巣窟への招待
お茶会の日はあっという間にやって来た。
シャルロットがその場に足を踏み入れるだけで、皆はお喋りを止めて立ち上がる。
一番奥の一人席、そこに立つと、隣のステラが真っ先に挨拶し、「皇后陛下にご挨拶申し上げます」と他の夫人たちが続いた。
「ご招待感謝致します。ステラ皇女殿下」
「こちらこそ、応じていただきありがとうございます」
形式通り、皇后が先に言葉を述べ主催者だが皇女のステラは後から皆に顔を向けた。
「皆様もお集まりいただきありがとうございます。
このひと時を楽しんでいただけたら幸いです」
この場には皇帝派だけでなく貴族派も集められていた。貴族派の殆どが招待に応じなかったが、図太い神経でやって来た数少ない貴族派の夫人たちはどこか悔しげで、中には扇子をきしきしと音が鳴るほど握り締めている人もいた。
「エンリオス公爵夫人とバジリオ侯爵夫人はいらっしゃらないのかしら?」
「夫人、もうお二人は爵位のある殿方の夫人ではありませんよ。このような場に来られれば恥を晒すようなものですわ」
見せつけるようにクスクスと皇帝派の夫人たちが失笑する。貴族派の夫人たちは物言いたげだったが、これ以上立場が悪くなることを恐れてか黙り込んでいた。
シャルロットがここへ来たばかりの頃とは逆転した。
皇帝派の夫人たちも力を持ち、貴族派の非礼を我慢することもない。
「先日のお茶会では随分無礼な言動が目立ちましたが…、本日はそのようなこともなさそうで安心致しましたわ」
「皇女殿下の言う通りですわ」
ステラの言葉に優雅に頷いたフェラニアが流れるように話し始める。
「近頃は皇后陛下の体調が優れないと耳にしましたが、具合はよろしいのですか?」
「ご心配ありがとうございます、ディートリヒ公爵夫人。公務が続いて少し疲れたようで、今は変わりありませんわ」
皇帝陛下の寵愛を受け、外に出る機会が減ったという噂はあったが、誰もそれを口にすることはできなかった。皇帝と皇后の私生活に関する事であり、かつ今回の目的はその追求ではないからだ。
「鉱山の件で陥れるような真似をした者がいましたものね。お察しします」
ステラは隠すこともなくわざとらしく苦笑した。
貴族派への牽制。誰が見てもそうと分かるように、今日の茶会の目的はそれだった。
貴族派筆頭のエンリオス公爵とバジリオ侯爵がいなくなった今、子爵となったイアンが後株に持ち上げられているが、穏健な思想を持つ彼はアロイスたちの座を奪おうと策略を巡らせることもなく皇帝派に寄った考えを持っている。
エンリオス公爵たちのように外部から圧力を掛けたりもしないため、実質貴族派は力を失いつつあった。
「フォーゲル公爵夫人が近いうちにご出産されるそうですよ」
「まあ、それで本日は欠席なさったのですね」
「あの頭が切れると噂の宰相の子ですから、楽しみですわね」
「どちらの血が色濃くても美しい子に違いありませんわ」
話題は皇帝派の夫人たちが主体となって進んでいく。
もうすぐだったのね…。
「お祝いを送らなければならないですね」
シャルロットの言葉にステラたちは「そうですわね」「何が良いでしょうか?」と和気あいあいと会話を始める。
その和にも入れず、いつものように批判することもできず、曖昧な立場の貴族派の夫人たちは屈辱を感じながら身を縮こめていた。
「見ました?あの人たちの顔。思い出しても笑っちゃうわ」
「貴族派の夫人たちには良い牽制になりましたね」
茶会が終わり、夫人たちを見送った後、ステラとシャルロットは並んで散歩をしていた。
「そういえば…、これは、わたくしの友人の話なんだけれど…」
声をぐっと潜めたステラがシャルロットと距離を詰める。
「…その…、ずっと幼馴染として仲の良かった男が、護衛騎士になって……、ある日、友達だと思っていたその人を………す、すっ、…好きかも、かもしれないと気付いたらしいのよ……」
後ろにいる護衛騎士たちにも聞こえないほどの小さな声で囁かれる。
ステラの顔は湯船に長時間浸ったかのように上気していた。
「でも、ずっと友人として一緒にいたから、どうしたら良いのか分からなくて……」
………これって…ディートリヒ卿のこと………?
背後を振り返りそうになったシャルロットは、ぐっと思いとどまった。
「…その、シャルロットはあの人と…どういう経緯でそういう仲になったの?」
「えっ…」
まさか今になって問われるとは思わなかったシャルロットは、上擦った声を上げていた。
「わ、わたくしたちは幼馴染ではありませんでしたし、参考にはならないかと…」
誤魔化すようにつらつらと、まるで蚊の鳴くような声で返す。
ステラは「そうよね…」とどこか落ち込んだ様子だった。
ど、どうしよう…。
ステラをがっかりさせたくはないのに…。
「…協力なら、してあげられるかもしれませんが…」
「本当!?」
くるりと振り返ったステラは両手でシャルロットの手を握っていた。
その様子を見ていたニコラスがその手を離させようと二人の背後からずんずん歩み出したが、「まあまあ、友人同士の友情だから」「そこまで嫉妬するんじゃない…!」とエリックとマルティンが片腕ずつを掴んで止めた。
ステラはごほんと咳払いをしてから満面の笑みになる。
「友人も喜ぶわ!」
ステラの眩いほどの笑顔に、シャルロットもつられて微笑んでいた。
ディートリヒ卿、ステラのことをとっても気にかけている節があったものね…。二人が結ばれてくれたら、幸せだな…。
やがて皇宮が見えてくるとリチャードとマーカスが渋い顔をしながら庭園で話し込んでいるのが見えた。
「ディートリヒ公爵とフォーゲル公爵だわ」
シャルロットとステラに気付いた二人は「皇后陛下と皇女殿下にご挨拶申し上げます」と礼を尽くす。
「もうすぐ我が子に会えるというのに、浮かない顔ですね」
「実は…ジャスナロク王国から両陛下宛に王国生誕祭の招待状が届きまして…」
シャルロットの心臓がドクッドクッと強く脈打つ。
背筋がひやりと凍りつき、変な汗が流れた。
光りに透けて灰色を帯びた髪が波打つ後ろ姿が脳裏に過ぎる。
王国の生誕祭は確かにこの時期ではあったけれど、前世で赴いた覚えがない。
なにより、ビアンカ王女とまた顔を合わせなければならないなんて…。
「向こうの王子は帝国の子どもたちを誘拐して売買の罪に問われている最中。王国の代表者でもある騎士のモーリッツ卿は未だに逃走したまま罪を償っていない。
そんな無礼を働いておきながら、まだ帝国に縋り付き権勢を利用しようと欲するのですか」
ステラはこめかみをヒクヒクとさせながら捲し立てる。
「だからこそです。帝国民も王国に良い印象は持っておりません。今後の関係改善のためにも、両国の間にわだかまりがないということを示したいのでしょう」
「なんてわがままなの…!」
その苛立ちは相当なもののよう。物凄い剣幕にリチャードとマーカスは一歩引いていた。
「誰かほどではないですよ」
しかし怯むことのないニコラスはボソッとつぶやく。
鋭い目付きでステラは背後を睨んだが、ニコラスは素知らぬ顔をしていた。
「……生誕祭には、赴くのが恒例なのですか?」
「いえ、多くは10や20年の節目なので、我々も不審に思っております。近頃は王国の動きが怪しいこともありますから、油断は禁物でしょう」
「行く必要ないですわシャルロット。
帝国が王国の招待に応じる義務はありません」
たしかに…、招待されただけで、出席の可否はわたくしたちに委ねられているわ。
シャルロットは気を持ち直したが、マーカスは眉をグッと寄せて「しかしそうもいかないのです」と続けた。
「今回の招待客リストが王国で国民に公表されてしまったので、王国は新皇帝陛下の訪問を心待ちにしておられるのですよ」
「そこまで手を回したのも、逃げ道を塞ぐためでしょうな」
王国は秘密裏に武器や人手を集めている。恐らく、過去のように戦争を起こして帝国に隙を作ろうとしているに違いない。
…ビアンカ王女も、この件に加担しているのかしら…。
深夜を回った頃、シャルロットはお腹に回った筋肉質な腕と隣の温もりで目が覚めた。
「…ん……アロイス様……?」
「すまない、遅くなった」
寝起きのシャルロットには闇の中でアロイスがどんな表情を見せているのか分からなかったが、低く落ち込んだ声がアロイスの沈んだ気持ちを明らかにしていた。
「いいえ。公務ですから、仕方ありませんわ」
ベッドに落ちていた髪をすくい、アロイスは口付ける。
「そなたはすぐ我慢する」
「そんなこと…」
「今朝はつわりが酷かったのに茶会だからと我慢して出たのだろう」
ソフィーから全部筒抜けね…。
「…今は平気ですわ」
「無理はするな。そなたの体調が何よりも優先だ」
素直に頼ろうとしないシャルロットに痺れを切らし、アロイスはため息を吐く。ピッタリとシャルロットにくっつき頭を撫でていると、目を閉ざしたままシャルロットの形の良い唇がそっと開かれた。
「王国の生誕祭に招待されたそうですね」
いつまでも隠してはおけない。
しかし愛する人に、辛い過去を思い出させたくもない。
「…そなたが行く必要はない。代表として私が行こう」
そう、決めていた。
しかしシャルロットは素直に頷かなかった。
「いけませんわ」
「あれは敵国の巣窟。虎の穴に入るようなものだ。身重のそなたを連れてはいけない。
それに…思い出したくないことを思い出させてしまうかもしれない」
きっとシャルロットの中で、過去のことがトラウマになっている。
いつまでも頭の片隅にあり、消え去ってはくれないのだろう。
ベア・モーリッツに剣を向けられたシャルロットの姿を、私が忘れられないように。
「それでも…。……あの方の……ビアンカ王女のいるところへアロイス様をお一人で行かせたくはないのです」
見上げてきたシャルロットの目は月明かりできらきらと光って見えた。
シャルロットは震える声を落ち着かせようとシーツをきつく握りしめる。
「どうかわがままをご容赦ください」
起き上がったシャルロットは居住まいを正し、ベッドに頭を下げた。
こうして頭を下げてまで共に行こうとする。それほど私とあの女が一緒にいることは、彼女には耐え難いのだろう。
私は、その感情を知っている。
「…それはわがままなどではない」
シャルロットの両肩を掴んで起こすと、目に涙を浮かべて嗚咽を耐えていた。
私は過去の分まで償わなくてはならない。
彼女が苦しまないよう、悲しまないよう。
「共に行こう」
上下する肩をアロイスはそっと抱きしめた。
「ふっ……う……はい…」
嗚咽をこぼしながら、シャルロットもアロイスの背に腕を回した。
生誕祭に向けて準備が始まった。サリラントを呼び出し、やって来たマダムサリルはシャルロットの採算時に瞬時にスタイルの変化に気が付き、妊娠を見破った。
マダムサリルにはシャルロットたちから内密にするよう言われたが、それよりもシャルロットの理想的プロポーションが崩れたことの方がマダムサリルには衝撃だった。
王国に赴く騎士の選抜やステラへの公務の引き継ぎでアロイスとシャルロットは多忙を極めた。
そしてついに、帝国を出立する日がやって来た。