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嫌われたくない





『っあ、あの、アロイス様…!』

 体を押されたのが最初の拒絶だった。この時、それを悟ってやめていれば良かった。


『目覚めたばかりで体が重くて…!』

『すまない、今夜だけ…』

 触れずにはいられなかった。もう目覚めないかと不安で堪らなかった気持ちが私を焦らせた。

 シャルロットの青い瞳に魅せられた時から、気持ちが急いていた。シャルロットをかき抱いて、温かさを全身で感じたかった。



『っ……!』

 自分のことばかり考えていたから、シャルロットが嫌がっていることに気付くのが遅れた。気付けばシャルロットは私の手を掴み、目を合わせてきっぱりと告げた。


『やめてくださいませ』


 瞬間、血の気が引いた。

 独りよがりだったと後悔した。






『ナッシュ曰く、そなたに手を出そうとしたからだそうだ』

『そんなはずありませんわ。前世でモーリッツ卿がわたくしたちにしたことをお忘れですか』

 しかしその後、シャルロットがあまりにも鈍感で腹が立った。



『前世で奴はそなたをよく見ていた』

 勘違いなどではない。

 ベア・モーリッツはシャルロットに好意を抱いていた。

 

 夜更けにシャルロットが風を浴びていた夜、声を掛けようとした私を差し置いて先に挨拶したのはあの男だった。その後もしばらく二人きりで談笑し、あの男は月や夜空の景色を放ってシャルロットを見つめていた。



 あの女と過ごす夜、護衛のはずのあの男の姿はいつもなかった。一度深夜に目覚め、ふらふらと外を歩いたことがあった。

 薄着にも関わらずベンチに腰掛けたまま寄りかかって眠るシャルロットに自身の上着を掛け、見守るようにそばにいた。



 かつての私がして来たことを考えれば、嫉妬できる立場にもない。だがあれほど好意を寄せられながら気付かないなどと言えるはずがない。

『……今となっては、帝国にも王国にも追われる身だ。そうそうそなたに接触はできまい』

 もう二度と会わせやしない。

 そんな醜い心が言葉を紡いだ。








「こちらが資料になります」

 宰相のマーカスはそれまで話をしていた件に関する書類をアロイスのテーブルに差し出した。

「……………」

 しかし返事はなく、チラッと目を向けてみるとアロイスは物思いに耽った顔をしていた。

「…陛下?」

「ん?…ああ」

 近頃陛下はぼんやりされることが多くなった。

 

 …また聞いておられなかったかもしれない。次に進む前にもう一度説明をしなければ…。

 口を動かしながら、マーカスはやはり、皇后陛下の件か…?と考えを巡らせる。


 



 皇后陛下と皇帝陛下が仲違いをされたらしい、という話は、最早宮中で知らぬ者はいないほどの噂となっており、情報に敏いマーカスの耳にはいち早く入ってきていた。

 とはいえ、アロイスとシャルロットの気を許した仲を見ていたため、すぐに終わるものだろうと思い込んでいた。



 しかしここ一週間、お二人の仲は直られていないように思う。

 共にしていた朝食も、ティータイムも摂られなくなり、寝屋も別々と聞く。そのせいで陛下は睡眠の間も惜しんで公務に励まれるのだが、疲れが溜まっているせいか皇后陛下の事を気に掛けられているせいか、集中に欠けておられる。

「…陛下、そろそろ休憩を挟んだ方がよろしいかと」

「いや、いい。それよりエンリオス公爵の爵位剥奪を求める声が高まり、国民と争って裁判になったようだが──」


 アロイスにより次の話題が始まり、マーカスは失敗か…、と思いつつも、諦めはしなかった。


「今頃審議中で、結論が出るのは明日以降でしょう。

貴族派はバジリオ子爵を持ち上げ、ステラ皇女との婚姻話を勧めているようです。皇室との繋がりを持ちたい魂胆が見え見えですが、皇女もそろそろ良い頃かと思います」

「バジリオ子爵を婿に取るべきと思うのか?」

「誰ととは申しませんが、婚期を逃した女性は周囲から後ろ指を指されます。一度皇女の御心を尋ねてみてはいかがでしょう?」

「ああ…。そうだな」

「ティータイムを取られないのであれば休憩を兼ねて皇女宮へ行かれてはどうでしょう?丁度皇后陛下とティータイムのお時間でしょうから」


 それまで筆が止まらなかったアロイスの指先がピクリと動き、それきり手は止まった。

「…何故そなたがそれを知っている」

 アロイスはそれまで見ることをしなかったマーカスの顔をようやく見やった。

 一回りも低くなった声色で、マーカスは察した。やはり仲違いをされているとはいえ、陛下は皇后陛下を愛していらっしゃる。でなければこれほど過敏に反応するはずがない…。



「ここへ参る前に皇后陛下に謁見致しました。丁度、皇宮に留まっていた二人の子供を見送っていたようです」

「…そうか」

 気にしてないフリをして、陛下の筆は止まったまま。やはり…。



「皇女様に確認をされるのでしたら、事前に遣いを送らせますか?」

 マーカスが外出前提で促すように言うと、アロイスは筆を筆立に置いて書類を整理し始めた。

「…いや、いい」

 互いに避け合っているこの状況で、陛下が皇女殿下の元へ向かっていると知れば皇后陛下は茶会を放って退出するだろう。

 気まずさを感じて、皇女に用があると言い訳にして自分は邪魔者だと言わんばかりに。

「しばらく席を外す」

「かしこまりました」

 それを陛下も悟られ、自ら先に動いたのだ。

 皇后陛下にお会いになるために。








 その頃、シャルロットは正午の日差しで満たされた温室にいた。


「シャルロット…!」

 ステラはシャルロットを目にするなりテーブルをガタンと揺らして立ち上がる。らしくもなく眉を下げた悲しみを隠せないその顔があまりにもアロイスと似ていて、堪えきれずにシャルロットはステラに腕を伸ばした。

「良かった…」

「ご心配をお掛けしました」

 ステラを抱きしめると、まるで一面薔薇が咲いているかのような芳しさだった。


「……皇后陛下、病み上がりのお体に障ります」

 ステラと引き離したいあまり棒読みでシャルロットを案じたニコラスに、二人は顔を見合わせてくすくすと笑った。



「皇后陛下、お茶菓子と紅茶をお持ちしました」

 ソフィーが台車を運んでくると、二人は席についた。ラングルンのレモンティーの爽やかな香りが二人の鼻を掠める。シャルロットはカップを持ってからその香りを胸いっぱい吸い込んだ。

 この香りの良さを、早くお腹の子にも教えてあげたいわ…。


「好きでしょう?シャルロット」

 二人の中では同じ日が思い浮かんでいた。イアンが突然ステラの元へやって来て三人で険しい顔をして茶会をした日のことだった。

「ありがとうステラ」


 紅茶を一口啜り、ふうと息を吐く。

 どこか灰色がかった空にはふわふわと綿菓子のような雲が泳いでいる。外は凍てつくような寒さだったにも関わらず、温室の中はブランケットをかければ暖かい。それがシャルロットたちの眠気を誘った。



「あれから、忙しなかったわね…」

「そうね…」

「シャルロットが無事で良かった」

「ご心配を掛けました」

「良いのよ。でも皇室騎士だったモーリッツって男はまだ捕まってないんでしょ?」


 シャルロットはしばし固まった。そう、ベア・モーリッツはまだ見つかっていない。

 アロイス様にお会いしないから詳細は教えてもらえないものの、つい先ほどお会いしたフォーゲル公爵に逃走を手助けした正体不明の人物が二人いて、恐らく騎士団内部の者だろうと聞いた。


「怖いわよね…。しばらくは外出は控えた方がいいわ。鉱山の件も落ち着いてきたみたいだし、あとはあの人に任せればいいのよ」

「…ええ、ありがとう」

 エンリオス公爵の仕業だと分かり、脅されていた採掘職人らは解放された。ご家族は安堵し、怒ったそう。

 採掘は再開され、職人の雇用を増やしている最中だ。



「ステラは元気にしてた?」

「もちろんよ。強いて言うなら、外出先でニコラスがあっちはダメこっちもダメってうるさいのが厄介だったことかしら」

 シャルロットはクスクスと笑った。ニコラスはムスッとしていたが、二人の会話に割って入る無粋な真似はしないと聞き流した。

 それから、話題になっているケーキの話や、帝都で流行っているロマンス小説の話、フォーゲル公爵夫人の出産が近いとか、そんな話をしていた。




 その時、バタバタと複数の足音が聞こえ、二人ははたと顔を上げた。

 漆黒の髪は日差しで柔らかな色合いになっているのに、堂々たるいで立ちと滲み出る風格はまさに皇帝だった。凛々しい顔はどこか曇った表情で、その深緑の瞳はシャルロットをちらりとも見ようとしない。

 ちくり、とシャルロットの胸が痛んだ。



「陛下…。いかがなさいましたか」

 ステラはこっそりシャルロットを盗み見る。先ほどまで花が咲いたような笑顔を見せていたのに、今は俯き加減で膝の上に拳を作っていた。

「…そなたがバジリオ子爵と噂になっていると聞いてな」

「まさか陛下の口からそのような話題が出るとは思いもしませんでしたわ。わたくしが誰と噂になっても我関せずでしたのに…」

 私の恋愛話なんて関心ないはず。そんな人が、数えられるくらいしか訪れたことのない皇女宮にわざわざ足を運んだ。急ぎの用事でもないくせに、遣いもなしに…。

 意図を掴んだステラはわざとらしく微笑んだ。アロイスは開き直って何も言わなかったが、その空間に耐えきれなかったシャルロットは席を立った。



「わたくしは席を外しますわ」

「行くな」

 シャルロットは一礼をして立ち去ろうとする。華奢な手首を掴んでそれを制したのはアロイスだった。


 振り向いたシャルロットのガラスのような瞳に見つめられ、アロイスの手が緩んだ。

「……行かないでくれ」

 青い瞳がいつまでもアロイスを映す。こんな風に見つめられるのはいつぶりだろうか。懐かしささえ覚える。

 もっと見つめ合っていたい。

 もっと近くで触れたい。




「…皇女殿下に御用があったのですよね」

 シャルロットはふいと顔を晒した。堪えていたはずのものが頬をこぼれ落ちたためだった。


『大臣たちがこぞって娘を連れてきてはさりげなく陛下にご紹介しているんですって』

『陛下はもう一週間も皇后陛下の寝屋に通われてないですもんね』

『あれだけ皇后陛下一筋と仰っていたのに…』


 シャルロットの頭の中を聞きたくない言葉が支配する。

「…………わたくしとは目も合わせてくださらなかったのに…」

 他の女性とは会っていらっしゃるんですね。


 そう言いかけて、グッと口を噤んだ。




「…シャルロット」

 何かを言いかけたアロイスを置いて、シャルロットは腕を振り払う。

「シャルロット!」

 立ち去ろうとするシャルロットをアロイスは追いかけ、護衛騎士たちも互いを見合わせながらそのあとを続いた。






「…近頃不仲という噂は本当だったのね」

 ステラはふうと息を吐いて両膝をテーブルにつき、だらしなく両手に顎を乗せて二人を見守った。


「そんな噂があったんですね」

「あら、知らないの?大臣たちは娘を連れて来て紹介したらしいけど、陛下は考え事をしてうんともすんとも言わなかったらしいわ。令嬢が色仕掛けをしても無視で、そのうちプライドの高い令嬢の方が怒り出しちゃって、大臣たちも気苦労が絶えないわよね」

 マーカスから妻のリンジーへ、そのリンジーからつい先日茶会でその話を聞いたステラは、吹き出しそうになった。



「きっとシャルロットと喧嘩したのね」

 でも、あの様子じゃあすぐに仲直りできそうね。

 ステラは一人クスクスと笑う。その様子を見て、ニコラスは不気味がって一歩引いた。

「何を考えておられるのですか」

「二人の睦まじい未来よ。

それより、あなたなんでまた敬語に戻ってるのよ」


 ステラの危機を救ったあの日、ニコラスが昔のように口調を崩していたのをステラは薄れゆく意識の中確かに耳にした。

「…皇女殿下に恐れ多い」

「思ってもないことを」







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