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秘事





 その日シャルロットはベッドからほとんど動くことはなく、ソフィーから近況を聞いていた。皇后の公務はそれほど滞りはなく、コルネイユが機械人間と噂されながら補助業務をこなしてくれているお陰だからだと聞いた。

 公務に参加できるようになったらお礼を言わないとね…。


「皇后陛下、皇帝陛下がお越しになりました」

 エリックの言葉でシャルロットは首を傾げて窓を見やった。

「もう?まだ日が出ているけれど…」

「公務をある程度で切り上げて飛んで来られたのでしょう。それほど皇后陛下を心配されているのですよ」

 ソフィーはシャルロットのシーツをかけ直すと、「ご入用の際はお呼びくださいませ」と残してアロイスと交代するように出て行った。



「クラメールに聞いた。問題がなくて何よりだ」


 にこりと微笑むアロイスに、シャルロットはどきりとした。

 何も、なかったわけではないけれど…。


 膝に置いていた手をそっと取ると、アロイスはシャルロットの細い指に口付けた。別の意味で胸が高鳴り、シャルロットの頬は熱を帯びた。


「…アロイス様……」

「……そなたが無事で良かった。本当に…良かった」

 伏せられていた視線がスッと上がる。焦がされそうな眼差しが近付いてくると、シャルロットの視界を遮って唇が重なった。

「んっ…」

 啄むように、角度を変えて何度も口付けが落とされる。

 まずい、と思うのと同時にベッドが更に深く沈む。唇が離れると、シャルロットの体を覆うようにアロイスが乗っていた。

 燃えたぎる瞳がじっとシャルロットを捉える。込み上げるものを我慢できない、理性を失いかけた獣のような目付きだった。


「シャルロット…」

 首筋に顔を埋められ、熱い吐息と共に柔く噛みつかれるとぞくりと体が震えた。

「っあ、あの、アロイス様…!」


 シャルロットはアロイスの胸板を押したが、ビクともしない。

「目覚めたばかりで体が重くて…!」

「すまない、今夜だけ…」

 アロイスの唇は首から胸へと落ちていく。寝巻きを肩から滑らせ、谷間に口付けを落とすと、そこに手が這った。



『ご懐妊、おめでとうございます』



「っ……!」

 それまで遠慮していた気持ちが一気に吹き飛び、シャルロットはアロイスの手をがっしりと掴んでいた。その事態に目を見開いたアロイスははっとしてシャルロットを見上げる。

 シャルロットは意志の強い目で首を振った。


「やめてくださいませ」

「………」

 アロイスの思考が一瞬停止した。

 ……………拒絶、されているのか…?


 そう気付いて、臆病な心がそっと手を引いた。

「………すまない」

 いや、引かざるを得なかった。シャルロットの怒気を孕んだ瞳が心苦しかった。

 それ以上を強行して拒絶の言葉を吐き出したくなかった。


 前世でもない、初めての拒絶。

 それが、胸を抉られるほど辛くて悲しいとは知りもしなかった。


「………………」

「………………」


 二人の間に微妙な沈黙が訪れた。

 アロイスはシャルロットの上から退いたまま、意気消沈として目も合わせなかった。

 ……やってしまったわ。がっかりさせたくはないのだけれど…。

 お腹に子がいるうちは、拒むしかない…。



「…申し訳ございません。異常はないのですが、まだ体調があまり良くなくて…」

 誤魔化すように言葉を紡いだが、アロイスには拒絶された事実だけが全てで、呆然としたまま空返事をした。

「…ああ…」

 シャルロットはちらりとアロイスを見上げた。気付いているはずなのに、目も合わせてもらえないわ…。



「……そ、そういえば、わたくしが誘拐されたのは、誰の仕業だったのでしょうか」

 そこでようやく意識が戻ったアロイスは、ことの一部始終をシャルロットに説明した。







「ナッシュくんとトーマくんも誘拐されていたなんて…」

「しかし助かった。あの男からそなたを守ったのだからな」


 ベア・モーリッツ。

 彼から私を守ってくれたのはナッシュくんとトーマくんだった。しかし誘拐されたわたくしを誘拐犯から守ってくれたのは、ベア・モーリッツだった。

 誘拐犯の男たちに触れられそうになった時、物凄い鳥肌が立った。彼らから守ってくれたことには感謝したい。けれど…。



「…馬車の誘拐犯は、わたくしをジャスナロク王国に誘拐しようとしたのですよね…?」

「ああ。だがモーリッツは味方であるそいつらを殺した。ナッシュ曰く、そなたに手を出そうとしたからだそうだ」

「そんなはずありませんわ。前世でモーリッツ卿がわたくしたちにしたことをお忘れですか」


 剣を向け、躊躇いもなく振り下ろした。あの光景を忘れることはない。

 アロイスが返す言葉もなく口を閉ざすと、部屋はシンと静まり返った。

「…だが、それ以外に奴の目的が見つからない」

 アロイスはジッとシャルロットを見つめた。先ほど拒まれたショックで責め立てるような目をしていた。


「それに…前世で奴はそなたをよく見ていた」

 まさか。そんなはず…。

 日暮れの橙に染まるシャルロットの瞳が揺らめく。

「…わたくしを処分する算段でしたら、見ていて当然です」

「そういう目ではなかった」

 その声色が怒りを孕んでいるような気がして、シャルロットはびくりと震えた。

 モーリッツに助けられた時意識のなかったシャルロットは、何をされたのかもナッシュたちの証言をアロイスを介して聞くことで知った。そのせいなのか懐妊を隠している事実もあってなのか、何もやましいことはしていないのに後ろめたいような、真っ直ぐな瞳に責められているような気持ちになった。



「……今となっては、帝国にも王国にも追われる身だ。そうそうそなたに接触はできまい」

 アロイスが不意に視線を外したことで、シャルロットは意識下で止めていた息を吐き出した。





 それから更に2回、シャルロットはアロイスの誘いを拒んだ。懐妊しているためだったが、それを伏せていたために何も知らないアロイスのショックは相当なものだった。そしてアロイスは、シャルロットの寝室を訪れなくなった。


 共に摂るのが当たり前だった朝食も、アロイスは混乱した帝国を治めるための重なる業務で、シャルロットはつわりで、それぞれが欠席するようになった。もちろんつわりというのは伏せて別の理由にしていたが、一週間後には別々に食事を取る生活になっていた。


 



「大臣たちがこぞって娘を連れてきてはさりげなく陛下にご紹介しているんですって」

「陛下はもう一週間も皇后陛下の寝屋に通われてないですもんね」

「あれだけ皇后陛下一筋と仰っていたのに…」

「シッ!」



 シャルロットが回廊を通り掛かると、おしゃべりに夢中だった掃除の使用人たちも口を閉ざして頭を下げる。

 マルティンは使用人たちをキッと睨んだ。シャルロットは何気ない顔を装っていたが、耳にした話に胸を痛めずにはいられなかった。

 たかが一週間。されど一週間。それだけで大臣たちは隙あらばとアロイス様に娘を紹介している。アロイス様は、誰かを、皇妃に選ばれるのかしら…。


 

『…今度こそ、そなたを幸せにしてみせる』 


 即位式で再会した時の言葉が、不意に蘇る。

 同じ気持ちでいてくださったことが、とても嬉しかった。今度こそ幸せになれるのかと、期待していた。


『アロイス・デル・ラングストンはここに宣言する。

テノール公国、公女シャルロットを皇后として迎え入れる』


 堂々として凛々しい出立ちを思い出す。そこに、あの頃愚王と呼ばれた陛下はいらっしゃらなかった。


『そして、私は他の妃は迎えない』


 …そう言ってくださったのに…。

 たった一週間で、わたくちたちの関係性は変わってしまった。



「…皇后陛下」

 エリックに呼ばれて、シャルロットは気が付いた。頬に流れた雫が顎を離れて床に落ちる。


「皇后陛下!」

 マルティンが前に回り込んで懐で「何か拭くものを…!」と探していたが、なかなか見つからない。そのうち、エリックが先にハンカチーフを差し出した。


「このようなものですが、どうぞお使いください」

「あっ、お前…!」

「ナディアはいつも持ち歩いてないだろ」

「うるせ」

 二人のやりとりを見ていたシャルロットは、涙も忘れてクスリと笑っていた。


 エリックとマルティンは目をパチクリとさせ、シャルロットにつられて頬が緩んだ。

 

「ありがとうございます」

「とんでもございません」

 

 国民の混乱を避ける目的で、わたくしの誘拐の件は公には伏せられた。けれど良かった。

 皆が知らないからこそ、エリック卿とマルティン卿の処罰を与えなくて済んだわ。こんなに優しい二人を処罰なんてできないわ…。







 まだかまだかと待ち侘びていた二人は、ソファに落ち着きなく腰掛けていた。

「なあ、もう一時間待ってないか?」

「二時間な気がする」

 あぐらをかいていた少年は中性的な顔立ちを隣の少年に向ける。隣にいた少年は組んでいた腕を下ろし、扉に目を向けた。


 ノックの後に扉が開かれると、それまで席にはかろうじて座っていた二人の子供が揃ってソファを蹴るように立ち上がった。


「シャルロット!!」

「シャルロット!!大丈夫!?」


 扉を開けた侍女のソフィーは目を丸くさせていたが、少年たちの粗暴な行いにめくじらを立てた。

「まあ、お二人とも。何ですか慌ただしく。

ここは皇后宮で、御前にいらっしゃるのは皇后陛下なのですよ。それに皇后陛下の御名前を口にするなど…!」

 注意を受けた二人、ナッシュとトーマはしゅんとして「「すみません」」と声を合わせた。


「良いのよソフィー。あまり怒らないであげて」

 シャルロットは背後からソフィーを宥める。シャルロットを救ったのが目の前の子どもだと分かっているため、また明日には皇宮を出てそれぞれ帰る場所に戻ることを知っているからこそ、ソフィーも強くは反論出来なかった。



「…外で待機しておりますから、何かあればお呼びくださいませ」

「ありがとう」

 それが見逃すというソフィーのサインだと分かったシャルロットは、自然とお礼を口にしていた。

 パタンと扉が閉ざされると、ナッシュとトーマは今度こそシャルロットに駆け寄っていく。


「シャルロット!怪我はない!?」

「ずっと寝てたって聞いたけど…!」

 屈んだシャルロットの手を握り、二人は心配そうに見上げた。

 シャルロットが以前会った時よりも明らかに背が伸びて顔立ちもはっきりしてきている。握る手も大きく骨が角張ってきていた。


「心配してくれているの?ありがとう」

 ふと、お腹の子が成長したらこうなるのかな…と重ねてしまい、頬が緩まずにはいられなかった。

「でもナッシュくんとトーマくんも誘拐に巻き込まれたと聞いたわ。あなたたちが無事で良かった」

 そう言って頭を撫でられ、二人はくすぐったい気持ちを隠しきれずに赤面した。


「シャルロット危なかったんだよ。あの男…、モーリッツ?だっけ。狙われててさ」

「うん。間一髪だったんだから」


『ナッシュ曰く、そなたに手を出そうとしたからだそうだ』

『それに…前世で奴はそなたをよく見ていた』

 ふと思い出したのは、アロイスの影のかかった表情だった。



「…そうね…。二人に助けられたわ。

陛下がご褒美をくださるそうよ。何か欲しいものはある?」

 それをかき消すように、ソフィーから間接的に聞かされた話を切り出す。


「ご褒美って言われてもなあ…」

 考え込んだナッシュはそれでもアイデアが浮かばず隣のトーマを見やる。そしてゲッと顔を強張らせた。

 トーマがそれはそれは、目を燦々と輝かせていたからだった。


 前のめりな姿勢を見て「トーマくんは何かある?」とシャルロットが促すと、トーマはこくりと頷いた。

「シャルロット、俺…アイスが食べたい!」

 

 あまりにも眩しげで、純粋かつ素直な姿にシャルロットはクスクスと笑っていた。

 孤児院の中では年長組で、読書を嗜み落ち着いたように振る舞っている。誘拐の時も逞しくわたくしのことを守ってくれていたそうだけれど、まだまだ可愛らしい面も残っているのよね…。

「みんなにも食べさせてあげたい!」

「そうね。たくさん用意するわ」


 ナッシュは「…アイス?」と拍子抜けした。

「そんなんでいいのか?」

「じゃあお前は何にするんだよ」

 そんなん、という馬鹿にされたような言い方に苛立ちを感じたトーマは食い気味に問い掛けた。


「剣はこの前ももらったしなあ…。うーん…」

 決めかねるナッシュに、シャルロットが「…今すぐじゃなくても良いのよ。少し考えてみたらどうかしら?」と提案すると「うん…、そうする」と頷いた。



「二人とも明日には帰るのよね?今晩のディナーは一緒にどうかしら?」

「いいの!?」

 ナッシュは「シャルロットとご飯だー!」と両手を上げて喜んだ。

「…でも俺、テーブルマナーとか分からない…」

「気にしなくて良いわ。三人で食べましょう」

 困り顔のトーマは三人だと知るとホッと息を吐いた。

 その日は三人でディナーの食卓を囲んだ。シャルロットとも気軽に、かつ好意的に会話をする二人につられてシャルロットの笑顔も多い一日だった。




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