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愛を込めて







『実は……皇后陛下が懐妊なさいました』


 その言葉で、ふとあの日を思い出した。




『っあ、あの、アロイス様…!』

 

 シャルロットが長い眠りから覚めたあの日、私は気付いてやれなかった。



『目覚めたばかりで体が重くて…!』

『すまない、今夜だけ…』

 私を傷つけないよう、シャルロットはやんわりと断ろうとしていた。それを私は勘違いして強行しようとした。


『やめてくださいませ』


 シャルロットは母親として、子どもを守ろうとしただけだった。

 私たちの念願の子を。



♢♢♢



「子を授かったのか!」

「陛下…!」

 ベッドから起き上がろうとしたシャルロットを、アロイスは「そのままで良い」と制した。


「男か女か…。いつ生まれるんだ?」

「気が早いですわ陛下」

 シャルロットはクスクスと笑い、お腹の子を撫でるように手を添えた。


♢♢♢



 あの小さな命を失った時から、シャルロットは私に笑顔を見せなくなった。

 希望を抱いた分だけ、失ったときの絶望は大きく、まさにどん底に落とされるような思いだった。






「また同じようになったとしても、今度は…私がそなたを支える」


 ベッドに横になったシャルロットの頬は赤く染まり、息も定かでない。いつも艶やかでふわりふわりと風に靡いていた淡紫の髪はぐっしょりと濡れていた。

 梳くように撫でながら、その一房に口付ける。


「もう離れない。だからどうか、一人で抱え込むな」


 私をがっかりさせまいと一人お腹の子のことを受け入れていたシャルロット。


「そなたは本当に強い。…だが一人で抱え込んでいれば、いつか壊れてしまう」


 目をぎゅっと閉じ、うなされていたシャルロットがうとうととしながら目を開く。

「…シャルロット」

「…………アロイス様…?」

「ああ」

 頷くと、嬉しげに目が細まる。


「アロイス様…」

 震えながら伸びてきた手が、アロイスの頬を包む。

 小さく、熱く、か細い手。この手で、シャルロットは何度も私を救ってくれた。

「…シャルロット」

 その手を掴み、猫のように擦り寄ると、シャルロットは「くすぐったいですわ」と疲れた顔で笑っていた。



「ゆっくり休め。目覚めるまでそばにいる」

「…アロイス様も睡眠を取られないとなりませんわ。もう夜中なのですよね?」

 シャルロットは明かりの漏れないカーテンに目を向けた。

「そなたが眠ったのを確認してから、私も寝よう」

「…分かりました」

 既に眠気に襲われていたシャルロットは、目を閉じるとすんなり夢の世界に入っていった。



 すうすうと寝息を立てるシャルロットは、先ほどよりも穏やかな顔をしていた。シャルロットの顔に掛かった前髪を払いながら、開いた額にキスを落とす。

「おやすみシャルロット」

 








「…ハッ……」

 ふと目覚めると、見慣れた天井が目に映る。カーテンから木漏れ日が差し込み、薪は灰となって部屋はすっかり冷えているようだった。

「…ん…」

 動こうとするとシーツが引っ張られる感覚がある。見ると、シャルロットのベッドに伏せて寝ていたアロイスが起き上がっているところだった。



「アロイス様!?」

「シャルロット…。おはよう」

 あくびを噛み殺しながら伸びをする。体格が良いアロイスの筋肉が服からも盛り上がり、やましい連想をしてしまったシャルロットはさっと顔を逸らした。

「おはようございます…。そのままではアロイス様まで風邪を召されてしまいますわ」

「私はそれほどやわじゃない」

 シャルロットの額に大きな手が被さる。振り向くとアロイスがにこりと微笑んだ。


「熱は下がったようだな」

「あ…」

 そういえば体が軽い。頭痛もなく、寝ぼけているくらいだろうか。


「アロイス様の看病のお陰ですわ」

 まだ眠気の覚めないアロイスの目元は猫のようにとろんとしていて、シャルロットはその微笑みに胸を射抜かれたようにキュンとしていた。


 そのうち、アロイスが片膝をベッドに乗せ、シャルロットを覆い被さるように抱きしめてくる。

「…アロイス様…」

 看病をしてくださったことも嬉しいのに、朝からこうして抱きしめられると雰囲気に流されてしまいそう。



「…全て聞いた」

 

 アロイスはそう言ってシャルロットのお腹に手を滑らせた。

 思わずシャルロットは「…え…」と戸惑いの声を上げた。


 聞いたって…、まさか。



「私たちの子なんだろう」

「…どうしてそれを…」

 シャルロットの顔を覗き込んだアロイスを、まじまじと見上げる。


「…そなたの体調が近頃良くないようだから、クラメールたちを問い詰めたのだ」

 ソフィーたち…。アロイス様だから酷いことはされてないでしょうけど、こうなってしまうと隠し事をお願いするなんて悪い事をしてしまったわね……。


「……シャルロット」

 我に帰ったシャルロットを、アロイスは固く抱きしめる。しかしお腹は優しく、添えるように撫でていた。


 かつては失った命。わたくしたちはお互いに傷付いて、寄り添えば癒し合えたかもしれないのに更なる距離を置いてしまった。

 けれど今は違う。



「すごく幸せだ」

 目の前で、大好きな人がどうしようもなく泣きそうになりながら微笑んでいる。

 これほどの幸せがあるだなんて…。


「…わたくしもですわ。アロイス様」

「名は何がいいか」

「まだ早いですわ」

 シャルロットが笑っている様子を、アロイスはじっと見つめていた。好きな人が幸せそうなだけで、自分まで幸せで満たされる。もっと笑顔にしたいと欲張りになる。

「…愛情を込めて育てよう」

「そうですね。きっと素敵に成長なさいますわ」

 まだ膨らみも分からないお腹にそっと顔を寄せたアロイスは、寝巻き越しに口付けを落とした。



「必ずこの手で我が子を抱きしめよう」

 その言葉は、シャルロットには決意のようにも聞こえた。


 アロイスはシャルロットの後頭部を引き寄せ、固く抱きしめた。


「今度こそ…」

 奪われやしない。

 ジャスナロク王国…、ビアンカ王女には、絶対に負けない、と。

 









後日。




───テノール公国



「ふうー、寒かった」

 暖炉の火の前にかがみ込んで、手を温める。かじかんだ指先は少しマシになり、レイラはメイド服をパッパッと払って立ち上がった。


「これは男爵様、これは子爵令嬢、これは…」

 届いた手紙を仕分けていたレイラは、見覚えのある紋章に息が止まった。


 さっとひっくり返し、その差出人がシャルロット・ラングストンだと知るなり「お嬢様…!!」と叫んでいた。




「大公様!公子様!」


 気が狂ったように走り出し、執務室を何度もノックしていた。


 中から執事が出てきて「何事ですか!?」と半ば呆れていたが、シャルロット付きの侍女だったレイラは待ちきれずずかずかと中に足を踏み入れた。




「どうしたんだそんなに慌てて」


 机とセットの椅子に腰掛けていたベーベルは顔をこちらに向ける。

 その向かいに立っていたクリストフは、キョトンとした顔でレイラに歩み寄った。レイラには、その姿がシャルロットと重なって見えた。



「大公様、公子様。

シャルロット様からお手紙です!」



 それまで様子を見守っていたベーベルも、“シャルロット”という名前に反応して椅子を蹴って立ち上がる。




「シャルロットから!?」


 クリストフはレイラから手紙を受け取ると、デスクに置いていたペーパーナイフで封を切った。便箋を開くと、それは確かにシャルロットの字だった。



「シャルロットの字です…」

 身を乗り出していたベーベルに便箋を手渡し、クリストフ自身も手紙を読もうとその内容に目を向けた。




 要約するとこうだ。


 帝国で混乱が起きていることは公国にまで及んでいたが、無事に解決したこと。

 シャルロットもアロイスも変わらず元気で、ごく一部の人にしか知られていないがシャルロットが妊娠をしたこと。




「シャルロットが母親になるのか…!」

「これはいかん。祝いの品を用意せねば…」

「しかし一部の者しか知らないのであれば、懐妊祝いの品や名目にはできませんよ」



 ベーベルは「その通りだな…」と頭を悩ませた。


「とにかく、喜ばしい事態です。今夜は盛大な宴にしましょう!」



 クリストフはあまりの嬉しさでレイラの両腕を掴んでいた。

「シャルロットの懐妊祝いだ!」



 その笑顔と距離の近さに、レイラは顔を真っ赤にさせてたじろいでいた。




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