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白日のもとに晒す





 公爵のエンリオスと王国王子のオスカルの悪行が明るみに出てから、5日が経った。



 シャルロットが誘拐されかけたことは、公になることはなかった。

 護衛をしている騎士団と皇宮の警備体制への不信感、それにより容易に皇后陛下を誘拐できるという悪事を働く心理を誘発しかねないことが危惧されたこともある。しかし一番の理由は、ガルパット鉱山での採掘拒否と鉱山ろう城による宝石不採掘で貴族の消費が減少し、経済が滞ったことによる国民の不安を、さらに煽りかねないこと。そして、不安から湧き上がっているという帝国への怒りを確固たるものにしないためだった。さらに言えば、他国が油断して帝国に戦争を仕掛けたり、間者を入れる隙を与えさせないこともある。



 誘拐されていた子どもたちは一時的に教会が引き取り、親元が分かれば引き取られ、日を追って誘拐された時の経緯を聴取することになった。


 ナッシュとトーマは誘拐されたシャルロットを目撃していたため、すぐに帰されることはなく、誘拐時に攻撃を受けて負傷したという名目で皇室が身柄を確保した。




 モーリッツを追った騎士は仲間と思わしき二人組の奇襲に遭い負傷者が出たが、幸い命に別状はなかった。しかしモーリッツの身柄を拘束することは叶わなかった。

 とはいえ、何の収穫もなかったわけではない。




 貴族派筆頭公爵家のエンリオス公爵の罪が記者たちにより明らかとなり、全帝国民を震撼させた。


 鉱山の採掘職人らを脅してろう城させ、経済を滞らせた犯人であり、その目的が国民にアロイス皇帝陛下への不信感を募らせること、それによる失脚だということが新聞で公表された。

 西部地域で多発していた子どもの誘拐もエンリオスが人身売買目的で行っていたものであり、誘拐された子どもたちの売買先はジャスナロク王国の第二王子オスカルだったことも明らかとなった。


 さらにオスカルは帝国の皇帝の座を狙っていて、エンリオスがそれを援助しようとしていた。

 国を問わずエンリオスはもちろんオスカル及びジャスナロク王国に対して批判が相次ぎ、エンリオスと共にオスカルも牢獄行きとなった。関所で待機していたインゴルフ・リャムナーも小さくだが取り上げられ、買い集めていた土地や資産は没収、事業も国に回収され、別の者が引き継ぐこととなった。


 


 対して皇室とイアンの名声は上がるばかりだった。

 アロイスとシャルロットは誘拐された子どもの保護に、イアンとステラはエンリオスたちを捕らえに動いたことが報道されるなり、やはり帝国には両陛下が必要だとか、帝国を正しく導いているという声が上がった。ステラとイアンが懇意にしている件も大きく報じられ、帝国民は万歳をして喜び合ったが、ニコラスだけは新聞をぐしゃぐしゃにして暖炉の薪と共に燃やしていた。

 貴族派もステラと婚姻関係にありつきそうなイアンを受け入れ、イアンは子爵ながら筆頭のように貴族派を取りまとめるようになった。




 シャルロットは丸5日間寝込んだ。


「シャルロット、元気出してね」

「早く起きろよ、シャルロット」

 夢の中で、幼い二つの優しさに溢れた声を聞いたような気がした。


「……シャルロット……」

 耐えようのない苦痛をどうにか名前を呼ぶ事で押し殺したような、声にない叫びも聞いた気がした。




 目を開いた時には見慣れた天蓋と幾重ものレースがシャルロットのベッドを覆い、炎が弾けるパチパチという音が暖炉から聞こえていた。


 ここは…、わたくしの部屋だわ。

 周囲を見渡していると、廊下からダンッと壁を叩く音が聞こえて無意識に肩がビクリと跳ねた。


 誰かいるのかしら…?

 重い足がもつれそうになりながら寝室の扉に手を掛けた。

「もう5日だ。体が弱いとはいえ軽い凍傷と頭部の打撲で本当にこれほど寝込むのか。他に原因があるのではないか」

 溜息と共にうんざりしたような声が聞こえた。

「誘拐されたときのショックと恐怖による、精神的なストレスも大きかったことでしょう。他に異常は見当たりませんでした」

「では何故目を覚まさないんだ!!」

 アロイスは再び壁を拳で叩く。目の前の侍医クラメールもまた沈痛な面持ちだった。


「このまま…シャルロットがずっと目覚めなかったら………私は………っ」

 今にも泣き出しそうな声に導かれるように扉を開く。

 裸足のまま長髪を靡かせて出てきたシャルロットの存在にアロイスとクラメールは目を瞬かせ、次の瞬間アロイスが勢い良くシャルロットを抱き締めた。


「シャルロットっ……!!」

 一寸の隙間もない、苦しいほどの抱擁だった。けれどシャルロットにはアロイスが泣いているような気がして、骨が軋むような痛みも忘れて両腕を回して応えた。

「アロイス様……」

 シャルロットの髪の隙間に骨張った手を入れて、顔までピタリと胸板にくっつけさせる。

 シャルロットは初め、何故アロイスが髪を振り乱すほど焦っているのか理解できなかった。

「心配した…。そなたは5日も寝込んでいたのだぞ」

 淡紫色の髪に擦り寄ってからようやく、アロイスは顔を覗き込んだ。


「まあ…。…どうして……」

「馬車ごと誘拐されたんだ。覚えているか?」

 ジンジンとする頭を押さえたシャルロットの頭に、朧げな記憶が蘇る。



『味見させてもらおうか』


 その瞬間、ゾワっと肌が粟立った。青ざめた顔のシャルロットの背中をアロイスはそっと撫でる。


「……わたくしは……その…、誘拐犯に…」

「……何か心配しているようだが、そなたのドレスは乱れていても、何かをされたような形跡は残っていなかった」

 その言葉で、シャルロットは潤んだ青い目を上げた。


「本当でしょうか?」

「ああ」

 深い青色の瞳がようやく自分を見つめたことに安堵して、アロイスの肩から力が抜けていく。


 シャルロットを軽々抱き上げたアロイスは、寝室へ向かうとベッドにそっと降ろした。クラメールは気を遣って寝室にまでは入らなかった。

「何か食事を用意させよう。久々の食事だから柔らかいものがいい」

「お願いいたします」

 ふわりと微笑むシャルロットが懐かしくて、アロイスは引き寄せられるように頬に触れる。ずっと閉じられていた目が温かな眼差しで見つめてくることに、歓喜のあまりアロイスは胸の辺りがぞわぞわとした。


「…シャルロット」

 その名を呼ぶと、シャルロットは綻んで目を細める。

「はい、アロイス様」

 応えてくれた。

 たったそれだけのことを、どれほど待ち望んだか。この5日間がまるで何年ものように長く感じられた。


「……本当に綺麗な瞳をしているな…」

 抑揚のある掠れた声。それまでじいっと見つめていたアロイスの喉の奥が熱くなる。それに気付いたシャルロットは真白いアロイスの手に手を重ねる。

 侍女たちまでうっとりするほど端正な目鼻立ちを誇るアロイスの顔が近付き、シャルロットはそうっと目を伏せた。

 ゆっくりと、確実にアロイスの薄い唇が押し当てられた。ドキドキと高鳴る胸の鼓動が唇から伝わるのではないかと気にしては、シャルロットの鼓動は忙しなくなるばかりだった。


 いつものように激しいわけでもない、長く触れるだけのキス。徐に唇を離したアロイスは、鼻先が触れ合う距離でシャルロットを覗き込む。照れてりんごのように顔を赤くさせて微笑むシャルロットに、目を眇めた。

「……愛してる」

 

 頬に触れる手が、熱い。シャルロットはその温もりを感じながら、充血した目でいつまでも見つめてくるアロイスに返した。


「わたくしも愛しております。アロイス様」

 エメラルドの宝石から一雫の涙がこぼれ落ちる。隠すように俯いたアロイスを、シャルロットはベッドに膝を立てて抱きしめた。


 嗚咽をどうにか堪えようとして時折吐息にもれる。アロイスは心なしか震えていた。その体は、いつになく小さく丸くなっていた。

「ずっと…この先も、この気持ちは変わりませんわ」

「…っ…ああ…」

 こんな状況でさえ、泣いているなどと思われなくないアロイスは嗚咽を殺そうとしていた。男としての小さなプライドが虚勢を張ろうとしていたのだ。

 しかし実際はシャルロットの胸に抱き寄せられ、アロイスは不甲斐ない返事をした。

 


 怖かった。


 眠り姫を見つめながら悲しみの中眠りにつき、目が覚めて真っ先に隣を見ても目を開かない姿に落胆する。

 それが繰り返されるうち、もう二度と目を覚ますことはないのではないかと不安に駆られた。再びシャルロットを失うのではないかと考えては、冷静でなどいられなかった。



 寝室の扉を閉ざしアロイスが出てくると、起立して佇んだまま待機していた老体のクラメールがやって来た。

「座っていて良いぞ」

「いえ…。皇后陛下のご様子はいかがでしたか?」

「落ち着いているようだが…、念のため診てほしい。コフマン伯爵夫人が来てからだ」

「かしこまりました」

 アロイスは後付けで強い口調をさせた。



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