!」

 その声がして御者を覗き込む。喉に矢が突き刺さったその光景から、さっと目を逸らした。


 なに…。何これ………!


「いたぞ!シャルロット皇妃だ!」

 訳もわからず、シャルロットはドレスを持って走り出す。追いかけてくる者たちは平民なのか、街の人たちの装いで鍬や槍を持っていた。

 近頃国民たちの間で陛下が愚王と呼ばれていた。



 …まさか…。







 ──反乱……?






 少し前、同様に馬が暴れ出した馬車を飛び降りたアロイスは、周囲の血生臭さに眉を顰めた。

 御者は馬に引き摺り下ろされたのか地面に頭を打ち付ける形にひっくり返り、しかしその頭はもげてなくなっていた。ぼたぼたと血だけが馬車の道のりをしめしている。



「いたか?」

「いや!この先だ!」

 まさか、この私を追っているのか…?


 その奥から人の声がして、足が逃げるように動いていた。血を追われたらすぐに見つかる。

 

「必ず見つけろ!」

 皇帝であるこの私を…。

 反乱なのか?旅人を襲うという山賊らの襲撃か…。


「絶対に殺せ!」

 ぞくっと背筋が震えた。私を殺す……?


 どうにかして茂みに隠れながらその場を離れる。しかしどこに出ようとしても騎士たちに囲まれているようで、「陛下はどこへ逃げたんだ…」「この辺りにいるのは間違いない。探せ」と尋常じゃない雰囲気を漂わせていた。


 守ろうとしているわけではない。

 こいつらも私を殺そうとしているのだ。

 間違いなく、反乱だ。



 

 ふと、頭の中にシャルロットの姿が過った。


 彼女は、無事なのだろうか。

 すぐ後ろの馬車にいたはず。狙われているのが私だけなら良いのだが…。




「モーリッツ卿」

 その男は光を浴びて水色に近い目を向けた。

 ビアンカの護衛騎士が…何故ここに?護衛の業務は…。

「第一皇妃を見つけました」

「案内しろ」

「っ…!!」

 シャルロット…!


 シャルロットも命を狙われているのか…?


 モーリッツに気付かれぬよう森の中を迂回するように走る。走り慣れていないアロイスはすぐに息が上がったが、それでも足を止めなかった。

 シャルロットっ…。

 どうか無事でいてくれ……!

 

 ようやく人気のない道に出ることができ、モーリッツの後を追っていたアロイスの耳に可憐な声が聞こえた。


「陛下っ!」

 アロイスは足を止める。声のした方へ行くと、廃城の前でビアンカがまるで人質に取られていた。後ろ手を騎士に握られ、首に短剣を突き付けられていた。

 暑さのせいかうっすらと蒸気した頬にほろほろと涙が溢れ、ビアンカの顔が歪む。


「どうかお助けください…」

 

 今にも崩れ落ちてしまいそうなほど、恐怖で体が震えていた。短剣が更に首に食い込み、整った顔が強張る。

「助けてっ……」


 助けなければならない。

 私が今見捨てれば彼女は殺される。


 頭ではそう分かっているのに、助けてやるという言葉が出てこなかった。



 それどころか、シャルロットの身を案じて早く助けに行かなければと気が急ぐ。


「第一皇妃を見つけたぞ!」

「どっちだ!」

「っ…!」

 ダメだ。シャルロットだけは……!!



「陛下っ…!!」


 踵を返したアロイスには背後から泣き叫ぶ声が聞こえていた。しかし躊躇う気持ちなど微塵もなかった。


 前を走っていた騎士たちにその身をぶつけて押し倒す。

「ぐうっ…!」

「何だ…!?」

 騎士たちが頭を押さえて混乱している間に立ち上がり、その先へと走った。






「…チッ…………もういいわ、離して」


 甲高い声が一気に地に落ちる。ビアンカはたわんでいた縄を地面に捨て、短剣を握る手を取り払った。


 その顔は涙で濡れてはいたが、先ほどまでの人の心を揺さぶるような表情ではなかった。冷ややかな目で誰もいなくなった方を見やる。


「追いますか?」

「後先考えず突っ込んでいくあの様子を見ればわかるでしょ。誰かにやられるか、モーリッツがやってくれるわ」


 最後の最後まで、全て思い通りとはいかなかった。

 いつだってあの男の頭にはあの女がいて、会話の隅々に現れた。



  愛していなくとも、他の女の話を聞かされるのは虫唾が走る思いだった。

 だから最後くらい、私に振り向かせようと思ったのだけれど…。


「まあいいわ。もうこの帝国は私のもの同然」


 ビアンカはふっと息を吐いて笑うと、森に響くほどの高らかな笑いを上げた。







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